朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

大切に思って下さっているのですね。私たちすべてを、あの方は

2014-01-26 22:34:39 | 聖書から
主は

すべてのものに

恵みを与え、



造られたすべてのものを

憐れんでくださいます。

詩篇145:9
 





空の鳥を見なさい。

種も蒔かず、

刈り入れもせず、

倉に納めもしない。



だが、

あなたがたの天の父は

鳥を

養ってくださる。





あなたがたは、

鳥よりも

価値のあるものではないか。

マタイ6:26




 (ローズンゲン日々の聖句1/27;月)






あの方は

ご自身の造られたものを

大切に思っていて下さるのでしょうね。



喜んでいて下さり、

良きもので満たそうと

思っていて下さるようです。




私たちは、

あの方を無視して、

自分で

自分の生活を

支えようとして、

いろいろやっていますが、



そのための思い煩いも

多いですね。




豊作の畑の収穫物を、

新しい大きな倉いっぱいにしまい込んで、

これで、

自分の人生は安泰だと思っていた農夫に、

あの方は、

それは愚かな生き方だと

仰られたのだそうです。





本当に必要なものは、

あの方が

全部備えていて下さるから、



「神の国と

その義とを

まず第一に

求めていく」

(マタイ6:33)

生き方が

良いと。



あの方との正しい関係に入ることが

一番大切なこと、



食べるもの、飲むもの、着るもの、生活に必要なものは、

プラスアルファで

与えて下さるのだそうですから。




あの方が

私たちに

派遣して下さっている

「聖である霊」と呼ばれる方を

お迎えして、



あの方の、

私を通してしようと思っていらっしゃることを

私の心に

思わせていただいて、



その思いに従って

行動し、



あの方のしようと思っていらっしゃることを

していく

一日でありたいですね。



今日も。



イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"


その日までに、完成して下さるのだそうです。あの方が

2014-01-25 23:29:46 | 聖書から
人々は、

東から西から、

また南から北から

来て、



神の国で宴会の席に

着く。

ルカ13:29

(今週の聖句)





あなたたちは

見た、



あなたたちを

鷲の翼に乗せて、

わたしのもとに

連れて来たことを。

出エジプト19:4
 





パウロの手紙:

あなたがたの中で

善い業を

始められた方が、



キリスト・イエスの日までに、

その業を

成し遂げて下さると、



私は

確信しています。

フィリヒピ1:6
 



 (ローズンゲン日々の聖句1/26;日)






神の国の宴会には、

地球上の

全ての国から

集めて下さるようですね。



あの方が

鷲の翼に乗せるようにして

連れて来て下さるのだそうですから。





そして、

その日までに、

あの方ご自身が、

私たちの内にはじめて下さった業を

完成して下さるのだそうですね。


「聖である霊」と呼ばれている方によって、
私たちが
あの方と
一つ思いになるという、
そのことも。



それなら、

私たち、

心安んじて、

私たちの内に始まっている

あの方の御業に

ついて行き、



その現れを

見ていきたいものですね。



今日も。



イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"




あの方の一つにいてていただけるのだそうですね。私たちも

2014-01-24 23:51:25 | 聖書から
残された国々も、

主が

この破壊された所を

立て直し、



荒れ果てていた所に

植物を植えたことを

知る。

エゼキエル36:36
 





イエスの祈り

あなたがくださった栄光を

わたしは

彼らに

与えました。



わたしたちが

一つであるように

彼らも

一つになるためです。



(わたしが

彼らの内におり、



あなたが

わたしの内におられるのは、

彼らが

完全に

一つになるためです。





こうして、

あなたが

わたしをお遣わしになったこと、)



また、

わたしを愛しておられたように、

彼らをも愛しておられたことを、

世が知るようになります。

ヨハネ17:22~23
  



(ローズンゲン日々の聖句1/25;土)






破壊され、

廃墟となり、

荒れ果てていた

イスラエルの国に、



廃墟を立て直し、

植物を植えて緑を回復し、

人が住めるようにされる。



「わたしが

これを語り、

これを行う」



あの方は言われるのだそうです。




そして、

あの方と私たち人間との関係も、



「私たち」、

御父と御子と御霊なる神、



一つであるように、



私たち人間も

完全に

あの方と一つになるようにする



イエスは仰っておられるようですね。



人間創造の目的、

「さあ、人を造ろう。

われわれのかたちとして、

われわれに似せて」

と仰った、



「われわれが一つである、

その形に似せた、

われわれと一つになる者を

造ろう」



仰られたそれが、

ここに、

完全に

回復されるということでしょうか。




あの方の一つは、

機械的な一つではなく、

こうあるべき、

ねばならないから

の、

一つでもなく、



お互いが

相手を

愛し、尊敬しているが故の

一つなのだそうです。



その愛をもって

私たち人間を

愛して、

大切に思って下さっている、



その愛の故の

一つなのでしょうね。





私たちの心にも、

あの方への愛と尊敬の念が

あふれて、



「わたしがこれを語り、これを行う」と

言われている、

あの方との一つを、

いよいよいただいていきたいものです。



今日も。



イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"


