清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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- 空気の教育 -

2011年02月11日 | 学び ・ すすめ

お茶の水女子大教授・外山滋比古氏(著)

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「教育のことを薫陶という。これはまさに空気による育成を意味する」、家庭には家風、学校には校風があることを考えてみよう。人間が生活しているところにはやがて、一定の空気、雰囲気が生じる。本当の教育は押し付けや口先だけの注意ではない、子どもを包む家庭や学校の空気こそ、最も深いところに作用する。
【本文紹介】-学校に校風、家庭に家風-
◇◆◇
(著者が、とある小学校を訪れた。)
校門をくぐり奥へ進む。「こんにちは」「こんにちは」とかわいい声が聞こえてきた。こちらをお客さんだと見てとって、挨拶をしてくれたのだとわかると、何ともいえないさわやかな気持ちになった。きてよかった。少し行くと、またほかのグループの子どもが、同じように挨拶してくる。いくらかはずんだ調子でお返しをした。
◇◆◇
この学校では、外来のお客さんには、あいさつすることになっているのであろう。いちいちやかましく言わなくても、それが当たり前になっている。たとえ裏門から入ってきた人でも、よその人なら挨拶をするのである。
◇◆◇
いわば条件反射のようになっているのに違いない。だまっていると気持ちが悪い。おちつかなくなる。かりに万一よからぬ目的で校門へやってきた者があっても、ああいう可愛い声で歓迎されては、心を改めるかもしれない。
◇◆◇
上級生がやってみせていれば、下級生は別に教えられなくても、見よう見まねで同じコトをするようになる。先生の目よりも子ども同士の目のほうがずっとこわい。挨拶をしないでいれば、仲間の目が光る。
◇◆◇
こうして、いつのまにか、一つの気風、しきたりができる。児童にはほとんど当たり前の風になっているのだろうけれども、外から来たものは、新鮮な感銘を覚える。この学校には立派な校風があると思う。
◇◆◇
学校は先生と授業で教育するが、それだけではない。目に見えない空気が、教室の勉強におとらぬ教育をする。
◇◆◇
薫陶というのは、そういう空気によって、いつとはなしに感化されておこる教育の効果で、精神のもっとも深いところに達する。口先だけの教育の比ではない。
◇◆◇
《 形式 × くりかえし × 時間 》 の結果、できる空気のことを、時として「しきたり」と呼ぶことがある。つまり、「文化」である。われわれの家庭に空気が必要だということは、家庭ごとに「文化」が具わっていないと困るということである。それを忘れて、何を教えようとしても、それは要するにペンキ教育にしか過ぎない。そのことをわれわれは三思すべきである。
◇◆◇
常住寺の文化。常住寺のしきたり。これ恩師の御薫陶である。
口唱行に励む。菩薩の思いを忘れない。にこやかに挨拶。いましめを守る。
自分の考えで、恩師のご薫陶を消すな!軽んじるな!
常住寺の良き「しきたり」「文化」を廃らせるな!
次の世代にも、恩師が残して下さった「空気の教育」を、しっかりと伝え残していかねばならないのである。
「欲に負けて空気を濁すな」と、自分に言い聞かせてみた。

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