@映画「Jarugandi 2018」
若い二人が起業するために資金調達である資産家を見つける。ビジネスは大儲けするが違法を警察に察知される、が警察は賄賂を渡せば黙秘するという。その賄賂資金のために娘を誘拐し、犯人となるが悪党の一味の計画(海外への人身売買)に巻き込まれ、逆に悪道たちを摘発、賄賂を要求した警察も弱みを掴まれ「人を信用することで」どんでん返しとなる。 インド語でテロップが英語の米国映画。 人の信用・信頼はどこから生まれるのか。
@映画「Jarugandi 2018」
若い二人が起業するために資金調達である資産家を見つける。ビジネスは大儲けするが違法を警察に察知される、が警察は賄賂を渡せば黙秘するという。その賄賂資金のために娘を誘拐し、犯人となるが悪党の一味の計画(海外への人身売買)に巻き込まれ、逆に悪道たちを摘発、賄賂を要求した警察も弱みを掴まれ「人を信用することで」どんでん返しとなる。 インド語でテロップが英語の米国映画。 人の信用・信頼はどこから生まれるのか。
@映画「チャッピー」Chappi AIを搭載した人間型初期ロボット。
警察がロボットを採用して警備警らする世の中。人間の技術力は人間と同じ頭脳の構造を開発、その実用には1からの教育が必要で、情報のインプットで理解力と意識と感情が身につく。だが悪党に犯罪の仕方を教えるとそのまま言う通りにする、AI開発は要は人間の教育・インプット次第。 人間の作り出したAI無しの戦闘ロボットが悪党に利用されるとどうなるのか。最後はAIロボットが自律ロボットのコピーを製造することになる。これからの人間の世界とロボットの共存に何が必要なのか教えてくれる。
@映画「ゴジラ」アニメーション。 人間の住む地球と怪獣ゴジラの進化、3部作の1部と2部。3部作は近日公開。
Godzilla 2万年も生き続けたゴジラ。 人間だ脱出して地球はナノメタルで進化した巨大なゴジラの怪獣惑星となっていた。地球に住むにはゴジラを撃退する事が使命となり戦う人間はメカゴジラを壊滅出来るのか、そこには生き残った他の惑星の人型メカも協力 最後に人間としての感情を持った人がそこに居ることこそ必要なのか。 戦いの最中にその葛藤が起こる、「何の、誰の為の戦いなのか」。最終章3部に期待したい。
@映画「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」Fantastic Beasts
ハリーポッターの新作。イギリスからN Yにやって来た魔法使いで生物学者と同士の争い。 ボストンバックから飛び出した「金」を好む生物が銀行に入り込むが七転八倒、銀行内でボストンバックを間違えて持ち帰ったパン屋開業志望の親父さんと一人の魔女の出会いから始まる。ボストンバックから飛び出す奇妙な生物が醸し出す出来事、だが魔法の力で何ができるか。最後には雨で全ての人間の記憶を消し去り、街を元に戻す。 現実離れした世界に魔法はあるのか、だが、魔法はまじかに感じる。様々な魔法の世界に目が離せなくなる。 人間の欲望、それは「魔法はできそうもない夢を事をする」事だろうか。
@「悪行」(不正)を見つけ出し、改めようと上司に進言するが、その上司が「悪」となっていた。 江戸時代の身分制度(士農工商)、本来農業・農民が工商より上のはずが、当時の「納税者」(農民)を形だけで讃えていた。 実際は農民は一番下に差別化され、何事も世襲制であった。農家に生まれれば武士には成れず、重税で瀕死な状態でも訴えれるのは庄屋・名主で、代官・奉行の不正があってもメスが入る事は滅多になかった時代である。 さて現代ではどうだろうか、中央政府・政治家に不正等があれば誰ば裁いてくれるのだろうか。三権分立とは言え、実際そういった不正などを裁いているとは思えない。「知らない・存ぜね・記憶にない」で通せば処罰は無い世界に成り果てている。 まさに「正直者が馬鹿を見る」、無駄な事をしてまでも、わざわざ手の届かないところには手を出すな、「長いものに巻かれろ」になってしまってはいないだろうか。
『春雷抄』辻堂魁
@将軍から江戸城・千代田城の火事の不始末の責を問われた次席家老の恨み。 それは大砲による武器で将軍諸共こっ端微塵にする計画だった。老中首座を狙うと見せかけた事件を巻き起こし錯乱させる事だった。 現代でも出世したいと思う人もあるだろうが昔ほどその熾烈な競争意識ではなくなっている。それは責任と報酬が見合わなくなっていることが大きな要因かもしれない。「出世欲」=「責任+見返り」が時代とともに合わなくなっているのだろう。 ましてやつい最近の定年期(60〜65歳)を迎えた責任職を逃れた高給取りの社員・役員も継続しているのでは「やっていられない」心境になる。現実一部社長含め役員でも無責任社員(資産の食い潰し的存在)の多くなった現実では若者に良い職場だとは言い切れない。
