朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

私が弱い時ほど、この方の御力は大きく現れるのですから

2024-08-22 20:56:31 | 聖書から
私が
「足がよろめく」と言ったとき、
主よ、あなたの慈しみが
私を支えてください。詩94:18
 
わたしの恵みはあなたに十分である。
力は弱さの中で完全に現れるのだ。
          Ⅱコリント12:9
 マタイ12:15~21
 マルコ9:14~29(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/23 ;金)

   ―――― α&ω ――――

 誰も助けてくれる者がいなくて、
私の足がよろめくとき、
天の神、【主】が、
私を助ける値打ちがあるからということではなく、
ご自身の恵みによって、
私を支えてくださるのですね。

私のうちに思い煩いが増すときにも、
ご自身の慰めで私のたましいを喜ばせれくださって。

そして、私たちが自分の弱さを感じれば感じるほど、
この方の御力は、その弱さの中に
完全に現れてくださるのだそうですから。

だから、私自身は弱くていいのですね。
弱いままでこの方をお呼びしていけば。

イエスは、
イザヤ書で預言されている通りの方なのですから。
 
「見よ。わたしが選んだわがしもべ、
わたしの心が喜ぶ、わたしの愛する者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は異邦人にさばき(正義)を告げる。
彼は言い争わず、叫ばず、
通りでその声を聞く者もいない。
傷んだ足を折ることもなく、
くすぶる灯芯を消すこともない。
さばき(正義)を勝利に導くまで。
異邦人は彼の名に望みをかける。」
        (マタイ12:18~21)
 

 マルコは9章14節から29節で、
イエスについて次のように記しています。

さて、彼ら(イエスとペテロ、ヤコブ、ヨハネ)が、
ほかの弟子たちのところに戻ると、
大勢の群衆がその弟子たちを囲んで、
律法学者たちが彼らと論じ合っているのが見えた。
群衆はみな、すぐにイエスを見つけると
非常に驚き、駆け寄って来てあいさつをした。

イエスは彼らに、
「あなたがたは弟子たちと
何を論じ合っているのですか」とお尋ねになった。
すると群衆の一人が答えた。
「先生。口をきけなくする霊につかれた私の息子を、
あなたのところに連れてきました。

その霊が息子に取りつくと、
ところかまわず倒します。
息子は泡を吹き、歯ぎしりして、
からだをこわばらせます。

それであなたのお弟子たちに、
霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、
できませんでした。」
 
イエスは彼らに言われた。
「ああ、不信仰な時代だ。
いつまで、わたしはあなたがたと
一緒にいなければならないのか。
いつまで、我慢しなければならないのか。
その子をわたしのところに連れて来なさい。」

そこで、人々はその子をイエスのもとに連れて来た。
イエスを見ると、
霊がすぐ彼に引きつけを起こさせたので、
彼は地面に倒れ、泡を吹きながら転げ回った。

イエスは父親にお尋ねになった。
「この子に
このようなことが起きるようになってから、
どのくらいたちますか。」

父親は答えた。
「幼いとこからです。
霊は息子を殺そうとして、
何度も火の中や水の中に投げ込みました。
しかし、おできになるなら、
私たちをあわれんでお助けください。」

イエスは言われた。
「できるなら、と言うのですか。
信じる者には、どんなことでもできるのです。」

するとすぐに、その子の父親は叫んで言った。
「信じます。不信仰な私をお助けください。」
 
イエスは、群衆が駆け寄ってくるのを見ると、
汚(けが)れた霊を叱って言われた。
「口を聞けなくし、耳を聞こえなくする霊。
わたしがおまえに命じる。
この子から出て行け。
二度とこの子に入るな。」
すると霊は叫び声をあげ、
その子を激しく引きつけさせて出て行った。
するとその子が死んだようになったので、
多くの人たちは
「この子は死んでしまった」と言った。
しかし、イエスが手を取って起こされると、
その子は立ち上がった。

イエスが家に入られると、弟子たちがそっと尋ねた。
「私たちが霊を追い出せなかったのは、
なぜですか。」
すると、イエスは言われた。
「この種のものは、祈りによらなければ、
何によっても追い出すことはできません。」
 

