ちいさなおしゃべり

Shantia家のメインランド生活日記

初☆Tahitianのステージ

2006年09月30日 | Hula/Tahitian
昨日、シャーちゃんの通うライエ小学校のFall Festivalがあり、そこでシャーちゃんは初めてのTahitianステージを踏む事になった。

ド田舎にありながらハワイ最強ジュニアチームNonosina Hawaii、ここで踊りだしたのが今年の1月。やっとやっとの初舞台 
舞台といっても、学校の中庭の芝生の上だからそんなにかしこまった場ではないけどね

指定通り、髪の毛は半分アップで半分ダウン。軽く化粧をつけて、耳にはタヒチの花ティアレをさした。そしてリトルダンサーの出来上がり


肝心の出番、義母が場所取りしていたところからは運悪く見えにくかった... ジョセフ君が録画したビデオに何とか映っていることを願いたい しかし、シャーちゃんのクラスは小学校低学年くらいまでが主流だから子供らしいステージだけど、ひとつ上のクラスになるとNonosinaパワー炸裂って感じだね。まー、見事に動く腰!!シャーちゃんもあと5年続ければあんな風に踊れるのかしら??

初めてもらった奨学金

2006年09月29日 | School
先週、学校のE-mailアカウントにFinancial Officeから
『あなたの学校口座にチェックが入ってますよ。取りに来て下さい』
というメールが。いつもこのメールが来るときは国の奨学金制度『Pell Grant』に応募した後だけなんだけど、今学期は応募していなかった。なので口座にお金が入ってるなんておかしい。こういうとき、ジョセフ君が便利である。ジョセフ君のオフィスの1階でこういうことは処理されてるので、仕事ついでに聞いてきてもらう。

今回、私の口座に入っていたのは
『ハワイ学奨学金』
...え?学部関係の奨学金は普通12単位取っていないともらえない。毎学期9単位しか取らない私はいつも、
『奨学金もらえますよー』
という手紙をまずもらい、そして単位が足りないので結局はもらえない、というパターンを踏んでいた。
でも今回は手紙をもらっていないのに既に口座にお金が入ってるというじゃないですか

「...これで後から単位が足りないって判明して返せとか言われるんじゃない?」

ってジョセフ君に聞いてみると、

「Financial Aidのボスに聞いてみたら、誰かが既に"例外申請"の手紙を出してるんだって。でもう許可されてるらしいよ」

だと。...誰が? 
そもそも学校の奨学金に応募するためには単位が少ないことを知っている私は自分で奨学金に応募したことがないのだ。なのに毎回手紙がくる。今回は手紙を越えて、誰かが"例外申請"の手続きまでしてくれたらしい。人数が少ない専攻だと学科側がやってくれるのねぇ、手続き

そんなわけで今学期、学校から初めて奨学金をもらった私。金額は500ドル 非常に助かるわ。なんてたって、おととい5月の手術執刀医師から請求書が来たばっかりでねぇ。こちらの金額499ドル 見事に奨学金の金額がそっくりそのまま手術代に移行といったところかな
"例外申請"出してくれた人、どなたか知りませんがありがとう。

産後6日目の心境

2006年09月28日 | Myself
2年ぶりの新生児ちゃんとの生活、夜中の授乳なんかは寝不足を伴うのでつらいけど、お世話自体はとっても楽しい 寝ているアレックスをずーっと見てても飽きないし、ぐずるアレックスを抱っこで寝せるのも幸せ。生まれた時の体重は4人の中で一番重いんだけど、それでも2歳児のマイキーに比べたら軽い、軽い!!どんだけでも抱っこできちゃう。それと同時に、先週の今頃はまだ自分のおなかのなかにいたんだ、と思うととっても不思議...。出産ってすごいよなぁ。

新生児ちゃんのお世話の中で、特に幸せを感じる時がふたつある。
一つ目は、ベッドの上で万歳して寝ているのを見るとき。万歳といっても、腕は曲がってるから顔の横に両手があるくらいなんだけど、すっごくかわいい


二つ目は、あの新生児ちゃん特有の新生児スマイル 本人は笑う気がなく、筋肉が緩んでできるスマイルらしいが、もうあの新生児スマイルはかわいすぎ!!特におっぱいを飲んだ後に腕の中ですやすや寝ていてあのスマイルを見せられたらもう!!! 母としては
「あ~、おなかいっぱいおっぱい飲んで幸せなんだー しかも抱っこしてもらえて安心して眠れるんだろうなぁ
と母性本能をくすぐられてしまう。

