@「日本の開眼」に期待。 最近の日本、特に大手の不祥事「手抜き」「規格不正」事故事件は日本のものつくりの根幹(信頼)を揺るがす重大事だ。慣れが充満した結果の事故事件だが、それは諸外国からの脅威がないからなのか。というより既得権等の「利権」で守られた日本企業の「時代遅れ」が目立って来ている。 これから数年で「自動車産業の腐敗」、「流通業界のキャシュレス停滞」が読める。まず自動車産業は、電気自動車で日本は主導権が取れない。それは自動車産業に携わる既存の部品・エンジン周りの機器企業を国が主導権を持って潰せないこと。多分10年以内に日本は中国・インドから電気自動車の輸入国となるだろう。流通業界ではキャシュレス(電子マネー・デジタル文書)でも日本は優位に立てる国策がない。マイナンバーは利用者目線ではなく管理者(官庁)の改革で利用者が増えなく利便性がほとんどない。行政の横・縦割り(利権)の改革・破壊がなければさまざまな利用者目線の総合的な電子化はできそうにない。数年で中国、インドその他諸国からも遅れを感じる国となるだろう。「変化は行動」(討論・議論ばかりの日本は他国からの威圧がなければ革新への進歩が見えなくなっている。昔の「鎖国維持か開国」時代と同じだ。
- 日本開国
- 備後福島城主、老中阿部正弘「ひょうたんなまず」(さっぱり要領を得ない、のたりくたりの時間稼ぎ戦略で日米通商を曖昧のまま遅らせた)攘夷派であった阿部は最後に開国派に動いた理由は、他国との軍備力の差であった。
- 通事役の香山栄佐衛門の存在は米国側に人気で態度、作法熟知
- ペリーの砲艦外交は日本を大きく動かした(堀田正睦・井伊直弼)
- 砲艦ポーツマスが下田に入港、幕府を脅す
- 阿部は海防掛に岩瀬忠震(儒学者林述斎の孫)を採用し目付・監査役で海防に関する政治・行政の補佐役で条約の締結、また品川に砲台を築き、軍艦の建造、造船所も作った(軍艦・鳳凰丸)。さらに財源の確保も力を発揮、主要港湾での取引高の2%を税収とした。(富国強兵の基礎を作る)
- ハリス(初代通商代表)の日記
- 日本人は清潔な国民である、だれでも毎日沐浴、老若男女とも同じ浴室で入浴する。
- 外出時には必ず刀身すること(見知らぬ者が斬りかかる可能性)
- 日本人は模倣上手(榴弾砲、火薬入れ、薬包)
- ハッタリも多い(模倣の大砲を数多く作ったなど)
- ハリスの将軍謁見では品川から宿舎(九段)まで人出が18万5千人を超えた、殿中には3〜400名の高官が列座し、5人の閣老、左手には将軍の3人の兄弟が平伏していた。将軍は約60cm高い床に椅子に腰掛け、天井からのすだれがあり思い房が下がっていた。ハリスの見た将軍は「貧相貧弱」であった。
- 攘夷に萌える朝廷
- 孝明天皇、公家衆は通商に反対し「アメリカは神州をおびやかす墨夷だ」とした。後年徳川慶喜は孝明天皇のことを「外国の事情や何か一向にご存じない」と言った。
- 井伊直弼は阿部正弘と正反対であり「八方美人、大器にあらず」とまで評価した。井伊直弼は電光石火の勢いで抜刀し、切りつける姿勢だった。(水戸の徳川斉昭が不快で次期将軍家茂を立てた)。そして即座に将軍継子の発表を延期、通商条約に調印した。
- 徳川斉昭は子沢山で39人(男22、女17)正室、側室含む10人
- 11代将軍家斉は21人の妾で55人の子供を得た
- 井伊直弼の決断(水戸藩への圧力)
- 斉昭には駒込屋敷に謹慎、書信往復禁止
- 徳川慶恕には隠居、謹慎
- 徳川慶喜には当分登城停止
- 徳川慶永には謹慎、書信往復禁止
- 水戸藩(徳川斉昭の反発)
- 薩摩島津斉彬ら組、朝廷へ井伊直弼罷免提言
