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思想で変わる世界

2017-12-02 08:35:11 | 歴史から学ぶ

@戦争の発端は長年くすぶり続ける思想問題がどこかにはけ口を見つけ出そうともがく時に火がつき燃え上がる。後は火山爆発のように一気に拡大、多くの民衆犠牲の後、首謀者の敗戦で戦争が終結する。偏った政治(軍事)思想ほど恐ろしいことはない。 さて日本の近代化は敗戦後、世界をあっと言わせるほどの経済成長を果たす。その背景に人々・国民はどのように動いたのだろうか。黒船開国から見よう見まねの近代化、和魂洋才を柱に日本独特の文化を維持し諸外国の先例を手本に改革されてきた。外国人から見た日本の変貌はまた違った一面を考えさせられる。

  • 黒船開国から100年に急速な近代化を果たした日本、軍国主義から敗戦、アメリカの支配下、高度成長期を経て経済大国となる。この劇的な変貌を推し進めた力は一体何だったのか。
  • 黒い目ではなく青い目で見た日本の姿を知りたいのは今も変わらない
  • 強力な外国文明が迫ってきて、自国の政治制度や宗教的習慣、文化的伝統が破壊されそうになった時、人はどう行動するか。
  • 「東京オリンピック」
  •             日本の驚異的な高度経済成長が始まった
  •                         建設ラッシュ=高速道路、競技場、ホテル、下水道、地下鉄、高架線路等祭典を迎え、国内は好景気となった
  •             1964年10月10日参加国94カ国
  •             金メダルは16、アメリカ、ソビエトに次ぐ3番目の成績
  •             新たに柔道が採用、無差別級神永昭夫、結果ヘーシング優勝
  •                         ヘーシングの礼儀、作法が日本人に賞賛された
  •             マラソンの円谷幸吉、ハードルの依田郁子に期待、が期待に応えられず最終的に自殺
  •             他のスポーツ:プロレスの力道山(朝鮮出身)の活躍、暗殺
  • 「黒船来航」
  •             1853年7月8日ペリー提督4隻江戸湾に来航
  •             下関、箱館を開港(最新鋭大砲の威力=戦力の大差・香港占領)
  •             徳川幕府は朱子学・儒学中心から蘭学へ
  •             「和魂洋才」へと西洋文化を受け入れる
  •             植民地主義への萌芽、火薬・金属・船舶貿易を勧める
  •             幕末勝海舟と坂本龍馬の対談(当初は敵対)
  •             勝海舟は坂本龍馬に対し「君は俺を切るつもりで来たんだろう。もしそうなら2人で議論してからでも遅くはなかろう」と坂本龍馬を180度転換させ、同じ愛国心を持った同士として開国を目指す
  •             坂本「国に2帝なく家に2主なし、政刑唯一君に帰すべし」として天皇制を推挙した
  •             戊辰戦争後、260年の幕府が終焉、天皇が江戸(東京)に
  • 「文明開化」
  •             1889年2月11日紀元節、近代憲法を発布
  •             「文明開化」と「富国強兵」で官営工場等を民間に払い下げ
  •             政・財・官が癒着、政府の補助金および密談、財閥が成長
  •             国家建設と政治はドイツ・ビスマルクを基本とした専制政治
  •             農民の一揆が勃発、自由党=三井財閥、立憲改進党=三菱財閥
  •             西洋風=肉食の大流行は福沢諭吉の日本人の体格作り奨励
  •             西洋かぶれ=鹿鳴館(外見のみの舞踏会=踊る人形のようだ)
  •             1895年日清戦争の勝利が脱中国、「富国強兵」へと動く
  •             軍国主義=植民地(弱肉強食)、山県有朋の帝国陸海軍創設
  •             日露戦争、東郷平八郎提督のバルチック艦隊撃破=欧米列強
  • 「エロ・グロ・ナンセンス」大正時代を迎える
