雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「おもかげ復元師の震災絵日記」 笹原留依子著

2015-02-27 15:00:00 | 読書案内

読書案内 おもかげ復元師の震災絵日記 笹原留依子著 ポプラ社 2012.8 第1

 悲しくて、切なくて、優しくて忘れられない本。

 著者は復元納棺師。東日本大震災では、発生後まもなく沿岸地域に入り、津波や火災で大きな損傷を受けた遺体を生前の姿に戻す「復元ボランティア」に献身した。その時の体験をありのままに、文と絵で表現した本。2012年1月、社会に喜びや感動を与えた市民に贈られる「シチズン・オブ・ザ・イヤー」を受賞する(著者紹介より抜粋)。その一つを紹介します。

2才 女の子

 おじいちゃんに持たせてもらった

 「紙オムツ」

 「必需品だもんな…」ってね。

  ちっちゃい手に 持たせたオムツは、

  とっても大きく感じたね。

   落とさない様に、

  大事に持って行ってね

  握った手が離せなくなり、

 「手が温かくなったぞ!」

   って、顔をあげた

  おじいちゃん、目からいっぱい

  大粒の涙が流れていました。

  津波の犠牲になった2歳の女の子。永遠のお別れに「紙オムツ」を持たせてやるなんて。

誰がこんな辛くて悲しいことを想像できたでしょう。

「手が温かくなったぞ!」って。おじいちゃんの悲しみが私にも伝わってきました。(毅)

 もう一つ紹介します。

7才 男の子

 許可がないと復元出来ず…。

 2時間待ったけど、

 やっぱり御家族の方と会えず…。

「ごめんね 、

 復元して 元に戻してあげたかったのに

 ごめんね。」

 

 そう泣きながら

 あやまって…。

 目を潤ませて、「ごめんね」と、泣きながら手を合わせるおもかげ復元師・笹原さんの姿が目に浮かんできます。

2時間待っても、遺族に会えなかった。

必死に探している遺族の方、広い安置所に横たわり、ただひたすら黙って待つ7歳の男の子。

「なかなか見つけられなくてごめんな」体に寄り添うようにして号泣する家族。

悲しい再会ですが、「会えてよかったね」と私は安堵します。

法律上、亡くなった人に触れるにはご遺族の許可がいるため、笹原さんは身元不明のご遺体を復元することが叶わなかった(編集部注)

だから、次のような詩も笹原さんは慟哭の思いで書いてます。

全ては 安置所で

この子を復元できなかった、

深い後悔…

そこからはじまった…。

 

身元不明…。

3才…。法律を変えて…!!

そう願った。

私、抱きしめてあげたかった。

迎えに来てくれる、

お父さんとお母さんのために、

 

復元したかった…。

ごめんね。

 悲しみと優しさが伝わってきます。

  評価☆☆☆☆☆           (2015.2.26)

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読書案内「そして、星の輝く夜がくる」 (4) 真山 仁著

2015-02-24 10:00:00 | 読書案内

読書案内 そして、星の輝く夜がくる (4) 真山 仁著

「第五話・忘れないで」:

  第四話で登場したボランティアのリーダー・相原さつきが登場する。たった37ページの短編小説だが凝縮された    内容は読みごたえがある。「忘れないで」というメッセージもたくさんの意味を含んでいる。

 相原さつきの心の内を「忘れないで」と表現し、

神戸大震災で亡くした妻と娘の写真が小野寺に向かって「忘れないで」と呼びかけてくる。

遅々として進まない復興計画、仮設住宅に住み将来の見通しが全く立たない中で風化し始めた震災の記憶。

被災地と被災を免れた地域との温度差。「東北を忘れないで」切ない呼びかけである。

 「人は皆、忘れていくもんだ。だから生きていけるとも言える。特につらい経験は忘れた方が良い。

失ったものをいつまでもくよくよ悩むべきでない。形あるものは必ず滅びる。

生き物はね、生まれた時から運命づけられているんだよ。

それが、早いか遅いか、突然やってくるか緩やかに訪れるかだけの違いだ」 

 小野寺の言葉は歯に衣着せずずしりと重く、妻と娘を亡くし、

阪神大震災の混乱をくぐり抜け復興に尽力してきただけに、説得力がある。

それぞれの「忘れないで」を考えてみよう。

 「第六話・てんでこ」:

