清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

日蓮聖人 日隆聖人 日扇聖人 の 教えや お寺の行事などをアップします

だんなさん

2016年06月05日 | 学び ・ すすめ
【 旦 那 ( 語源由来辞典より )
 
(意味)旦那とは、妻が夫を、商家の奉公人が主人を、商人や役者・芸人がひいきしてくれる客を呼ぶときに用いる敬称。
 
(語源・由来)
旦那は、サンスクリット語の「ダーナ」の音写で元・仏教語。
「ダーナ」は「与える」「贈る」の意味で、「布施。ほどこし。」などと訳され「檀那」とも書く。
中国や日本では、旦那は寺院や僧侶に布施をする「施主」や「檀家」の意味として、主に僧侶が用いる言葉であった。やがて、一般にも「旦那」の語は広まり「パトロン」のように生活の面倒を見る人の意味で用いられるようになった。さらに「面倒を見る人」「お金を出してくれる人」といった意味から派生し、奉公人が主人を、商人がお客を、妻が夫をよぶときの敬称として用いられるようになり、現代では主に、妻が夫を呼ぶ敬称として用いられる。
 

ほどこすという意味があったんですね。つまり、夫は家庭にお金を入れる。
自分が働いてきて得たお金を奥さんに渡して、家族を養う。これはやっぱり愛情です。
家族の生活をしっかりとみる役割なので旦那と呼ばれるようになったというのは納得です。
ただ、現代は共働きが多いから夫婦ともに旦那の役割を担ってることにりますね(笑)。
 

 仏教では、「ほどこし」「布施の行」を田んぼにたとえます。

一年かけて、やっと「お米が収穫できた。」
あまり多く実らなかったけれども、嬉しい。
 
昔なんかは食べ物が豊富じゃなかったでしょうから、現代と比べると、ずっと、そういう思いが強かったんじゃないでしょうか。
そして一年間、収穫できたお米で食いつながなくてはなりませんから、お米をとても大事にしたことと思います。
だけど、全部食べたいけれど、収穫されたお米の中から来年に向けての「種籾(たねもみ)」をとっておく。
その年の収穫がうんと少なかったとしても、これを取っておかなかったら、次からお米を育めません。
 

「布施」・「ほどこし」は、それと同じだと言います。
他に対してほどこす。身銭を切って、ほどこすのです。
特には、功徳になるようなことに「ほどこす」のです。
「これは田植えと同じだ」と、いうのです。
そういう「心がまえ」や「おこない」は、
種籾(たねもみ)が、秋には多くの稲穂を実らせるのと同じように、
やがて、あとになって自分に返ってくる。そう、教わります。
それは「自分の欲を離す」という修行でもあります。
「もったいないから食べちゃった」では、どうやら、そこで終わりみたいです。
 

ほどこしたら自分にかえってくる。でも、打算的にほどこしたらつまらないですね。
「人によくしてあげたい」
そんな気持ちの人だからこそ、功徳が積めて、そして、いつしか自分も他から恩恵を受けるのでしょう。
 

果たして、それがどれくらいのスパンで巡ってくるのでしょうか?
稲穂の収穫みたいに一年でしょうか?
それは分かりませんが、信じて善行の功徳を積みたいものです。
 
だんなさん。奥さんに優しくしてあげてくださいね。
やがて奥さんも家族も、本当に旦那を大事にしてくれますよ(笑)。
なーんて。ウチもそうしなくちゃと心得ます(笑)。
 

仏教は、そういう功徳の積み方を具体的に説き示してくれています。
それを世の人に伝えるのが、お坊さんの仕事の内容です。
お葬式だけしてるのは、本当のお坊さんじゃありません(笑)。
とにかく、「ほどこす」という「徳の積み方」を、自分から発信して行きたいものです。
「人によくしてあげる」「慈しむ」という優しい心持ちで歩んでいきたいと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。