母としての仕事だけをやっていれば相当幸せだろうけど、このShantiaまだまだ現役大学生 月曜日=産後4日目からクラスに戻っている 先生達は
「赤ちゃんが生まれたらクラスのことは気にしなくていいからねー」
とは言うけどさぁ、結局そのミスした分の授業の内容も中間&期末テストに出るわけだし、どこかで埋め合わせをしないといけないんだもん。後で追われるように勉強するのは嫌いだから、さっさとクラスに復活して学ぶことはその場で学んだ方が楽なのよねぇ

学生に早々と復帰したはいいが、生活リズムはまだ調整ができていない。今までの時間で動いていると、アレックスの授乳に見事に左右されて時間がいっぱいいっぱい。この結果、朝から慌しい生活を送っている私

クラスがある朝は実家にマイキー&アレックスを預けてるんだけど、実家で授乳したりすると時間がすぐに過ぎていく。よって実家から学校まで早歩き&駆け足でなんとか遅刻を免れる。
今日の夕方は、シャーちゃんをタヒチアンに連れて行こうと準備し、ちょっとギリギリめに用意ができてドアをパタンと閉めた途端、鍵を家の中においたままだということに気付いた 我が家のドアは中のロックの状態によって外からは開かない仕組み。車で行くのに、鍵がない。閉めだしをくらった私達。時間がギリギリなのでオフィスまでダッシュ 合鍵を借り、ダッシュで戻り、鍵を取り、再びダッシュでオフィスに鍵を返しに行き、急いで子供達を車に乗せ、タヒチアンのレッスンへ

ていうかさぁ、産後6日だよ?!日本じゃまだ入院中じゃないかい??なのに猛ダッシュしてるってどうよ?!クラスで山道登って畑作業してるってどうよ?! 一応、今夜のフラのレッスンはお休みしたけどさぁ、こんな切羽詰まって走ったりする体力あるなら、その体力をフラに使いたいわよ。

ジョセフ君は月曜&火曜と有休をとって家にいたんだけど、昼寝とかしてるからね 確かに出産前、妻のイライラに振り回されて疲れただろうけど、アレックスが出てきてから夜中4~5回起きて授乳しておむつ替えてるのは私ですよ?!私が昼寝したくても出来ないのに、有休とって昼寝してるってどうよ?!学生は有休なんてないのにぃ

こんな風にちょっと生活が慌しいので、明日から起きる時間を15分早くして6時にする予定。じゃないと朝から気分悪い。今学期さえ終ってくれれば
短い新生児ちゃん時代、もっとエンジョイしたいわぁ。頻繁に思うんだけど、分身が欲しいかも

退院翌日

2006年09月27日 | Family
退院してきたその夜も例にもれず、アレックス君寝るのに一苦労。ひとつの原因はまだ母のおっぱいが出ないということにあるんだけど、とにかく寝ない...。眠いのに寝れない状態に近い。
11時に電気を消して寝るモードに入ったのに(親が)、結局私とアレックスが寝れたのは3時半過ぎ その間、おむつを換えたり、おっぱいをあげてみたり、抱っこで寝せてみたり、ミルクをあげたり、の繰り返し。寝たかと思ってベッドに置くと1~2分後ぐずりだす。

ジョセフ君は3時ごろに子供部屋で泣き出したマイキーの元へ。そして子供部屋で まだ生後2日なので、あまりやりたくはなかったが、母の体力にも限界があるので、退院当日の夜から添い寝することになった。正しくはまだでないおっぱいを吸わせながら、である。これでやっとアレックスが寝てくれた。

4時、気付くと部屋にマイキーがいる。しかもなぜか裸んぼ、おむつしかしていない。マイキーは私とアレックスが寝ているベッドに登る準備をしていた。

...なんで裸なの、この子?で、ジョセフ君、子供部屋で寝てる意味ないし。マイキー脱走してるじゃん

と思いながら小声で
「マイキー、自分のベッドでねんねは?服はどうしたの?」
と聞いてみたが、効果なし。そのままベッドに登り、足元の方で寝始めた。

まぁ、足の方なら平気かな?

