身内で祝うつもりであったのに、どこで聞きつけたのか大勢の人が来てくれた。
息子の通う宜野座高校は4クラスしかないミニ校。私の頃は6クラスあったのに区域制がなくなり、どこでも通えるようになったので、年々受験者が減ってしまった。どうにかしないと・・と母校を思う方々が集まり、「宜野座高校」を支援しようという輪ができ、知恵を出し合った結果として、進学校を目指すということになった。10年前からの取り組みが実を結んで、去年、今年と進学率のアップ、国立大合格者という結果を生み出した。我が息子も、宜野座村営塾「がらまん塾」の恩恵に授かり、国立大に合格できた。
支援して下さった皆さん ありがとう 講師の先生方 ありがとう「ワンランクアップ」のスローガンを掲げて支えて下さった、宜校の先生方 ありがとう なんといっても此処まで励まして導いて下さった仲地館長 ありがとうございました。
地元にある高校で学び、志望する大学へ進学できることの嬉しさはひとしおです。私の大好きな「宜野座高校」。私以外のたくさんのOBたちがこの学校のファンです。バンカラで、一人ひとりの顔の見える学校、職員も生徒も共に学園生活を楽しむことができる、そんな校風が今もある。
垣花樋川(垣の花ヒージャー)のすぐ近くまで行ったのに、どこに車を止めたらいいのか、どこがヒージーの入口だったのかわからなくて・・数年前に行った時と何か変わっているような気もし、喫茶店があってそこを右折すると、小さな道に迷い込んでしまった。それでもどうにかなるさと道なりに下り坂をいくと、大きな通りに出てしまったので、仕方なくそのままそこを離れていった。残念だった。
この日は、久しぶりの息子とのデートだったので、私は饒舌になっていた。知ったかぶりしていたのに、うろうろ。また、いつもの調子。
写真の場所は「山辺の茶屋」・・建築に興味のある息子を連れて行きたかった場所。崖の上によくもこんな建物ができるものだと。中も面白い。自然にあった大きな岩を二階建ての家の中に取り込んでいる。
一階もなかなかいい。が、二階の窓からの景色もいい。建物へ続く階段の脇にガジュマルの大木。その根が石を抱いている。ガジュマルは「榕樹」よく言ったものだ。
金武町の町花は「さくら」
である。
何十年か前に各家庭に桜の苗木が配布されたと聞いたことがある。今、その
桜の木が成熟?してきれいな花を咲かせるようになった。
早春のこの季節、町を歩くと、こっちの家、あっちの家、の桜色が目に入ってくる。
桜色はこころ はずむ いろ。
今日は不思議、次から次へとがかかってきて、
しませんか?という4件の誘いの電話。といってもすべてwomenです。残念。
一人ずつちがう日だったら良かったのに。 こんな日もあるんだね
こんな可憐な花もある。ちょっとピンボケ。
今日の沖縄は寒い。
阪神も宜野座キャンプ始動、うちの息子もそこでバイトだそう。
しばしの間、宜野座がにぎやかになる。
野球少年たちのあこがれのプロ球団。息子も張り切っているようだ。
彼は今年大学を卒業する。就職は決まっていない。厳しい世の中になってしまった。 w~~~早くこの不況から脱出してほしいな~
昨日やんばるのドライブから帰る58号線は大混雑。Yナンバーとわナンバーの事故があった。
天候が良い週末は、夕方になるとこのような混雑がよくある。
中南部の都会からやんばるの森をめざす人が多い。多いということは、やっぱり人間は、都会だけではいやだ、人工建造物のコンクリートジャングルから、時には抜け出したいということなのだ。
でも、今、沖縄のやんばるの森は、少しずつ切り開かれている。昔は、だんだん人が増え、家が増えて町になっていくのは嬉しいことだった。だから、やんばるに住む人からすれば生活に便利な都会のようになって行くのは嬉しいことなのかも知れない。
沖縄島を俯瞰した場合、南に大都会があり、北にイタジイの森が広がっている。しかし、森はもう生息吐息状態。これ以上の開発が進めば、もはや私たちに、癒しとなる場所はない。
やんばるはやんばるの森を残したままで、生活していけるような制度を整えていく必要があると思う。そのヒントがニュージーランドにあった。以前TVで観たそれは、「森に入る人を年間で制限し、きちんとした案内人を伴って森に入る」というもの。入湯税ならぬ入山税を設けて、それをやんばるに住む人が、森を守っていく為に使えばいいし、それが生業として成り立っていけばいいと思う。
やんばるの森を守るのは、沖縄の緊急課題なのではないかと思っている。
(写真は名護中山:新しい道が開けてた所にアカギの大木が)