命を散らしていく場面を、これでもか、これでもかと描いて見せるリアリズムの裏に見えてくるものがある。
「侍」とは何か。
「武士道」とは。
「忠義」とは。
「命」とは、といった「生き方」に関する命題が浮かんでくる。
血を流し悶絶していく男の場面に、現代に生きる我々は、命の虚しさを感じ、
死んでいく者にある種の哀感を感じてしまうのではないか。
こうした感情の果てに「命の尊厳」という最も現代的で新しいテーマが見えてくる。
重い命がグロテスクに描かれ、死んでいかなければならない男の覚悟が気高くさえ思えてきます。
事実、(1)で示した三本の映画のシーンで私が感じたのは、自らの命を「断つ」という場面で、
「悲しみに似た感情」を抱き、目頭が熱くなってしまった記憶がある。
具体的にいえば、忠臣蔵で浅野内匠頭(たくみのかみ)の幕命による止むにやまれぬ切腹シーンに感じる
「悲しみに似た感情」である。
現代劇では描くことが難しい「命」の問題を 「死」という側面から考えさせられた3本の映画でした。
(おわり)
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