先日、鎌倉顕証寺の行事に参加させていただいたとき、80代のご信者さんとお話しする機会を得ました。
知性からくる明るさがあり、とてもハイカラな印象の女性でした。
ある分野で大成され、現在も第一線で活躍されている有名人。ヨコハマ生まれのヨコハマ育ち。
なんだかカッコいい響きです。
この方をふくめて、11名で二次会。
顕証寺さんの霊園寺務所は全面ガラスばりで江ノ島と七里ヶ浜、江ノ電が走る景色が一望できるロケーションです。
ここでお日さまがある時間から日が暮れるまでの風景に囲まれながら、ステキな時間を過ごしました。
ステキだったのは、80代の女性信徒かも知れません。
とにかく人をほめます。
「あなた。〇〇が素晴らしいわね。」「あら、あなた。随分と丁寧な言葉遣いでステキじゃない。」
こんな調子です。
こんな言葉が、深い内容の経験談を聞かせていただくまにまに、テンポ良く飛び出してくる。
大笑いと興味深さ、そして心地よさに包まれた時間でした。
最近よく、人のよいところをみつけたり褒めるのは、不軽菩薩の修行に通じるものがあるとおもうのです。
「不軽菩薩」とは、法華経・常不軽菩薩品第二十に示される菩薩です。
不軽菩薩はあるとき町に出て、人々に近づいてはこう言いました。
原文読み下し:「我れ深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以はいかん。汝等皆菩薩の道を行じて当に作仏することを得べし。」(妙法蓮華経開結・四八九頁)
現代語訳:「私は、あなたがたを軽んじません。それは、どんな理由によってか。あなたがたは、すべて、菩薩行を行えば、成仏する素質を備えているからです。」
この言葉を多くの人々、一人ひとりに伝え、そして心から合掌礼拝をして回ったというのです。
果たして、人々の反応はと申しますと、ほめられて喜ぶのではなく、却ってバカにするなと怒りだし、不軽菩薩を追い払おうと棒を持って追い回したり、石を投げつけて迫害しました。それでも不軽菩薩は礼拝することを止めようとはせず、遠くに逃げてはまたそこから人々を拝み、来る日も来る日も、この礼拝の行を続けました。そしてついには、ほとけになられたと言います。
不軽菩薩は、人々の仏性を拝みました。
ていねいに。心を込めて。がっしょうをして。深く頭を下げました。
仏性とは、人が生まれながらにして持っている「ほとけになる素質」「ほとけのような心、性格」です。
仏性はだれの心の中にもある。でもなにかによってそれが隠れちゃってる。
それを引き出してくれるのは、尊いぼさつのアプローチです。
因縁は原因と結果。「てめー!」と言われて「なんだこの野郎!」となる。
「よろしく」といって「おぅ。よろしく」とかえってくる。
不軽菩薩は「あなたを心から敬います」とアプローチして、人々から「ふざけるな」と責められました。
でも、その人たちは、ながいながい時を経てですが、やがて仏性が花を開いたのだと説かれています。
80代の女性は、100まで現役が目標と仰ってました。
そして100まで、人々を利益せしめるために、妙法の教えのすばらしさを伝えひろめたいと仰ってました。
そこには、欲のかけらもないと思いました。
清らかで、ありがたく、しかも最高のロケーションの中で、こころが洗われた心地で鎌倉を後にしました。
開導聖人・ご指南 (扇全二十六巻百十一頁)
常の菩薩のこころをわするべからず。
菩薩は人をそこなはず。
菩薩はいかりの心なし。
菩薩は同行を破する事なし。
菩薩は弘法をよろこばぬ事なし。
菩薩は我慢偏執なし。
菩薩は法の為に身をおしむ事なし。