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幕末・維新の豪商たち=投資家

2017-12-31 09:15:50 | 歴史から学ぶ

@江戸末期から明治初期の混乱期でも豪商は莫大な利益を得た。幕府、大名、旗本等が幕府側か朝廷側か、尊皇攘夷派かで騒いでいた時、豪商は富をいずれかに「賭け」ながら乗り越えた。家督を継ぎその富を特定な志士を支援した豪商、戦利品から富を得た豪商など、支援はいずれも将来の日本を夢見ながらの「賭け」があった。「人」「生き様」に惚れて、見返りもなく支援した豪商、全財産と命もかけた豪商など、江戸の豪商は正に「今に生きる」のすざましい生きざまを見ることができる。今の富裕層に未来を夢見て生い立ちも判らない若者に全財産を支援するそんな金持ち・投資家がいるだろうか。未来を夢見ながら必死に生き抜いた江戸明治初期の豪商は感激に価する。

日本の新規企業投資が歪んでしまったのは将来の経済成長が余りにも低迷し、見通しが不安定だからだろうか。長期の和平=経済低迷はリスクを嫌い、無理やり変化をさせないようにしているだけなのか。 経済の「現状維持」という言葉は、経済の低迷を招いており、技術革新があっても新規導入ができない、させない環境を日本の多くの企業が真似ている。IT/IoTによる技術革新で競争力を付け突進する企業が国内に稀なのは国内大手企業の「既得権」「利権」「規制枠内保護」等に守られているからで、東南アジア諸国での革新は一部日本を大きく遅らせている現実がある。レガシーも良いが、効率化を無視した故障も、損害もない時代遅れの超老齢化システムは日本がまた「鎖国化」社会に入った原因だ。

豪商の一部を下記に抜粋

• 「高田屋喜兵衛」
1769年淡路島の農民から樽廻船屋となる
蝦夷地〜ロシア 松前藩御用達の大商人となる
1813年ロシア側との交渉で日露関係を改善
• 「濱口梧陵」
和歌山県紀州広村からのヤマサ醤油製造業、銚子、日本橋に店
1850年松代藩兵学者、佐久間象山の塾に入る
門下生の勝海舟等を支え
攘夷派(54藩中、34藩)がある中、開国派に支援
1854年の震災で海外渡航の夢はなくなり、地域貢献した
• 「13代伊藤次郎左衛門祐道」
1611年、呉服小間物店、後の松阪屋、織田信長の小姓
震災等のからの薄利多売(古着)などで巨額資産を得る
1833年天保の大飢餓で上野、名古屋での貧民に米・銭配布
震災から幕府に莫大なる上納金をし、翌年には店舗を建てた
5万5千枚のチラシで3000両の売り上げを上げた
• 「5代嘉納治兵衛尚正」
1841年、家督を相続、白鶴、菊正宗の酒酒造で富を得た
幕府の警備、台場、江戸本丸等への上納金を多くした
• 「近藤茂左衛門弘方」
1800年、飛脚、酒屋、薬屋家督をつぐ
尊王攘夷派を支援し、自らも加わった
「安政の大獄」死刑8名、島流し70名、その他100名処分
• 「白石正一郎」
奇兵隊に入隊した商人(廻船業 長州藩)
• 「山本覚馬とカールレイマン」
会津藩士、ドイツ造船技術士との取引
1867年1000丁の最新武器を契約が、新政府に取られる
• 「鴻池善右衛門幸富」
酒造業から海運業、金融業で富を築いた
1863年新撰組が結成され支えた
1877年三和銀行、その後三菱東京UFJ銀行となる
• 「8代濱崎太平次」
指宿「ヤマキ」琉球との海運業、薩摩藩を支えた
薩摩の武器調達への軍資金用達
• 「福田理兵衛」
尊王攘夷派を支援した京都の材木商
仁和寺、天龍寺の御用達
長州藩が大挙して上洛した時に支援
蛤御門の変(会津藩・薩摩藩vs長州藩)での支援
• 「飯田新七」
1803年、福井県敦賀市、呉服商の跡取り、
高島屋創業者は蛤御門の変で京が炎上古着を売り富を得た
営業方針「誠実さ」「勤勉さ」1時間も早く開店させる
「確実な品廉価にて販売し、自他の利益を図るべし」
「3方よし」売り手良し、買い手良し、世間良し
「正礼掛け値なし」現金化を実現
• 「トーマス・グラバー」
倒幕派を支援したスコットランド人
ジャーディン・マセソン商会からグラバー商会(1861年)設立
薩長同盟に貢献、武器の売買で富を得た
1872年新橋〜横浜間の鉄道開通の7年前にすでに蒸気機関車を導入
明治維新後は後のキリンビール、三菱財団の顧問となる
• 「初代伊藤忠兵衛」
近江商人(滋賀県犬上郡)紅長の呉服商
長州支援した行商からの後の伊藤忠を作った人物
長州藩の武装支援
• 「岩崎弥太郎」
1834年、土佐藩地下浪人の身分
吉田東洋の塾で学び後藤象二郎らを支えた
軍艦7隻、鉄砲、弾薬等の買い付け、会計係
     三菱財閥の基盤 海運業、鉱業、金融業、造船業等を興す
• 「三野村利左衛門」
戊辰戦争、旧幕府と新政府の戦争の狭間で商機をみつけ三井番頭となる
    呉服店から現在の三越百貨店を築く
• 「大倉喜八郎」
戊辰戦争等で武器の調達で富を得た富豪
大倉財閥
• 「渋沢栄一」
埼玉県深沢市、農民。 攘夷派から幕臣に返り咲き
• 「五大友厚」
薩摩藩士、官僚から民間へ
大阪の近代化を求めて奮闘 商工会議所初代会頭
• 「藤田伝三郎」
長州藩の酒造 4男
軍需品を売りさばき富を得る

 


第二次世界大戦の英雄 チャーチルから学ぶ

2017-12-31 08:42:47 | 歴史から学ぶ

@英国首相チャーチルの生涯は実に波乱含みである。戦争下ということもあるが3度の敗退も最後は優秀の美を飾り生涯を終える。粘り強く、その場、その場のリーダーシップを発揮する。 部下を信頼し、指示系統は1つ、伝言・命令が誤解されないように文書化させ指令を出することは、当時の対戦国ドイツ、ヒットラーとは全く異なっている。また戦場の責任者に任せた采配は、そこにチャーチルの情報分析による、部下が信頼・信用されたことで自信をもって攻撃できたと思う。 上司との信頼関係は往々にして部下の自信につながり大きな成果をもたらすことがここで証明されているが、現在の組織社会はどうだろうか。 最近は、逆に部下が上司を信頼できないという状況も出始めているが、組織、システム等さまざまな格差からの要因もあるが、勤続年数と経験であぐらをかいでいる上司も多く、その多くは口数は多いが行動力が無い、組織の不満も多いことだろう。だた、大切なことは「コミュニケーション」だ。上司とのコミュニケーションを如何に、どのようにうまくするかの方法である。 それは日報・月報等でシンプルな疑問・質問・提案を繰り返すことだ。上司も部下とのコミュニケーションをシンプルな返事・返答をしておくことだ。その後F2F(Face to Face)の機会を作りじっくり話し合うこと。(相互の時間都合をうまく調整することが必須)短文はちょっとしたことで誤解されるから要注意だ。短文だからこそしっかり内容を考慮・吟味して提案することだ。それには作文後、数分(3〜5分)待ち、もう一度読み返すと良い。

•戦争下でのリーダーシップ
–高い目標
–情報分析、先見性行動
–戦略・戦術を率先し、自ら判断
–現場の采配重視
–指示・命令の統一(1本化・文書化)
–敵の弱点攻撃
–包囲網拡大(賛同国の勧誘)
•「戦略的に勝ったとしても政治的に敗れる戦争などはほとんど意味のないことをアメリカ人は理解できなかった」
•「戦争には決断、敗北には闘魂、勝利には寛大、平和には善意」
•「鉄のカーテン」「冷戦」
•「永遠に残るのは言葉だけである」
–多くの戦争記事と「第二次世界大戦」著

吉田松陰に学ぶー「遺す」

2017-12-30 08:31:39 | 歴史から学ぶ

@吉田松陰は若干30歳で生涯を終えているが、現代でも多くの人を魅了する兵学者であり教師だ。 それは山口(毛利藩・長州)、松下村塾という教育塾にも魅力がある。驚くべきところは10歳で明倫館の教授となり、11歳で 「武教全書」を講義している点、また21歳から4年間で計6回の旅で日本を駆け回ったこと、それに読書家であったこと。なんと在獄中406日間で618冊、 倫理哲学、歴史伝記、地理紀行、兵学、詩文、時務、医学書のさまざまなジャンルを読み、抄録を取っていた。6回の旅も豊富な書籍からの情報を基に旅先での出会い、経験がこれからの世の不備を感じるところがあったのかと思う。多読がすべて良いとは言い難いが、様々な分野を網羅しながら真に後世に伝えたかった志は何だったのだろうか。中国孔子「師が其の範を示さなければならない」、「己を修め、身をつくし、言語を容易にせず、実行を持って自ら責任」。吉田松陰の座右の銘は「至誠天に通ず」。何事であれ、至誠、真心をつくして懸命に努めれば必ず意は相手に通じてもらえる。吉田松陰は最後まで自分はまさか死刑になるとは思っていなかったという。この「至誠天に通ず」を信念として生きた人物だが時勢が悪かったしか云えないが、その後、吉田松陰の塾生の活動、活躍等にこの「志」が大きく影響したことは隠せない。 人に遺せるものを生きている間に残すことは今重要なのである。

