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次世代の為に何をし、何を残すべきか

2017-05-31 17:20:06 | 歴史から学ぶ
@戦国時代の武将、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康等、明智光秀を中心とした本能寺の変から歴史の真実を語った著書である「本能寺の変431年目の真実」 これは読み応えのある、内容もなるほどと思え「真実」であると確信できることも多い。 だが現実他の著書、ドラマ等で真実とはまるで違った現代受けのストーリーが一人歩きしており、それがあたかも真実かのように思っている人も多いのではないかと思う。 是非この本を読みそれを吟味してもらいたい。
結論は「歴史は勝者の歴史」と言われた事が多く、その時の戦国武将が中心となり改竄、削除、編修されていると指摘する。
要は、戦国武将は次世代の為に何をし、何を残すべきかを考えながら戦国の世を生きた。それは子孫繁栄の為に将来敵味方に別れる疑いある者はすべて殺戮しておく事、子孫の繁栄の為の社会構造を変革している事です。
社会構造に関しては、現代にも十分当てはまり、今の政治政策始め次世代の社会システムの構築観点から十分参考になり、その為もっと時間を作り真剣にかんがえるべき時期であると思います。
  • 本能寺の定説と真実を記載した本
  • 1、明智落城説+朝倉仕官説
  • 2、信長・義昭両属説
  • 3、怨恨説+野望説
  • 4、単独犯行説+謀反秘匿説
  • 5、油断説+偶発説
  • 6、伊賀越危機説
  • 7、中国大返し神業説
  • 『明智落城説+朝倉仕官説』
  •             高柳光寿著「明智光秀」が定説、落城後朝倉に仕官していた
  •             真実=13代将軍義輝に足軽衆にて仕えており、義輝が暗殺後に朝倉に仕えたという説と「信長公記」による細川藤孝の中間でその後足利義昭の奉公衆、その後信長に引き立てられた
  • 『信長・義昭両属説』
  •             「明智軍記」が定説、義昭上洛の前に信長に仕えていた
  •             真実=義昭に仕えていたが信長との不忠説が発覚、信長の義昭追放後、信長の家臣となる 光秀は義昭が追放前にお暇願いを出している
  • 『怨恨説+野望説』
  •             秀吉の「惟任退治記」が定説、光秀が恨んで謀反した
  •             6月2日早朝本能寺を取り囲み信長は猛火に包まれ49歳で死去、その後信忠も自害、6月13日には「山崎の合戦」で光秀落命
  •             光秀の連歌「時は今あめが下しる五月かな」が「土岐は今天から勅命、決行は5月」と訳。それと信長の中国出陣要請で秀吉の指揮下に入ることへの恨み
  •             真実=信長の信賞罰の態度からいずれ光秀にも罰を下されること、信長の盟友関係(土岐一族)である長宗我部討伐を阻止すること。また信長の大改革(長期政権)で譜代から実力者への交代(譜代佐久間、林、安藤、丹羽等を追放)、さらに領土を実力派から織田家直轄に切り替えようとしていた。信長は国内の領地限界を見越し、遠方遠征(国外遠征)を計画し、実力者の領地没収と遠国への移封路線を計画していた、それを阻止するための謀反だった。
  • 『単独犯行説+謀反秘匿説』
  •             「惟任退治記」が定説、光秀一人の決定で謀反を起こした、秀吉の意図の下ことごとく事実と反し改竄されている、代表例として「太閤記」。「明智軍記」は著者不明で江戸時代に書かれた物=「あれだけいじめられたのだから光秀の謀反はやむおを得ない」
  •             真実=家康と重臣、および大和の武将筒井順慶は6月2日に本能寺を訪ねる予定でいた。織田家直轄で長期政権を建てるためには重臣を殺害する必要があり光秀と密談した。信長は光秀に中国遠征で坂本城から出立準備をさせ家康を騙す、本能寺は家康の不信がないよう軽武装させた。信忠は予定では京都にはいない予定だった。6月2日当日、光秀の家臣等はだれもが途中本能寺への変更は信長の命令で家康を討つ出陣だと勘違いした(本城惣右衛門語る)
  •             光秀と信長の密会で「家康を討つ」ことが、実際には光秀と家康による謀反となる、光秀の長宗我部氏一族との因縁と土岐一族の存続を優先に考えており、謀反は信長の長宗我部討伐の1日前に本能寺の変となる
  • 『油断説+偶発説』
  •             当日家康と筒井は本能寺で信長と会うことにしており、光秀は家康と筒井が来る前の早朝を狙って信長を討った後、二条城に篭った信忠を襲撃した。
  •             真実=本能寺は家康と筒井を討つ計画で警備を手薄にする必要があり2日に襲撃する予定であったが、その早朝、信長のみがいる時間帯に襲撃した。本能寺で信長の遺体が見つからなかった謎は検視できる近代的なものがなく、焼死体では身元確認ができない。また、信忠が京都にいることは予定外でその後二条城襲撃し、自決させた。信長は家康含め近隣家臣には「光秀は6月4日に中国へ出陣する」とカモフラージョしていたが、秀吉は知る由もなかった。フロイスは「日本史」に光秀兵は3千余りとある
  •             真実=「信長による家康討ち」となる予定だったが光秀と家康の謀反となる 信長は家康の広大な領土を織田家に継がせることを目論んでおり、自分の代に家臣の謀反原因となる基を取り除くことだった
  •             信長の最後の言葉は「是非に及ばず」・「余は自ら死を招いた」と黒人小姓弥介の証言
  •             光秀・家康・藤孝の密談による謀反であったが家康は穴山梅雪を殺害し、その領土(甲斐、信濃、上野、駿河)を確保する
  • 『伊賀越危機説』
  •             「大日本史料」家康は一揆による襲撃で逃げ切ったが穴山梅雪は襲われて殺された(梅雪は武田勝頼の元重臣だが織田に寝返り)
  •             真実=家康は悠々と三河に逃げ帰ることができた、それは伊賀(信長の殺戮に逃れた伊賀者—服部半蔵等190名を家康が庇い)との協力があった。伊賀者が穴山梅雪を殺害し、「家康は岡崎に帰ると翌5日には甲斐・信濃の織田家に対しての敵対行動に出た」家康は梅雪の領土(元武田信玄 甲斐・信濃)を略奪する。
  • 『中国大返し神業説』
  •             6月3日の夜秀吉は知らせを聞き、翌4日に毛利氏と和睦、7日には姫路城に辿り着いている
  •             6月12日勝竜寺にて鉄砲戦、13日午後4時には山崎にて鉄砲の音、14日勝竜寺から逃走、15日醍醐付近で村井清三が討ち取る
  •             家康は西へは津島までにしか派兵しておらず、安土城は家康の指令の下で炎上した(6月15日炎上)将来の拠点を潰した。伊賀の武士がその後正式な家臣として褒賞を得ている
  • 秀吉は政権を取り信長の織田家長期戦略構想を完全に潰すことによる諸大名との同盟を築いた
  • 秀吉は光秀を裏切った細川藤孝に破格の論功行賞を与えた
  • 謀反の密談は当初光秀・家康・細川藤孝であった。信長殺害後、秀吉、家康、細川は光秀の単独謀反とし、すべての罪をかぶせた。斎藤利三も首謀者の一人として処刑された。また、秀吉も細川を囲み込み家臣とし、家康は斎藤の娘福を家光の乳母、後に春日局とした。
  • 『千利休の切腹』
  •             「唐いり」を止める勢力(広い人脈を築き始め毛利、島津、家康等と歓談していた)を持ち始め秀吉の檄に触れた
  • 『関白秀次の切腹』
  •             「唐いり」への不参加表示が檄に触れて切腹させられた、そのことが後の継承で家康が天下をとることになった。
  • 信長と秀吉は「唐いり」(領土拡大)は天下統一の先にある戦国武将の論理の帰結だった、が家康はそれを改め「大名の取りつぶし」で領土を没収し、功労大名に与える仕組みを作り変えた。大名の取りつぶしは160家が改易された。明治時代から大正にかけて大陸進出(中国大陸への戦闘)で同じ過ちを犯していた。
  • 戦国武将が子の代の生存と繁栄に責任を果たそうとした思いだった。次世代の為に何をなすべきか、何を残さざるべきかを考えた。

定年退職を迎えたら

2017-05-28 12:14:52 | 人生を「生かす」には

@超長寿国、日本。 これから先何年日本人の寿命は伸びるだろうか。新たに新世代は100歳までの人生マップを考えなくてはならない時代を迎えている。 その前に定年退職を迎えた人々は今からどう考え、どのように生きていけばいいのか。 実際60歳から65歳で定年退職を迎える人が多く、団塊の世代の多くは新たな仕事に付いている人も多いだろう、が今からの定年退職者にはその理想の職場が無くなる。 既に世間では40歳以上の再雇用は難しくなっており、3Kであればどこでも、いつでも働けるが、会社勤めでそれも役職付き以上を経験した人はまず再雇用の条件が極めて厳しいと考えなくてはならない時代である。