 イエスは、
このような汚(けが)れた霊にさえ命じると、
その霊は従う、
権威を持っておられる方。
出エジプト3:14に記されている通りの、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる、
「あろうとするとおりにあることができる方」
なのですね。
 
天使の12軍団に命じて、
すぐ出動させることさえできるこの方が、
私たちを大切に思うゆえに、
人間の手にかかって捕らえられ、
裁判の時も一言も抗弁しないで、
なされるままに嘲弄され、
屠られる小羊のように黙って
十字架刑を受けてくださったのですね。
 
神の創造の目的からズレてしまい、
「的外れ」になっている私たちの
〔生まれた時からの私〕という霊を、
処刑が終わっている者、
死んだ者と手続きしてくださって、
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方が来ても
大丈夫なようにしてくださるために。
 
この【聖である霊】とよばれる方が、私たちの心に
【父である神】の
私たちひとり一人に関わる御思いを置き、
私たちのうちに
【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが、自分の自由意思で
【父である神】と思いを合わせ、
【父である神】が、
私を通してしようと思われることをしていく生き方を
生きるようになるために。
 
この方の恵みによって支えていただき、
弱い私を通して、この方の偉大な力の現れを
見せていただきながら。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
(聖書のことばへの疑問やご意見、
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また、婚活で広く出会いを求めたい
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ひとり一人が、もれなく、役割を持つ者に、と

2024-08-20 10:29:14 | 聖書から
(アブラハムの)しもべは、
主がこの旅の目的を
かなえてくださるかどうかを
知ろうと、黙って彼女(リベカ)を
見ていた。創世記24:21

彼らが主を礼拝し、
断食していると、聖霊が告げた。
「さあ、バルナバとサウロを
私のために選び出しなさい。
わたしが前もって
二人に決めておいた仕事に
当たらせるために。」
そこで、彼らは断食して祈り、
二人の上に手を置いて出発させた。
                使徒13:2~3
 
 マルコ3:1~10(11、12)
 マルコ8:27~33(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/20;火)
 
   ―――― α&ω  ――――

 このしもべは、主人アブラハムから
一人息子イサクの妻を、その土地の女性ではなく
主人の親族の中から見つけてくるようにとの
命を受けて、アブラハムの弟ナホルのいる
アラム・ナハライムへ向けて旅立ちました。
何の当てもないまま。
 
旅を続け、その町についたしもべは、
夕暮れ時、水を汲む女たちが出て来るころ、
町の外の井戸のそばにらくだを伏させ、
神に祈って言いました。
「私の主人アブラハムの神よ。
どうか今日、私のために取り計らい、
私の主人アブラハムに恵みを施してください。

ご覧ください。私は泉のそばに立っています。
この町の人々の娘たちが、
水を汲みに出て来るでしょう。
私が娘に、
『どうか、あなたの水がめを傾けて、
私に飲ませてください』と言い、
その娘が、『お飲みください。
あなたのらくだにも水を飲ませましょう』
と言ったなら、その娘こそ、
あなたがあなたのしもべイサクのために
定めておられる人です。
このことで、あなたが
私の主人に恵みを施されたことを、
私が知ることができますように。」
 
そして、やって来た娘が、泉に下りて行き、
水がめを満たして上がって来た時、走って行き、
『どうか、あなたの水がめから、
水を少し飲ませてください』と言うと、
彼女は、『どうぞ、お飲みください』とすばやく
その手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。
水を飲ませ終わると、彼女は、
『あなたのらくだにも、飲み終わるまで、
水を汲みましょう』と言って、急いで水がめの水を
水ぶねにあけ、水を汲みに、
再び井戸まで走って行き、
すべてのらくだのために水を汲んだ。
このしもべは、【主】が自分の旅を
成功させてくださったかどうかを知ろうと、
黙って彼女を見つめていた、のですね。
 
 
 シリアのアンティオキアの教会には、
ユダヤ人だけではなく、異邦人で
イエスを救い主として受け入れた者たちも
集まっていました。
彼らが主を礼拝し、断食しているとき、
【聖である霊】と呼ばれる神が、
「さあ、わたしのために
バルナバとサウロを聖別して、
わたしが召した働きに就かせなさい」
と言われたのですね。

