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決断力と幕末政治

2017-12-03 08:09:37 | 歴史から学ぶ

@徳川幕府の開国から安政の大獄。 将来国を担う事のできた優秀な多くの人材がこの幕末に儚くも消えた。彦根藩主、幕府大老井伊直弼の開国判断は外国との軍事力の差からなるべき判断だったが、その後の倒幕反対派・攘夷派・尊皇派その他だれもが国を思い命をかけた動きは、天皇なり将軍の権威で統制できたはずなのに周りに振り回され判断、決定ができない「ひな壇の飾り」だったようにも思える。(優柔不断でひ弱なリーダーシップは根底を揺さぶり、迷わす)最終的には多くの民衆の犠牲と優秀な一握りの主要な活動家が消え失せる時に事が決まる。「歴史の諸説あり」で新たな歴史的背景を理解、そこで必死に活動した人材をこれからでも発掘、現代と照らし合わせる事も面白い。

  • 彦根35万石、兄直亮死後当主となる直弼、幕府の大老、開国に向けて動く、専制政治から強権的に安政の大獄を断行する
  •             本居宣長の「玉くしげ」を教本とする
  • 「オランダ風説書(阿蘭蛇)」
  •             堀田正陸の紹介で「3代将軍家光公が鎖国令を出されて以来、唯一渡来をゆるされたオランダ商館長が2年ごとの交代の折、異国の情報を幕府に寄せていたもの」を知る。これは幕府以外門外不出の書物で直弼の重要な海外事情を知る参考書となる。特に外国での争い、欧州諸国の植民地化戦争。
  • 「黒船来航・開国」
  •             黒船来航時の日本・幕府の戦力は諸外国と比較にならず、武力で必ずや負けると判断、日米通称条約を結ぶや他国とも条約締結を余儀なくされた。(出島での貿易で幕府は莫大な利益を生み出していた)
  • 「開国反対派」
  •             徳川斉昭(水戸藩)と朝廷家臣等は開国に反対、幕府老中との揉め事が安政の大獄へと舵をきらせた
  • 「安政の大獄」
  •             直弼は間部詮勝に開国条約の天皇からの勅許を依頼、朝廷からの勅許は得られず。13代将軍家定逝去にともない反対派は強硬決断するが、直弼は老中閣議を持って不時登城の尾張・水戸・越前の3候を処分した
  •                         徳川中納言斉昭は駒込屋敷にて謹慎、文書の往復も禁止
  •                         尾張中納言徳川慶恕は隠居、外山邸にて謹慎
  •                         越前中将松平慶永は隠居、謹慎
  •                         徳川慶喜・徳川慶篤は登城停止
  •             長野主膳(直弼の家来)は反対派、尊融法親王の勅使、水戸藩、密勅の近藤茂左衛門を捕獲、逮捕した(安政の大獄1号者)
  •             西郷隆盛、僧の月照は逃げ自殺するが、隆盛は未遂となる
  •             その他鵜飼吉左衛門父子、諸大夫・小林良典、三国大学らを逮捕、三条家家臣飯泉喜内、薩摩藩士日下部伊佐次等も逮捕し、江戸伝馬町の牢獄へ護送した
  • 「死刑と獄死」
  •             長州藩士吉田松陰、福井藩士橋本左内、儒者頼三樹三郎、水戸藩家老安島帯刀、水戸藩士鵜飼吉左衛門父子、水戸藩士芽根伊像之助、三条家家士飯泉喜内、小浜藩士梅田雲浜は獄死、その他藩主の隠居
  • 「桜田門外の変」
  •             1860年3月3日、早朝より雪が降り始め牡丹雪へと変わる。宇津木六之丞の忠告も顧みず、水戸藩士等の江戸への集結を知っても登城を決意した。直弼一行60名の共と午前9時に藩邸から5町(545m)の距離で襲撃される。一味は26名、一発の銃声後、動きが取れない直弼を引き出し斬首した。
  • 彦根藩主は直弼病気として直憲に相続させた