新しい心、新しい霊、なのだそうですから

2014-01-23 23:56:21 | 聖書から
わたしは

お前たちに

新しい心を

与え、



お前たちの中に

新しい心を

置く。

エゼキエル書36:26
 





弟子たちは

喜びと

聖霊に

満たされていた。

使徒13:52
  



(ローズンゲン日々の聖句1/24;金)






霊が替わると

心の思いが

変わり、



心の思いが変わると

行動が

変わるのだそうです。





「聖である霊」と呼ばれる方の思いが

私たちの心に来て、



私たちは

印刷された紙にではなく、

自分の心の内に

あの方の御思いを授けられた者となり、



行動が

内側から

あの方の御思いに沿ったものに

変わっていくのだそうです。




パウロは、

このことを

「キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理」

と呼び、



「律法にはできなくなっていることを神はして下さった。

…… 

肉に従って歩まず、

御霊に従って歩む私たちの中に、

律法の要求が

全うされる」

(ロマ8:2~6)

と表現しているのだそうですね。




御霊に満たされ、

あの方の思いに満たされ、

御霊に属することを

ひたすら考える者とされ、



いのちと喜びと平安に

満たされ、



あの方が、

今日、

私を通してしようと思っていらっしゃることが、



今日、

私を通して現れていく、



そういう者に

されていくのだそうですね。

私たち。



今日も。



イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"

あの方との一つに進むのですね。「聖である霊」と呼ばれる方によって

2014-01-22 23:55:04 | 聖書から
あなたの主権は

とこしえの主権、



あなたの統治は

代々に。

詩篇145:13






 神は

秘められた計画を

知らせて下さいました。



これは、

前もって

キリストにおいて

お決めになった

神の御心によるものです。





こうして、

時が満ちるに及んで、

救いの業が完成され、



あらゆるものが、

頭であるキリストのもとに

一つにまとめられます。



天と地にあるものも

キリストのもとに

一つに

まとめられるのです。

エフェソ1:9〜10




(ローズンゲン日々の聖句1/23;木)






天地万物は、

人間の住みかとして、

あの方によって

用意されたものなのだそうです

(イザヤ48:18)

が、



その人間は

「われわれのかたちとして、われわれに似せて

(創世記1:26)」

との願いで

創造されたものなのだそうですね。





これを

イエスのことばでいうと



「父よ、

あなたがわたしにおられ、

わたしがあなたにいるように、

彼らがみな一つとなるためです。



また、

彼らも

わたしたちにおるようになるためです。」





「わたしたちが一つであるように、

彼らも一つであるためです。」

(ヨハネ17:21、22)

ということであり、



「わたしたちが一つであるように、

わたしたちと一つになる者.が欲しい」

ということなのでしょうか。




そして、

あの方の計画の時が満ちるに及んで、

あらゆるものが、

キリストのからだとして

一つに集められることになる、



その時が来るのだそうですね。



救いの業が完成するそのとき、

創造の目的が完成する

そのときなのでしょうか。




イエスの十字架刑での処刑と復活、

天の父なる神の右の座に着かれたことによって、



イエスに代わって私たちに派遣されて、

今、

来て下さっている方、

「聖である霊」と呼ばれる方のお働きで、

私たちの心の思いに、

「父である方」の御思いの

私に関わる分が

思われるようになるのだそうです。




いつも一緒に居て、

存在が一つになり、



心の思いが

あの方と一つになり、



その思いについて行くとき、

行動が

あの方と一つになるのだそうですね。




完成のその時を目指して、

イエスが、

「わたしがわたし自身からは何事もせず、

ただ父がわたしに教えられたとおりに、

これらのことを話している」

(ヨハネ8:28)。



「わたしと父とはひとつです」

(ヨハネ10:30)

と言っておられる事実の中に

進みたいですね。



御霊に満たされることによって。



今日も。




イメージ 1





[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]





[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"