そこで彼らは断食して祈り、
二人の上に手を置いてから、
宣教のために送り出しました。
 

 ある安息日のこと、イエスは再び会堂に入られた。
そこに片手の萎えた人がいた。
人々は、イエスがこの人を安息日に直すかどうか、
じっと見ていた。イエスを訴えるためであった。

イエスは、片手の萎えたその人に言われた。
「真ん中に立ちなさい。」
それから彼らに言われた。
「安息日に律法にかなっているのは、
善を行うことですか、それとも悪を行うことですか。
いのちを救うことですか、
それとも殺すことですか。」
彼らは黙っていた。

イエスは怒って彼らを見まわし、
その心の頑なさを嘆き悲しみながら、その人に、
「手を伸ばしなさい」と言われた。
彼が手を伸ばすと、手は元どおりになった。

パリサイ人たち出て行ってすぐに、
ヘロデ党の者たちと一緒に、
どうやってイエスを殺そうかと相談し始めた。
 
それから、イエスは弟子たちとともに
湖のほうに退かれた。
すると、ガリラヤから出てきた
非常に大勢の人々がついて来た。
また、ユダヤから、エルサレムから、イドマヤから、
ヨルダンの川向うや、ツロ、シドンのあたりからも、
非常に大勢の人々が、
イエスが行っておられることを聞いて、
みもとにやって来た。

イエスが多くの人を癒されたので、
病気に悩む人たちがみな、イエスにさわろうとして、
みもとに押し寄せてきた。

汚れた霊どもは、
イエスを見るたびに御前にひれ伏して
「あなたは神の子です」と叫んだ。
イエスはご自分のことを知らせないよう、
彼らを厳しく戒められた。(マルコ3:1~12)
 

 さて、イエスは弟子たちと
ピリポ・カイサリアの村々に出かけられた。
その途中、イエスは弟子たちにお尋ねになった。
「人々はわたしをだれだと言っていますか。」
彼らは答えた。
「バプテスマのヨハネだと言っています。
エリヤだと言う人たちや、
預言者の一人だと言う人たちもいます。」

するとイエスは、彼らにお尋ねになった。
「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」
ペテロがイエスに答えた。
「あなたはキリストです。」
するとイエスは、自分のことを
だれにも言わないように、彼らを戒められた。
 
それからイエスは、人の子は多くの苦しみを受け、
長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、
殺され、三日後によみがえらなければならないと、
弟子たちに教え始められた。
 
イエスはこのことをはっきりと話された。
するとペテロは、イエスをわきにお連れして、
いさめ始めた。
しかし、イエスは振り向いて弟子たちを見ながら、
ペテロを叱って言われた。
「下がれ、サタン。
あなたは神のことを思わないで、
人のことを思っている。」(マルコ8:27~33)
 

 私たちの造り主である天の神、【主】は、
私たち一人一人に
役割を与えておられるというのですね。
アブラハムのしもべには、イサクの妻を探しに行かせ、
イスラエル12部族を造り出されるために用いて。

バルナバとサウロには、
地中海世界にイエスを伝える役目を与え、

そして、イエスご自身には、神の国を伝え、
病をいやし、悪霊を追い出して、
ご自身がメシア(キリスト)であることを実証し、
その、神の子、キリストが、
【父である神】の御心にしたがって、
十字架刑での死刑を受け、
三日後に新しい霊のからだに復活することで、
神の創造の目的から「的外れ」になっている、
すべての人間の〔生まれた時からの私〕という霊を
死刑が終わった者、死んだ者との手続きを
完了してくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方が人間に来られ、
一人一人のうちに【父である神】の御思いを置き、
一人一人のうちに
【父である神】の御思いがあるようにし、
受け入れる者が【父である神】と
思いを一つにして生きる者に回復する役目を与えて。

私たちも、【聖である霊】と呼ばれる方が
心に置いてくださる、
【父である神】が私を通して、
今日しようと思われることを、今日していき、
今日の私の役目が果たされるように、と。

