清純blog

本門佛立宗 常住寺住職・高野清純のブログ

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業(ごう)と因縁(いんねん)

2016年07月14日 | 学び ・ すすめ
業の深い人生とか言います。業は行いです。因縁は行いや思考を原因として善し悪しの結果を受けることです。因縁を、悪い方向から良い方向へと修正していただけるのがお題目です。その、業と因縁について、根本仏教講座で解説していただいてたので、本文を拝借して、(抜粋して)次の通り記載しました。

業と因縁
(1)全てのことに理由がある     A・スマナサーラ長老
 
■日本でいう「業と因縁」とは?■
「業と因縁」と言えば日本ではごく普通に使われている言葉。
 よく開くのは「業が悪い」という言い方。また「因縁」という言葉もよく出て来ますが、たとえば、人に会った時に「ご縁があったんですね」というふうに言う。「これも何かの縁ではないか」とかね。何かよくわからない場合に、私達はそういう言葉を使うようです。
 
なぜこうなったか分からない、或いは偶然人に会って、何かものごとが非常にうまくいったような場合。まあ、それも何か縁ではないかと思うんですね。このように私が知る限りでは日本で縁というのは「何か分からないもの」について言うものではないかと思います。
 
例えば人が来るという約束があって会った場合、或いはこちらから会いたいと、アポイントを取って会った場合は「これは何かの縁ですよ」とは言わないんです。
 
「業」の場合も同じです。自分の希望どおりではなくて何かちょっと自分の希望と違ったことが起きた場合、特に悪いこと、不幸なこと、あってほしくないことが自分に起こったならば「業が悪い」と考えたりすると思います。
 
これらの言葉は仏教から出て来た言葉なんですね。そうすると皆様がたが因縁とは何か、業とは何かを知りたいと思うのは、ごく普通のことだと思います。では、お釈迦様は、業と因縁という2つの言葉についてどういうふうにおっしゃっているかというと、業については、そんなことは放っておきなさい、普通の人間の頭で分かることじゃない、とてもとても難しい、深いことなのだと話しておられます。人間には考えても考え切れないことなので、考えない方がいいとおっしゃいます。考えたら頭が狂ってしまうという四つの事がありまして、その一つが業なんですね。
 
ですが因縁のことは、考えるなとは言っておられません。因縁については、みんなが因縁をわかっていないから、そのためにあらゆる苦しみを味わっているんだとおっしゃっています。
 
人間の人生というのは、糸があっちこっち、無茶苦茶に絡まってしまったような状態なんですね。たとえば猫に糸でもあげて、自由に遊ばせてやるとどうなるかというと、ぐちゃぐちゃになりますよね。そしてもう元に.は戻らない。そういう風に我々の頭も人生も全部ぐちゃぐちゃになっているのは、この因縁がわかっていないからだとおっしゃっているのです。ですから因縁はもしかすると理解出来るものかも知れません。しかし業は放っておいた方がいい。同じものでもないし、テーマとしてもなかなか合うものでもないのです。
 
■全てのことに理由がある■
話を戻しますと、日本では分からないことに「何か縁があったのではないか」と言います。
 いい人に会ったとき、これも何か縁だからなどと言いますが、「縁」という言葉を使うポイントは「理由が分からない」という点にあるようですね。ところが仏教で因縁というのは、まったく逆で、いわばとても科学的な、合理的な話なんです。物事、出来事の理由、なぜこうなったのか、それを知っていることを「因縁」というわけなのです。
 
例えば、「このごろ大分寒いですね、それも何か縁ですね」というと、日本の感覚ではおかしいんです。でも仏教でいう因縁というのは、そういうものなのです。何か因縁があって今日は寒い。なぜ今日は寒いかということを皆様ご存じでしょう。季節はもう冬ですし、ちょうど寒波が来ている、だから寒い。つまり因縁とは「理由」「訳」のことなんですね。それは知ろうとすればいくらでもわかることなのです。寒さについても、更に因縁を捜せばもっと詳しくわかります。(中略)きちんとした理由、訳を捜すということ。つまり物事には、全部、きちんとした理由があるということなのです。
 
■因縁の話ほどつまらない話はない■
(中略)例えばある人が来て、私の人生は、毎日不幸なことばかり起こりますが、どうすれば明るくなりますかと聞いたとすると「あなたには何か死者の霊、怨念が付いていますね。大変です。今すぐ除霊してあげます。そうすればあなたは幸福になれます」と言えばすごく興味津々のってくるわけです。しかしもし「あなたの性格が悪い。あなたの喋り方は良くないし、人に親切でない。仕事のやり方もまずい。だから不幸になるのは当たり前だ。しっかりしなさい。良い言葉を喋りなさい。やることはちゃんとやりなさい」と言ったとすると、それは因縁の話で、あまり人気がないんです。それよりは「えいっ」と言って言葉でもかけて清めてもらった方が気持ちが良いんですね。
 
因縁の話はとても合理的で科学的で、おもしろい話ではありません。しかし人間というのは理由、訳を知りたがるものです。物事の理由、なぜそうなったかを知りたがります。それは、知った方が良いのです。知ろうと思って、変なところに行くのがおかしいのであって、きちんと、とことん追いかけて、追って、追って正しい原因を見つけるべきなのです。

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