『鬼門の変』鈴木英治
@映画 「逃亡のガルヴェストン」Galveston 2018
ガンと宣告され、闇のボスにも裏切られ、運をなくした男が、仕事をなくし路頭に迷う若い娼婦で子持ちの女性と逢う。三人で逃げるが逃げた先に闇のボスが現れ、女性は元ボスの仲間に暴漢され殺される。男は憎しみから殺害、逃げるが交通事故で入院・逮捕される。 20年後、その娘が突然訪れ母の事を聞くが・・・人には運に見放された人間もいる。だがそれは自分自身で奈落の底に身を晒すことでそうなってしまうかもしれない。人には人生を決める「運」は あるのか。「運」は自分自身の問題、だから自分自身で切り開くことしかない、そう思う。
@人は守るものが無くなると必死になる。生きるも死ぬもその場の運に任せ勝負する、この小説の主人公朽木主膳の生き方だ。 主膳は正義感を持った浪人で世に合わない道理を成敗していく。特に江戸時代の生類憐みの令に於ける庶民の暮らしとその処罰は現代では想像を絶する程の「ケダモノ尊命」時代で犬猫、さらに魚、虫類までも人間より上の身分にあり多くの庶民が処罰された。法を作る番人は国民の目線を知らないまま規制を持って法にする。また規制を作ることが仕事とする法の番人は「やらせ仕事」だから視野が狭く、一部の意見しか聞かない。道理に合わない、合わなくなった法をいつまでも保持することがいいのか、改善・修正する方がいいのか。 政府が行う「見識者」(政府の味方)だけの会議決定はもう常識はずれだ。
『刺客の花道』森村誠一
@「映画から見える世の中の動き」The Dinner with Herve/TV Movie
「人生の選択」、人は天国から地獄に転落するとこんなにも世の中が暗く写るものなのか。最後の選択は世を捨てる事だった。
フレンチ俳優Herve Villechaize50年の生涯ノンフィクション映画。小人役で一躍フレンチヒーローとなったHerveの生涯を落ちぶれた二流記者が元ヒーローとのインタビューから始まる。映画は記者がヒーローの自殺する前夜まで付き合い、その回顧録を映画化したものである。小児麻痺で生まれたHerveは家族から無視され夢を描き単身ハリウッドに出かける。映画プロデューサの目にとまりヒーロー誕生となる。地獄から天国に舞い上がり、自分の思いのままになるが徐々にあらゆる不満を周りにばらまき始める。映画の撮影にも影響、最後はプロデューサーから解雇扱いとなり、天国から地獄に落とされた自分を記者に語ることが遺言になり翌日自殺する。人生の幸不幸を一気に辿ったが最後は先の人生が読めなくあえなく自殺という道を選択、記者にその生涯を伝え、世を去る。Herveは何を世に残しておきたかったのか。私が思うに「人生でうまくいっている時が、下降線を辿る寸前である事を悟り、次に何をするべきか決める時期」だと。「人生の迷いは誰でもある、だが、生きることの意義・誰か必ずあなたの事を思っている、を決して失わないこと」だ。
@「映画から見える世の中の動き」アリー・スター誕生 A Star is bone 2018
レディーガガが主役のスター誕生映画。 正にレディーガガの実像ドキュメンタリー映画なのかもと思うほどの内容と役者振りに背景の音楽、ダンスなども素晴らしく魅力的だ。この映画でスター(アリー役レディーガガ)に目を向けたのが有名なロック歌手(ジャクソン役・監督で主演のブラッドリー・クーパー)で、バーでアリーの歌声に魅了され、ジャクソンはアリーを自分のロックコンサートに引き出す。忽ち魅力がファンにも伝わり一気に人気上昇。時間とともにアリーは独り立ちできる超人気の歌手となるが、ジャクソンは逆に自信を喪失、アリーとの信頼関係も不安定となる。 仕事と愛情、人生はどちらを選び、どちらを選ばれた方が幸せなのか。 夢はどこまで続くのか。
@時として「悪者」が実は正義で悪童に殺される。(正義はいつも勝つとは限らない)そしてその悪童は自分が正義だと物語を偽造・捏造する。 古文書での「正義・悪党」の真実判断は非常に難しい。歴史の「勝利者は正論」とも似ており、どのような事でも「正論」とできるのが勝利者であり、独裁者の技だ。 現在議員一人当たりの総費用(税金)は年間約2億円ともそれ以上とも言われているが誰も知る由もないのが、不祥事があっても減給など聞いた試しが無い。 私が言いたい事は「税金だから足らなければ増税すれば足りる」論なのだ。そんな政治家ができることは何事も「正論」にする事であり、他を排除する事である。政治家の「一言は非常重い」、だから慎重に言葉を選び発言・提言してほしい。だが、「嘘」をつかないで、正直であってほしい。真実はいつかは「バレる」、知る人がいる事だ。