 人の心が抱える悲しみや後悔、そして楽しかった日々……。

それは不意にフラッシュバックしてくる。忘れようとしても拭えない。

前に進もうと一生懸命生きていても突然襲ってくる。

だったらその感情や思い出を否定せず、折り合っていくのが人生なんだ。

阪神・淡路大地震から17年を経た中で、小野寺が何となく手にした悟りだった。

 震災遺構の話もそれぞれに思い入れがあり、

悲劇を繰り返さない教訓としてとらえる人と、

復興のシンボルとするには悲しい経験に未だに立ちなれない人と意見は分かれる。

子どもたちは、卒業記念制作として何を残したらよいか語り合う。

「津波てんでこ」というけれど、ひとにはそれぞれかけがえのない大切なものがあり、

そのために命を落とした人も少なくはない。

子どもたちのモニュメントは津波に立ち向かう金次郎の石像と、大津波を描いた壁画だった。

 被災地の現実を見つめ、そこで生きる子どもたちの素直でまっすぐな心が、違和感なく発揮されている。

同時に、阪神・淡路大地震の災害で妻と娘を亡くした小野寺の再生の物語にもなっている。

ボランティアリーダー相原さつきの存在も忘れがたい。ぜひ読んでほしい本の一冊です。

  評価☆☆☆☆☆      (おわり)

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読書案内「そして、星の輝く夜がくる」 (3) 真山 仁著

2015-02-23 12:20:00 | 読書案内

読書案内 そして、星の輝く夜がくる (3)

  子どもたちの純真な目が、福島第一原発事故を真摯にとらえた「ゲンパツが来た!」は小説で描かれた子供の視点だが、実際の子どもたちの作文には、以下のようなことも書かれている。

 僕は人間の汚い心を見てしまうことがあります。

 避難所に来た物資を被害を受けていない大人たちが持ち去ってしまったり。

 みなさんは、この愚民たちの愚かな行動をどう思いますか。数少ない物資を分けあうどころか余分にとり、本当に必要な人にわたらない。

自分さえ良ければ…あの時の大人は酷く醜い物だった。不適切だという意見が寄せられましたが解ってください

東松島市 中学二年 O君の作文(つなみ・被災地の子供たちの作文集より引用)

 「第三話・さくら」: 前任の小学校で被災し、目の前で教え子が津波にさらわれてしまった悲しい経験を持つ若い教師の            苦悩を描く。

 語られなかった真実。

なぜ彼女は多くを語らないのか。

記者会見や亡くなった児童の父親たちからその責任を追及される。

彼女に対する誹謗中傷の渦巻く中、少しずつ真実が明らかになって来る。

真実に蓋をして、事実の隠ぺいを計る教育委員会にも大きな問題がある。

先入観と飛躍した考え方が、真実を歪め当事者を傷つけていくが…。

やっぱり最後に優しい結末が待っている。

「第四話・小さな親切、大きな……」

 小野寺のかつての教え子で、ストイックなまでに規律を守ろうとするボランティアリーダーとの再会。

ボランティアの在り方を読者に問いかけ、心に傷を持った若い女の切なさがジンとしみて来る。

 小野寺もまた深い傷を持ったまま、阪神大震災で妻と子供を失った哀しみに耐え、星空を見上げ、気持ちを奮い立たせて生きている。

 緊急期を過ぎた被災地に、鬱屈(うっくつ)や不満が噴出し始めた。

小さな善意や親切がときとして、相手に大きな負担になり、

傷つけてしまうことを、小野寺は彼女から聞き唖然とする。

最後の一行。

 何も言えないまま彼女の背中を見送った後、小野寺の見上げた空には星が瞬き始めていた。  (つづく)

 

           真山 仁著

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読書案内「そして、星の輝く夜がくる」 (2) 真山 仁著

2015-02-20 22:50:00 | 読書案内

読書案内 そして、星の輝く夜がくる (2) 真山仁著

第二話 ゲンパツが来た!

 (前回の続き) (あんな壁新聞を作ることは)「すごい勇気ですよね。

 地元の教師には、あんな言いたい放題の壁新聞を作ろうなんて言えないでしょうね」

レポーターの言葉に、小野寺は答える。

「それはあなた方が、耐え忍ぶ被災者の勝手なイメージ―を作り上げてしまったからでしょ。

子どもたちは被災地でも天使のように明るいとか。

子どもたちのけなげな頑張りが涙を誘うとか。

そうやって子どもに無理をさせているのは、おたくらにも責任の一端があるんとちゃいますか」

 テレビや新聞・雑誌なとで私たちもまたメディアの流す情報に感化され、いつの間にかそれが自分の考えだと錯覚してしまうことは往々にしてあることだ。

 一体、メディアにとってニュースバリューとは何なのだ。

マスコミが取り上げるのはいつも「感動、人情、涙」のものばかりだし、

人はそういう記事を歓迎するのだ、と小野寺は思う。読む側の私たちにも責任があるのではないか。

 

 

 「第二話・ゲンパツがきた!」:

 福島原子力発電所に勤務する父親を持つ転校生を巡って起こる子どもたちの優しさや強さを描く。

悪いのは東電、私たちは被害者だ、許すな糾弾しろと、大人たち。

だが、視点を変えれば随分身勝手な考え方でもある。

 