と思って寝ることにした母。次に気付くと、マイキーがアレックスの横にピタッとくっついて寝ているではないか アレックスは右に母、左に兄の人肌を感じ幸せそうに寝てはいるが...。マイキーをアレックスから少し離そうとすると、なんとマイキー、アレックスの手を握って寝ていた 母の気配を察知したマイキーは
「アレック、ここよ」
と自分の握ってるアレックスの手を指差して再び 母はもうドキドキ とりあえずマイキーはアレックスを潰すことなく寝てくれたのでよかったけど、できれば自分のベッドで寝て欲しい。


そして朝。突然甘いものが食べたくなった母。でも残念なことに我が家に甘いものが今ない状態。なくて食べたいものは作るしかない。ということで、朝からオートミールクッキーを焼いた。くるみとチョコチップ入りのクッキー。何も退院翌日からお菓子作りをしなくても、と思ったけど、どうしてもクッキーが食べたかったのだ。

そんな感じで一日を過ごした母。どうもじっとしていられない性質なんだろうなぁ。

アレックス誕生話 ~退院の日~

2006年09月27日 | Family
9月23日、アレックスが生後24時間以上経ったので、退院することに。
入院中、学校のことや家事のことを考えずにアレックス君だけをお世話できたのはとってもよかったんだけど(その割にはアレックスが寝てる間、ハワイ語の宿題を終らせていたけど)、入院生活ってその分とっても暇だと改めて実感。私は宿題やら雑誌やらを持っていったのでまぁよしとして、問題はジョセフ君!読む本もなければ、コンピューターもない、仕方ないからとテレビをつけても面白いものは全くない状態。退院はジョセフ君が一番喜んでいたと思う

帰り道、また夜に結構泣いてくれたアレックス君のおかげで母は眠気がピーク そんな妻に"選挙の日"という口実で政治の話を始めたジョセフ君 ミラーで妻が起きているか、聞いているか、確認しながら話してたんだけど、妻限界 ジョセフ君には悪いがアレックスと一緒に寝ることにした ここで寝なかったら疲れモードの妻はまた吐きますから。

ライエに着いて子供達の待つ実家へ直行。ビデオカメラをスタンバイさせて、アレックスと姉&兄のご対面~ シャーちゃんとティアは
「アレックス~
と予想通り弟を溺愛。マイキーはというと、
「マイキー、これ誰?」
と聞くまで弟の存在に気付かず、リビングで踊っていた さすがです。でもシャーちゃん、ティアがアレックスを順に抱っこしていると、すかさずちゃんとソファに座り、
「アッキー(マイキー)も」
と言って、抱っこしていた。

そしてティア、産後1日半の母のおなかを見て
「ママ、アレックスもうひとりはいってる??」
って 確かにまだポッコリ出てますけどね。 きっとこの発言、ビデオに収められている気がするわぁ 

とにかくこの日一日、アレックスは注目の的 シャーちゃんはアレックスが寝ていれば
「アレックス、いつおきる~?」
と聞いてくるし、起きていれば、
「アレックス、いつねる~?」
と聞いてくる。興味津々ですな、赤ちゃんに。

アレックス誕生話 ~病院食~

2006年09月26日 | Family
私が今回利用したCastle Medial Center、運営側がキリスト教の一派だそうで、カフェテリアの食事はベジタリアン 入院患者には肉も出るが、カフェテリアでは肉なし食事。持ち込みはOKらしい。このことを看護婦さんに聞いたとき、ジョセフ君は
「ベジタリアンが作る野菜料理って普通の人が作るのよりおいしいよね。ただ切っただけじゃなくてもっと手が込んでるし」
と言っていた。そして最初にカフェテリアに行ったとき(私の陣痛がまだまだ余裕だった時)、おいしいサラダがあったと喜んでいた。
ここまではよかった。

翌日の朝、おなかを空かせてカフェテリアに行ったジョセフ君(夜がなかったため)。帰ってきたときの顔はすっごく不満そうだった
「おいしかった?」
と聞くと、
「...卵料理ばっかりだった、しかも味付けなし。あとは偽ベーコン、偽ソーセージ、偽ハム。どれもいまいち。偽ベーコンなんて見た目はベーコンだけど舌触りはクラッカー。コーンブレッドもあったけど、パサついてた
だって。なので、ジョセフ君、昼ごはんには外からタコベルを買ってきて、更にパン、ターキー、チーズ、りんごを部屋の冷蔵庫に入れていた。

そして私のランチ、白身魚のフライはおいしかったけど、付け合わせのグリーンピース&カリフラワー、ただ茹でただけ。最も目を疑ったのが、スープ。
メニューには
『本日のスープ クラッカー付き』
と書いてあった。よくトマトスープやクラムチャウダーにクラッカーを入れて食べるのが習慣だからね。で、そのランチのスープのふたをとると、

ん?!