  • 兵学者であり教師でもあった
  • 1830年萩にて生まれ幼児名虎之助、祖父吉田大輔の仮養子となる
  •             9歳教授見習として明倫館に出仕
  •             10歳明倫館で教授
  •             11歳藩主の前での「武教全書」を講義
  •             13歳叔父文ノ進の後見人となる、松下村塾を創める
  •             15歳藩主の特命で「孫子」を講義、松下村塾を継ぐ
  •             16歳長沼流兵学を学ぶ、19歳独立師範となる
  •             21歳九州、23歳水戸から越前、東北 
  •             25歳下田沖のペリー軍艦への乗り損ね
  •             26歳岩倉獄中、「孟子」を講ずる
  •             27歳自宅で幽閉
  •             29歳から皇城守護策、水野土佐守要撃策、伏見獄舎破壊策
  •             間部老中要撃策にて投獄、東京へ護送
  •             30歳10月27日江戸伝馬町で斬死刑
  • 松陰の旅
  •             1850年から4年で5回の大旅行と2回の小旅行を結構
  • 斬首された原因は周布政之助からの手紙「間部老中要撃策」の事実計画
  • 参勤交代の旅(長州藩)
  •             普通の大人であれば江戸まで25−26日かかったが、34日間を費やし旅をしている
  • 学校創設への夢
  •             国家に役に立つ実在、実脳の人物養成をしようと考えていた
  • 大塩平八郎の塾
  •             幕臣でありながら陽明学者として大阪天満に私塾、洗心洞
  • 江戸時代最大規模の塾
  •             広瀬淡窓の咸宣園の近代化した9級制の評価システム
  • 中国孔子「師が其の範を示さなければならない」
  • 中国孟子「己を修め、身をつくし、言語を容易にせず、実行を持って自ら責任」
  • 松陰の読書
  •             在獄中406日で618冊、毎日平均1.5冊
  •             倫理哲学、歴史伝記、地理紀行、兵学、詩文、時務、医学書
  •             要点を抽出してノートする、抄録を作った
  •             本に棒線を引いたり付箋をつけたりし本が汚れた
  • 幕末末期になると農民でも武士に献金等で苗字、帯刀が許された
  • 高杉晋作は29歳までに4回も脱藩を敢行し暴れん坊
  • 「座右の銘」
  •             「至誠天に通ず」何事であれ、至誠、真心をつくして懸命に努めれば必ず意は相手に通じてもらえる
  •             下田街道から江戸への護送でも全身に縄を掛け、手錠や足枷を施し駕籠に押し込まれていたが、番人に「今我々が何をすべきかを雄弁に語った」
  • 僧 月性が最初の討幕説を唱えた人物
  • 吉田松陰は生涯を通じ一度も毛利家を否定や藩体制の廃棄を言ったりしたことはなく、尊王の志を糾合することを繰り返ししており幕府政権に取って代わる新政権を構想していた。
  • 歴史小説、ドラマの嘘
  •             NHK等のドラマ等(著者の意向)は視聴者を獲得するため面白、おかしくする効果を出すためそれが真実とは限らない
  •             司馬文学などでは大村益次郎のライバル暗殺の張本人とされる大楽源太郎は悪玉にしている、また赤祢武人(松崎門平)高杉の奇兵隊の3代目総長にあったが、二流扱いとなる
  • 世界の教科書(現在)
  •             アメリカやヨーロッパでは、教科書の執筆者が国を相手取って数十年も争う裁判はない、また教科書の検定制度はない。国が有料教科書を指定し、採択に補助金を出す。指導・助言には緩やかな締まりはあるが原則自由発行、自由選択。

歴史を変える新たな真実・勝者の歴史が変わる

2017-12-29 08:06:29 | 歴史から学ぶ

@歴史は時代の英雄を生むが、名誉と権力から逆に歴史から抹殺される歴史も多く、美しい日本、果敢な人物等を思うがままにその時代、歴史を美的化操作する。そんな中、外国人が見た、感じたその時代の江戸・明治維新がそのまま隠さず伝わってくる。 花魁の人生、武士の魂、花嫁など知っているようで知らない部分も多い。現代ではさらに江戸末期から明治・大正時代の歴史を覆す多くの「真」資料・手紙などが発見されている。江戸末期の将軍、徳川慶喜の苦渋の決断は尊皇を重視し戦争をしない日本を正しい方向に導いた、だが岩倉・西郷・大久保等の偽勅書など独断で戦争を誘導、多くの庶民を犠牲にしたなど・・・

一部抜粋

  • 「お常と阿闍梨」の美しい花魁と僧の話
  •             阿闍梨はみごとな彫刻を彫る若い僧で千手観音を彫るように和尚から言われていたが、ある祭りの日に遊女、お常と会い虜になった。遊女を忘れられない阿闍梨はとうとう吉原へ行くために黄金の観音冠を盗み7日間遊女と過ごす。その帰る途中浪人に殺される。閻魔大王はその彫刻の才能を見て地上に戻し、何年もかけ千手観音像を完成させる。そこにお常が現れ「私はまだあなた様をお慕いしております」と言ってお常と阿闍梨は愛を確かめその観音様の前で死んだ。
  • 教養のある日本人が曰く「日本の女性観、習慣として、自分の妻は、種を存続させる役割しかもっていない。しかし楽しみ、愉悦や快楽といったものは夫婦の屋根の下にはあり得ないのです。そう言ったものは家の外に求めるものですから、我々は不夜城と呼ばれる場所でそれを探すのです。遊女の美しさ、繊細さ、優雅さは我々を虜にし、夢中にさせます。遊女の着る衣装の豪華さも我々日本人としての誇りをくすぐります。一般的に家庭にいる女より教養が高いですから、遊女の話は傾聴せざるをえないということになります。余裕のある人は遊女を身請けし妻にしたり、正式に同棲者として家に入れるわけです。」
  • 『雄々しき魂』 美しく死ぬ武士道
  •     日本の英雄は負けることも捕らわれることも捕らわれの身になることも知らない。よって最後は切腹、自殺を選ぶ。
  •     美しく死ぬことこそが日本人にとっても大事なことである。一瞬たりとも美的感覚が憎悪のためにおろそかにされることはない。
  • 「板倉重宗」京都所司代、判事として屏風越しに執り行った「被告を見ずに訴因を聴取する理由は、世の中には好悪の感情というものがあり、顔によって信頼が置けそうな顔と、そうでない顔があるためである。彼らを目にすれば誠実そうな顔をしている人間の言葉は正しく、一方、虫の好かない人間の言葉は正しくないと思い込むようになる。目から入る心証はかほどに強いので我々の証人の口が開く前にこれは悪者、あれは善人などと決めてしまうほどである。人を裁くときにもっとも大事なのは感情に左右されないことである。そのために茶の挽き具合を見ている。
  • 「家本位」の結婚
  •      一番恐れたのが「お家の取り潰し」だから、まずは種野晴存続をもつことが優先された。嫁ぐときの心得 母から娘へ
  •   1、婚家の両親に従う
  •   2、夫への絶対的な服従
  •   3、婚家の両親と兄弟を常に敬いなさい
  •   4、嫉妬はしない
  •   5、怒らず忍、夫に異をとなえない
  •   6、隣人等の悪口、嘘は言わない
  •       7、朝は誰よりも早く起き、夜は遅く寝る、昼寝はしない
  •       8、占いごとには惑わされない 
  •     9、家計と家政に気を配る
  •       10、派手な化粧はしない
  •    11、新婚とはいえ若い娘たちと一緒にいない
  •   12、婚家の富や地位を誇らない
  •   13、使用人にはよくしてやる
  • 「謙虚で服従」の精神
  • 武士階層の心得 「礼にはじまり礼に終わる」
  •             活力には情愛を込める事
  •            真実には力を与える事
  •            真摯な率直さ気どらない誇りを持つ事
  •             政治を行うに慈愛をもってする事
  • 武士本来の気質 『忠義、孝行、正義、名誉、勇気』
  • 日本語には誉めそやす言葉が山ほど多く、侮辱的な言葉、粗野な言葉が少ない「日本は微笑とお辞儀の国」「礼儀作法の厳格さを持つ国」
  • 日本人ほど親ほど情愛深い親は世界でも珍しい。 人前では涙を滅多に見せない、また、人前の涙を「非礼をお許しください」という。

 