仕事をしないで、老後を楽しくできる方法なんて本があるが現実味がない、理想では退職金も多くもらい、住宅ローンもなく、子供も親離れし、親の介護の心配もない人などいるだろうか。 日本の超高齢社会は前代未聞の時代で、ネット化、ロボット化等でさらに便利にはなるが若者への仕事も無くなり、医療費、税金が増え老人を守る為の政策が中心になる時代である。

  • かつての肩書きに執着するな
  •             現役時代の人脈から切り離す=あてになることはほぼない
  •             仕事があればとことん続ける=体の順応、無理はしない
  •             素直な気持ちをもち「ありがとう」を言えるようにする
  •                         「知者は働き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は命長し」論語の一節。 よく働いて人生を楽しめる人は「知者」、それに対して定年を迎え泰然自若とした態度で世の中を見ることができる人を「仁者」と孔子は読んだ。
  •             悔しい思いをいつまでの引きずるな
  •                         人生には「見切り」が必要
  •                         「人間は自分が他人より劣っているのは、能力のためではなく、運のせいだと思いたいものだ」
  •                         「愉快な過去には積極的にコミットし、不愉快な過去は忘れてしまう権利があなたにはある」
  • 徹底的に遊ぶ
  •             異性への興味をなくすな
  •             男女のアンケート。
  •                         結婚20年未満の女性は「楽」「幸」「和」
  •                         結婚20年以降の女性は「和」「忍」「穏」に変わる
  •       好奇心を高める
  •        人生とは今生きているという臨場感を味わうことで、残された時間が見えてきたシニアこそ本物を見ることにお金を使う
  •                         流行りを知る、行動をとることで好奇心が上がる
  •                         人生85歳とし65歳であればこれからの20年(7300日)の食事を考えると楽しくなる
  •       「いい歳だから遊ぶ」を鉄則に
  •                         アクティブシニア(社会貢献含め)活動的になり女性が6割、ボランティアも4割となる
  • 老いと病気にビクビクするな
  •         終活より今を生きる、遺言はないほうが無難
  •                         残された人の問題であり、去る人は何もしない
  •                         2015年夫婦のみの世帯33%、一人暮らし32%
  •         野菜より肉食を
  •           アミノ酸が豊富、エイジングビーフ熟成肉はたんぱく質がアミノ酸に分解され旨味がます、1週間に1度は肉食が良い
  •        とにかくメモをとること
  •                         指先に適度な力を入れることで脳の活性化に役立つ
  •        いつも「笑い」を作る
  •                         血糖値を大幅に下げる効果
  •       アンチエイジング
  •                         若ずくりは長生きする
  • 好きなようにお金を使う
  •             「人間よりお金の方がはるかに頼りになります。頼りにならないのが人の心です」
  •             適当人間になる、いい加減にいきていい
  •             なにか一つの贅沢を考え   
  •             永遠の住処
  •             「健康寿命」介護が必要になり健康な生活が送れる期間
  •                         実際男性で70歳位を峠に病気がちな人生になる人とそうでない人に分かれる
  • 一人時間を楽しむ
  •             できるだけ一人行動
  •             ダンディーな初老を目指せ
  •             「誘いを待つ」から、自ら動け

彰義隊の志

2017-05-28 11:56:53 | 歴史から学ぶ
@彰義隊の志とは一体何だたんだろう。 幕末には多くの志士連合的な仲間が集まり攘夷、尊王攘夷、倒幕等を掲げ旗げしているがこの彰義隊はあくまでも穏便に幕末を迎える宮様(皇族側)の護衛部隊としての活躍をしている。 ここではやはり「勝ち組」(薩長連合)、禁裏・内裏と宮様(皇族でありながら幕府側)の意思疎通が阻害され、最後は朝敵にされる。 利権等を勝ち取った側の横柄さは目に見えるほど、それに対抗しながら宮様を守ることで命をかけた若い志士は感動に値する。 読者側から見るといずれも平和な世を求め戦っているが戦時の意思疎通の難しさをこの本で味わった。 人間の「欲」(戦勝)は限りなく、途中で止めることもできないようになる。
  • 江戸幕末 慶喜の江戸引き上げから和宮、上野寛永寺の輪王寺宮法親王が有栖川宮熾仁親王経由で京都天皇へ慶喜の軽減と江戸の不安、戦争による消滅、殺害をしないよう嘆願した。そこに護衛、彰義隊が約2千名立ち上がったが、大総督府による攻撃を受け退避する。
  • 和宮・慶喜の嘆願書から岩倉は「慶喜公が誠意を持って恭順謝罪するならば徳川家の存続も不可能ではない」其の時西郷隆盛、大久保利通は「慶喜が退隠したいなどという嘆願は甚だ持って不届き千万。なんとしても切腹させなければ」
  • 慶喜は上野寛永寺に行って謹慎。寛永寺は1625年江戸城を守るため比叡山延暦寺になぞらえて東叡山寛永寺として創建、輪王寺宮法親王が管領した
  • 元旗本天野八郎、一橋家渋沢誠一郎等で約2千名の尊皇恭順有志会、彰義隊を結成した
  • 山岡鉄太郎(旗本家臣剣槍の武芸はもとより洋式調練も行う世話役、188cm、105kg)が勝海舟の書をもって西郷に嘆願書を出す。勝の書と岩倉等の判断から江戸攻撃を静止化する流れに変わった
  • 幕府への条件は
  •             城を明け渡すこと
  •             城中の人数を向島へ移すこと
  •             兵器を渡すこと
  •             軍艦を渡すこと
  •             徳川慶喜を備前へ預けること
  • 西郷、勝との会議で攻撃予定日3月15日は中止、1日前までの会議で備前へ預けることは最後まで了解せず、慶喜は水戸に引き取られた
  • 彰義隊はあくまで宮様のご警護としていたが、その後市中の警護を受け持ち、薩摩・長州の兵の傲慢な振る舞いを根に持ち和解することなく最後まで戦うことになった。 
  • 彰義隊と朝廷側(薩長)との戦いで2年ほど死骸が置き去り、円通寺に集めたその数266体となった
  • 彰義隊の一部と宮様は寛永寺から根岸、三河島、尾久を転々と逃げ、浅草東光寺、市ヶ谷の自証院へと逃げた。宮様はその後船で仙台に向かい奥州越列藩同盟の主に祭り上げられ、最後は降伏、江戸に向かうが仇敵の有栖川宮との確執で京都に蟄居させられる。その後解かれ、ドイツに6年の留学をした後、有栖川宮の逝去により軍隊の指揮官となり台湾への遠征。 最後はマラリアにかかり逝去した。
  • 宮様は江戸に大火が起きないように有栖川宮に嘆願したが却下され幕府と戦争になった。一時は市中の見回りをすることで江戸市民からの絶大なる信頼と期待を持ったが最新兵器等を掲げた薩長連合の勢いに負けた。明治天皇の叔父とされながらの待遇は、跡かたもなく朝敵と刻印を押され朝廷側の朝敵になった。

幕末の志士たち

2017-05-28 11:26:31 | 歴史から学ぶ

@幕末を生きた志士たちの多くは志半ばで生涯を終えている。 吉田松陰、久坂玄瑞、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛等。多くの犠牲を出しながらの幕末を生き抜いた志士はどれも素晴らしい武士の魂を持ち合わせた若者である。 志を貫き、果てた志士の無念さは如何程のものだろうか。 また、志を形にし、明治を築いた多くの長州、薩摩、土佐、肥後藩等からの脱藩者。だが、その時代の影に生きた人物も素晴らしく、感動する人物も多くいた。横井小楠、由利公正、アーネスト・サトウなど時代を支えた多くの志士は表には大きく出ていないがその功績等は当時相当な縁の下の力持ちであったと思う。