あのアブラハムのしもべのように、
黙って、神がどう働かれるかを見つめながら。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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私たちも、ご自身と同じ栄光に輝かそうと

2024-08-18 18:07:26 | 聖書から
傷ついた葦を折らず、
くすぶる灯心の火を
消すことがない。イザヤ書42:3a
         (8/18の週の聖句)
 
あなたは人間を、
神にわずかに劣る者とされ、
栄光と誉の冠を授けられた。詩8:6

主イエスは、
ご自身の神としての力によって、
いのちと敬虔に関わる全てのものを、
私たちに与えてくださいました。
それは、私たちを
ご自身の栄光と力ある顕現とで
召された方を、私たちが
知ることによるのです。Ⅱペテロ1:3
 
 マルコ7:31~37
 使徒9:1~20
 イザヤ書29:17~24
 説教:ルカ13:10~17
 通読:詩147
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/18;日曜)
 
   ―――― α&ω  ――――

 イエスは、傷ついた葦を折ることもなく、
くすぶる灯心を消してしまうこともなく、
真実をもって裁きを執り行われる方なのですね。

 そして、【父である神】の御思いを受けて、
私たち人間を
ご自身よりもわずかに足りないものとして
創造してくださり、
栄光と誉の冠を与えてくださるのですね。
いのちと敬虔に関わる全てのものを
与えてくださって。
 
 
 耳が聞こえず、口のきけない人に、
「エパタ(開け)」と言われて聞こえ、
話せるようにもされ(マルコ7:31~37)、

また、十字架刑での死を経て復活し、
天の【父である神】の右の座に帰られた後も、
イエスの弟子たちを捕らえ、殺そうと
ダマスコに向かっていたパウロに現れ、
パウロを迫害者からイエスを伝える者に
ひっくり返して(使徒9:1~20)。
 
「その日、耳の聞こえない人が、
書物のことばを聞き、
目の見えない人の目が、暗黒と暗闇から物を見る。
柔和な者は【主】によってますます喜び、
貧しい者はイスラエルの聖なる方によって楽しむ。
(イザヤ29:18,19)と預言されていた通りに。

だから、私たちも歌うのですね。
詩篇の作者と同じ思いで。
 
ハレルヤ。
まことに われらの神にほめ歌を歌うのはよい。
まことに楽しく、賛美は麗しい。
【主】はエルサレムを建て
イスラエルの散らされた者たちを集められる。
主は心の砕かれたものを癒し
彼らの傷を包まれる。
主は星の数を数え
そのすべてに名を付けられる。
われらの主は偉大であり 力強く
その英知は量り知れない。
主は心の貧しい者を支え
悪しき者を地面に引き降ろされる。
 
感謝をもって主に歌え。
竪琴に合わせて われらの神にほめ歌を歌え。
神は濃い雲で天をおおい
地のために雨を備え
また 山々に草を生えさせ
獣に また 鳴く烏の子に
食物を与える方。
神は馬の力を喜ばず
人の足の速さを好まれない。
主を恐れる者と
御恵みを待ち望むものとを【主】は好まれる。
エルサレムよ 【主】をほめ歌え。
シオンよ あなたの神をほめたたえよ。
主は あなたの地境に平和を置き
最良の小麦であなたを満たされる。
ハレルヤ。
 
この新しい週も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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神の現れの中で、賛美の歌を

2024-08-13 18:24:43 | 聖書から
新しい歌を主に歌え。
全地よ、主に向かって歌え。詩96:1
 
(弟子たちは神を賛美して言った。)
「主の名によって来られる王に
祝福があるように。
天には平和、いと高き所に
栄光があるように。」ルカ19:38
 
 サムエル記上17:38~51
 マルコ7:24~30(通読箇所)
    (ローズンゲン『日々の聖句』8/13;火)
 
   ―――― α&ω  ――――

 全地が、自然界のすべてのものが、
造り主である天の神、
【主】をほめたたえているのですね。
 
2000年近く前のこと、イエスが子ろばに乗って
エルサレムに入場されるとき、
弟子たちは、イエスが、
いよいよ、キリスト、王として立たれ、
ダビデの王国を再建するものと思い、
このように神を賛美しました。