「利権」に守られた企業と時代遅れ日本の感覚

2017-12-28 07:55:23 | 歴史から学ぶ

@「日本の開眼」に期待。 最近の日本、特に大手の不祥事「手抜き」「規格不正」事故事件は日本のものつくりの根幹(信頼)を揺るがす重大事だ。慣れが充満した結果の事故事件だが、それは諸外国からの脅威がないからなのか。というより既得権等の「利権」で守られた日本企業の「時代遅れ」が目立って来ている。 これから数年で「自動車産業の腐敗」、「流通業界のキャシュレス停滞」が読める。まず自動車産業は、電気自動車で日本は主導権が取れない。それは自動車産業に携わる既存の部品・エンジン周りの機器企業を国が主導権を持って潰せないこと。多分10年以内に日本は中国・インドから電気自動車の輸入国となるだろう。流通業界ではキャシュレス(電子マネー・デジタル文書)でも日本は優位に立てる国策がない。マイナンバーは利用者目線ではなく管理者(官庁)の改革で利用者が増えなく利便性がほとんどない。行政の横・縦割り(利権)の改革・破壊がなければさまざまな利用者目線の総合的な電子化はできそうにない。数年で中国、インドその他諸国からも遅れを感じる国となるだろう。「変化は行動」(討論・議論ばかりの日本は他国からの威圧がなければ革新への進歩が見えなくなっている。昔の「鎖国維持か開国」時代と同じだ。

  • 日本開国
  •             備後福島城主、老中阿部正弘「ひょうたんなまず」(さっぱり要領を得ない、のたりくたりの時間稼ぎ戦略で日米通商を曖昧のまま遅らせた)攘夷派であった阿部は最後に開国派に動いた理由は、他国との軍備力の差であった。
  • 通事役の香山栄佐衛門の存在は米国側に人気で態度、作法熟知
  • ペリーの砲艦外交は日本を大きく動かした(堀田正睦・井伊直弼)
  •             砲艦ポーツマスが下田に入港、幕府を脅す
  •             阿部は海防掛に岩瀬忠震(儒学者林述斎の孫)を採用し目付・監査役で海防に関する政治・行政の補佐役で条約の締結、また品川に砲台を築き、軍艦の建造、造船所も作った(軍艦・鳳凰丸)。さらに財源の確保も力を発揮、主要港湾での取引高の2%を税収とした。(富国強兵の基礎を作る)
  • ハリス(初代通商代表)の日記
  •             日本人は清潔な国民である、だれでも毎日沐浴、老若男女とも同じ浴室で入浴する。
  •             外出時には必ず刀身すること(見知らぬ者が斬りかかる可能性)
  •             日本人は模倣上手(榴弾砲、火薬入れ、薬包)
  •             ハッタリも多い(模倣の大砲を数多く作ったなど)
  •             ハリスの将軍謁見では品川から宿舎(九段)まで人出が18万5千人を超えた、殿中には3〜400名の高官が列座し、5人の閣老、左手には将軍の3人の兄弟が平伏していた。将軍は約60cm高い床に椅子に腰掛け、天井からのすだれがあり思い房が下がっていた。ハリスの見た将軍は「貧相貧弱」であった。
  • 攘夷に萌える朝廷
  •             孝明天皇、公家衆は通商に反対し「アメリカは神州をおびやかす墨夷だ」とした。後年徳川慶喜は孝明天皇のことを「外国の事情や何か一向にご存じない」と言った。
  • 井伊直弼は阿部正弘と正反対であり「八方美人、大器にあらず」とまで評価した。井伊直弼は電光石火の勢いで抜刀し、切りつける姿勢だった。(水戸の徳川斉昭が不快で次期将軍家茂を立てた)。そして即座に将軍継子の発表を延期、通商条約に調印した。
  • 徳川斉昭は子沢山で39人(男22、女17)正室、側室含む10人
  •             11代将軍家斉は21人の妾で55人の子供を得た
  • 井伊直弼の決断(水戸藩への圧力)
  •             斉昭には駒込屋敷に謹慎、書信往復禁止
  •             徳川慶恕には隠居、謹慎
  •             徳川慶喜には当分登城停止
  •             徳川慶永には謹慎、書信往復禁止
  • 水戸藩(徳川斉昭の反発)
  •             薩摩島津斉彬ら組、朝廷へ井伊直弼罷免提言
  •             水戸藩、薩摩藩の志士たちがテロを計画
  • 井伊直弼は長野主膳を起用、京都在住の水戸藩武士等の拿捕
  • 斉昭との衝突から井伊直弼は安政の大獄へと展開、多くを処刑
  • 幕府内部崩壊、水戸藩壊滅へと動き始めた
  • 国賊となった吉田松陰
  •             老中間部を襲撃する手立てを企てたと判断、処刑した
  • 桜田門外の変にて水戸藩武士18人にて井伊直弼は殺害
  •             供周りは約60人いたが刀に柄袋、薩摩藩より1人参画
  •             暗殺罪人8人、4人自刃、1人討死、5人逃走
  • 井伊直弼の評価・判断
  •             積極的に開国を果断世界に乗り出した
  •             朝廷の意向無視、独断先攻で反対派を断罪、国賊とした
  •             勝海舟の評価「あの男は立派だった」初の米国派遣推進
  • 逆流し始めた日本(井伊直弼から久世・安藤政権となる)
  •             開国から鎖国へもどる尊皇攘夷運動
  •             島津斉彬後の久光藩主の公武合体運動、生麦事件で攘夷
  •             松平容保の京都守護、高杉晋作らの長州武士の討幕・反乱
  •             薩摩藩の攘夷で欧米列強が発砲、攘夷から開国へと変わる
  •             斉彬等が築いた火薬、機械、ガラス、紡績等の工場損失
  •             薩長藩はイギリスと和議し富国強兵への足がかりを得た
  •             福沢諭吉「上方勤王家は人殺しも、放火もしている、これこそ国を滅ぼす奴らだ」(その後の岩倉具視等への威圧を読む)
  • イギリスとフランスの代理戦争
  •             長州征伐は両国の代理戦争薩摩とイギリス、幕府とフランス
  •             薩摩はイギリスからの武器、教官を派遣、幕府=フランス
  • 1865年孝明天皇は一旦四国連合艦隊の兵庫沖来航で開港を勅許
  •             慶喜はフランスと造船、鉄鋼業の建設等基幹産業を創設
  •             フランスは6百万ドル提供し軍艦、横須賀製鉄所を建設
  •             軍改革も常備軍を配置、薩長の勢力を削減させた
  •             薩摩藩家老小松帯刀を採用、主な産業を起こさせた
  •             フランス外相が変わり後ろ盾がなくなったことで転換する
  • 転換する事件
  •             孝明天皇の不可解な死=砒素中毒(毒殺説=岩倉具視)
  •             宮内クーデターで次期天皇祐宮は16歳で岩倉が操作
  •             岩倉による幕府討伐=幕府朝敵とする勅命を捻出
  •             岩倉・西郷・大久保による独壇場で幕府崩壊を企てた
  •             慶喜を長とする密確約をし大政奉還させ、慶喜を失脚させる
  •             討幕の密勅(朝敵)を薩摩藩に会津藩等と戦争する企てをする
  •             西郷・大久保・岩倉は天皇の錦旗を用意、慶喜を追い込んだ
  • 明治政府の仕組み
  •             明治維新後、三島天皇と呼ばれた薩摩出身の三島通庸
  •             ワッパ騒動となる農民を徹底的に弾圧、重税をかけた
  •             やりたい放題の県令となり民衆を苦しめた(最後警視総監に)
  •             井上馨の「搾れるだけ搾る」民衆への増税も顰蹙を浴びた
  • 原敬の政治
  •             盛岡藩の上級武士の子で農商務省をへて大阪毎日新聞社長、その後政治家、1918年第19代総理大臣となった
  •             政党政治を確立し民主化を促進、教育の向上、鉄道網の整備、地方の振興、選挙資格の拡大など務め評価も高い
  •             座右の銘は「宝積」(ほうじゃく)
  •                         人に尽くして見返りを求めないという意味
  • 日本の歴史で革命者
  •             井伊直弼:開国・日米通商条約
  •             高杉晋作・久坂玄瑞:尊皇攘夷・公武合体・討幕
  •             西郷隆盛・大久保利通:明治維新推進
  •             篤姫=天璋院:徳川を守る為の抗議を政府に働きかけた
  •             徳川慶喜:大政奉還・戦争を避け最後まで尊皇を貫く
  • 「井伊直弼、徳川慶喜は歴史には両者とも改革者としての役割を得ていないようにあるが、最近の資料では偉大な決断と行動は将来の日本への大きな奇跡を生み出したと言う」

監視カメラ、生体認証、監視社会の恐怖とは 

2017-12-26 08:17:36 | 世界の動きから見えるもの

@今後国家機密情報含め個人情報もこの「機密情報保護法」なるもので暗黙の時代を迎える。 日本の報道の自由度が極端に順位を落としているのはどこに問題、課題があるだろうか。 米国の国家安全保障局の機密情報システムは全世界の個人情報を既に確保、管理していると言う。ましてや日本での盗聴法が法制化されることでどのような事態になるのか、今までほとんど考えたことがなかったが、日々のメール、電話はもちろんのことカード情報ですら既に把握されていると思うと、今後これを使った情報テロが出てきても不思議ではない。 自分を守るのは自分だけだということを覚えておきたい。

•米国国家安全保障局NSAの極秘監視システム
–「日常的な個人のコミュニケーションすべてを収集している」目的は対テロ、犯罪防止、よって全ての人は「犯罪予備軍」として扱われ「潜在的テロリスト」と見なされる。
– 「米国市民」は法的に盗聴されることはない(裁判所の令状が必要) だが米国民外は別

