@江戸末期から明治にかけ九州薩摩藩の財政建直し、明治維新の立役者となった薩摩藩武士調所笑左衛門広郷がいた。知恵と様々な仕組みを生み出し莫大な借金を葬り、明治維新へ脱皮する起爆剤(資金)を調達した。そこには、薩摩武士の「前のめりに死ね」という合言葉「何をしたかではなく、どんな覚悟をもっていたか」であると言う。 武家社会の下知に従う部下には「NO」は一切なく、言われるまま規範を下に行動を興さなくてはならない。まさに覚悟を持って事に当たる事だ。事に当たるにはまず1、現状を理解し、見直すことから始まる 2、効率をあげる為の施策を立て実行 3、効果を見ながらさらなる工夫と知恵を絞る 4、結果から次へつなげる施策を考える 5、派生する人・物・事・金・今では情報を把握し次の手を仕組む とわかりやすく言えばこうなるだろうか。 最近のコンサルティング資料は何でもそうだが、(売る為の苦策)一読では理解できない難しい言葉でわざと厚めで枚数も多く表現、それに英語混じりのとってつけたような熟語を使うがどれもこれも基は同じだ。シンプルで判りやすい言葉を使うことも大事だ。 米国では自己紹介は1分、新規事業企画案を3枚に3分程度で完了させるような方式がベンチャー養育には当たり前となっている。 要領よく短めに判りやすい説明を求めているのだ。(小学生5年生に判る言葉を使用するこだと言われる)これからは「知恵と工夫」それにその考えを「デザイン」することが重要だと考える。
- 「何事も嘘偽りの世の中を見て捨て難き薩摩魂」最後の辞世の歌
- 薩摩藩主島津斉興側用人、調所笑左衛門広郷の武士としての忠誠を偽りの中でもがきながら藩主の命令を成し遂げる半生物語
- 15歳で斉興の祖父重豪に茶坊主として仕え、その後藩の財政改革主任に抜擢金策を企てる。当初の金策は3万両の工面であったが、すでに藩は500万両なる借金を豪商からしておりどこも用立てする商人はいなかった。が唯一薩摩特産物「砂糖黍」の砂糖売買を出雲屋孫兵衛から受けるが条件は独占取引で価格操作をする事だった。
- 重豪の直命は10年以内に成し遂げる事
- 金50万両を備えること
- 幕府や朝廷への上納金、非常の場合の予備費として蓄える
- 5百万両の借用証文を取り返す事
- 重豪は幕府の鎖国政策をやめさせ開国を実現させる事だった
- 「嘘偽り事」無く法外な金策は成し得ず、ここから「騙し」策を立て金策に奔る事になる。
- 1、砂糖の独占販売を出雲屋と提携、利ざやを増やす
- 2、砂糖黍の増繁殖、製造工程、抜け荷を管理
- 3、琉球からの密貿易で直接加賀・大阪に輸送、販売(物流改革)
- 4、越前・大阪の品を唐に売りさばくルート改革
- 6、借金の一部を返金するが、条件を250年払いにする
- 5、二朱金の偽金作りから清国との密貿易で利用するルートを確保
- 薩摩武士には「前のめりに死ね」という合言葉
- 何をしたかではなく、どんな覚悟をもっていたか
- 「頼母子講」多くの者から出資金をつのり困窮した者に貸す事業が栄えたが賭博性の高い無尽が流行した(奉行所与力大塩平八郎)
- 笑左衛門はあくまでも「重豪の遺志」を貫くために策を練った
- 「藩の財政を立て直し、幕政の改革の先頭に立つ事」、「開国を実現し欧米諸国と対等に渡り合える国を築く事」
- 斉興になると新たな直命となった
- 新たに3年の内に1百万両の備蓄
- 斉興は祖父の反発的性格から無理難題と浪費を重ねた、また世継ぎを久光と企み、斉彬を排除する行動にも出ていた(一向宗排除)
- 斉興は笑左衛門にも影目付けを付け、息子、娘を殺害させた
- 一番の同輩であり信用していた家老猪飼が斉興の影目付けだったことを最後に知り絶望、毒を飲んで死んだ。
- 調所笑左衛門広郷、73歳 身命を擲った改革によって薩摩藩は明治維新の立役者となった