しかし、この時のイエスのエルサレム入場は、
王として立つためではなく、
私たち、すべての人間の、
神の創造の目的からの「的外れ」の責任を
ご自身の身に、一身に背負い、
私たちすべての人間の身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けるための
エルサレム入場だったのですね。
 
このイエスの死によって
神の創造の目的から「的外れ」になっている
〔生まれた時からの私〕という霊を、
神は、処刑が終わった者、死んだ者と
してくださるのですね。
 
そして、死んで墓に納められ、
三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の【父である神】の右の座に帰られた
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、私たちの心に
【父である神】の私に関わる御思いを置き、
私たちがイエスと同じように、
自分の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが実現しますようにと
願いながら、この人生を生きるように
してくださいます。
新しい歌を、賛美の歌を神に向かって歌いながら。
 
 
 イエスからさらに1000年ほど前の
イスラエルでのこと、地中海沿いの国、
ペリシテ人の大軍が
イスラエルに攻め上って来ました。

当時のイスラエルの王は、第一代の王サウル。
サウルも全国から兵を集め、
ペリシテ軍と対峙しました。

すると、
ペリシテ軍から一人の巨人の代表戦士が現れ、
イスラエル軍に戦いを挑みました。
「何のために、おまえらは出て来て
戦いの備えをするのか。
俺はペリシテ人、
おまえらはサウルの奴隷どもではないか。
一人を選んでおれのところへよこせ。
おれと戦っておれを殺せるなら、
おれたちはおまえらの奴隷になる。
だか、おれが勝ってそいつを殺したら、
おまえらがおれたちの奴隷となって、
おれたちに仕えるのだ」と。
 
それでイスラエルの兵は非常に恐れ、
出て行く者はありませんでした。
それが40日も続いたとき、
ちょうどそこに、父親の使いで
この戦いに出ている兄たちの安否を尋ねるため、
ダビデがやって来ました。
 
そして、このゴリアテが
イスラエルをなぶる言葉を聞いたダビデは
怒りを燃やし、自分の羊を飼う杖を手に取り、
川から滑らかな小石五つを袋に入れ、
石投げを手にゴリアテに向かって行きました。

「おまえは、剣と槍と投げ槍を持って
私に向かって来るが、
私はおまえがそしったイスラエルの神、
万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かう。
今日、おまえは私の手に渡される。
すべての国は、
イスラエルに神がおられることを知るだろう。
ここに集まっているすべての者も、
剣や槍がなくても、
【主】が救いをもたらすことを知るだろう。
この戦いは【主】の戦いだ。
主はおまえたちをわれわれの手に渡される」と。
 
そして、ダビデが放った小石は
青銅のかぶとをかぶっているゴリアテの額に
食い込み、ゴリアテは地面に倒れたのですね。
         (サムエル記上17:38~51)
 
 
 イエスがツロの地方にひそかに行かれたとき、
ある女性が、すぐにイエスのことを聞き、
やって来て、
家におられるイエスの足元にひれ伏しました。
彼女の幼い娘が、汚れた霊につかれていた。
彼女はギリシャ人で、
シリア・フェニキアの生まれ
(つまり、異邦人)であったが、
自分の娘から悪霊を追い出してくださるよう
イエスに願った。

するとイエスは言われた。
「まず子どもたちを満腹にせねばなりません。
子どもたちのパンを取り上げて、
子犬に投げてやるのはよくないことです。」

彼女は答えた。
「主よ。食卓の下の子犬でも、
子どもたちのパンくずはいただきます。」

そこでイエスは言われた。
「そこまで言うのなら、家に帰りなさい。
悪霊はあなたの娘から出て行きました。」
彼女が家に帰ると、
その子は床(とこ)の上に伏していたが、
悪霊はすでに出て行っていた。(マルコ7:24~30)
 
 
 少年のダビデも、神様に信頼して
ゴリアテの前に出て行きました。
イエス様も、【父である神】が思われるとおりに、
ユダヤ人ではない、
このフェニキア出身の女性の信頼にこたえて、
娘から悪霊を追い出してくださいました。