「世界の個人情報は全て筒抜けであることを認識した上で個人が守り方を考えなければならない状態になっている」

•日本の機密情報「合法化」文章
–2015年27万2020点
•前年から8万点増え、1.4倍のスピードで拡大
–日本の世界報道自由度ランキング
•2016年72位に脱落。6年前は11位
–2013年、特定秘密保護法が成立
–2016年に盗聴法改定で大幅拡大と手続きの簡素化、2020年に向けて法案を提出中

国家機密「これは国家安全保障に関することだから」「反テロ活動だから」等の情報が機密情報化となると一切告示されない民主主義の腐敗につながる

•監視カメラ
–個人、商店、住宅、繁華街など監視状態
•  テロ対策セキュリティー(個人情報蓄積)
–パスポート、マイナンバー、銀行カード類等
•生体認証(個人の身体情報)
–顔認証、指紋、掌紋、網膜、虹彩、声、歩き方
•ネット情報
–検索、閲覧、コピー、メール、写真、動画
–コミュニケーション(文章、ツイッター含む)
–携帯・PC上のデータ・コンテンツ等

弱さを強さに変えるには

2017-12-25 11:48:59 | 歴史から学ぶ

@徳川家康の20代は人質生活が長かったこともはありもともと気弱で気丈の武士とは言い難い人物だったと予測できるが、人を強くするコツを掴むことで秀吉後の260余年の徳川幕府を構築できたと言えよう。ここでのそのコツとは「己の弱さや至らなさを反省すること」とある。若輩の武者家康も多くの戦いで勝ち得た教訓「反省」となっているが、現代版でいうならばありふれているがマーケティング戦略でよく使う「PDCA」と「6W2H」(下記詳細)だろう。それに「欲」も行き過ぎの「貪欲」(やりすぎ)はいつかは破綻する。価格競争に勝つために品質管理「検査員」を極限まで低減(レベルを落とし=賃金を抑える)することも同じである。

What 何を 【 仕事の内容、種類、性質、分量 】

Why なぜ 【 意義・目的、動機、理由、狙い、背景、必要性 】

Who 誰が 【 組織、担当、グループ、中心人物、役職、人数、主人公 】

Whom 誰に 【 相手、関係、人数 】

When いつ 【 着手時期(タイミング)、期限、時間、納期、スケジュール、季節、頻度 】

Where どこで 【 場所、位置、職場内外、屋内外、出先、舞台 】

How どのように 【 手段、方法、段取り、テクニック、進め方、期待度 】

How much いくら 【 数量、予算、単価、範囲 】

 

  • 「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど・ごんぐじょうど)浄土宗の教えを旗とする
  •             「我々武士は領民が命とくらしを守ってくれると信じているから、その役目を果たすことこそが真の武士道で厭離穢土の本懐だ」
  •             「この世を浄土に近づけるとは、まさに民衆の苦を取り除き、楽しみを与えるということだ」
  •             「戦いには覚悟と勇気と知恵が必要だと」(太原雪斉)
  • 今川義元が討死した後一揆衆の攻撃を受け僅か18人となり、松平家の菩提寺・大樹寺(登誉上人)に逃げ込む、そこから受けた言葉(勇気と知恵)と僧兵の後方支援があった
  • 信長の野望は、明・東南アジアからの硝石、鉛、交易品、武器、弾薬の交易権を奪うことで市場を盛り上げ、国を潤すことだった。「商業と流通を支配することで巨万の富を蓄え、その経済力を元手にして軍備を整える。銭の力で有能な将兵を雇い入れ、鉄砲や弾薬を大量に買い入れて、容赦なく他国を侵略していく。侵略によって手に入れた流通路や資源や国土がさらに富を生み、その富によって備えた軍備によって一層領土を拡大していくのだ。」
  • 家康の戦略と格言
  •             伊賀忍者・服部半蔵、甲賀忍者・伴与七郎等を使い、敵の情報を徹底して収集すること(それぞれ50人)
  •             「自信と度胸を強さに変えるには、己の弱さや至らなさを反省することだ」
  •             「生きたければ強くなれ、勝ちたければ努力を惜しむな」
  •             「ここから始めれば良い。何事も遅すぎるということはない」
  • 武田信玄は上杉から敵に奪われないように「塩」として (高価な弾薬)を仕入れていた(敵に塩を送る)
  • 信長の改革は楽市楽座や関所の撤廃で商売がしやすくし、二条城や内裏の新造で巨額を投資、庶民の仕事を増やし、物を流通させることであった(公共投資による景気対策)。規律を守るため信長自信が普請場に出かけ不届きものを成敗した。(厳罰主義の徹底)
  • 公家や寺社等は商売の利権を独占し、富を蓄えたことで信長はそれを奪い取るために守護大名等(土地と領民の支配権)支配を含め打ち破ってきた。その戦いが越前の朝倉義景、琵琶湖の水運権を持った比叡山延暦寺、石山本願寺等の戦いであった。
  • 神仏の教訓「心の三毒」
  •             「貧」欲を貪ること
  •             「ジン」怒りや憎しみにとらわれること
  •             「痴」無知のこと
  •             人は欲や執着にとらわれて誤った生き方をすることが多いが、上に立つ者が道理によってそれを戒め、この世を浄土に変えていかなければならない

男の作法・時代を読む

2017-12-24 08:20:40 | 人生を「生かす」には

@池波正太郎の男の作法。1923年生まれの時代小説家「自分を見つめ直す」池波氏の生きる指針である。 今読むと昔の「衣食住」のあり方、見方、習慣、「時代の差」などあるがなかなか面白い。特に最後の「死を考えることで人生の基本を知る」とは「死」を考えない人間・世代は人・他人への思いがないとある。 長く生き人生を振り返るとき、周りの人・仲間・家族等のことを思い浮かべ、真剣に考えることは間違いない。自分の人生はこれで良かったのか、どう思われていたのか、自分が行ったことは果たして役に立ったのかなど、生まれてから今まで「自分の存在」というものを意識するのはこの時期なのか。昔と違って今では半永久にネット上にあらゆる情報を残せる、それは必要に応じて誰でも閲覧、読み返せることが可能な世界になった。 だから今のうちに自分の思いをどこかに残しておく(遺す)ことも良いだろう。

  • 「食べる」
  •             食べ物屋の見方=トイレの清潔さ=家主の神経の回り方
  •             わさびはネタにつける<>醤油で溶かすと香りが消える
  •             吸い物・天婦羅はだされたら暖かいうちに直ぐ食べる
  •             そばは2口3口の飲み込む、かまない
  •             蕎麦屋はお茶ではなく蕎麦湯を飲む
  •             唐辛子は食べる前に少し振っておく
  • 「住む」
  •             狭い場所を有効に考えた引き戸は日本のアイデア
  •             4畳半とこたつは暮らしの工夫(整理整頓)
  •             回りの色彩とデザインを意識した家(街に調和がない)
  • 「装い」
  •             靴磨きは妻の仕事と思っている
  •             見立ては他人の意見を聞き、普段の意識を変える       
  •             職業にあった持ち物を購入、身につけることで自信を持つ
  •             若時代にはいろんなものに首を突っ込んでおくこと
  • 「付き合い」
  •             「ありがとう」をいつでも言えること
  •             贈り物は真心があるからどんな物でもその人の心を大切にする
  •             年賀、挨拶には手ずくりの「絵」を書く
  •             約束=迷惑をかけない=時間を守るは付き合いの鉄則
  •             戦国時代の女性は「守り」で重用
  • 「生きる」
  •             楽しみで仕事をする=努力だけでは長続きしない
  •             将来役立つ投資は若いときの時間だけ
  •             「人事」の重要性=適材適所は日頃からの心がけ
  •             矛盾だらけの人間が作り出す矛盾社会
  •             「融通を利かす」は矛盾することもある
  •             男として自由にできる金をもつこと(自分への再投資)
  •             「幼児体験」は年をとったという意識があること
  •             自分の体がどうなっているのかを知っておくこと=病気
  •             手相でも人相でも自分のためになるものを習慣とし身につける
  •             「死」を考えない世代=長生き・親への思いがない
  •             「死」を考えることで人生の基本を知る

些細な行違いから事は興る

2017-12-23 09:13:46 | 歴史から学ぶ

@赤穂浪士の討ち入りは「些細な行違いから事が興った」とある。吉良上野介義央(60歳)と浅野内匠頭長矩(34歳)との確執からだ。老齢と壮年(年齢差)、藩主と家臣、上司と部下、社会は全て「コミュニケーション」無くしては事は成り立たない。年齢差、その他格差、口下手の人もうまく説明しないと誤解やら行違いをどこかで起こす。誤解されたままでは居心地もよくない、隙をみてできればシンプルに説明することだ。この小説はさらに現代に対して「口コミ」仕法とその誘導術を伝授してくれるいい手本になる。御法度である討ち入りを堂々と幕府を味方に意思を貫いたことは、民衆の心、情を誘導する術がここにはあったからだ。