『家光の陰謀』藤井邦夫
@フランスの歴史を紐解くと多くの特権があったことが判る。それは聖職者、貴族など身分を持った特権から自治体、地域の特権など革命でそのほとんどが廃止となり「単一で不可分な共和国」となったとなる。誰もが自由に平等で労働契約も直接交渉するなど、歴史から民衆は多くの事を学び、犠牲になり、その後改善して現代に至った事はフランス国民の「民力」とは凄い力だと感じさせる。現代の日本はどうだろうか。政府の「民衆の意見は聞く」態度は持っているがほとんどが最初からゴールは決定されており、「民力」の隙間はない。まさに「沖縄問題」のようなものだ。「政治力」への対抗は「国民の選挙」だが、政治内での勢力が「独裁」になり、「嫌な事」「不純な案件」は議論しない、捨てておくことになりつつある。そこで必要な事は、国民の監視「目」が別の視点から監督できる組織構造が必要なのかと思う。誰も独裁者を止められないのは今の日本の政治構造だ。内部のなあなあな関係組織では膿は出せない。 奇しくも昨日はフランスでの第一次世界大戦終戦100周年の記念日として様々な国の立場で提言がされたが、私が思うに「戦争を模索し、仕掛け、武器取引を増大させようとする国」には「戦争は二度としない」為の断固たる姿勢を示していく事も必要だと思う。
『フランスの歴史』佐々木 真
@世継ぎの争いはどの諸藩でも起こった江戸時代。平和だからこそそれぞれの欲がでる、特に豪商と家老との悪企みはよくある事だが、この書では正規の世継ぎが藩主に興味なく、庶民の生活に嵌る。欲のない世継ぎは世間が許さず、貪欲な人間がそこに群がる。 誰も苦しい生活をしたくないのは当たりまえだが、チャンスがあれば人の上に立ちたいのは人間の本性だろう。どんなことをしてもそれを得ようとする人間の「欲」は時として限度を超える。 世間の規律・法を犯してまでも行動させる「金」は人を狂わせる。現代での「賄賂」「贈与」等で「悪」に関わる、分かっていながら犯罪に手をつけるのは不幸なことで、下手をすると逮捕・牢獄に入る事で一生後悔することになる。だから、昔から「世間のうまい話」で簡単に金儲けができる事には必ず「裏」がある事を肝に命じておきたい。最近の事件では家族ぐるみの「運び屋」事件はまさに「悪に手をつけていない、簡単な手伝い」と思った家族全員が不幸になった事件である。悪事に巻き込まれることもあるだろうが、自分が解って「ついやってしまいました」はよく聞く。 自分だけの判断ではなく身の回りに相談することで回避できることもある。
『刺客街』森村誠一
@「映画から見える世の中の動き」A-X-L 2018
「A-Attack/ X-Explosion/ L-Logistics」AIを搭載した国防の戦闘犬と少年のSFアクション映画。 AIを搭載された知能ロボット(犬型)は、人間とのコミュニケーションを認識できるが未完成のまま脱走することになる。 少年との出会いで「善」人を認識するが、「悪」の人間にとってはあくまでも凶暴な暴れ犬であり、破壊しようとする。人間との善悪を理解できない未完成のA-X-Lは国防軍に追い詰められ最後は自爆を選んだ。 ロボット犬に感情が芽生えたら世界は変わるだろうか。 その技術はすぐ近くに来ており、やがてロボットと人間は共存しなければ相互に生きていけないことになるだろう。
@「業務の効率化」「コスト削減」「新規事業・新製品の開発」が主なIT導入のコンセプトで、これはコンピュータ(1970年代〜)が世に出た時点から変化はない。変化してしているのは、新たな「3文字のキーワード」とコンピュータとその周辺の技術進化である。時代に有った機能と機器を導入するのは経営の基本だが、時は「短期サイクル・短期効果測定」を期待していることだ。日本の労働生産性が何故先進諸国でも最低なのか。それは日本の習慣と風習かもしれない。貢献者・上司への尊敬と労り。だが、一番は「完璧なものを作る」と言う根性が邪魔をして納期の遅れ、実践効果の遅れ、さらに投資効果の矛盾が出ることだろう。筆者も20数年この業界に居たらから判るが、日本のシステムは「完璧」だから「能力は劣るが壊れない」、よって新規導入が難しく他国との競争に負け、一気にそれも格段と差がついてしまう事だろう。 そう考えると「トップダウン」方式は日本企業必勝に置いて必須であり、この時代に勝負するには時間的余裕などないと思う。
『RPAの威力』安部慶喜