私たちも、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いに信頼して
一歩踏み出して行きたいですね。
神のみわざの現れを見て、
賛美の歌をささげながら。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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聖なる方に思いを合わせて

2024-08-10 23:00:45 | 聖書から
神は、高ぶる者を退け、
へりくだる者に恵みをお与えになる。
        Ⅰペテロ5:5b(8/11の週の聖句)

わたし自らが聖なるものであることを
あなたがたに示す。
わたしがあなたがたを、
イスラエルの地、
あなたがたの先祖に
与えると誓った地に導きいれるとき、
あなたがたはわたしが
主であることを知るようになる。
      エゼキエル書20:41~42
 
信仰によって、アブラハムは、
自分が受け継ぐことになる地に
出て行くように召されたとき、
これに従い、行く先を知らずに
出て行きました。へブル書11:8
 
 福音書:ルカ18:9~14
 使徒書:エフェソ書2:4~10
 旧約:サムエル記下12:1~10、13~15a
 説教:ガラテヤ書2:16~21
 通読:詩145
   (ローズンゲン『日々の聖句』8/11;日)

   ―――― α&ω ――――

 「高ぶる者」。
私たち人間は、天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)によって、
「われわれのかたち、われわれに似た者を」と
望まれて創造された者なのですね(創世記1:26)。
 
「われわれ」。
【父である神】、【御子である神】、
【聖である霊】と呼ばれる神が、それぞれ、
全知、全能、永遠不変の方でありながら、
自分の思いを主張するのではなく、
愛において、相手を尊敬し、大切に思って、
自分の思いが成ることではなく、
相手の思いが実現することを願い、
思いを一つにし合っておられる(ヨハネ6:38、8:28、
12:49~50、14:10、16:13~14)、
その思いを一つにし合う
愛の関係に加わる者をと願われて。

 けれども、私たち人間は、
自分ひとりが一番素晴らしいものになりたいと思い、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」
(創世記3:22)になり、
造り主である神に対立、対向し、
神と張り合っていく、高ぶる者となっています。

 「へりくだる者」。
自分がそのような、高ぶっている者であることを
知り、認めて、神に心を向け、
イエスと同じように
「私の思いが成ることではなく、
【父である神】の御思いが成りますように、
実現しますように」と願っていく者を
神は受け取って、
恵みをもってお扱くださるのだそうです。

 「聖なる者。」
この方は、ご自分が人間とは全く違う者、
別な者であることを
私たち人間に知らせると言われるのですね。
 
イスラエルの人々を約束の地、
イスラエルの地に帰すことを通して。
 

 このエゼキエル書の預言のとおりに、
神は、紀元前530年頃、バビロンに捕囚になっていた
イスラエルの民をユダヤに帰還させられました。
 
 そしてまた、紀元70年、
ローマ軍によってエルサレムは徹底的に破壊され、
多くの人々は殺され、
生き残った人々は世界中に散らされましたが、
第二次世界大戦を通して、1900年の時を経て
ユダヤ人は世界中から
イスラエルに帰還しているのですね。
 
このことを通しても、神は、
ご自分が「聖なる者」であること、
人間の歴史を導く、人間の延長上のものとは別の者、
人間とは全く違う者であることを
示しておられるのですね。

 私たちは、この方の創造の目的のとおりに、
この方と思いを一つにして、
自分の思いを実現することよりも
この方の思いが実現することを願っていく生き方を
していくのですね。
 
アブラハムが、この方から、
「わたしの示す地に行きなさい」(創世記12:1)
と言われて、この方に信頼し、
行く先を知らないまま故郷を出て行ったように。
 

 【父である神】の御思いに従い、
私たちの身代わりとなって
私たちの「的外れ」の責任を一身に背負い、
十字架刑での死刑を受けて死に、
納められた墓から、三日目、
新しい霊のからだに復活され、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見ている前で上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエス。
 
そのイエスを通して私たちに来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が、私たちの心に
【父である神】の私に関わる御思いを置き、
私のうちに【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちが【父である神】の思いを受けて、
【父である神】の御思いのとおりに生きていくように
していてくださるのですから。
 
アブラハムのように、この方に信頼し、
御思いにしたがって出て行くようにと。
この新しい週も。
 
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