  • 吉田松陰と激動の幕末
  •             吉田松陰(下級武士)1830年−1859年と揖取美和子(妹杉文)松下村塾は2年9ヶ月、「志士」が成長、明治維新の原動力になった。安政の大獄の連座で刑死された、30歳。妹NHK「花燃ゆ」の主人公、九坂と婚姻。
  •             九坂玄瑞(松下村塾塾生で高杉晋作、吉田稔麿と3傑)、佐久間象山(松代藩士、西洋砲術・兵学を松陰、坂本龍馬、勝海舟に教える)、伊藤博文(松下村塾塾生、討幕運動に参加、イギリス公使館焼打ち、下関条約の調停役)、井上馨(藩主の小姓、尊王攘夷運動薩長同盟)、山県有朋(高杉の奇兵隊で奥羽越列藩同盟を撃破)、山田顕義(尊王攘夷運動、箱館戦争、司法大臣)、品川弥二郎(禁門の変で敗れ薩長同盟に尽力)、野村清(尊王攘夷運動、内務大臣、通信大臣)、木戸孝允(桂小五郎;剣術家、尊王攘夷運動、薩長同盟)
  • 幕末 長州藩
  •             毛利敬親(長州13代藩主)・元徳14代藩主尊王攘夷運動
  •             高杉晋作 吉田松陰の門下生、上海に渡り、奇兵隊を組織
  •             遠藤謹助 長州5傑、通訳、造幣技術
  •             大村益次郎 長州藩軍事体制・戦術家
  • 幕末志士の群像
  •             西郷隆盛 2度の島流し、陸軍大将、西南戦争で自刀
  •             大久保利通 島津久光家臣岩倉と王政復興を実現、廃藩置県
  •             小松帯刀 西郷・大久保と共に討幕運動、坂本の補佐役
  •             黒田清隆 北越・箱館戦争で功労内閣総理大臣
  •             坂本龍馬 土佐藩脱藩、薩長同盟、海援隊、船中八策
  •             中岡慎太郎 土佐脱藩、陸援隊
  •             後藤象二郎 土佐藩、坂本の船中八策、大政奉還を実現
  •             板垣退助 新撰組撃破、西南戦争で熊本城を死守
  •             鍋島直正 佐賀藩主、軍事力強化
  •             大隈重信 佐賀藩、尊王攘夷運動
  •             岩倉具視 公武合体で和宮降嫁を推進
  •             三条実美 王政復古により復帰、太政大臣
  • 敗れざる者たちの肖像
  •             徳川慶喜 15代将軍、王政復古後は写真を趣味とした
  •             徳川家達 16代当主、静岡藩70万石、廃藩置県でなくなる
  •             篤姫 13代家定の御台所、慶喜の助命に尽力、養育に専念
  •             勝海舟 日米修好条約、臨海丸、西郷と無血開城
  •             大久保一翁 桜田門後復帰、無血開城に尽力、東京府知事
  •             山岡鉄舟 幕末3傑(勝海舟・高橋泥舟)西郷と感服、剣術家
  •             松平容保 会津9代藩主新撰組支援、会津戦争敗退日光東照宮
  •             西郷頼母 会津家老、頼母の養子—姿三四郎のモデル
  •             近藤勇 新撰組局長、京都守護職、尊王攘夷派弾圧、流山斬首
  •             土方歳三 新撰組副長、箱館蝦夷共和国陸軍、一本木関門銃撃
  •             榎本武揚 オランダ留学、幕府海軍副総裁、蝦夷総裁
  •             ブリュネ、カズヌーブ フランス軍人、榎本軍と戦争
  • 滅びゆく者たちの軌跡
  •             林忠崇 徳川への忠誠心全う、請西(じょうざい)藩(1万石)
  •             小林虎三郎 北越戦争での長岡復興尽力「米百俵」小泉純一郎
  • 時代を動かした人々
  •             緒方洪庵 蘭学塾、医学、福田諭吉、大村益次郎を育成
  •             ジョン万次郎 海で遭難、15歳で米国、通訳、高知で教授
  •             横井小楠 熊本藩士、松平春嶽で幕政改革、開国論
  •             由利公正 福井藩士、横井の下五箇条の御誓文原案
  •             アーネスト・サトウ イギリス公使通訳、
  •             ロッシュ フランス駐日公使、フランス軍政支援
  •             グラバー イギリス商人、薩長への武器調達
  •             ボードイン オランダ軍医、写真を普及
  • 明治維新の元勲
  •             三条実美 太政大臣、
  •             西郷従道 西郷隆盛の弟、海軍大臣
  •             大山巌 薩摩藩士、陸軍大臣
  •             西園寺公望 王政復古で参与、大日本帝国憲法草案
  •             陸奥宗光 海援隊、カミソリ大臣
  •             乃木希典 長府藩士、西南戦争で軍旗奪、明治天皇崩御殉死
  •             東郷平八郎 バルティック艦隊、日露戦争
  • 富岡製糸場
  •             香取素彦 長州藩士、松陰との関係(妹)、熊谷県令
  •             1871年フランス技師ポール・ブリュナを渋沢栄一が招聘
  •             年棒9千円(太政大臣と同じ)
  •             1872年に完成、女工員を求めたが集まらない理由はフランス人技師、教師が赤ワインを「血」だと誤報、製糸工場長の尾高敦忠が娘を雇い疑い解く、500名になる   
  •             1873年にウイーン万国博覧会にて2等に受賞、飛躍した
  • 時代を動かした人々
  •             福沢諭吉 中津藩士、勝海舟と米国で勉強
  •             五代友厚 薩摩藩士、上海・欧州を視察、大阪証券所
  •             岩崎弥太郎 土佐藩士、海援隊支援、三菱商会、三菱財閥
  •             津田梅子 岩倉使節団、米国視察、津田塾創立
  •             新島襄 欧米教育 同志社大学の前身

吉田松陰の生き様

2017-05-28 11:08:25 | 歴史から学ぶ
@吉田松陰。わずか30歳の人生だが多くの門下生を生み出し、松陰の志を持って幕末、明治の志士となり活躍、犠牲になったものも多かった。その30年で松陰の何が人の心(特に若者の心)を動かし、倒幕するまでに至ったのか不思議である。幼い頃からの天才といえばそれだけに人の心を感動させる知識と世の中への思いは日頃のさまざまなジャンルの読書力から、また世間を旅することで知る、見る、聞く、話す等から生まれた先見性があったのだろう。変凡で太平な江戸260年の武士の世から見えたものは何だったんだろうか。 逆に富と権力を持ったものがそれをいつでも、どこでも遮ることができるもの歴史であり、今の世でも同じ繰り返しがある。
お金と政治、民衆(国民)は多数決だけで決められる世界にいよいよ終止符を打つ時代になったと思う。
  • 兵学者であり教師でもあった
  • 1830年萩にて生まれ幼児名虎之助、祖父吉田大輔の仮養子となる
  •             9歳教授見習として明倫館に出仕
  •             10歳明倫館で教授
  •             11歳藩主の前での「武教全書」を講義
  •             13歳叔父文ノ進の後見人となる、松下村塾を創める
  •             15歳藩主の特命で「孫子」を講義、松下村塾を継ぐ
  •             16歳長沼流兵学を学ぶ、19歳独立師範となる
  •             21歳九州、23歳水戸から越前、東北 
  •             25歳下田沖のペリー軍艦への乗り損ね
  •             26歳岩倉獄中、「孟子」を講ずる
  •             27歳自宅で幽閉
  •             29歳から皇城守護策、水野土佐守要撃策、伏見獄舎破壊策
  •             間部老中要撃策にて投獄、東京へ護送
  •             30歳10月27日江戸伝馬町で斬死刑
  • 松陰の旅
  •             1850年から4年で5回の大旅行と2回の小旅行を結構
  • 斬首された原因は周布政之助からの手紙「間部老中要撃策」の事実計画
  • 参勤交代の旅(長州藩)
  •             普通の大人であれば江戸まで25−26日かかったが、34日間を費やし旅をしている
  • 学校創設への夢
  •             国家に役に立つ実在、実脳の人物養成をしようと考えていた
  • 大塩平八郎の塾
  •             幕臣でありながら陽明学者として大阪天満に私塾、洗心洞
  • 江戸時代最大規模の塾
  •             広瀬淡窓の咸宣園の近代化した9級制の評価システム
  • 中国孔子「師が其の範を示さなければならない」
  • 中国孟子「己を修め、身をつくし、言語を容易にせず、実行を持って自ら責任」
  • 松陰の読書
  •             在獄中406日で618冊、毎日平均1.5冊
  •             倫理哲学、歴史伝記、地理紀行、兵学、詩文、時務、医学書
  •             要点を抽出してノートする、抄録を作った
  •             本に棒線を引いたり付箋をつけたりし本が汚れた
  • 幕末末期になると農民でも武士に献金等で苗字、帯刀が許された
  • 高杉晋作は29歳までに4回も脱藩を敢行し暴れん坊
  • 「座右の銘」
  •             「至誠天に通ず」何事であれ、至誠、真心をつくして懸命に努めれば必ず意は相手に通じてもらえる
  •             下田街道から江戸への護送でも全身に縄を掛け、手錠や足枷を施し駕籠に押し込まれていたが、番人に「今我々が何をすべきかを雄弁に語った」
  • 僧 月性が最初の討幕説を唱えた人物
  • 吉田松陰は生涯を通じ一度も毛利家を否定や藩体制の廃棄を言ったりしたことはなく、尊王の志を糾合することを繰り返ししており幕府政権に取って代わる新政権を構想していた。
  • 歴史小説、ドラマの嘘
  •          NHK等のドラマ等(著者の意向)は視聴者を獲得するため面白、おかしくする効果を出すためそれが真実とは限らない
  •          司馬文学などでは大村益次郎のライバル暗殺の張本人とされる大楽源太郎は悪玉にしている、また赤祢武人(松崎門平)高杉の奇兵隊の3代目総長にあったが、二流扱いとなる
  • 世界の教科書(現在)
  •             アメリカやヨーロッパでは、教科書の執筆者が国を相手取って数十年も争う裁判はない、また教科書の検定制度はない。国が有料教科書を指定し、採択に補助金を出す。指導・助言には緩やかな締まりはあるが原則自由発行、自由選択。