 子どもたちの素朴な疑問:「…どうして急に原発は悪で東電はウソつきって決めつけるんだろう」、

「…事故が起きたら、東電ばかり非難するのはおかしいと思います…」、

「日本の原発は世界一安全で地球にも優しいって。なのに今は正反対の話ばかりです。

どっちが本当なのか、僕は知りたい」。

子どもたちの疑問はもっともな疑問であり、柔軟な心が大人たちの偏見や矛盾を解きほぐしていく。

転校生を巡って、誹謗 中傷 憶測などいりみだれ、それでも子どもたちの目はしっかりと前を見ている。

「…僕の父は、福島第一原発で今も命がけで働いています。東電や原発は悪者かもしれません。

でも、安心を取り戻すために必死に闘っている人がいるのも知ってほしい」。

 澄んだ少年の目には一点の曇りもない。

「僕らは原発問題から目をそらしてはならないと思います」と、風化していく問題を見つめる純真な目がある。

(つづく)

 

 

           

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読書案内「そして、星の輝く夜がくる」真山 仁著

2015-02-16 20:30:00 | 読書案内

読書案内 そして、星の輝く夜がくる (1)

                           真山 仁著

 この作者の本は前に「コラプテオ」という「原発輸出を巡って政府を巻き込む利権争い」を描いた本として紹介した。

 今回は「東日本大震災で津波の被害を受けた被災地の子どもや大人たちの日常を通し、震災にまつわる様々な問題」を描いた連作短編ということで興味を惹かれて読んだ。

 

 「第一話・わがんね新聞」:

 小野寺徹平は神戸市教委から派遣された小学高教諭で、16年前に起きた阪神・淡路大地震の被災者で、この災害で妻と娘を失っている。

 「がんばるな」、小野寺の口癖だ。

これは、我慢するな! いい子になるなという、小野寺が子どもたちに託すメッセージなのだろう。

 提出された作文には子どもたちの生の声が集まった。

「…パパはお酒ばっかり飲み、ママはずっと泣いてます。こんな家族を捨ててどっかに逃げたい!」生活に疲れ果て追いつめられている両親が許せないのだろう。小野寺は彼女の気持ちをもっと知りたいと思う。

「…妹のぜんそくがひどい。ゼッタイにあのガレキのせいなのに、皆知らん顔している。あそこにガレキ置くな!!」子どもたちの本音がたくさんの作文の中に現れている。

「わがんね新聞」を出そう。

小野寺の発案である(「わがんね」とは、やってられないとか、もうダメだという意味がある)。

こんな新聞を発行してよいものか。

創刊号は生徒たちの手によって完成し、小野寺は檄文を書いた。

 町は全然復興しないし、家にも帰れない。

こんな生活はイヤだ。

いや、おかしいぞ!

みんな、もっと怒れ、泣け、そして大人たちに、しっかりせんかい! と言おう。

『わがんね新聞』は、この世の中と大人たちに、ダメ出しをする新聞です。

 当然のことながら、学校が難色を示し、親たちも「恥をさらすな」「眠っている子を起こすな」など反対があったが、壁新聞は意外な評判で発刊が続く。

 見てくれは稚拙な手作り新聞だが、意見は発信できるし、誰かに疑問を投げかけることもできる。

子どもたちの笑い声が聞こえ、小野寺も笑って答えた。(つづく)    2015.2.16

 