  • 赤穂浪士の討ち入りから300年、忠臣蔵の歴史の小説
  • 公儀が赤穂藩に下した理不尽な初段に抗して吉良上野介暗殺を計画
  • 塩相場の操作で資金を集め、智能を絞って攻略する
  • 部門の意気地にかけて視力を尽くす、ついに幕府権力をも驚かす
  • 山鹿素行を招聘し藩士教育(兵学・儒学・神道=武士道)を図る
  • 1683年公儀は浅野内匠頭長矩(17歳)に念頭勅使御馳走役を命じ、大石頼母は吉良(43歳)に教えをこう
  • 山鹿素行の侍の道
  •             「侍は民の師表であり、指針であらねばならない。日常身をつつしみ、検恥を忘れず、いつ如何なることがあろうとも国の安泰を保ち、民の平安を守る。泰山富嶽の重さと北斗の星が示す確かな方向を民に感じさせてこそ、侍の尊厳は保たれる」
  •             「侍は戦士である。侍は常に戦場に身を置く心構えと、常に異変に応ずる備えを持たなければならない。戦士は戦うことだけが本分ではない、戦いに勝つことが本分なのである」
  • 「座して飢えるより、立って戦え」
  • 「泰平の世が半世紀以上も続くと、侍は戦士の本分を失い、官僚に成り果てる。官僚の本分は対局を見通すことにより、、上の意に忠実に従い、瑕瑾なく職務を果たすことにある。英才である必要はない。凡庸な事なかれ主義が頭脳を占めている」
  • 内蔵助は塩販売を直販にし儲けを増やす工夫、簿外金として蓄えた
  • (生産より物流が利を生み出すことを知った)
  • 5万石の小大名が3万両に近い蓄えをこれでつくった
  • 「世の天才」
  •             源義経は若干22歳で平氏の大群を殲滅
  •             織田信長も27歳で桶狭間の戦いで今川4万と戦い勝利
  •             高杉晋作は25歳で奇兵隊を組織し明治維新へ邁進させた
  • 赤穂浪士の戦術(吉良家・柳沢家・上杉家への圧力)
  •             俗世間で噂を広めること=吉良の賄賂説、浅野はその犠牲者
  •             内蔵助の京都永久移住=吉良・京都奉行親戚への見せ付け
  •             窃盗人殺害=内蔵助への暗殺を吉良の仕業と触れ回す
  •             吉良屋敷の周りへ警告、警備を促す(近隣の警備費負担増)
  •             幕府から吉良へ通達(料敵)
  •                         お役御免・隠居・養子相続・小普請・屋敷替え
  • 内蔵助の忠告
  •             「人は世に生きるため物の命を食い散らして生きておる。人が獣と違うのは唯一、生きることの意義を見出さずにはおれぬこと。世はあげて命の大事、人は1日でも長く生きることが至上とされるようになった。命より値打ちのあるものを持たずして何の侍か。今こそ我らは命より尊く重いもののあることを世に示す。それが侍として生まれ、侍として生きて来た我らの値打ちである」
  •             「世の中にとって何の役にたっただろう。人の世の仕事というのは大方そのようなもので、何千、何億という人がただ営々と働くことで世は支えられ、少しずつ進んでいくが人は一生を費して足跡はおろか爪痕も残さず消え去り、忘れ去られる」
  • 侍は美しく生き、美しく死ぬもの。価値ある一生を全うする
  • 47人は刺客となる道を選んだ。
  • 家臣320名、百石以上の上士125名の内8割が義に応じることができなく脱落した
  • 上杉家を混乱させる戦略
  •             内蔵助の住居を移動(姿を晦ます)1周忌の3月14日
  •                         (不安をあおり、その後何もしないことで諦めを施す)
  •             やるからには堂々と旗幟を押し立てて戦鼓を鳴らして立向かう
  •                         (隠さず討ち入りをすることを世間に広め、周辺の町の衆との協力・援助を起こす)
  •             内蔵助の妻子との離別を知らせる(身辺整理を公にする)
  •             吉良の新家屋(普請)で吉良・上杉家への人気を落とす
  •                         (普請は全て上杉城下からで江戸の衆には何もお金が落ちないことを理由に情と義に訴え民衆を味方にする)
  • 浅野大学長広は侍の志、赤穂の士道のありようなど全く興味関心を示さず、旧家臣への連絡も絶ったままだった
  • 戦技の訓練は40日以上かけた(崖登り、梯子のかけ方、谷渡り)
  • 孫氏曰く「激水の疾き、石を漂わすに至るは勢いなり」
  • 討ち入りへの確執
  •         観念の相違が確執を助長した。吉良からの典礼作法を伝授した浅野は多少度を超えた叱責でも耐えるであろうと慣れがあった。が浅野には無く壮年の大名への風情に恥かしめを受けることは面目に関わると思った。すべては些細な行き違いから始まった。老齢と壮年の感情の起伏、些細な間違いに対する責任感の軽重、過去の恩義に関する観念の相違、それらが確執を生み、増幅され、ついに決定的な破局に至った。
  • 赤穂浪士は片落ちのお裁きだと判断し討ち入りを決断する
  • 12月14日午前、2時47人は3人組で討ち入りを開始、赤穂浪士1名のみ負傷(戸板にのる)、全員は戦闘後新たな服に着替えて泉岳寺を目指した(討ち入り2時間後には休息をとり、刃こぼれなど装備を変え、食事をとりとある)連絡は虎落笛(もがりふえ)を用いた
  • 公儀大目付旗本18百石仙石伯耆守久尚により赤穂は守られ泉岳寺へと誘導、柳沢の命で上杉家の助太刀も騒ぎを抑えられ吉良家にいた家臣等は見殺しにされた(吉良家で死傷したのは家臣のみで31名、その他上杉家臣等の死傷者は負けで家名を残さないよう伏せられた)
  • 赤穂浪士はその後お預けされ2月3日酷い切腹を言い渡された
  •             細川家には大石内蔵助始め17名
  •             松平家10名、毛利家10名、水野家9名
  • その後吉良家は取潰し、家名断絶、柳沢吉保も上杉家から離れた
  • 赤穂浪士の子(4名)にも15歳をすぎた時点で遠島を申し渡された
  • 後世忠臣蔵が人気となり忠烈無双、武士道の鏡と賞賛された
  • 大石内蔵助「あら楽し思いは晴るる身は捨つる憂世の月かかる雲なし」

現代人の「堪忍」

2017-12-23 08:51:54 | 歴史から学ぶ

@徳川家康が第3代将軍秀忠とお江への訓戒(教育要領的な手紙)があったという。そこには堪忍は身を守る第一の心得であるとし「 仁の堪忍、義の堪忍、礼の堪忍、智の堪忍、信の堪忍、それに 目・鼻・口・手足の堪忍を加えて10の堪忍を一生守ること」とある。「堪忍」とは現代訳では「人の過ちを我慢して許すこと、不利な立場や困難な状況を堪え忍こと」とある。最近の相撲暴力事件にもこの「堪忍」の程度が個人主義的な利欲が強くなり、「堪忍」度合いが低くなっているのかとがっかりする。被害者にも非があることは間違いないが双方の「程度」が気になる。

武士の願いは子孫の繁栄と家の存続

  • お江の両親は浅井長政(小谷城城主)とお市の方(信長の姉)である
  • 長政とお市の方に他に2女茶々(豊臣秀吉・淀殿)、初(京極高次)
  • お江は徳川家康の第2代将軍秀忠と結婚、2男、4女を産んだ
  • 2男・第3代将軍となる家光(竹千代)と駿府藩主となる忠長(国松)
  • 4女・千姫は豊臣秀頼、珠姫は加賀藩主前田利常、勝姫は福井藩主松平忠直、初姫は小浜藩京極忠正、和子は後水尾天皇中宮
  • 千姫は夏の仁で城から脱出、秀頼は淀殿と切腹、子国松は京都で斬首
  • 千姫の娘は鎌倉の東慶寺にて尼となり生涯を過ごす
  • 千姫は44歳で本田忠刻と再婚
  • 珠姫は3歳で輿入れ、15、16歳から7人の子供を産んだ
  • 勝姫は11歳、徳川秀康の死後、越前75万石の長男松平忠直が13歳で輿入れ、長男、長女が生まれた
  • 初姫は生まれてすぐに京極忠高との縁組となる
  • お江は、4女を産んだがその前に秀忠と側室に長男(長丸)を産んでいたが2歳で亡くなり、暗殺された可能性もあるという。竹千代には乳母として明智光秀の重臣の斎藤利光の娘であるお福(後の春日局)、国松はお江が家督を譲らせたいと寵愛したが、お福の駿府にいる家康に直疎した事で嫡男を次期将軍として養育した。その際家康がお江に宛てた訓戒状があるという。これはあくまで大老井伊直政の書状だという。
  • 訓戒内容(15条からなる親の教育と躾)
  •             最初の躾を厳しくすることが必要
  •             願い事が悉く叶うという事をさせない(甘やかさない)
  •             嫡男(家督継承者)と次男の立場を考えて行動させること
  •             品位を持たせ、下のものに対する慈悲も持たせること
  •             学問は博学になる必要はない、その時には学才あるものに学ぶ
  •             常時学問の道や物の道理、善悪、行儀作法等を古い人、名将、忠臣に聞き、間違わないようにすること
  •             五道の道徳を守ること。鏡となる親が示すこと
  •             人には好き嫌い、得手不得手があるを知り、偏らないこと
  •             短気的、突発的行動も注意して、そのままにしておかないこと
  •             堪忍は身を守る第一の心得である
  •                         仁の堪忍、義の堪忍、礼の堪忍、智の堪忍、信の堪忍
  •             目・鼻・口・手足の堪忍を加えて10の堪忍を一生守ること
  •             奢りの心なく、何につけても倹約し、常に程度を知ること
  •             家臣に過分給物せず、万事華麗な行いもなく、身を慎むこと
  •             家臣に落ち度や不調法があった時には、その者がよく得心し、その後行動を改めさせるようにするのが主人の大切なところ。叱られたものが腐らないようにすることが大切。意見の仕方は、その者を呼び出し、他に1人そばに取りなす者を置き、他の者は退け、普通よりは言葉を和らげ、心を喜ばせ、今度このような不調法はその方に似合わぬことなどと言う。以前同様心がけて勤めるように言い聞かせる
  •             気丈が過ぎるのは危ういことである。勇気はなくてはならむものだが、強い者は強いことを恃んで失いやすいものだ。
  • お江は羽柴秀康との間に生まれた娘完子があった
  • お江の子供達はそれぞれ天皇家、伏見宮家、5摂家の九条家、近衛家、二条家、前田家、越後高田松平家などに血筋を伝えた
  • お江と秀忠の時代に徳川・江戸幕府の基礎を作り270年も長続きできたと理解する
  • お江は54歳(1626年)、秀忠54歳(1632年)に没した