織田信長の富国論とは

2017-05-28 10:38:37 | 歴史から学ぶ

@織田信長の生涯。もし信長が本能寺の変で焼き討ちされなかったら日本はどのように変わっていたのか。 信長の「富の基盤」は国を、民を豊かにする点を常に考え、武士、禁裏、内裏等の争いに構わず邁進していたことは幕末、明治を越え近代化していた日本を築いていたかもしれない。「利を追うより、利を生む仕組みを作れば良い」という考えを根本から思考し、実行した、視野の狭い内裏、武士を越えた信長には何が見えていただろうか。 最後に本能寺の変では信長の遺骸は全くなく抜け穴があり逃げた等の噂もあったが果たして信長はどこに消えたのか疑問である。 

  • 織田信長と惟任日向守、明智光秀の本能寺の変までを描く小説
  • 織田信長の展望
  •             国を富ませ、商人から民まで暮らしを豊かにすること、大名同士での争いは富の総量が増えるものではなく、利を生む仕組みを考えること
  •             楽市楽座=全国の品を集め、売りさばく、地方に転売し利ざやで儲けること(民が田を耕し租税としての米を集めるやり方から切り替え)
  •             匠の街を作る=鉄砲鍛冶、刀鍛冶、金工、織物、皮革、漆、蒔絵の職人を集め、良い品を作る
  •             外国貿易=天竺交易を盛んにさせ、物資を集めること
  •             関所の撤廃=全国の物産、物資を集め、地方に流通
  • 信長は日本国と世界を観ており、しきりに琉球や明国、南蛮貿易等に興味を持ち、海外からの珍しい産物をもたらし、堺や博多の商人に活気をもたらした
  • 天下は富のある方に傾く
  •             人は欲を持って生きている、皆金がほしい、金銀、米、富がほしい、信長の合戦は各方面に軍団を送っているだけではなく、軍団を通す街道を普請し、各地の物産を迅速に安全に安土の城下に運ぶためだとする
  • 信長の富の基盤
  •             「利を追うより、利を生む仕組みを作れば良い」
  • 信長の「人と人の結びつきに大切なものは何か」
  •             家康の答えは「信義」と答えたが、信長は「信ずべき相手を用い、疑うべき相手は滅すること、それこそが肝心」
  • 光秀は律儀な男、有職故実にくわしく、茶の湯や連歌にも精通
  • 信長の好みの歌は「敦盛」
  •             平清盛の甥である平敦盛は16の若武者で、須磨の浦合戦に敗北、逃げる時に愛用の笛を忘れ取りに行くが味方の船に乗れず源氏に首を打たれる
  •             「人間50年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を受、滅せぬもののあるべきか」
  • 武田討伐の遠征の帰路に「これまで苦労した甲斐があった」という一言に信長の打擲で光秀は扇子で頭、足蹴りされた(恨みを募らせた一つの原因と言われる)
  • 武士の戦勝祈願の3品=打ち鮑、かち栗、昆布(打ち、勝ち、喜ぶ)
  • 明智光秀の本能寺の変は内裏の帝から「信長死すべし」の勅旨「時は今、天が下しる五月哉」がある、それは禁裏の近衛前久による調略で節刀も勅旨も似せものだった。里村紹紹巴(連歌の師匠)

親日国の思い 196カ国

2017-05-26 09:10:57 | 世界の動きから見えるもの

@歴史的に残る海外の日本のイメージは、日露戦争以降の戦争から地震災害復興にまで及んでいる。多くの国々は日本への感謝の念を持ち、日本に憧れ、日本のような近代復興国になりたいと思っている国が多い。歴史的な一番大事な事は昔の日本人の「情熱、誠実、信念」等人間的な内面を見て、感じている人々だと思う。 今でも日本人は規則を忠実に守り、被災、災害等にもお互いに助け合う心を持ち続けているこの事が海外の多くの人々に感動を与えている。 素晴らしい日本人の気質、次世代にも多くのそんな日本人が創出される国になってもらいたい。

  • 世界196カ国 親日国の紹介
  • 『感謝の念』
  • 台湾=統治国時代の「恩人」80%超親日国、後藤新平(交通インフラと下水道)と八田興一(穀倉地帯の改革)
  • イスラエル=ユダヤの「命の恩人」杉原千畝のビザ発行6千名、樋口季一郎(難民支援)
  • ポーランド=窮地を救われた「恩返し」 日露戦争の勝利、孤児支援
  • イラン=出光「日章丸」石油の購入経済支援
  • パラオ=統治時代の島国、日本語教育、神社
  • フィンランド=独立を後押し、領土問題、東郷平八郎(バルチック艦隊撃破)、新渡戸稲造の領土交渉
  • チリ=地震国の友、モアイの再建、南三陸のモアイ像
  • タジキスタン=平和活動した日本人、秋野政務官の努力
  • 『日本文化に憧れ』
  • フランス=芸術大国 葛飾北斎の浮世絵、パリの「オタク通り」、日本食(ヌベール・キュイジーヌ創作料理)、書道、華道、茶道、アニメ、おりがみ、柔道、空手、合気道
  • ロシア=プーチンの日本武道、ポップカルチャー、民衆の親日派
  • マレーシア=大統領政策「ルックイースト」、伝統文化の継承、アニメ、マハティール首相の政策、観光、通貨危機支援
  • タイ=アユタヤ王朝時代からの振興、日本車産業育成、自然災害支援
  • トンガ=王族とラグビー、スポーツ交流、王族が中尾と結婚
  • ドミニカ=移民、野球(広島カープ)
  • UAE=学校教育、日本教育支援、
  • サウジアラビア=テレビ番組、日本モラル「改善」、アニメサスケ
  • ペルー=「ペルーの恩人」日系人社会、上下水道支援、遺跡発掘
  • アゼルバイジャン=日本語、武道への熱意
  • ポリネシアン=日本人考古学者、篠遠喜彦
  • 『歴史的背景』
  • インドネシア=独立運動を支援
  • インド=独立への支援、インド人判事(東京裁判)
  • キューバ=カストロ人気と親日おしん、命
  • ミャンマー=独立支援、アウンサンスーチー支援、反日教育をしない
  • ベトナム=100年以上の独立支援(ODA)、日本人医師(浅羽左喜太郎)の支援、トンキン義塾
  • パプアニューギニア=日本人への感謝、日本人士官の青空学校
  • モルディブ=水没危機支援、日本の堤防技術
  • マケドニア=震災復興支援、丹下設計の中央駅
  • 『日本を目標』
  • ガーナ=野口英世の恩人(黄熱病の研究)
  • ブータン=日本人農業指導者(西岡京治)
  • ウズベキスタン=日本人拘留で仕事のできに感銘、オペラ劇場建設
  • 『友好国』
  • トルコ=海難事故で友好関係
  • アメリカ=同盟国
  • スペイン=400年前の友好の種が育つ、支倉常長使節団、稲作
  • オランダ=鎖国時代からの友

