コモディイイダ駅伝部ブログ

5年連続ニューイヤー駅伝駅伝出場決定

こだま日記vol.162

2011-10-15 19:34:32 | 選手からのメッセージ
こんばんは(●´ω`●)
こだまです。

『知られざる箱根駅伝予選会~拓殖大学2005ー2008年編~』(後編)

当日。朝は3時起床。毎年、寝たんだか寝てないんだかわからない状態のまま、3時になり集合に向かった。
監督からの『眠れたか??』の問いには、『はい眠れました……いや、多分眠れてないです。わかんないです。
』とグレーに回答をした。

朝食を済ませ、出発。部員全員でバスに乗り、立川の昭和記念公園に行った。

公園は朝も早いのに、選手、関係者、駅伝ファンでいっぱいだった。
ウォーミングアップをする頃には、そのエリアには三重、四重の人垣ができていた。

監督から最後の指示を受け、スタートラインに行く。
スタート直前には、12人の走者で円陣を組む。キャプテンの掛け声に応える。気合いがめちゃくちゃ入った。円陣をやらない年もあったが、その年は惨敗だった。

号砲一発スタート。
レース展開については、長くなるので説明しない。
個人的だが、毎年15km~18kmあたりが死ぬほどキツかった。ちなみに僕は予選会では快走することができなかった。個人順位は、最高で68位、最低で102位と、特筆すべきのない成績だった。

ゴールをしてから、発表までの時間は異常に長く感じた。
マネージャーやタイムを集計した部員が、各大学の総合タイムを計算する。
他の大学のマネージャーにも聞いて、より正確なタイムを出す。

拓大は当時は、毎年通過のボーダーラインにいたので、いつも注目されていた。拓大陣営はものすごい人に囲まれていた。荷物を置いてあるレジャーシートを囲んでいるので、着替えもたくさんの人に見られた。これはどこの大学もそうだよね(´・ω・`)

発表の瞬間。祈りながらアナウンスを聞く。
5位で通過したときは、バカ騒ぎ状態になり、監督、コーチ、選手の胴上げが次々と始まり、祝勝ムードはしばらく収まらなかった。
1秒差の次点で出場権を逃したときは、『9位国士舘大学』のアナウンスが聞こえた瞬間、目の前が真っ暗になり、何も聞こえなくなった。
関係者に応援の御礼の挨拶をして、足早に会場を去った。
予選会で負けた日の午後は時間があるのだが、何もする気が起きなかった。
僕は『屈辱にまみれた午後』と呼んでいた。

天国も地獄も味わった箱根駅伝予選会。僕は大学卒業までの人生の目標が、箱根駅伝を走ること、だった。
選手名鑑のアンケートで、将来の夢の項目に、『今は箱根駅伝を走ることしか考えられない』と書いた。
箱根駅伝にはそれくらいの魅力があった。

予選会を走った選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。
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1 コメント

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裏話。 (Lokki)
2011-10-18 09:11:15
この4年ほど毎年予選会を見に行ってるんですが、やはり強い箱根への思いとすごい緊張と準備があるんですねえ~。3時半起床なんですね~。

外から見てるだけではわからない陸上裏話や合宿の様子、またドキュメンタリータッチでお願いします
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