「事」を興す知恵とは

2017-12-17 10:38:38 | 歴史から学ぶ

@江戸末期から明治にかけ九州薩摩藩の財政建直し、明治維新の立役者となった薩摩藩武士調所笑左衛門広郷がいた。知恵と様々な仕組みを生み出し莫大な借金を葬り、明治維新へ脱皮する起爆剤(資金)を調達した。そこには、薩摩武士の「前のめりに死ね」という合言葉「何をしたかではなく、どんな覚悟をもっていたか」であると言う。 武家社会の下知に従う部下には「NO」は一切なく、言われるまま規範を下に行動を興さなくてはならない。まさに覚悟を持って事に当たる事だ。事に当たるにはまず1、現状を理解し、見直すことから始まる 2、効率をあげる為の施策を立て実行 3、効果を見ながらさらなる工夫と知恵を絞る 4、結果から次へつなげる施策を考える 5、派生する人・物・事・金・今では情報を把握し次の手を仕組む とわかりやすく言えばこうなるだろうか。 最近のコンサルティング資料は何でもそうだが、(売る為の苦策)一読では理解できない難しい言葉でわざと厚めで枚数も多く表現、それに英語混じりのとってつけたような熟語を使うがどれもこれも基は同じだ。シンプルで判りやすい言葉を使うことも大事だ。 米国では自己紹介は1分、新規事業企画案を3枚に3分程度で完了させるような方式がベンチャー養育には当たり前となっている。 要領よく短めに判りやすい説明を求めているのだ。(小学生5年生に判る言葉を使用するこだと言われる)これからは「知恵と工夫」それにその考えを「デザイン」することが重要だと考える。

  • 「何事も嘘偽りの世の中を見て捨て難き薩摩魂」最後の辞世の歌
  • 薩摩藩主島津斉興側用人、調所笑左衛門広郷の武士としての忠誠を偽りの中でもがきながら藩主の命令を成し遂げる半生物語
  • 15歳で斉興の祖父重豪に茶坊主として仕え、その後藩の財政改革主任に抜擢金策を企てる。当初の金策は3万両の工面であったが、すでに藩は500万両なる借金を豪商からしておりどこも用立てする商人はいなかった。が唯一薩摩特産物「砂糖黍」の砂糖売買を出雲屋孫兵衛から受けるが条件は独占取引で価格操作をする事だった。
  • 重豪の直命は10年以内に成し遂げる事
  •             金50万両を備えること
  •             幕府や朝廷への上納金、非常の場合の予備費として蓄える
  •             5百万両の借用証文を取り返す事
  • 重豪は幕府の鎖国政策をやめさせ開国を実現させる事だった
  • 「嘘偽り事」無く法外な金策は成し得ず、ここから「騙し」策を立て金策に奔る事になる。
  • 1、砂糖の独占販売を出雲屋と提携、利ざやを増やす
  • 2、砂糖黍の増繁殖、製造工程、抜け荷を管理
  • 3、琉球からの密貿易で直接加賀・大阪に輸送、販売(物流改革)
  • 4、越前・大阪の品を唐に売りさばくルート改革
  • 6、借金の一部を返金するが、条件を250年払いにする
  • 5、二朱金の偽金作りから清国との密貿易で利用するルートを確保
  • 薩摩武士には「前のめりに死ね」という合言葉
  •             何をしたかではなく、どんな覚悟をもっていたか
  • 「頼母子講」多くの者から出資金をつのり困窮した者に貸す事業が栄えたが賭博性の高い無尽が流行した(奉行所与力大塩平八郎)
  • 笑左衛門はあくまでも「重豪の遺志」を貫くために策を練った
  •             「藩の財政を立て直し、幕政の改革の先頭に立つ事」、「開国を実現し欧米諸国と対等に渡り合える国を築く事」
  • 斉興になると新たな直命となった
  •             新たに3年の内に1百万両の備蓄
  • 斉興は祖父の反発的性格から無理難題と浪費を重ねた、また世継ぎを久光と企み、斉彬を排除する行動にも出ていた(一向宗排除)
  • 斉興は笑左衛門にも影目付けを付け、息子、娘を殺害させた
  • 一番の同輩であり信用していた家老猪飼が斉興の影目付けだったことを最後に知り絶望、毒を飲んで死んだ。
  • 調所笑左衛門広郷、73歳 身命を擲った改革によって薩摩藩は明治維新の立役者となった

上司の才能で部下は生かされる

2017-12-17 10:05:17 | 歴史から学ぶ

@上司に恵まれた部下は、会社の評価も高く、昇給・昇格も早いのはもう昔の事なのか。 「給与泥棒」と言われたひと昔の世代には、年功序列で功績云々というより社歴でモノをいううるさ型上司と仕事効率の悪い上司がおりその部下はかわいそうでいつも苦言と苦労を重ねていた。その当時は「転職」など考えもなく会社一筋、「我慢」して、一生懸命仕事をこなす事で将来を描ける事ができたが、現代はその保証が失くなり、社会システムも他国と比べても遅れがちになっている。 もはや大手会社に入社しても、上司に恵まれないのは最悪だと感じなければならない。「転職」は今や自分の思いを最も簡単に実践実行できるようになり、目的さえ振れなければ転職を繰り返しても社会が認めるようになった。「目的」、それは自分がいつまでに何をどうしたいのか、どんな能力・技能を身につけるのか、どんなことを将来したいのかなど、転職ごとに時間と目標を決めておけば将来は明るいはずだ。 「我慢」と「無駄な時間の浪費」は現代には合わない、即決断、実行で自分を試せ。

 

  • 明智日向守光秀は織田信長の家臣で丹波一円の坂本城主。 本能寺において、主織田信長に謀叛、本能寺の変より僅か12日目に斬首され、本能寺にて家臣等含め約3千人の首が晒され、2人の幼な子含め明智家は坂本城とともに消えた。光秀は主殺しの罪を歴史に背負い67歳の生涯を終えた。
  • なぜ主の織田信長に謀叛を起こしたのか。家臣、家族のその後を考えても謀叛をすることが何の得があったのか。
  • 信長は勢力を増すことで、一方的で自己本位すぎる感があった。光秀に対しては家臣、斎藤内蔵助をかばったこと、光秀の戦陣での功績がないことを理由に難題を任せようと試みた。それは徳川家康への上洛接待だったが、大宝坊の床の絵と松本の茶碗でのもてなしが手配されていなかったことなど信長の逆鱗に触れ、急遽光秀に出陣を下知した。それは接待主旨を履行していないことへの不満と周りへの戒めが光秀出陣へ決意させた。
  • 65歳を超えた光秀は当主として丹波と丹後を平定していたが、信長よりあらたな下知、出雲、石見への出陣と丹波と近江志賀郡、それに坂本城を明け渡し出陣先への移住の命を受けた。
  • 光秀はその頃より年齢とともに老害・記憶力の衰えを感じ、亡霊等による睡眠不足、頭痛に悩んでいた。その理由は人に対する信長の決断はあまりにも酷すぎ、佐久間信盛への折檻、荒木村重妻子と一族、波多野兄弟、比叡山の一向宗の数万人の惨殺等、次第に信長を殺さねば次は光秀が殺されると怯えた
  • 明智光秀の歌(本能寺変の3日前)
  •             「ときはいまあめが下しる5月かな」(雨と天)
  • 光秀は本能寺で信長を殺害することは「これは戦ではなく私の恨みゆえ、地獄へ行くのは俺一人で十んや」と一人で悪逆なる男を退治することを家臣に漏らした。
  • 謀叛へ賛同したのは家臣の庄兵衛、明智弥平次、藤田伝五、斎藤内蔵助の5老臣と1万3千人の軍勢だった
  • 丹波の長岡兵部と大和の井筒順慶は秀吉に賛同し、さらに摂津の高山右近や池田勝三郎、中川瀬兵衛らの軍勢を統率できなかった。
  • 武士の最大の願いは子孫の繁栄、家の永続。だが70歳近くの光秀には後継の子はまだ幼く、家督を譲れなかった。それに信長との間柄が以前ほど良くない環境となっていた。
  • 明智光秀は「武将として立つには槍や弓よりも頭を使うことこそ大切や。学問をし、武経7書を諳んじるほどになって、やっと一人前と思え。 そのために労を惜しむな」と息子に残した。

