皆さんもご存知かも知れませんが
このブログを書いている、私(佐藤信顕)はお葬式マニアです
自分でプロといったり、葬儀好きというのは、なんだか
こっぱずかしいので
あえてマニアになっているのは、訳があって
数字や理論を重要視しているのは
心っていう目に見えないものを扱っているときに
心ばっかり、重要視してしまうのが心を扱う人の
陥り安いミスなんじゃないかと思っているからです
世の中は「心」と「物」の二つで出来ていて
人間も「身体」と「心」の両方で回っています
心って、脳内の出来事ですから
ものすごいあいまいで、強烈で制御しにくい代物です
心ばかり見ていこうとしても
心は目に見えません
絵を描くときも一緒です、そのものを書くよりも何も無い
その周辺を良く見ること、誰の言葉だったか忘れましたが
その物をよく見るためには、それ以外の部分を注意して
見ることが大切です
お葬式を数字で考えるようにしています。
結論が出ちゃえば、そういうモノのことは
考えなくても済むし本当にお客さんを見ること
そういう事に時間を割くことが出来ます。
心を大切にしたければ、まず物を徹底的に考え抜きましょう
それが僕が皆さんにできる、お約束です
このブログを書いている、私(佐藤信顕)はお葬式マニアです
自分でプロといったり、葬儀好きというのは、なんだか
こっぱずかしいので
あえてマニアになっているのは、訳があって
数字や理論を重要視しているのは
心っていう目に見えないものを扱っているときに
心ばっかり、重要視してしまうのが心を扱う人の
陥り安いミスなんじゃないかと思っているからです
世の中は「心」と「物」の二つで出来ていて
人間も「身体」と「心」の両方で回っています
心って、脳内の出来事ですから
ものすごいあいまいで、強烈で制御しにくい代物です
心ばかり見ていこうとしても
心は目に見えません
絵を描くときも一緒です、そのものを書くよりも何も無い
その周辺を良く見ること、誰の言葉だったか忘れましたが
その物をよく見るためには、それ以外の部分を注意して
見ることが大切です
お葬式を数字で考えるようにしています。
結論が出ちゃえば、そういうモノのことは
考えなくても済むし本当にお客さんを見ること
そういう事に時間を割くことが出来ます。
心を大切にしたければ、まず物を徹底的に考え抜きましょう
それが僕が皆さんにできる、お約束です
しかし、現在は葬祭業者による葬儀が中心であり、それはそれで現実を考える必要があるとおもっております。それでもやはり私の場合は「観念」を問題にしています。死生観そして、葬儀の在り方。それが私にとっての問題意識です。
お久しぶりです、物から考えるというのは
たとえばお骨の相挟みも、あれは何でやるかというと、ご不幸を分散するためとか、あの世への橋渡しとか文化風習的にはいろいろ言われる訳ですが
物から見ると細長いものを箸で持つときに一点で持つと非常に持ちにくいわけで、二点以上で固定したほうが持ちやすいので二人で行ったほうが骨が拾いやすいからというのを聞いたことが有ります
数とか理論で葬儀を見るというのは、そういうことなんじゃないかと思います
だから決して、気持ちの世界を否定するわけじゃなくて。なんでなんだろうという気持ちを大事に行うためにモノの世界を注意深く見ていこうというそういう話なんですね、ハイ