黄色っぽい色の液体の中に具が見えない。なんだろう、と思いにおいをかいでみると...

もしやこれは...

すっごく知っているにおい。スプーンを取って確認のためにかき混ぜてみる。

やっぱり!豆腐だ!!味噌汁だ!!!

一人大爆笑のShantia。私が突然笑い出した理由を知ったジョセフ君、即日記に書いていた。

どこの誰が、味噌汁にクラッカー割って入れるわけ?まして日本人だよ、私?!しかも具が豆腐とひじき?!戻りきってないひじき。味もすっごく薄い。だし入ってないでしょ、これ?BYU-Hのカフェテリアの方がよっぽどおいしい味噌汁作れるよ?!

そしてその日の夜は
『ロコ風チキンロングヌードル』
だった。ほとんどのルアウフードが好きな私にはうれしいメニュー。さっそく一口、パクッ!
...なんでこうパサついた感じがあるわけ?! BYU-Hが作るロングヌードルはとってもおいしいのに。
Shantiaは思った、

ここのシェフ、味覚ないんだろう。BYU-Hはなんせポリネシア人たっぷりだから、『食』を重視しないとやっていけないもんね。

結局、入院中にでてきた食事で一番好きだったのはパンについてきた『プロミスマーガリン』と『オートミールクッキー』
やばいでしょう、これ。市販品だし、全部。
部屋はとってもきれいで"さすが!!"と思ったけど、食事はあの田舎のカフクの方がまだいいわ。今まで、5つの病院食を味わってきたけど、ここが一番最悪だね

アレックス誕生話 ~生後0日~

2006年09月26日 | Family
後産も終わって部屋の慌しさがなくなり、夜の担当の看護婦さんがアレックスのお世話にやってきた。最初のお手洗いは看護婦さん同行ということで、午後8時前に看護婦さん立会いの下、お手洗いへ。その間に血だらけになったベッドがきれいに取り替えられ、産後生活が出来る状態に変身した部屋。

ベッドに戻って、アレックスに初授乳をしていると...
後陣痛が恐ろしいほどに痛い
回を重ねる毎に痛くなるとは聞いていたが、本当に痛い!すぐに痛み止めの薬をもらったけど、効かない もちろん、アレックスが出てくる直前の痛みに比べたら軽いんだけど、それでもすんごく痛い。おなかがキューっと痛くなってその痛みに耐えようとすると、今度は両ほっぺが痛くなる。すごくおなかが空いて唾液の分泌がひどくなったときの痛みにそっくり そのおなかとほっぺの痛みと戦っていたら、再び吐き気 たまたま義母と電話中だったジョセフ君は
「ちょっとごめん!!」
と言って電話をきり、ナースコールを押して即私に容器をくれた。結局は吐かずに済んだんだけど、一歩手前状態だった。その後、別の更に強い痛み止めでようやく痛みから解放された。

夜中、アレックスは外の世界初めての夜に戸惑っていた。抱っこをすれば落ち付くが、ベッドに入れるとパニックに おなかも空いたようでまだ出ないおっぱいを吸ってはヒィ~と泣いていた。運良く、この夜はバースセンターの患者が私一人だったので、12時ごろに看護婦さんがやってきて、
「少し赤ちゃん、見ておいてあげるわ。そうねぇ、2時半くらいに連れてくるわね。しっかり休むのよ」
とアレックスをしばらく面倒見てくれた 疲れきっていた私達にはとってもうれしい助け手だった。しかもこの看護婦さん、結局5時ごろまでアレックスを見ていてくれたのだ。なんてうれしい 体力が回復しないと今後の育児に影響するからねぇ。

アレックス誕生話 ~破水から出産まで~

2006年09月25日 | Family
破水したのでクッションがなくなり、ここから陣痛の痛みが増した もちろん間隔は2分おき。耐えるのにつらい陣痛が続いたので、子宮口が開いていることを期待するShantia 
破水から1時間後の5時10分ごろ、二度目の内診。

「...5cm、ポジション-1cm」

1cmしか開いてない、しかも赤ちゃん下がってきてないし 1時間で1cmってことはぁ...あと5時間?!絶対無理!! エピドール(無痛分娩)に逃げたくなってきた。Dr.Shimizuが
「何か痛み用の薬いる?」
と聞いてきたので、まず点滴注入型の薬をもらうことに。効果はマイキーのときに使ったステドールと同じなのだが、効き目が30分だけ、というもの。これを入れてもらってすぐに眠気 陣痛は相変わらず痛いが、陣痛の間はほぼ寝てる状態。