- 水戸藩、薩摩藩の志士たちがテロを計画
- 井伊直弼は長野主膳を起用、京都在住の水戸藩武士等の拿捕
- 斉昭との衝突から井伊直弼は安政の大獄へと展開、多くを処刑
- 幕府内部崩壊、水戸藩壊滅へと動き始めた
- 国賊となった吉田松陰
- 老中間部を襲撃する手立てを企てたと判断、処刑した
- 桜田門外の変にて水戸藩武士18人にて井伊直弼は殺害
- 供周りは約60人いたが刀に柄袋、薩摩藩より1人参画
- 暗殺罪人8人、4人自刃、1人討死、5人逃走
- 井伊直弼の評価・判断
- 積極的に開国を果断世界に乗り出した
- 朝廷の意向無視、独断先攻で反対派を断罪、国賊とした
- 勝海舟の評価「あの男は立派だった」初の米国派遣推進
- 逆流し始めた日本(井伊直弼から久世・安藤政権となる)
- 開国から鎖国へもどる尊皇攘夷運動
- 島津斉彬後の久光藩主の公武合体運動、生麦事件で攘夷
- 松平容保の京都守護、高杉晋作らの長州武士の討幕・反乱
- 薩摩藩の攘夷で欧米列強が発砲、攘夷から開国へと変わる
- 斉彬等が築いた火薬、機械、ガラス、紡績等の工場損失
- 薩長藩はイギリスと和議し富国強兵への足がかりを得た
- 福沢諭吉「上方勤王家は人殺しも、放火もしている、これこそ国を滅ぼす奴らだ」(その後の岩倉具視等への威圧を読む)
- イギリスとフランスの代理戦争
- 長州征伐は両国の代理戦争薩摩とイギリス、幕府とフランス
- 薩摩はイギリスからの武器、教官を派遣、幕府=フランス
- 1865年孝明天皇は一旦四国連合艦隊の兵庫沖来航で開港を勅許
- 慶喜はフランスと造船、鉄鋼業の建設等基幹産業を創設
- フランスは6百万ドル提供し軍艦、横須賀製鉄所を建設
- 軍改革も常備軍を配置、薩長の勢力を削減させた
- 薩摩藩家老小松帯刀を採用、主な産業を起こさせた
- フランス外相が変わり後ろ盾がなくなったことで転換する
- 転換する事件
- 孝明天皇の不可解な死=砒素中毒(毒殺説=岩倉具視)
- 宮内クーデターで次期天皇祐宮は16歳で岩倉が操作
- 岩倉による幕府討伐=幕府朝敵とする勅命を捻出
- 岩倉・西郷・大久保による独壇場で幕府崩壊を企てた
- 慶喜を長とする密確約をし大政奉還させ、慶喜を失脚させる
- 討幕の密勅(朝敵)を薩摩藩に会津藩等と戦争する企てをする
- 西郷・大久保・岩倉は天皇の錦旗を用意、慶喜を追い込んだ
- 明治政府の仕組み
- 明治維新後、三島天皇と呼ばれた薩摩出身の三島通庸
- ワッパ騒動となる農民を徹底的に弾圧、重税をかけた
- やりたい放題の県令となり民衆を苦しめた(最後警視総監に)
- 井上馨の「搾れるだけ搾る」民衆への増税も顰蹙を浴びた
- 原敬の政治
- 盛岡藩の上級武士の子で農商務省をへて大阪毎日新聞社長、その後政治家、1918年第19代総理大臣となった
- 政党政治を確立し民主化を促進、教育の向上、鉄道網の整備、地方の振興、選挙資格の拡大など務め評価も高い
- 座右の銘は「宝積」(ほうじゃく)
- 人に尽くして見返りを求めないという意味
- 日本の歴史で革命者
- 井伊直弼:開国・日米通商条約
- 高杉晋作・久坂玄瑞:尊皇攘夷・公武合体・討幕
- 西郷隆盛・大久保利通:明治維新推進
- 篤姫=天璋院:徳川を守る為の抗議を政府に働きかけた
- 徳川慶喜:大政奉還・戦争を避け最後まで尊皇を貫く
- 「井伊直弼、徳川慶喜は歴史には両者とも改革者としての役割を得ていないようにあるが、最近の資料では偉大な決断と行動は将来の日本への大きな奇跡を生み出したと言う」
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