大人の礼儀、子供の躾

2017-05-24 10:36:42 | 人生を「生かす」には
@花柳界の礼儀からみる大人の作法。 社員の心得「人を使った経験がなく、人に使われた経験も無いままの大人が増えた。 愚痴、文句、短気になり会社を飛び出すものが多いのは我慢を知ら無い、上下関係を理解して無い世代に起こる」とは正に新入社員への心得か。 今の教育も教師の態度一つで親が出て来て文句を言う。それは親がそもそも子供に対しての教育、躾をしていないからだと思う。 将来出来る人になるには「我慢」「辛抱」を経験させ、人に理解される人格を養ってもらいたい。往々にして現代は少子化で一人っ子も多く、親、祖父等が思いっきり「子供の欲望を満たす」ように見受けられるが、家族、親族内だけのことで終わればいいが、子供の欲が他人への「いじめ」に走り心の満足まで広がり始めているのが不安である。
  • 花柳界の礼儀
  • 「お茶屋に上がる」=知らないことは聞けばいい
  •             一見さん=臨時(フリ)の客ではなく紹介してもらうこと
  •             花柳界は大正時代から栄え、招く、招かれる、また招く
  •             普段からの友好関係を築いておく為の場所       
  •             宴会の心得=一席宴を張ることを「あるじもうけ」という
  •             芸者が入ったら一切仕事の話をしてはいけません
  •             金を捨てる気持ちから遊び心を養い、芸を楽しむ
  • 「食通を気取る前に」
  •             お馴染みさんになること
  •             家で食べるものは月並みがいい
  •             男盛は45歳まで
  •             料理屋で料理のネタ、料理方法を聞く、薀蓄を並べない
  •             寿司、てんぷら等は出たらすぐいただく
  •             箸の先を汚さないように(見た目が美しい)
  •             寄席のそば食いを真似ない
  •             食べれないものがあれば前もっと伝えておく
  •             指をつかわない、髪の毛をさわらない
  •             ハンケチは白麻、色物は不潔と判断(ナプキンと同じ)
  • 「伝統文化を大切に」
  •             歌舞伎の良い席(と・ち・り、7・8・9列目)
  •             心づけを忘れず
  •             「躾」礼儀作法、挨拶等で目線を考え人らしく扱う心構え
  • 「大人の男」
  •             礼儀を重んじ長老に人格を認めてもらう
  •             年寄りが若者の真似をする必要はない、が気を使え
  •             年寄りとは「学殖と経歴と禀質」の差
  • 「執着を離れる」
  •             上座と下座の理解(床の間を背にするのは上座)
  •             順次年長の女性(年齢順)
  • 「どんなに知識をふやしたところで」
  •             拝見=何事も評価を忘れず、掛け軸、花瓶、絵画、器等
  •             他人を素直にうまく褒めることは弱い人間にはできない
  •             気弱な人間ほど他人の非を責め嘲笑慢罵する
  •             「通」お通な人=何をやれば喜ぶかを推し測り、過不足がない
  •             「半可通」その逆の人、生半可で非常識な面もある
  •             里村紹巴「いかにものを知り候ても、作意なき人の連歌は節くれたちて聞きよからず候。古の人の申されしも、五尺のあやめに水をかくるが如く、ぬれぬれとさはやかに仕立べきよしに候」
  • (いくら知識があったとしてもしっくりとした己の場を持っていなければ駄目です。頭に詰めるだけ詰めた知識が消化れずに、生悟りの歪みがゴツゴツと目立って態とらしい)
  • 「あなたの居所はどこですか」
  •             場にあった服装をすること、服の値段ではない、気品
  •             社交(時候の挨拶、贈答、見舞い等)が大切
  •             時代とともに社交が消えつつあるが現代に大切な心得
  •             人を使った経験がなく、人に使われた経験も無いままの大人が増えた。 愚痴、文句、短気になり会社を飛び出すものが多いのは我慢を知ら無い、上下関係を理解して無い世代に起こる
  •             「自分は下座で結構です」で周りの理解を得る
  •             身なりを小綺麗にしておく、清潔感あるものを着る
  • 「困りはするが悩まない」
  •             初回の心得「なにもかもお任せします」がいい、信用信頼関係
  •             金を持た無い若いうちこそ男は上等な衣装でなければなら無い
  •             幸田露伴「世にありて財を保ち身を安くせんとするは、おお空にただよへる雲を釘付けにせんとするが如し」(不安がっていくら備えをしてみたところで何かが起こるまではどう手立てをしていいのか分からないものです。)

起業へのこころざし

2017-05-23 14:20:38 | 経営・リーダーシップに必要な事

@起業家。日本の起業化はこれからがスタートとなる。 過去数回投資家の視線が熱くなったことがあったが本物ではなく横並びの投資しかできないノーリスク、ハイリターンと言う投資であった。 米国シリコンバレーのような個々の投資家では専門分野が分かれており、情報、知識、人脈も多く、起業に対しての評価は厳しい。が今までの日本の投資家はリスクもなく「金(少額)を出すが細かい」がいよいよ変化しつつある。それは日本の起業家が欧米に似たメンターを持ち、欧米での投資家も参画するようになったからである。これからの日本経済はあらゆる分野の起業が経済を引っ張らなくてはならない。 銀行等にはお金があるにも関わらず、中小企業とりわけ起業には出し渋る傾向が多々見られたが銀行も欧米化し、欧米等で経験を積んだ投資家が増えたことで期待したい。 日本人の起業家の弱点は製品のプレゼンスが弱く、まだまだ投資家に向けたメンター教育が必要だ。

•「チャンスとは」
−物事をポジティブに捉え、其の面に目を向けられ、あらゆる出来事に可能性が潜んでいるように感じることに努力する 
•チャンスはいくら待っても向こうからはやってこない。自ら掴みに行かないと掴めない
•一休さんのとんち「この鉢植えをまっすぐに見たものには褒美をやろう」 素直に見た目を答えることが「まっすぐに見る」の意味であった
•「チャンス」
–目の前にある仕事はチャンス。逆に目の前にあることにしかチャンスはない。 
–日頃の「準備」がチャンスを呼び込む
•「言葉」コミュニケーション
–「教える」=頭で理解したことを相手の頭に理解してもう事 
–「伝える」=気持ち・意識のこと(価値観や生き方)
•「人間観」を持つ必要性
–人はどういう時に喜んで、どういうときに悲しむのかを知る
•論語 「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」
『松下幸之助』
自分には自分に与えられた道がある、広い時もある、狭いと時もある登りもあれば下りもある 思案に余る時もあろうしかし、心を定め希望を持って歩むならば必ず道は開かれてくる。深い喜びも そこから生まれて来る
『上杉鷹山』
•低成長の改革(経営改革を妨げる3つの壁)
–制度の壁 (規制・規則)
–物理的な壁 (範疇意識)
–意識の壁(心の壁)
•対策
–情報はすべて共有する
–職場での討論を活発にする
–その場の合意を尊重する
–現場を重視する
–城中(藩庁)に愛と信頼の念を回復する
•政策作りの重要点
–何がしたいのか (理念・目的の設定)
–どこまで出来るのか(限界の認識)
–何故できないのか(障害の確認)
–どうすれば出来るのか(可能性の追求)
•其のために出来ることは
–情報の共有化
–討論の勧め(議論を尽くす)
–連絡・報告回路を太く短くする(現場を知る)
–上から、下からを滑らかにする(常に報告)

明治維新「和魂洋才」とは

2017-05-23 13:55:25 | 歴史から学ぶ
@日本近代化の出発点、明治維新。そこで繰り広げられた海外からの優秀な人材の確保と日本人の習得熱意。 様々な優秀な人材を招聘し「武家文化」からの脱却、法治国家と共に近代文明への切り替えた政府筆頭は凄いエネルギーと犠牲が要求されたと感じる。薩長土肥等が中心とは言え多くの文献、技術、文化を学び導入できる能力と実行力は現代人には不可能に近い神業だ。 中心人物は20代、30代前半の志士であることは素晴らしい限りだ。日本魂、そこにあり。政府主要用人でも利権を下に私利私欲で富を築いた者もいるが、その実現の為、暗殺された志士も多いことは悲しい。
外国人が見た「日本人」はどれもすばらしい。「助け合いが当たり前の国」「規則、礼儀を守る国」なのだ。
  • 日本近代化を支えた25人のプロフェッショナルを紹介
  • 幕末から明治にかけて多数来日した外国人はどのように寄与したのか、日本は何を学んだのか。
  • 近代化=富国強兵、文明開化等は「和魂洋裁」の心
  • 明治期で約6千名以上外国人来日(宣教師も含め)は日本の美を発見し世界に広く紹介したことも大きな実績である
  • 1890年までの招聘人数と年収
  •             イギリス人3,848名、843万円
  •             アメリカ人1,326名、328万円
  •             フランス人1,212名、318万円
  •             中国296名、11万円
  •             ドイツ人834名、245万円
  •             オランダ人378名、111万円
  • 大臣の月給@600−800円、参議500円
    • 人数と役割
    •             脇役で明治5年の段階で378名、明治8年で527名、明治全体で述べ3千名
    •             1、欧米の文明、生活様式の近代化(太陽歴、日曜制、西洋簿記、電線、ガス灯)
    •             2、先進国の技術導入で対等な立場になること
    •             3、強い独立心を養うこと「和魂洋才」
    『分野と人材』
  • 「国際法」フルベッキ(オランダ)¥600
  •             自由と平等を謳ったアメリカ憲法がテキストとなった
  •             平民の苗字使用許可、乗馬の許可、帯刀の禁止、廃藩置県
  • 「近代病院」ポンペ(オランダ)
  •             屍体解剖、コレラ、貧しい人に無料で治療
  • 「造船技術」ビェルニー(フランス)
  •             横須賀製鉄所、造船学校、
  •             軍艦(八重山、千島、松島、巌島、畝傍
  • 「ローマ字」ヘボン(アメリカ)
  •             明治学院初代総理、医者・宣教師
  •             ヘボン式ローマ字、和英辞典
  • 「近代陶業」ワグネル(ドイツ)¥200
  •             科学手法による有田焼き改良、陶業学校
  • 「外交」デニソン(アメリカ)¥450
  •             日露交渉を支援、不平等条約改正
  • 「鉄道」モレル(イギリス)
  •             大動脈鉄道建設
  •         明治5年開通新橋—横浜(29.8k)上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘(サラリーマンの給与月給10円)
  • 「理化学」グリフィス(アメリカ)
  •             理科の実験教室、福井藩学校(明新館)で教える
  • 「博物学」ヒルゲンドルフ(ドイツ)
  •             動植物鉱物、
  • 「土木学」ダイアー(スコットランド)
  •             工業技術
  • 「諸君は文学や哲学や芸術など専門職に直接役たたない諸科学について全く門外漢であったならば、ほとんどの専門職員につきまとう狭量、偏見、強情から流れることは不可能だろう」
  • 「近代法」ボアソナード(フランス)
  •             法曹界の団十郎
  •             陪審制導入を考えていた
  • 「印刷」キョッソーネ(イタリア)
  •             紙幣・切手をデザイン、印刷文化に貢献、透かしの技術
  •             最初の紙幣の肖像画は「神功皇后札」明治14年
  • 「近代医学」ベルツ(ドイツ)
  •             医学の基礎
  • 「植物学」クラーク(アメリカ)
  •             北海道開拓の指導、開拓新旺盛な北米人を選んだ、78名招聘
  •             4つ教室の授業、野外の授業、軍事教練、聖書
  • 「日本洋画」フォンタネージ(イタリア)¥277
  •             近代日本洋画の基礎、「まず褒めることから始めよ」
  • 「西洋彫刻」ラグーザ(イタリア)
  •             日本人の気質(フグの販売)、財布の届け物
  • 「建築」コンドル(イギリス)
  •             鹿鳴館、旧ニコライ堂、赤レンガ三菱1号館、日本銀行、東京駅、国会議事堂
  • 「生物学」モース(アメリカ)¥350
  •             大森貝塚の発見、進化論議論
  • 「美術」フェノロサ(アメリカ)
  •             ドイツ哲学、日本美術の基礎
  • 「地質学」ミルン(イギリス)
  •             鉱山学・地質学、日本地震学会の創設
  • 「陸軍兵制」メッケル(ドイツ)
  •             フランスからドイツ制導入、日本陸軍兵制の基礎
  • 「行政法」モッセ(ドイツ)
  •             地方自治制度
  • 「衛生学」バルトン(イギリス)           
  •             上下水道工事のリード
  • 「英文学」ハーン(ギリシャ)
  •             小泉八雲、教師
  • 「哲学」ケーベル(ドイツ)
  •             音楽・美学・哲学
  • 『日本人に対する評価』
    • 3.11「東日本大震災」では日本人の行動は世界を驚かせた(自分のことを置いて他人を助ける)江戸時代から社会のルールを守り、助け合うことは日常生活では当たり前
    • 英文学教師ハーン(小泉八雲)
    •             「日本人の性格にある大変な魅力は、庶民の無限の善意や本能的な礼節であり、その中に批判や嘲笑や皮肉や冷やかしがないことを経験上知っている人々にはこのことが良く判るのである。」
    • 日本人は「礼儀正しさと助け合いの心、無限の善意、信頼の絆」
    • 「日本人は正直であることの最も良い実証は、3千万人の国民の住む家に鍵をかけるべき戸すらない」
    • 「これほど熱心に勉強しようとする、いい子供を教えるのは実に愉快だ。 彼らの注意、礼儀、態度は全く霊感的である」