それから更に30分後、今度は看護婦さんによる内診。
「今Dr.Shimizu、ちょっと家に帰ってるから。あ、ノースのじゃないわよ。カイルアの別荘の方」
カフクでの出産がなくなってからというもの、Dr.Shimizuは誰かが産気づくたびにこのCastleかタウンのKapiolaniまで行かないといけない。しかも翌日のチェックもしなきゃいけないので、負担を少しでも減らすためにカイルアに別荘を買ったらしい。すごいなぁ、Dr.Shimizu。
で、肝心の内診の結果。

「7~8cmね」

おぉ!!ちょっとゴールが見えてきた?! でも薬がきれたので陣痛の間に休むことが難しく、ひたすら痛い 仰向けだと腰も痛いので、気持ち横になる私。陣痛が来るたびにジョセフ君の手を握りつぶすような勢いで握る妻。もう一度、薬を入れてもらうことにした。

午後6時を過ぎても肝心の『お手洗いに行きたい感覚』がやってこない。痛みは十分にある。もうそろそろ限界が近づいてきたように感じたShantiaは祈ることに。
「どうかこの痛みを乗り切れますように。そして出来れば6時半までに赤ちゃんが産まれますように」
と。

再び薬がきれる時間の6時15分、看護婦さんによる内診。

「8cmね。Dr.Shimizu、もうすぐ着くからね」

...もう限界 どうにかしてこの痛みから逃れたい あまりにも痛くて突然吐き気に襲われたShantia。胃には水しかはいっていなかったから吐いたのは液体だけなんだけど、前回吐いてない分ちょっとショック そして直後に
「お手洗い行きたい!!」
と叫びながら訴えた人。もちろん即内診。看護婦さん、
「もう出るわ、この赤ちゃん。Dr.○○スタンバイさせといて!!そのシーツ、持ってきて!!」
とたまたま入ってきた他の看護婦さんに指示。
いきみたい気持ち満々で、赤ちゃんがもう出口にいるのがわかってていきまない妊婦はいない。ていうか、いきまずにはいられない 半叫びながらいきみだすShantia、担当の看護婦さんが出産を指揮する周りで、突然大忙しモードになったほかの看護婦さん達。ベッドはもちろんそのまま、分娩台に変えてる余裕なんてない。私も横を向いたままでいきみだしてるし 4人目なのにいきみ方間違ってる人。

まだ頭が完全に出ていない感覚があったとき、看護婦さんたちが何かを使い、そしてパシッと音がした。何が起こっているのか分かるはずもないShantiaはひたすらいきみ続ける。その直後、部屋に手術着を着た見た事ない医者が入ってきて、残りの出産の様子を見守っていた。
その数秒後、無事に赤ちゃんがニュルッと出てすぐさま処置台へ。それと同時にDr.Shimizu登場 その見知らぬ医者に
「Hi, I'm Dr.Shimizu.」
と軽く自己紹介をし、私の処置に移った。私の後産の世話をしながら、担当の看護婦さんに
「なんで7cmになったときに連絡しないの?!そしたら間に合ったのに」
というセリフを4,5回繰り返していた。私の突然猛スピードで進む出産を2回も目の当たりにしたDr.Shimizu、そう言わざるを得ないよねぇ

猛烈な痛みから解放されて半分放心状態であたりを見回すと...あ、シーツ血だらけ。私のガウンにも血が飛んでる げっ、ベッドのレールまで 2回連続、ベッドを分娩台に変える時間を与えずに出産し、ベッドを血だらけにした人。

いきんでいる途中の看護婦さんによる『パシッ』と言う音、ジョセフ君の説明によると、アレックスの首にへその緒が巻き付いていて、次にいきむときっと締め付けてしまうだろうという判断の元、体が出ていないうちにはさみでへその緒を切ったらしい。だから、直後に外でスタンバイしていた外科医が入ってきた、ということのようだ。

こんな感じで突如慌しく出てきたアレックス君、私の祈りが見事に聞き届けられ、6時29分という時間だった。
この時間も実は微妙なのだ。私とジョセフ君がずっと見ていたのは壁の時計。その時計ではアレックスが出てきた時間は6時28分。でも病院側が使っていた時計は陣痛モニターの方の時計。これだとアレックス君の誕生は6時23分。そしてケータイの時間、つまり衛星から読み取っているもっとも世界基準に近い時間は6時29分。どの時間を使えばいいのか私達はいまいちわからないのだが、少なくとも全て6時半前である。