  •             1920年代は世界の反対側の第一次世界大戦で日本の経済は大きく経済成長、その中でもドイツが中国と南洋諸島で持っていた権益を日本が引き継ぎ、植民地帝国を拡大する基盤となった。後の中国の5.4抗議運動に繋がる。
  •             普通選挙運動、解放運動、婦人運動など社会運動が決起
  •             快楽主義文化が旺盛となり銀座では欧米風建物、ドイツ哲学、ロシア文学、ドイツ風カフェ・ビヤホールなどが盛んになる
  •             大正デモクラシーの出現=国のために命を捨てて戦い、国民が国政に対する発言権を持つ
  •             1923年、関東大震災で最悪な出来事は朝鮮人虐待事件(デマ情報)で「外国人」への非難から2千人が死亡
  •             1932年、5.15事件で犬養毅首相暗殺など、政治家の暗殺が続く
  •             大正天皇は明治天皇と違い威厳がなく象徴的存在がなかった
  •             皇太子裕仁親王は軍人の東郷平八郎以下乃木等が教育係りとなり軍事的な側面を中心に伝授した。即位は1928年11月14日
  •             即位後軍服を着て陸軍、海軍等の観閲・観艦式に参列した
  • 「満州」
  •             1931年の満州事変、1937年の盧溝橋事件は関東軍が統制しており勢力拡大は軍部が偽装で戦争を仕掛けた(政治は軍部への統制は不可能)、その後上海では中国人反日闘争へ
  •             日本の首相は終戦まで11人いるが文官はそのうち3人のみ政党内閣は終焉し、満州の関東軍部の統制は陸軍大臣、海軍大臣がおおよそ黙認していた
  •             満州開拓の理想は日本の生命線だとし満州を利用した日本の経済発展を計画、巨額の資金を投入し目論んだが満州の購買力と製品の質が悪く資金不足に陥る
  •             リットン調査団、欧米が中国と結託し日本を叩きだすために被害者意識を煽る報告、1905年のポーツマス条約、軍艦製造規制、ワシントン軍縮会議など日本と国際連合の溝は埋まらなかった。
  •             「5族協和」日本人、満州人、朝鮮人、漢民族、モンゴル族の協定を作るが失敗、軍部の分裂と暴走へと繋がった
  •             2.26事件、盧溝橋事件へと展開、1937年12月には南京大虐殺へ。犠牲者は数千人、数万人、30万人以上とする説がある
  •             北進(ソビエト)計画は軍部の単独戦争で天皇の停戦命令を無視し、約2万人の死者を出した。
  • 「西洋との戦争」
  •         1941年12月真珠湾攻撃=何十年も前から傲慢な欧米諸国に虐げられバカにされ軽蔑され、虚実取り混ぜて語られてきた。侮辱に耐えながら西洋化への優等生を一生懸命演じてきたことが爆発した自由主義に対する反撃・攻撃だった
  •             開戦の背景は1940年の米国による輸出禁止(燃料と金属)と英国、中国、オランダからの封鎖包囲網行動
  •             日本側提案は経済制裁解除であればインドシナからの撤退、中国との講話、東南アジアへのさらなる進出をしないことを条件とした
  •             朝鮮・中国・東南アジアではすでに燃料、食料不足となっており民間人の大量殺戮も行われていた。国内では結核が流行、17万人が死亡、憲兵隊による間諜処罰も厳しくしていた
  •             1945年5月米国トルーマンは無条件降伏を通達、6月に皇居に爆弾が投下されたことで天皇の御聖断となったと予測
  •             1945年8月6日原子爆弾投下、2日後長崎へ投下で戦時内閣は漸く天皇の決断を仰いだとされる(廃墟となった都市部を視察した天皇には民衆からの敬意は消え失せ、天皇含めた戦争会議は国体堅持を願った)
  • 「東京ブギブギ」(1948年)
  •             マッカーサーの使命=未開国を奴隷と封建主義から解放し国民を、平和を愛する民主主義者に変えようと考えた(日本人はまだ12歳の子供に過ぎないと語っている)
