さきたま自然日記(別館)

埼玉中心になんでもありの写真日記です。
花鳥風月、自然を中心に撮ってます。

ああ上野駅

2015年08月29日 | ひとり言
8月25日(火)、1か月ぶりに都内に出かけてみます。

この日は月一回のOB写真部の定例会。

腰痛のため、行くのを悩んだのですが、思い切って行って見る事にしました。

もちろん、まだ長時間座ることが出来ないので、電車も立ったまま、目的地の押上まで・・・・

腰の状態が良ければ、久しぶりに上野界隈を散策しようと思っていたのですが、あいにくの空模様で、散策を断念。

いつもの通り、JR[上野駅」に着いたのが、午前11時半ごろ。

まだ約束の時間まで余裕があるので、上野駅構内を撮ってみます。

上野駅は、日本の鉄道黎明期に日本初の私鉄である日本鉄道が、1883年(明治16年)に上野ー熊谷間(現在の高崎線)が開業した折に造られた始発駅で、以来日本を代表する駅として栄えてきました。

その後、今の駅舎に改装され、長い歴史の中、人々に親しまれてきた駅です。

「津軽海峡雪景色」や「ああ上野駅」などの歌でも有名ですね。



駅の建物の外壁は多胡石と小松石の砕石が入ったモルタル塗りで、臍壁には花崗岩が用いられたそうです。

また、構造上の大きな特徴として、本屋の中央には、広間空間があるのが特徴です。

この空間は正面玄関の機能を持ち、2階部には業務エリアの移動のための回廊が設けられていたそうです。

その名残でしょうか、むき出しの鉄骨が印象的です。





中央改札口の電光掲示板。

1985年(昭和60年)3月14日 には 東北新幹線の駅が開業し、始発駅としても賑わったのですが、その後、上野ー東京駅間が延長され、今は通過駅。

また、もともと宇都宮線や高崎線・常磐線の始発駅でもあり、サラリーマンたちが乗り換える事でラッシュ時には混雑していたのですが、上野東京ラインが開通し、今や常磐線の始発のみ。

「北の玄関口」としての機能はなくなり、発着本数が少ない日中のホームや構内は以前ほどの活気はありません。



この日の目的地「押上」に行くために、東京メトロ「銀座線」で浅草に向かいます。



銀座線は・・・・・・・・・・

1927年(昭和2年)に浅草ー上野間で営業を開始した日本で最初の地下鉄です。

相対式ホームの駅ではそのほとんどで線路間の支柱がリベット組みの鉄骨となっており、日本最初の地下鉄の歴史を偲ぶことができます。

また、トンネル断面が小さいゆえに車両自体も小さく、天井も非常に低いです。



次の写真は、都営浅草線「浅草駅」のホームですが、銀座線「上野駅」のホームと比べると雰囲気が全く違いますね。

ここからスカイツリーのある「押上」駅まで2駅。



ちょっと上から見下ろしたスカイツリーの足元です。



和やかに例会が終わった後、スカイツリー近辺でも散策しようと思ったのですが、空を仰ぐと、相変わらず今にも雨が降り出しそうな空模様。

そのまま帰宅することにします。

再び上野駅で・・・・・暫し、構内を歩いてみます。

これが、上述した2階の廻廊でしょうか??エスカレーターで2階に上がって下を見下ろしてみます。



天井や壁面には、昔の面影がそのまま残ってます。



以前は、高崎線や宇都宮線の始発ホームとしてにぎわった場所も、今は、閑散としています。



啄木の詩が刻まれたプレートが、どことなく空しく見えますね。



時代の流れとはいえ、かっての「北の玄関口」としてにぎわった上野駅も寂しくなりました。。

それでも、上野駅は新幹線・在来線合わせて11面21線と、東京駅とほぼ同規模のホーム数を有しているそうですから、これからの奮起を期待したいですね。


腰痛の方も、まだ長時間座ることはできませんが、通常の生活には支障が無くなりました。

皆さんにもいろいろご心配をかけましたが、ボチボチ活動開始できそうです。

有難うございました。




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