でも今回は結構痛みに苦しんだわー。日本で出産しているお母様方がとってもすごいと思う瞬間だよ、うん。一人目のあの長いお産から麻酔なしなんだもんねぇ。

アレックス誕生話 ~入院から破水まで~

2006年09月25日 | Family
9月21日。病院の予約は9時半なのでまず娘達を学校へ送り届け、マイキーをグランマに預け、8時半にジョセフ君と病院のあるカイルアへ 今回の病院は
Castle Medical Center
車で1時間って遠いよなぁ。
病院に着いて受付を済ませ、早速『Birth Center』に移動。計画分娩だけあって、既に部屋が用意されていた。ここのスタイルはLDR式 つまり陣痛→分娩→回復が全て一つの部屋で可能。今までは産んだ後に部屋を移動するスタイルだったのでちょっと新鮮!しかも部屋が広くてきれい 

部屋に入るなり早速入院ガウンに着替えるように言われ、すぐに陣痛モニターをつけられた。そしてモニター観察しながら看護婦さんによる問診。その途中、
「...で、今陣痛来てるけど?」
と言われ、
「え、そうなの?」
と答えるShantia。看護婦さん、
「...全然感じないわけね...
って。

11時前ごろに誘発の準備開始。まずは点滴。今回は右腕にされた。そして前回同様、針を入れた後に丁寧に腕を拭かれていた私。つまり腕が血まみれになったということですな。...そんなもんだっけねぇ、点滴って?? 11時20分ごろにようやく陣痛誘発剤の点滴が開始された。点滴開始直後から今まで不規則だった陣痛が見事に規則的にやってきた、しかも4分おき でもまだまだ全然痛くない。陣痛の山のピークを感じるくらい。余裕がまだ大有りの妊婦は
「...おなかすいた」
と訴える。食べれないとわかっているが、ちとつらい。しかし!!なんと『Clear Liquid Meal』という名で病院食が運ばれてきた。内容は
Jello、野菜からとったスープ、クランベリージュース
つまり、透き通っている液体のみ。それでも空腹だった妊婦にはうれしい。
誘発剤点滴開始後、30分ごとに看護婦さんが観察にやってきては誘発剤の量を調整していき、徐々に強めの陣痛が来るように。それにつれて、間隔も2~3分おきになってきた。

Dr.Shimizuが到着したのが4時。このころには結構強めの陣痛が来ていたが、まだ耐える事が出来るくらい。モニターをつけてからDr.Shimizu登場までなんと一度も内診がなかったのだ。だからこの時点でどれだけ子宮口が開いているのかドキドキ。なんてったって陣痛は2~3分おきだからね。看護婦さんが、
「私の予想では5~6cmかな?」
と横で言いながらDr.Shimizuによる内診。

「う~ん、4cm!」

昨日の検診から1cmだけ?! ほんっとに毎回陣痛だけ余計に来るよねぇ。
前回の出産で破水後5分で子宮口が6cmから10cmに開いた上に赤ちゃんがでてきた、ということを知っているDr.Shimizuはその場で人口破膜を行った。
「う~ん、まだ早いと思うけどなぁ」
と思っていたのは私だけだったのかも知れない。Dr.Shimizuも看護婦さんも
「今回は何分で産まれるかしらね
って言いながら部屋を去っていったから。


Welcome☆Baby

2006年09月24日 | Family
予告通り(?!)、計画分娩で待ちに待った我が家の4番目さんが外の世界に出てきました



Alexander Towa(永遠) Colton
通称:Alex
9月21日午後6時29分
身長:20インチ(50cm)
体重:7lb14oz(3594g)


4人の中で一番Big!! でも生まれてきてすぐに測ったとき、
「6lb12ozね」
って言われ、"あ、思ったほど大きくなかった"と思ったのもつかの間、Dr.Shimizuや他の看護婦さんの顔に疑問の色が。そしてその疑問を解くためもう一度測定。すると、
「あ、7lb14ozだった...」
だと。その瞬間、みんなの顔から疑問の色が消えて
「6lbにしては大きいと思ったわぁ」
と口々に言われたアレックス君。まだ後産中だった母は
「...数分で1lbも増えてるじゃん
とちょっと苦笑い。

アレックスはシャーちゃんが生まれたときのお顔によく似てる。てことはシャーちゃんのようなお顔になるのかしら?? どんな子になるかとっても楽しみ

これから入院生活のことを順にしていく予定。気長に付き合ってください。
そして我が家の新しいメンバーアレックスをどうぞよろしく