こんばんは(●´ω`●)
こだまです。
『知られざる箱根駅伝予選会~拓殖大学2005ー2008年編~』(後編)
当日。朝は3時起床。毎年、寝たんだか寝てないんだかわからない状態のまま、3時になり集合に向かった。
監督からの『眠れたか??』の問いには、『はい眠れました……いや、多分眠れてないです。わかんないです。
』とグレーに回答をした。
朝食を済ませ、出発。部員全員でバスに乗り、立川の昭和記念公園に行った。
公園は朝も早いのに、選手、関係者、駅伝ファンでいっぱいだった。
ウォーミングアップをする頃には、そのエリアには三重、四重の人垣ができていた。
監督から最後の指示を受け、スタートラインに行く。
スタート直前には、12人の走者で円陣を組む。キャプテンの掛け声に応える。気合いがめちゃくちゃ入った。円陣をやらない年もあったが、その年は惨敗だった。
号砲一発スタート。
レース展開については、長くなるので説明しない。
個人的だが、毎年15km~18kmあたりが死ぬほどキツかった。ちなみに僕は予選会では快走することができなかった。個人順位は、最高で68位、最低で102位と、特筆すべきのない成績だった。
ゴールをしてから、発表までの時間は異常に長く感じた。
マネージャーやタイムを集計した部員が、各大学の総合タイムを計算する。
他の大学のマネージャーにも聞いて、より正確なタイムを出す。
拓大は当時は、毎年通過のボーダーラインにいたので、いつも注目されていた。拓大陣営はものすごい人に囲まれていた。荷物を置いてあるレジャーシートを囲んでいるので、着替えもたくさんの人に見られた。これはどこの大学もそうだよね(´・ω・`)
発表の瞬間。祈りながらアナウンスを聞く。
5位で通過したときは、バカ騒ぎ状態になり、監督、コーチ、選手の胴上げが次々と始まり、祝勝ムードはしばらく収まらなかった。
1秒差の次点で出場権を逃したときは、『9位国士舘大学』のアナウンスが聞こえた瞬間、目の前が真っ暗になり、何も聞こえなくなった。
関係者に応援の御礼の挨拶をして、足早に会場を去った。
予選会で負けた日の午後は時間があるのだが、何もする気が起きなかった。
僕は『屈辱にまみれた午後』と呼んでいた。
天国も地獄も味わった箱根駅伝予選会。僕は大学卒業までの人生の目標が、箱根駅伝を走ること、だった。
選手名鑑のアンケートで、将来の夢の項目に、『今は箱根駅伝を走ることしか考えられない』と書いた。
箱根駅伝にはそれくらいの魅力があった。
予選会を走った選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。
こだまです。
『知られざる箱根駅伝予選会~拓殖大学2005ー2008年編~』(後編)
当日。朝は3時起床。毎年、寝たんだか寝てないんだかわからない状態のまま、3時になり集合に向かった。
監督からの『眠れたか??』の問いには、『はい眠れました……いや、多分眠れてないです。わかんないです。
』とグレーに回答をした。
朝食を済ませ、出発。部員全員でバスに乗り、立川の昭和記念公園に行った。
公園は朝も早いのに、選手、関係者、駅伝ファンでいっぱいだった。
ウォーミングアップをする頃には、そのエリアには三重、四重の人垣ができていた。
監督から最後の指示を受け、スタートラインに行く。
スタート直前には、12人の走者で円陣を組む。キャプテンの掛け声に応える。気合いがめちゃくちゃ入った。円陣をやらない年もあったが、その年は惨敗だった。
号砲一発スタート。
レース展開については、長くなるので説明しない。
個人的だが、毎年15km~18kmあたりが死ぬほどキツかった。ちなみに僕は予選会では快走することができなかった。個人順位は、最高で68位、最低で102位と、特筆すべきのない成績だった。
ゴールをしてから、発表までの時間は異常に長く感じた。
マネージャーやタイムを集計した部員が、各大学の総合タイムを計算する。
他の大学のマネージャーにも聞いて、より正確なタイムを出す。
拓大は当時は、毎年通過のボーダーラインにいたので、いつも注目されていた。拓大陣営はものすごい人に囲まれていた。荷物を置いてあるレジャーシートを囲んでいるので、着替えもたくさんの人に見られた。これはどこの大学もそうだよね(´・ω・`)
発表の瞬間。祈りながらアナウンスを聞く。
5位で通過したときは、バカ騒ぎ状態になり、監督、コーチ、選手の胴上げが次々と始まり、祝勝ムードはしばらく収まらなかった。
1秒差の次点で出場権を逃したときは、『9位国士舘大学』のアナウンスが聞こえた瞬間、目の前が真っ暗になり、何も聞こえなくなった。
関係者に応援の御礼の挨拶をして、足早に会場を去った。
予選会で負けた日の午後は時間があるのだが、何もする気が起きなかった。
僕は『屈辱にまみれた午後』と呼んでいた。
天国も地獄も味わった箱根駅伝予選会。僕は大学卒業までの人生の目標が、箱根駅伝を走ること、だった。
選手名鑑のアンケートで、将来の夢の項目に、『今は箱根駅伝を走ることしか考えられない』と書いた。
箱根駅伝にはそれくらいの魅力があった。
予選会を走った選手の皆さん、本当にお疲れ様でした。
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