ダボス会議がもたらす情報

2017-05-23 13:00:38 | 最新技術(IT)で変わる事

@未来を語る、伝えるで一番難しいことは現実味を帯びていない(デザインベビー等)予測技術の提供と予測不可能なネットテロ、身代金等を含むセキュリティー投資。 新たな技術で生活インフラが便利になるのは良いが、監視問題(監視カメラの個人情報)、雇用問題(多様化でも短期化、3K人材不足)、超老齢化問題(バイオ臓器、病気予防、製薬)が今後どうなるのか気になる。

技術進化は数倍の速度で進むと言われるが、人間とロボット、ロボットとAI、データとセキュリティー等様々なコネクティビティー接続から派生する矛盾と法規制がどのような暮らしを醸し出すのか注目したい。 その先には人間のわがままだけが残るような気もする。

  • ダボス会議が予測する未来
  • 「第4次産業革命とは何か」
  •             第一次産業革命=1760〜1840蒸気機関と鉄道建設
  •             第二次産業革命=19世紀〜20世紀初頭電機と流れ作業
  •             第三次産業革命=1960〜1990半導体、コンピューター
  •                         デジタル革命=1990インターネット
  •             第四次産業革命=モバイル、センサー、AI、機械学習
  •       インダストリー4.0=スマートファクトリー
  •             遺伝子解析、ナノテク、再生エネルギー、量子コンピューター
  •             電気を利用できない人口=世界の17%、約13億人
  •             インダストリーにアクセスできない人=約40億人
  •             デジタル事業の限界費用がゼロに近い事
  •             PC処理能力は30年前の5000台分、情報保存コストゼロ
  •             不平等=イノベーター、資本家、株主VS労働者
  • 「革命の推進力とメガトレンド」
  •             ①自動運転車=ドローン、センサー内蔵飛行機、船
  •             ②3Dプリンタ=医療用インプラント、回路基盤、衣料、靴等
  •             ③先進ロボット=精密農業、看護、家事
  •             ④新素材=軽く、強く、再生可能、適応力、安価、自己修復力
  •                         髪の毛の100万分の1細くて強いグラフェン等
  •             車両を持たない配送会社=ウーバー
  •             コンテンツを持たないメディア=ファイスブック
  •             在庫を持たない小売=アリババ
  •             宿泊施設を持たない=エアービーアンドビー
  •             個人あるいは組織の資産・サービスを共有、低価格で提供する
  •             遺伝子解析=コストは劇的に低下、将来の疾病に貢献可能
  •             2025年までに予測できるティッピングポイント表
  •             合成生物=DNAの書き換え、農産物、バイオ燃料、臓器
  • 「社会、個人への影響」
  •             高齢化=人口72億人が2030年には80億人
  •             課題=定年の引き上げ、若年成人の減少、製品購買力の減退、貯蓄率と投資率の減少よって成長率の鈍化
  •             「長寿」=今の世代は4分の1以上が100歳まで生きる
  •             「労働生産性」=米国1947年〜1983年年率2.8%が、2007年から2014年1.3%
  •             実質金利=5年でほぼゼロに近い金利、米国大手50社は1兆ドル以上の現金資産を保有
  •             「現実楽観者」
  •                         ①利用者20億人以上からそれ以外への相互利用
  •                         ②気候変動による新技術利用
  •                         ③企業、政府、市民への組織的構造改革
  •             「雇用」=自動化・代替変化による失業、新たなビジネス創出
  •                         米国農業従事者=19世紀90%が現在は2%未満
  •                         1980年新産業での再就職・労働従事8%
  •                         1990年には4.5%
  •                         オックスフォード大学調査702の職種の中今後20年以内に47%が消滅すると予測、二極化(高収入の創造的職業と低収入の単純労働、中間所得の機械的・反復的職業は大幅減)
  •                         「労働変化」=アウトソーシング、オフシェアリング、デジタルワーク(クラウドマーケットプレイス=アマゾンメカニカルターク(Mターク)などのサービス
  •                         これからの労働者はインテリジェントな機会を使った作業への適応力と教育モデルを開発する必要がある
  •             将来の職業はより「認知能力」「システム関連技能」「複雑な問題の解決能力」「コンテンツスキル」「プロセススキル」「社会的スキル」「資源管理スキル」「技術的スキル」「身体的スキル」を求められる
  •         「男女=女性」(パートタイム、単純労働等)の職業はより厳しくなり、設計、製造、作業スキルを求められる したがって、心理学者、セラピスト、コーチ、イベントプランナー、看護師、医療従事者が有望
  •             「ヒューマンクラウド」=利用メリットは最低賃金、雇用税、社会保険支払い義務からの免除等あるが最大の目的は「企業は欲しい人材を欲しい時に、欲しい形で採用できる、そして雇用手続きや雇用の法規制に従うことも必要ない」(新たな社会契約と雇用契約の再考)
  •             「企業の寿命」=平均60年から18年へと激変、逆に売上達成期間は極端に短縮しておりファイスブックは6年で10億ドル企業に、またグーグルも5年で達成した
  •             ①顧客の期待が変化=経験値データから製品化、発注、納期等をスマートホンで「今すぐ」できるオンデマンド環境に変化(アリババの「独身の日」1日で140億ドル、うちモバイル経由68%
  •             ②データにより改善された製品=ソフトウエアーセンサー等、資産運用予測機能サービス、トラックの走行距離、タイヤの距離販売
  •             ③協調的イノベーション=大学と企業の機会学習データ分析
  •             ④新たな経営モデル=プラットフォーム中心企業、製品とサービスの融合 2013年時価総額トップ30銘柄の14企業、サーバーセキュリティーへの投資(2015年約750億ドルが2020年には1700億ドル市場)
  • 「環境の再生と保護」
  •             「IOTの市場」=今後10年間で14兆4千億ドル市場、うちサプライチェーンと物流で2兆7千億ドル
  •             情報の民主化と透明性 モイセス・ナイム氏
  •             「21世紀とは権力を獲得するに易し、使うに難く、失うは容易な時代」
  •             政府の決定の多さや速さではなく、より回復力のある枠組みを生み出せる規制と法整備、エコシステム 「明示的に禁止されていなければ、すべて許可する、明示的に許可されていなければすべて禁止する」とするアプローチが必要
  • 「ガバナンスの原則」
  •             求人市場=非常に柔軟性が高く、本質的に短期雇用、税金の有無課題(追跡不可能な状態になる)
  •             独自規制=国ごとの規制で優位性を保つ、特許税などの課金を優遇する、逆に海外からの締め出しの危険性も含む
  •             変わりゆく闘争の性質=サイバーテロ等の脅威、特に生活インフラへの影響(エネルギー源、配電網、医療、交通管制、上下水道)
  •             グローバルウエルネスレポート2015年=世界全体の資産の半分は世界人口の1%の富裕層が占め、世界人口の半分以下のしさんを合計しても世界全体の1%未満である
  •             不平等社会=暴力が悪化し、受刑者が増え、精神疾患や肥満が増加、平均寿命は短くなり、信頼の低下につながっている
  •             平等社会=子供の健康水準が向上し、ストレスや薬物使用が少なくなり、乳児死亡率が低下している。
  • 「より良い社会とは」
  •             病気と無縁になること? 長生きすること? 今より賢くなること? 早く走れること? 外見がよくなること?
  •             人と人のつながり=ネットでは相手の話を聞いたり、アイコンタクトをしたり、ボディーランゲージを理解することに苦労する、また人の注意力を分割させ、記憶力を弱体化させ、緊張と不安をもたらす心を散漫にさせる。
  • 『今後の展望』
  •             現状把握の知性(精神)=知識を理解し、応用する能力
  •             感情的知性(心)=思考や感情を処理し、統合する能力
  •             啓示的知性(魂)=共通の目的意識、信頼感等の美徳を活用