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読書案内 「雪炎」 馳 星周著

2015-02-13 21:50:00 | 読書案内

読書案内 「雪炎」  星周著

「雪炎」というタイトルに魅かれ読むことにしたが、これは、著者の造語で、広辞苑には載っていない。

冷たく、密かに燃え上がる情念の炎、というイメージと

「この地に生まれ育ったものはだれもかれもが原発の被害者なのだ―」

「原発マネーに依存する北海道の地方都市で、廃炉を公約に市長選に出馬。

そんな旧友の選挙スタッフになる元公安警察官の和泉だが…」というキャッチコピーが私を惹きつけた。

 原発の町で展開される推進派と反対派の葛藤を期待し、元公安警察官がどのような絡み方をしてくるのか。

期待は大きく膨らむ

 『雪をかくそばから雪が降り積もる。徒労だ。だからといって雪かきを放り出せば、明日には大変なことになってしまう』タイトルにふさわしい冒頭のシーン。

馳ハードボイルドの始まりだ。

地場建設会社、ヤクザ既得権益を守る市長、

地元選出の国会議員等の癒着や謀略が原発利権と絡み合い、泥沼に入り込んでいく選挙戦。

原発推進派と反対派の対立が、ヤクザ対元公安警察官の戦いといして描かれていく。

 負けるとわかっていて立候補する反対派の弁護士・小島。

それを支える反対派の地元建設会社の武田。

公安を退職したひねくれ者のわたし・和泉 伸、伸の昔の恋人蒼、友香は執拗な公安の追及に自殺した母の娘。

 小島の陣営はたったこれだけ。主旨に賛意を示したポランティアも次々にヤクザたちの妨害にあい、退いていく。

 「雪炎」という表現は次のように出てくる。

ライフルを構えた伸に妄想が襲う。

『銃弾は雪炎を切り裂いて飛び、一号炉のど真ん中に着弾した』

このあたりから物語は荒唐無稽の、ハードボイルド調に盛り上がる

(昔、流行った日活映画で活躍した和製ウエスタンに登場する宍戸錠や小林旭を彷彿とする活躍ぶり)。

 選挙は惨敗し、利害関係で繋がってなかったのは、小島と伸だけだった。

そして、最後の二行。今では競走から引退した愛馬に語りかける伸

 (…そんなことどうでもいいじゃないかと言わんばかりに彼(愛馬)は大地を蹴り、走り始める。

いつだって正しいのは彼のほうなのだ)。

 人生を投げた寂しい男の姿が浮かんでくる。

 人と人のつながりに共感を持たないから、

打ち解けて話す人も、一緒に歩んでいく人もいない男にとって唯一の

心を許せるものが元競走馬のガイウス・ユリウス・カエサルという

孤高の戦士シーザーにちなんでつけられた馬だけだったのかもしれない。

         評価☆☆☆        (20152.13)

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読書案内「だから荒野」桐野夏生著

2015-02-09 09:40:00 | 読書案内

読書案内

だから荒野 桐野夏生著

 専業主婦森村朋美(ともみ)が、家族という絆を断ち切って出奔したのは、46歳の誕生日の夜だった。

これが物語の始まりだ。

サラリーマンの夫は身勝手で自分のことしか考えない。

男の子供が2人。大学生とゲームに夢中な高校生。

二人とも家族と言うよりは、同じ屋根の下に暮らす他人みたいな関係。

 結婚してからの私の役割って何だったのだろう。私の人生って何だったのだろう。沃野であるはずの家庭に「荒野」を見てしまった朋美はこの寂寥感に耐えきれずに、さらなる「荒野」に踏み出していく。

 東京から長崎への1200キロの旅に出る。道中乗ってきた夫の車を、若い女に盗まれ、長崎の原爆の語り部・山岡の講演帰りの車に拾われ、一人暮らしの彼の家に一時の宿を得る。

 だがこの93歳になる孤独な老人も果てしない荒野をさまよって生きていることを知る。

 幼馴染の女友達、高校生の時に淡い恋心を抱いた男。再会してみれば、各人各様に朋美が抱いたイメージと異なっている。人は、時間の経過とともに、少しずつ変わっていくのだ。変わらない人間なんていない。

 朋美を取り巻く人々が、それぞれに自分の荒野を彷徨っている、と私は思った。それでも朋美はやがて夫の待っている東京に帰ろうとする。

 ひと月の時間が経過していた。

 問題が解決されたわけではない。夫は相変わらず自分のことだけしか考えない我儘な男だし、子どもたちが心を開いたわけでもない。長崎原爆の語り部・山岡を取り巻く環境が変わったわけでもない。

 表紙の写真にあるように、果てしなく続くように見える道路にもやがて終わりがあり、そこに存在するのが「荒野」なのか「沃野」なのか誰にもわからない。それをタイトルが暗示している。

 「だから荒野」なのだと……。                                       2015.2.9

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表現の自由 2 (メディアの在り方)

2015-02-05 12:00:00 | 昨日の風 今日の風

表現の自由2 (メディアの在り方)

 憶測が飛び交い、ワイドショーは息を吹き返し、視聴率競争に勝ち抜くために、

あの手この手でゲストを確保し、専属契約を結ぶ。

 泥沼のような報道合戦に、他局に負けない特色を出そうと、焦っている制作側の姿が推測できる。

オーバーヒート気味の報道合戦は、事件とは全く関係のない当事者のプライベートまで暴き立ててしまう。

家族や親族にまでカメラは迫っていく。

「表現の自由」「知る権利」に名を借りた暴挙である。

 

ISIL関連の事件は、身代金要求→人質交換→見せしめのための人質殺害→報復措置としての死刑執行。

「テロに屈する」事は許されないが、そのために尊い命が失われてしまったことに、

私たちは、忸怩(じくじ)たる思いで、果たしてこれで良かったのかと唇をかみしめる。

 もっと違った解決の糸口はなかったのかと、

人間性のかけらも持っていないISILの残虐行為に、今更ながら唖然とし、怒りを覚えるのである。

                                (昨日の風 今日の風№19)

           

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