@徳川家康の20代は人質生活が長かったこともはありもともと気弱で気丈の武士とは言い難い人物だったと予測できるが、人を強くするコツを掴むことで秀吉後の260余年の徳川幕府を構築できたと言えよう。ここでのそのコツとは「己の弱さや至らなさを反省すること」とある。若輩の武者家康も多くの戦いで勝ち得た教訓「反省」となっているが、現代版でいうならばありふれているがマーケティング戦略でよく使う「PDCA」と「6W2H」(下記詳細)だろう。それに「欲」も行き過ぎの「貪欲」(やりすぎ)はいつかは破綻する。価格競争に勝つために品質管理「検査員」を極限まで低減(レベルを落とし=賃金を抑える)することも同じである。
What 何を 【 仕事の内容、種類、性質、分量 】
Why なぜ 【 意義・目的、動機、理由、狙い、背景、必要性 】
Who 誰が 【 組織、担当、グループ、中心人物、役職、人数、主人公 】
Whom 誰に 【 相手、関係、人数 】
When いつ 【 着手時期(タイミング)、期限、時間、納期、スケジュール、季節、頻度 】
Where どこで 【 場所、位置、職場内外、屋内外、出先、舞台 】
How どのように 【 手段、方法、段取り、テクニック、進め方、期待度 】
How much いくら 【 数量、予算、単価、範囲 】
- 「厭離穢土 欣求浄土」(おんりえど・ごんぐじょうど)浄土宗の教えを旗とする
- 「我々武士は領民が命とくらしを守ってくれると信じているから、その役目を果たすことこそが真の武士道で厭離穢土の本懐だ」
- 「この世を浄土に近づけるとは、まさに民衆の苦を取り除き、楽しみを与えるということだ」
- 「戦いには覚悟と勇気と知恵が必要だと」(太原雪斉)
- 今川義元が討死した後一揆衆の攻撃を受け僅か18人となり、松平家の菩提寺・大樹寺(登誉上人)に逃げ込む、そこから受けた言葉(勇気と知恵)と僧兵の後方支援があった
- 信長の野望は、明・東南アジアからの硝石、鉛、交易品、武器、弾薬の交易権を奪うことで市場を盛り上げ、国を潤すことだった。「商業と流通を支配することで巨万の富を蓄え、その経済力を元手にして軍備を整える。銭の力で有能な将兵を雇い入れ、鉄砲や弾薬を大量に買い入れて、容赦なく他国を侵略していく。侵略によって手に入れた流通路や資源や国土がさらに富を生み、その富によって備えた軍備によって一層領土を拡大していくのだ。」
- 家康の戦略と格言
- 伊賀忍者・服部半蔵、甲賀忍者・伴与七郎等を使い、敵の情報を徹底して収集すること(それぞれ50人)
- 「自信と度胸を強さに変えるには、己の弱さや至らなさを反省することだ」
- 「生きたければ強くなれ、勝ちたければ努力を惜しむな」
- 「ここから始めれば良い。何事も遅すぎるということはない」
- 武田信玄は上杉から敵に奪われないように「塩」として (高価な弾薬)を仕入れていた(敵に塩を送る)
- 信長の改革は楽市楽座や関所の撤廃で商売がしやすくし、二条城や内裏の新造で巨額を投資、庶民の仕事を増やし、物を流通させることであった(公共投資による景気対策)。規律を守るため信長自信が普請場に出かけ不届きものを成敗した。(厳罰主義の徹底)
- 公家や寺社等は商売の利権を独占し、富を蓄えたことで信長はそれを奪い取るために守護大名等(土地と領民の支配権)支配を含め打ち破ってきた。その戦いが越前の朝倉義景、琵琶湖の水運権を持った比叡山延暦寺、石山本願寺等の戦いであった。
- 神仏の教訓「心の三毒」
- 「貧」欲を貪ること
- 「ジン」怒りや憎しみにとらわれること
- 「痴」無知のこと
- 人は欲や執着にとらわれて誤った生き方をすることが多いが、上に立つ者が道理によってそれを戒め、この世を浄土に変えていかなければならない
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