歴史が変わる「真実を語る」は悲惨なのか

2017-12-16 09:06:54 | 歴史から学ぶ

@小説「東京プリズン」で気づかされてことは、国民にとっての天皇の存在「天皇が日本の象徴」とは?と聞かれても何と答えれば正解かのか知らないこと、真の意味を理解していないことだ。 さて議題は、果たして「東京裁判」は公平に裁断されたのか疑問が残る。当時欧米諸国の「植民地」化は多くの現地住民を虐殺、特に香港・上海等のアヘン戦争は住民に阿片を売りつけその果てに弱肉強食的戦闘であり強国の歴史しか残ってはいない。日本の中国・東南アジア侵略は正にそのような残酷な歴史を作ってしまい、その結果が「東京裁判」となった。が、欧米諸国は「正義の味方」としての存在を現在でも残したままだ。 話は戻り、諸説では「東京裁判」は元陸軍が中心に裁かれたがなぜ元海軍はだれ一人重罪にならなかったのか疑問も残る。

  • 日本の学校になじめずアメリカの高校に留学、文化の違いに悩まされ落ちこぼれる。進級をかけたディベートが課せられる。それは日本人を代表して「天皇の戦争責任」について弁明すること。16歳の少女が一人で挑んだ現代の「東京裁判」を描き戦後の日本に迫った。
  • 空想と現実を表現した内容で「妄想化した母と私」(母=昔の私)過去の「16歳の私」と「現代の私」時空を超えて表現している。
  • 「東京裁判」を題材にし、「天皇の位置付け」について、戦時戦後の日本人が思っていること(学んだこと)とアメリカ人(軍人)が思っていたをこの東京裁判で見直す試みの小説だ。
  • 戦犯ABC等は種類の違いであって「罪」の重さではない。「平和に対する罪」をカテゴリー別に分類しているだけ
  •             A級戦犯=平和に対する罪
  •             B級戦犯=通例の戦争犯罪
  •             C級戦犯=人道に対する罪
  • 「国民」と「People」とは違う。リンカーンの「人民の、人民のための、人民による政治」は日本人の「国民」とは違う
  • 「天皇の戦争責任」はあるのか、これに対する理解と正確な証拠を日本人は持っていない、また曖昧な答えだけだ。だが何故マッカーサーは最初から天皇は戦犯・犯罪者ではないと外したのか。
  • それはアメリカと連合国の正しさを世界にアピールするための政治の場であり、通常法廷より融通が効く軍事法廷であり、マッカーサーの法廷だった。それはまた、真珠湾のリベンジと東条英機の断罪ができればよしとした裁判だったからである。天皇を裁くと日本国内に暴動が起き、日本が共産主義化するのを恐れたからである。日本への恨みを晴らすべく、日本兵の残虐行為と植民地での恨みである。それにはドイツ・ニューレンバーク裁判を真似た軍事裁判にする必要があった
  • 神話の起源とした天皇は歴史的に見て「サムライ」に利用された。天皇(権威をもたせたお飾り=全権)の名の下に勅命許可を利用、行政・律法・司法も元老・軍が戦略(勅命)として利用した
  • 天皇は子孫を絶えさず「万世一系」となるのが役割、国民は「天皇が日本の象徴である」の真の意味を実感していない事実。天皇を統治機構の一機関とみるシステム論と天皇が統治権の主体であるという説がある。
  • 神の存在、肉体を持った人(天皇)の存在
  •             「たとえ困難でも泣きたくとも逃げ出したくても肉体を持ってある位置に生まれついた以上全うすべきことがある」

曖昧にボカすのは日本人の魅力

2017-12-13 11:13:34 | 経営・リーダーシップに必要な事
@孔子曰く「身をかばうことは罪ではなく人を思う心である」(この最終章を参照)村人の父の不祥事を子が思い隠すことは家族であれば当然のこととして訳したものである。 日本の文化も似ていると感じる、「お互い様」、「相互扶助」、「終身雇用=犠牲家族」など昔から身内を庇い合うのはごく自然であると思う。今の日馬富士の暴力沙汰事件もこれに似た面もあり弟子を庇う(人を思う心)のは当然だと思う。が、ある面非協力的な部分、態度は納得いかない。
さて、日本文化と表現について、「日本人は敵対することを嫌う性格があり、白黒をはっきりさせないで、曖昧にぼかす対し方である(柔らかい優しい心) 日本文化は、はっきりしたものを嫌う美的感覚があった」。ビジネスではよく「日本人は話が多く決まらない」とか「返事を曖昧にする」など外国人から嫌われるが、これも日本文化で日本人の良いところとある。曖昧で返事を遅らせることは実は相手をじれったくさせ、交渉に都合が良いとさえ言われる、交渉術である。最近はあまりじれったく待たされると逆効果になりビジネスを失うことにもなる。程よい「間」を作ることを心がけたい。
  • 万物の根源は水である(ギリシャ哲学者テレス)
  • 身体の80%は水である
  • 「己において執着することのない人間はその行動は流れる水のように自然である」
  • 「智に働けば角が立つ。情けに棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角人の余波住みにくい。」夏目漱石「草枕」
  • 「水清ければ魚棲まず」人格があまり立派すぎて清廉だとかえって人に親しまれない
  • 「水入らず」「水も漏らさぬ」「水を差す」「流るる水は腐らず」
  • 「水を治めるものは天下を治める」中国
  • 「水に流す」は日本人の性格
  • 古代の便所は川に流す方式だった、地表は雑菌が繁殖しやすく不衛生
  • 宮殿の便所は樋箱という長方形の箱に砂を敷いたいものに用をした
  • 米は小麦の2倍にあたる澱粉が取れる。白米は1年でその栄養価が半減するが、もみがらをつけたままで保存すると半減まで10年
  • 「酒」の語源は心が栄える、元気で良い心を引き出す魂で通じ合う
  • 日本の組織は「お互い様」の精神
  •             5人組制度は良い面で責任の分担ができた
  •             「講」農村の宗教集会は認められていた
  • 「すみません」は「済んでいない」を表す
  •             欧米での利用は控える、始めから非を認めることはしない
  • 中国では革命は61年に一度の辛酉の年に起こるとされる   
  •             気候変動も約60年に一度やってきた
  • 自然に順応することが日本人の生き方をつくった
  •             水の信仰と山の信仰、「若水」「聖水」
  • 水耕作の苗代は日本人が水の比重差を利用した発見
  •             冷たい水を流し暖かい水を貯めることで苗だ育つ(温度差)
  •             二宮尊徳は稲が冷害を受けないように冷たい水と流し続けた
  • 水田の「水平と垂直」発見で日本の土木工事は発展した
  •             水田の水面の高低差を測量、水平にする技術を発見   
  •             玉川上水の用水路等への活用
  •             伊能忠敬の日本地図は水の水平を利用した三角形で測量、現在の地図との誤差は千分の1。西洋では磁石を用いた
  •             水の毛細現象で玉川上水、江戸城への三重の濠をくぐらせた
  •             木材運搬にも川の狭いところを堰き止めて、水で押し出した
  •             その他水車による水の汲み上げ、排水工事、水の結晶膨張力の応用で石割を発明している
  • 日本独特の「旨味」
  •             軟水は雑菌が多く、硬水には少ないので醸造業に利用
  •             旨味は酵素の醗酵具合+水質の繊細な感覚(京料理)
  •             京都は周りが山に囲まれた盆地で新鮮な硬水を井戸から得た
  •                         「森嘉」は地下50mの地下水で豆腐をつくる
  •             室町時代には「味あわせ」で水を茶で飲み比べた
  •             水は人が飲むためのもので、心と体を清めて禊をするもの
  •             神社・仏閣には必ず井戸があり信仰に寄与した
  •                         延暦寺の井戸=弁慶の力水・湧水
  •                         唐招提寺=聖水
  •                         白木屋は火事の際帳簿を井戸に投げいれた保護した
  •                         (和紙を利用することで乾燥で復元できた)
  • 「カビと旨味」
  •             カビは温度が20〜30度、湿度70%で増殖する
  •             カビ=醗酵食品(酒、味噌、醤油、漬物、塩辛、梅干し等)
  •             醗酵食物には旨味=グルミタン酸やアミノ酸が多く含まれる
  • 「干物と餅」
  •             イカや昆布は生より干して食べる方が、旨味が出る、干すことにより赤外線作用が起こり、グルミタン酸が多くできる
  •             餅は日持ちさせるため固め、空気を遮断し腐るのを防いだ
  •             塩、味噌、あんこなどをまぶしたのはその意味
  • 「カビと住居」
  •             日本の住宅が木や紙などで作られたのはカビ発生を防ぐため
  •             通気性を良くし、湿気を抑えた屋根裏と床下の空間
  •             泥壁、畳、柱、障子紙繊維の膨張と収縮を利用、湿気を防いだ
  •                         (東大寺の正倉院、校倉作り)
  •             服の通気性(着物・袴)、下駄や草履も日本の工夫したもの
  •                         (水虫は靴に変わったことで発生、一種のカビ)
  • 「わびとさび」の美意識
  •             握手やキスが日本ではなじまないのは高湿度の所為
  •             雲・霞・露は湿気の産物・美的感覚を作る
  •             庭の苔、噴水ではないく小川と山(鹿おどしやつくばい)
  •             枯山水(京都の龍安寺)
  •                         日本人は原色より少々水でぼかした中間色を好む
  •                         山桜も淡いピンク(外国人には八重桜)
  •                     日本人は敵対することを嫌う性格があり、白黒をはっきりさせないで、曖昧にぼかす対し方である(柔らかい優しい心)
  •                         日本文化ははっきりしたものを嫌う美的感覚があった
  •             茶道=礼法(奈良時代に中国の遣唐使から伝来)
  •                         磚茶は煉瓦ブロックの茶塊をかじりながら茶を飲む
  •             懐石料理=石を懐に入れるという意味。僧侶の空腹を紛らわすために温めた石を布で包んで胃に当てた=軽い食事という意味である
  •             茶道は感情を表さない日本人の習性を産んだ
  •                         茶道の祖、村田珠光の四畳半作法、弟子武野紹鴎、千利休へと伝わり、簡素で枯淡な味わいのある内面と自然の美の調和へ
  •                         正座は戦国時代にはあぐらで茶室の広さで正座になった
  •                         礼法=移り箸、迷い箸、箸から箸への食べ物を渡さない
  •                         人としての「たしなみ」=品性・感情を表に出さない
  •             水引は日本人のおしゃれだった( 水による清浄な贈り物)
  •                         結ぶことにより魂が宿り、魂を入れた品物になった
  •                         (金沢には今での水引細工師が芸術的結びを伝承)
  • 「身内意識」
  •             縁=血縁・出身地(地縁)・学閥・仕事縁(縁的ネットワーク)
  •             犠牲家庭「内の会社」的意識=共食・共同体
  •             江戸時代の豪商=犠牲家族・暖簾分け(運命共同体)
  •             相互扶助の精神で老舗は生き残った(歴代雇用・終身雇用)
  •             身内をかばう心が不正までも許してしまう(閉鎖的人間関係)
  • 村人が「内の村には正直者がいる。自分の父親が羊を誤魔化した時に、息子が知らせた」。孔子は感心ぜず「私の村の正直者はそれとは少々違う。父は子の為に隠し、子は父の為に隠す。正直さとはそこにあるのが自然である」身をかばうことは罪ではなく人を思う心である。日本にはこれも愛情が深い事ゆえと許してくれる気分がある。