武将の戦略

2017-05-23 12:41:11 | 歴史から学ぶ

@歴史から学ぶ 著者津本陽

織田信長の「経済収益構造対策」は凄い。「楽市楽座」では、今でいう自由貿易・商売、自由アクセス(関所を廃止し、地方豪商も自由に商売できる環境を整えた。信長財政はさまざまな商品が地方から集まる、それを買い、地方に売りさばくことで利益を得る)武田・上杉等の戦利品・略奪からそれを許さず、信長財政から家臣をサラリーマン化(賃金を支払う新たなシステム構築)させた。また最先端の技術を導入して(国産の鉄砲)強豪を大きく差別化(勝利に導びく)した。 他の戦国武将との違いは「目の付け所が違う」ということになるだろうか。 現在でも新たな挑戦、起業に必須な要因ですね。

信長の最後、本能寺での変で全く遺骨等がなかったというのは真実だろうか。 外国に憧れた信長は海外へ逃れたのか? 不思議な歴史を知ることは面白い。

  • 「下天は夢か」剣豪小説
  • 『織田信長』
  • 前例のない戦略と人材登用
  •             地下人(百姓、町人、野武士、浮浪者、泥棒)を雇う
  •             蜂須賀小六(木曽川一帯流域の跳梁をしていた野伏)
  •             楽市楽座で市場を解放、関所を撤廃し出入り自由
  •             (当時は関所で関銭を取っていたがそれを廃止、淀川の河口から40kには670箇所、桑名から鈴鹿に65箇所もの関所があった)
  •             信長は武士をサラリーマン化させ賃金を払った。資金は楽市楽座からの分配金。(信玄や謙信の戦闘は家来の焼き討ち、強奪することを黙認していたが、信長はさせなかった)
  •             「惣」(百姓の組織)からの信頼を得た(情報、諜報をいち早く聴き込むことが可能)
  • 祖父(信定)と父(信秀)から受け継いだもの
  •             武将との商人との縁結び(津島の豪商での資金)
  •             斎藤道三、今川義元との合戦では決して国境に入れなかった
  • 鉄砲の購入
  •             信長は3−4百丁を購入(足軽8人を雇える費用)
  •             三段撃ち(謙信との長篠設楽が原の激戦)
  • 女性観
  •             信秀には26人の子供、信長にも26人の子供がいた
  •             信長の側室8〜10名、秀吉は16人、柴田勝家12人
  • 『豊臣秀吉』
  • 信長の後継者「秀吉」
  •             働きが俊敏で、機転が効く男、優しさと愛嬌
  •             小金を貯めて仲間を助け、信頼を得た(博打、病気等)
  •             水攻め、兵糧攻め(従来の攻め方と違う)
  •             電光石火の早業    
  •                         山崎の合戦:80kを1日半で走破
  •                                     (走破の為約80億円出費した)
  •                         賤ヶ岳の合戦:54kを5時間で走る
  •             竹中半兵衛を秀吉につけ、戦略を強化
  • 秀吉は62歳で全うするが天下をとった後、武士の気概をなくし、栄耀栄華に溺れる(大阪城、聚楽亭、伏見城、方広寺大仏殿)
  • 秀吉の終盤は、石田三成による中央集権体制固め
  •             北条氏政に切腹、息子を高野山に追い払う
  •             伊達100万石、蒲生氏郷会津92万石への締め付け
  •             千利休の切腹
  • 統制強化策組織が巨大化すると動きが鈍くなり、ガタガタになった時に初めてメスが入るようになった
  • 松下幸之助の成功論:95%は運、5%が実力
  • 『徳川家康』
  • 松平家は1番にはならず2番(2番手思考)をキープしていくことが重要で、機をみて1番を狙うという家法
  • 家康は我慢強く、粘り強く、用心深い(人質が長かった故)
  • 関ヶ原の戦いでは東軍は勝利が見えなかった
  •             大垣城籠城回避 城攻めではなく城からの関ヶ原へ
  •             和睦と調略噂(手紙等180通)を流し混乱させる戦術
  •             西軍の戦力が分断され関ヶ原に参戦できなかった(大津城、田辺城攻撃等)
  •             西軍石田三成、毛利輝元等、2代目3代目の若手は度胸と判断力がなく経験不足で貧弱だった
  •             家康の蝶者は黒田長政、福島正則等相当な数を西軍に送った
  • 夏・冬の陣では家康の和睦交渉により堀を埋め、さらに7年後には秀頼に継承する旨の話をしているが、策略で全てを奪った。 約2万人を殺戮し、大阪城を焼内、秀頼と淀君は自害
  • 伏見城からの金銀を馬400頭で運び出す
  • 大阪城の金銀を全国の寺の修復、京都方広寺大仏の修善、湯水のごとく使うように仕向けた(約金6千キロ)
  • 方広寺の梵鐘に関して国家安康を非難した
  • 『徳川幕府』
  •             家康の所領は250万から4百万石
  •             秀頼(身長197cm)は2百万石から65万7千4百石
  •             豊臣家臣を処分せず活かせた(再発防止)
  • 家康駿府に隠居、放鷹を楽しむ
  •             地方へ出向き地方の悪政を審判した
  •             夏の陣の1年後75歳で終焉
  • 応仁の乱 細川勝元と山名宗全との戦い(勘合貿易の利権争い)
  • 『北条早雲』の関東3百万石領有
  • 『武田信玄』甲斐の守護職、鎌倉幕府の北条政権の地方長官、2万5千人で1万頭の馬騎馬軍団(兵隊2人に対して馬1頭)治山治水整備、資金は金山、農繁期は戦闘をしない、温泉治療、漢方薬を駆使(止血止め:紅絹を黒焼きにする)脳溢血には釜戸の内側に付いた焼土(黄土)を飲む、53歳没
  • 『上杉謙信』越後の守護代百万石、毘沙門天、戦闘にはいつも先人、真言での戒律で飲酒戒と殺生戒は守らず、女性も寄せ付けない性格、資金は金山、2度の上洛でも天下の野心持たず、百回以上の戦場に出ても負傷すらなかった、死因は脳溢血で49歳終焉
  • 『鉄砲の信長と信玄、謙信の相違』
  •             1570年信長が大阪石山本願寺攻めで紀州の雑賀鉄砲衆に敗北で経験
  •             鉄砲の射程距離は100メートル、連打するまでに24秒かかり、馬は12秒よって3段構えの鉄砲隊を編成し、長篠の戦いで活用
  •             雑賀鉄砲衆(浄土真宗派)、根来鉄砲衆(真言宗派)の「惣」を利用して戦国を圧倒させた
  • 調略(信長陣営で裏切りがある)と勝頼を攻略する(設楽原におびき寄せることに成功)
  • 岐阜配下にいた武田忍者に金を渡し、寝返りさせた
  • 長篠・設楽原の戦いは午前6時に始まり午後2時に終わる
  •             織田軍は3500挺の鉄砲と総勢3万人(1万の鉄砲足軽隊戦)
  •             武田騎馬軍団は1万5千
  •             死者は織田・徳川で6700人、武田で7千人〜1万という。武田は総崩れとなり甲府に帰還できたものは1200人程度だった
  •             関ヶ原の戦いは総勢15万人、死者は西軍が8千人、東軍が4千人とある。
  • 織田軍の鉄砲3500挺は全て国産品
  • 『幕末』
  • 幕府は江戸・横浜での外国貿易で大儲けをした(関税で5百万ドル)日本の金貨、銅貨は中国では4倍で売れた、幕府は当時攘夷と口にしながら裏商売をやっていた。
  • 薩摩(五代才助)は蒸気船を何十隻も購入、その操作は坂本龍馬の亀山社中の仲間が操縦
  • いろは事件(紀州の軍艦明光丸と衝突)賠償請求を坂本龍馬が仕掛け船4万4千両、積荷銃4百挺で8千両、米と南京砂糖で合計8万両
  • 紀州藩から土佐藩に7万両支払う、その内4万4千両が坂本龍馬の大州藩に入る予定がその前に暗殺される
  • 暗殺したのは京都見廻り役佐々木只三郎他6名とあるが後ろには後藤象二郎、岩崎弥太郎がいたとされる
  • 江戸無血開城ができたのは山岡鉄舟と西郷(勝海舟が山岡指名した)
  • 西郷隆盛は「天道思想」家で、天の下に天皇が、その下に士農工商、天に反対したらそれを打ち、悪いことをした人間は天使であっても許さないという思想の持ち主だった
  • 戦国時代の武士道は武勇と兼恥を根幹に据えていた、戦場で武勇を表し、人に恥ずかしいことをしないというもの、また西郷は政治に私利私欲を挟んではならないとし、権力を握った者が懐を肥やすことを非常に嫌っていた。「児孫のために美田を買わず」「後世に恥辱を残さざる様に覚悟肝要にこれあるべく候なり」
  • 戦前は税金を取られていた人は全国で1割しかいなかった、また源泉徴収も戦前にはなく、1940年に戦争に勝つための資金として利用

