コモディイイダ駅伝部ブログ

5年連続ニューイヤー駅伝駅伝出場決定

こだま日記vol.161

2011-10-14 22:00:38 | 選手からのメッセージ
こんばんは(●´ω`●)
こだまです。

明日は箱根駅伝予選会のようですね。

ということで……

『知られざる箱根駅伝予選会~拓殖大学2005ー2008年編~』(前編)

僕は箱根駅伝の予選会に4年連続で出走した。しかし、慣れることはなかった。毎回吐きそうなほどの緊張感に襲われた。4年生のときは、『もし予選を突破できなかったら、故郷に帰ることはできない』と本気で思った。


今回は部員でなければあまり知ることのできない、予選会前日と当日の動きをお伝えしようと思います。もう3年以上前のことだし、監督も違うので大丈夫だと思います。
では、スタート。

前日。朝の集合はいつも通りである。とはいえ、チーム内には何ともいえない緊張感が漂っていた。
拓大は、予選会と学祭の時期が被っていたので、講義はなく大学は休みだった。毎年そうだったため、一度も学祭に参加したことはなかった。

朝練と朝食を済ませ、ちょっと休んだ後、午前中に刺激と呼ばれる最後の調整練習を行う。

昼食の後に、当日に向けての最終ミーティングをする。
4年生時の昼食は寮の近くにある、王様のブランチに紹介されたイタリアンレストランにて、予選会登録メンバー14名でパスタを食べた。味は覚えていない。

ミーティングは、当日の流れと監督からの最後の訓示が言われた。ここでの内容は言わないでおきます。
監督は、取材のテレビカメラを追い出して僕らにだけ熱い魂のこもった言葉を言ってくれました。

ミーティング終了後は、夕食まで各自フリー。
当日の準備をしたり、ボーッとしたり、各々の時間を過ごした。寮は予選会が行われる立川まで近かったので、ホテルに泊まったりすることはなかった。

夕食は、17時ととても早い。おそらく病院よりも早いだろう。
メニューは毎年決まって、うどんと炊き込み御飯とバナナだった。緊張で食べることのできないメンバーはいなかった。

なぜ、こんなに夕食が早いかと言うと、消灯時間が20時~21時と
なっていたからである。
夕食を取って間もなく、就寝準備にかかった。

だいたいいつも20時半~21時の間に布団に入ったのを覚えている。
しかし、眠れる気配がなかった。いつもに比べて早すぎる就寝時間と増幅する緊張感で眠気が全く襲ってこなかった。
目をつぶり、寝返りを何度も繰り返しているうちに起床時間が刻々と迫っていった。

後編に続く。
コメント
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