「戦争経済国」とは

2017-12-10 11:55:55 | 世界の動きから見えるもの

@戦争を続けないと経済が破綻する国、アメリカ。世界の至る所で戦争になりそうな火種を作る国、アメリカ。米国には約6000社もの戦争の武器を製造している企業があると言う。東アジアで今回トランプ大統領がした事、日本、韓国等への武器販売・対戦武器促進活動だったと思うが間違っているだろうか。北朝鮮の状況から日本は多くの武器を購入・配置する羽目となっている。米国が作った憲法9条を米国自らが破り「国益優先」を挺しているが、日本は防衛のみで対戦する為の武器購入を阻止することはできないのか。今後日本も「戦争経済国」になり始めるのか恐ろしい限りである。 昨今のさまざまな税制(増税)はほぼこちらの方向に費やす事になりそうだが歴史を振り返り見直す時期にきている感がする。

  • 「義」の思想を日本が受容した
  •             文天祥の「正気の歌」が日本史を動かした
  •             中国庶民層は孔子ではなく関羽を敬うが、共産党は孔子
  •             富永仲基の思想家「出定後語」(1745年)
  •                         真面目に働いて、良い商品を正しい利益を乗せて、世の中に役つものを、そして人々に喜んでもらえる商人の生き方
  • 「仏教と神道の対立」
  •             明治高官の裏切り=高杉晋作、木戸孝允、伊藤博文、井上馨、山形有朋らだ(尊王攘夷、反開国派、裏ではイギリスと結託密貿易)
  •             純粋な尊王攘夷は土佐の勤王同盟と水戸の天狗党
  •             天狗党は一橋慶喜に裏切られた(優柔不断な人物と理解)
  •                         「天狗争乱」吉村昭著
  •             公武合体で将軍家茂(21歳)と高明天皇(36歳)の毒殺
  •             徳川の朱子学から儒学へ、さらに庶民は陰陽道へ(占い)
  • 「江戸時代の大坂思想家富永仲基」
  •             江戸時代の庶民は道教=神道
  •                         陰陽道と風水(陰陽五行=周易)
  •             中国の歴代皇帝は星占い(天壇公園)
  •             5惑星(5行)で四柱推命・算命術
  •             日本の仏教は本物ではなく「加上」で肉食妻帯禁止がない
  •                         正統派の仏教はさらに物欲・金銭欲禁止
  •             「日本の歴史」中公文庫全26巻
  •             「幕末」とは狭義には1853年・54年のペリー来航から明治元年1868年の15年間
  •             本居宣長・平田篤胤の古神道復活
  •             「ブッタの心理の言葉感興の言葉」岩波文庫
  •             ブッダはヒンドゥー教の熱心な修行者であり、バラモンたちとの対立で仏教を分離独立させた。キリスト教がユダヤ教を分離したことと似ている。
  •             江戸時代に栄えた学問所、懐徳堂(大阪の豪商が支援)、萩の明倫館、水戸の講道館(主は朱子学)
  •             天海僧正は家康を「神」として祀り東照宮をつくる。徳川は浄土宗を特別に保護とした、それは浄土真宗の勢力を牽制するため
  • 「黒船来航とロックフェラー財閥の始まり」
  •             ペリー来航前にもアメリカは捕鯨(鯨油=蝋燭)に来ていた
  •             薪と水と安全を要求しての目的だった(樽=159リットル)
  •             1859年ペンシルベニア州のエリー湖で石油を最初に採掘
  •             ジョン・ロックフェラー石油採掘成功(後スタンダード石油)
  •             ロックフェラー=三菱財閥(岩崎弥太郎)物資の輸入拡大
  •             VSロスチャイルド=三井財閥が拮抗する(イギリス)
  •             20世紀の戦いはロックフェラーVSロスチャイルド
  •  
  • 「明治維新は英国の世界戦略に組み込まれた」
  •             ジャーディン・マジソン社トーマス・グラバーの武器貿易
  •             日露戦争ではイギリス海軍の指揮と支援を受けた
  •             1950年朝鮮戦争勃発でトルーマン大統領から召喚された凱旋将軍マッカーサーは政治的な力を奪い取られ大統領になれなかった
  • 「昭和史・戦争を仕組んだものが潜む」
  •             1931年満州事変は関東軍河本大作大佐による満州鉄道攻撃
  •             1937年日華事変(盧溝橋事件)から8年(日中戦争)
  •             蒋介石「長城の向こう(満州)には国民党は進撃しない」明言
  •             日本軍は約150万人の兵員を中国に駐留させた
  •             黒幕はアメリカの金融財界に誘導された戦いとなったと見る
  •             1929年「金解禁」が決議、1998年の外為法大改正により大不況に陥る
  •             現在「ドルの価値を石油で担保してきた「金ドル体制」が終焉
  •             「コモディティー・バスケット通貨体制」が出来上がり物資・商品が基本で金と石油だけでなく天然ガス、天然資源等、食品・穀物類までを担保とする通貨体制になる
  •             1914年、アメリカ帝国=世界制覇を実現
  •             ロックフェラー=三菱VSロスチャイルド=三井(政友会)
  •             政友会(犬養毅、高橋是清、原敬、古河財閥=陸奥宗光暗殺)
  •             日米開戦を組んだのは米内光政(海相)、井上茂美(大将)と山本五十六(連合艦隊司令長官)=愚将だった(説)
  •             (著書「米内光政と山本五十六は愚将だった」三村文雄)
  •             1937年南京大虐殺は松井石根(大将)により起こる
  •             リットン調査団「満州までは認める」が、1938年には陸軍は既にこれ以上は無理と判断していたが、1939年日本軍の上海・南京侵略
  •             米内光政が海軍大将に昇進した1938年以降、「蒋介石の国民政府を相手とせず」で侵略を開始
  •             石原莞爾は「間違ってもアメリカと戦争をするな」
  •             東京裁判で海軍軍人A級戦犯は一人も死刑にない不思議
  •         日本軍は軍民約4百万人戦死、米軍は国際法違法の無差別爆撃(本土空襲と原爆投下)をしながらその非は問われてはいない。
  •             近衛文磨は「マッカーサーに騙された」で毒殺自殺、その他陸軍軍人7名が死刑となるが海軍は誰もいない。
  •             阿南惟幾(陸軍大臣)は「米内光政を斬れ」と叫んだと言い、割腹自殺した。「やはり米内光政と山本五十六の動きは怪しかった」
  •             「戦争は公共事業」というロックフェラー家の恐るべき思想
  •             イギリス・ロスチャイルド財閥は日本に戦争をさせたくなかった、理由は大英帝国の権益である中国を戦乱の地にしたくなかった
  •             アメリカの「戦争経済」は戦争をすることで国内の経済を活性化させる。戦争をやらないと不景気になるため、景気を維持するには継続的に戦争をすること=戦争経済で生きている国である