ネット起業

2017-05-08 15:15:44 | 世界の動きから見えるもの

@ネット社会は今後どの方向に成長していくのだろうか。 見えているのは人間の「嫌がる分野」(仕事、製品、サービス等)をより便利なものにしていくことでしょう。 特にネット販売では即注文、即納品などどこでもいつでも良いものが受けられるようになっています。弊害も増えており『なりすまし』も多く詐欺にあっている人も増えています。

小資本で、また短時間でできるのもメリットですがその分差別化が難しくなり「こだわり」をもった特徴の製品・サービスが少なく、これからは独創的な発想力・創造力が必要ですね。

『出し抜く力』(セス・ゴーディン氏)の著書

少々当たり前のことばかりで内容に満足できませんでしたが・・・

  • 『先がわかる人は何を見ているのか』
  •             「行動しなければ意味がない」準備を行動に移すこと
  •             「決断」と「行動」は早い方がいい
  •             与えられた(やらされ仕事)仕事をきちんとこなすことで「仕事をした」「忙しい」で済ましているサラリーマンの現状
  • 『仕事への取り組み方を考える』
  •             次は何をすべきか、そのためには今何をどうすべきか
  •             仕事の無駄を減らす(日本の仕事効率は先進国で最低)
  •             何の為に仕事をしているのか、どれだけ役に立っているのか
  •             「人はサプライズを期待している」
  •             「仕事に何か1つこだわりを作る」
    • 『事業を始めたい人』
    •             誰を喜ばせたいのか
    •             どうしてそれが必要なのか
    •             それがどのように影響するのか
    •             どれだけ成長が望めるのか
    •             どれくらいの時間が必要なのか
    •             現状維持では不満足であれば何が必要なのか
    •             数値で決めるより価値で決める、評価は自分自身
    •             時間を守る、相手の時間も大切にする
    • 『起業の心得』
    •             相乗効果を狙う(共有できる市場・製品・企業を狙う)
    •             対象を絞り込む
    •             競争に打ち勝つ
    •             心のこもった対応する(夢がある)
    •             共感を作り出す(不安・希望・愛着)
    • 『ネットで優位に立つ』
    •      検索で見つかるような工夫
    •             価値のある内容「期待感」
    •             専門性にこだわる
    •             ブームを追わない

SNS(Line)ハックング体験

2017-05-08 14:51:18 | 日記

@ハッキングはだれでもありうる。 先日Lineのハッキングで完全に乗っ取られた(なりすまし事故)。経緯は、まずお世話になった先輩からのLineメッセージが届く『先日携帯を水の中に落としてしまった。なので携帯番号の確認をお願いします。』でメッセージには本人(既になりすましハッカー)のID写真があるので「〜さんですか」と問い合わせを入れて電話番号を入力、その返信が『携帯の認証番号4桁があるのでそれを送付してください』と即返事がくる。 Lineのサーバーから4桁の番号がSMSに送付される。それをなりすましのメールに入れると「乗っ取り」が完了する。

なりすましが私に代わりこんなメールを私のデータリストから配信『今忙しい!』と送られるので、ついつい返事をするとなりすましから『コンビニでビットキャッシュ購入お願いします』とお願いのメールが届く、それに対応してビットキャシュを返信するとそのままネット詐欺にはまる。

大事なことは

1、SNSで送られてくるメールを本人と確認すること(本人分からないことを入れてみる) なりすましメールは写真IDでくるので本人だと勘違いしやすい

2、それなりの返事がきたら、もう一度関係のない質問をすることか、電話くださいと言う。(たぶんこれで気がつき止める)

3、『ビットキャシュ・・・・』なる(ネットで現金が送付できる仕組み)メールがきたら本人にまず電話するのが一番。

以上。 SNS仲間、特にご無沙汰しているような状態の仲間、でのなりすましは要注意、ちょっと変だなと思ったメール文章を十分確信しましょう。

 


利休の切腹

2017-05-07 11:56:01 | 歴史から学ぶ

@茶人千利休(宗易)。 信長に認められ、その後秀吉が弟子になるが、最後は弟子の秀吉から「茶の道」の考え方の違いで切腹を命ぜられた悲劇の茶人である。 「茶道」をとことん追求すること(形に入れ込み・規則諸利休秘伝書)が返って自分を、秀吉の考えと食い違いを作って行き、さまざまな事件、変化で秀吉を激怒させることになった。

秀吉の師匠に対しての姿勢、心境が大きく変化している。足軽時代から天下取りへと上下関係が逆転した時、人の弱さが見える。(人間不信)

人の上に就く人に多くみられるが自分自身で真相を探らない、探ろうともせず、部下に任せ、その情報をそのまま鵜呑みに判断する。。。「敵を知り、自己を知る」、「現場を知り、社員を知る」は上司、経営者にとって情報の基盤(経営判断)である。

  • 秀吉の姿勢「学は真似ることから始まる」
  • 宗易の茶「たかが茶道、されど茶道」遊び
  • 『黄金の茶室を作った理由』
  •             この黄金の持つ永遠の輝きの素晴らしさを是非とも帝に知っていただき、暗く奥深い宮中に侘しくお住まいになる御心を案じて差し上げたいと思った  黄金の茶室「侍庵」とは3畳ほどの移動、組み立て式茶室。茶室で100kの金を使用         、茶器で50kを使用した
  • 『なぜ利休は切腹を命じられたのか』
  •             究極は茶道に対する秀吉との考え方の違い
  •             秀吉の「つくね壺」の陰謀を弟子の宗二が暴露、その後斬首
  •             利休の毛利、徳川、伊達等との密談(閉塞中)
  •             大徳寺木造事件(利休の像が上に祀られていた)
  •  
    • 本能寺の変 天正10年6月2日
    •             明智軍1万3千人、本能寺50−60名のみの小姓と侍女のみ
    •             信長と家臣(黒人弥助)遺体、それと遺品が見当たらない
    •             本能寺は2年がかりで改築したばかり
    •             南蛮寺はキリシタンの寺で200mほど離れているだけ
    • 秀吉の石田三成への命令「狩野派の屏風画「洛中洛外図」を丹念に見て参れ」(目的も予備知識も一切与えない命令)。先入観なしで余の心を計り知れ考えよ。石田は屏風画の画匠狩野永徳、茶道教授の織部に同行してもらい観察した。石田の報告は「民百姓の屈託のない喫茶風景でございます」「茶の商人、民衆が茶を買い談笑し、空を見上げ茶を嗜んでおりました。くったくのない喫茶画でございます」(これは宗易に茶の楽しみを知らせるべく観察させた、規則だけ縛るのは本来の茶の楽しみを壊していると言いたかった。
    • 「利休」の改名とは、当時「利」という字を雅号として避けた、また「休」は名声欲とか利財欲を超越し、これに拘泥しない境涯を意味する、いわゆる反省を込めた自戒であった。それを宗易は素直に認めたが、花押、茶会、宗易会の名称は「易」をそのままに残した。
    • 天正15年正月大坂城内での茶会で「つくも茄子」壺を見て驚嘆。この壺は信長の遺品の一つで本能寺の変後、信長、蘭丸等すべての遺体とこの壺もろともが消えた理由が解明できなかった。その後弟子の宗二が北条方に身を隠していたことで惨殺した。理由は宗二の探究心から「本能寺の変」無くなった壺を探した理由を述べたともいわれ、秀吉の陰謀を隠蔽するための惨殺だと言われる。
    • 利休の茶とは「茶室の形」を重要視しており、そのために諸規則を厳守するようにした。それは秀吉が最初の平民宰相だから。(利休秘伝書)
    •             政道としての茶の湯=それは民衆に見せるもの
    •             悟りの場としての茶の湯=それは「無」「静寂」の空間創造