  •             陸海軍は解散、 軍需品等は闇市から暴力団と政界フィクサー(児玉誉士夫)と政治家とが癒着する始まりを作った。政治体制と財閥も解体することになっていたが官僚組織は手つかずのまま残された
  •             財閥解体、特高警察の廃止、情勢普通選挙権の保証、共産主義者など政治犯の釈放、労働組合の結成、民主的な新憲法の公布
  •             憲法草案はコートニー・ホイットニーに命令し1週間で原案を提出。その一人ユダヤ系女性22歳ベアテ・シロタも社会権に参画、図書館の資料をコピーした(ソビエト憲法とワイマール憲法)
  •             GHQの改革はデモクラシーを教え込むこと。セックス(ストリップショー)、映画(キスシーンを日本映画にも入れるよう要求)が、スポーツ、特に野球を奨励した。日本人に言論の自由を説く一方で占領政策を批判することは禁じ、マッカーサーの風刺画も禁止した。また、一時期現地人との親交を禁止していたが解禁とし親交を深める「パンパン」大衆風俗を承認した。最初の映画は「はたちの青春」
  •         学校の教育・教師も変わり「デモクラシー」一色となる。大衆芸能でも文楽は歌舞伎ほど規制がなかった(武士・切腹は禁止)
  •             1945年最初の首相は東久邇宮稔彦王、内閣顧問に満州事変の首謀者石原莞爾、もう一人は児玉誉士夫。
  •             マッカーサーは天皇を戦争の道義的責任を負わせず象徴とし、無罪とした(証人として裁判に呼ばないことも決定した)これにより政治責任の所在と国体の本質が新たな課題を作った
  • 「東京裁判」
  •             1946年5月から1948年11月、極東国際裁判となる
  •             裁判はニュルンベルグ裁判をモデルに他国への侵略・計画・実行したことを処罰する法を基本としたが、戦争犯罪・軍国主義者は天皇を神聖不可侵の指導とする国体の名の下の官僚・軍人だった
  •             東条英機は「日本国の臣民が、陛下のご意思に反してあれこれすることはあり得ない」と証言、1948年12月22日荒木貞夫、板垣征四郎、木戸幸一含む7名の被告は巣鴨プリズン(現在の池袋サンシャイン)で絞首刑となる。東條主人公の映画「プライド」が公開
  •             政治権力は官僚に集中、通産省が中央政府の経済計画を担当
  •             A級戦犯容疑者の岸首相(元商工大臣)と笹川良一(中国の日本軍占領地域で闇取引)等は収監後、民主主義を擁護するようになる
  •             1949年総選挙で共産党が10%を取ったが自由党の勝利
  •             吉田茂首相(マッカーサーの追従者・アメリカ一辺倒)の時には7万5千人の警察官に武器装備させ、その代わりアメリカが日本領土を軍事基地として無期限に自由に利用する権利を認めた
  •             翌年朝鮮戦争勃発、数百万の犠牲を出しマッカーサーは解任
  • 「1955年以降」
  •             1951年サンフランシスコで対日講和条約と日米安全保障条約が締結、主権を回復、吉田茂首相の政策となる
  •             1955年鳩山一郎自民党総裁で社会党と55年体制となる
  •             1960年三井三池炭鉱で労働争議(石炭から石油への転換)
  •             1960年代には池田内閣での「所得倍増計画」政策、GNPが10.6%へと急上昇、1959年には東京タワーが完成、1964年には東京〜大坂新幹線で結ばれた
  • 「戦後の終焉」
  •             1964年こそが興隆・没落・復興という道を歩んだ近代日本の一つの区切りとなる
  •             1974年田中角栄内閣(日本列島改造論=金権政治)補助金の建設業界へのバラマキ(建設ラッシュ)、最後は福田赳夫による引き下ろしで田中は収賄容疑で逮捕
  • 日本人の特質「自信過剰・狂信・強烈な劣等感、時に病的なほど強くなる一等国へのこだわり」、日本思想は西田幾太郎・北一輝・高村光太郎などの日本・集団・天皇というキーワードを浮かび上がらせ結びつけ、国民に広く支持された