雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

琵琶峰の名曲(3) 民話の世界

2010-12-17 20:38:56 | 旅の途中(文学の散歩道)
 月の光も届かないような、荒れてさびしいところですが、
 藪の間から垣間見る鬼怒川の川面に、
 月の影が映るのは
 月が西の空に架かる夜半過ぎのようです。

 美しい琵琶の音色が、
 川面を登ってくる川風にたゆたい、
 せせらぎの音と唱和し、
 聞く人の心を優しくつつんでくれるのでしょう。
 
 新月の夜はこのうえなく寂しく、
 満月の夜は金色に輝く月の光を浴びて、
 川面はきらきら輝き、
 村人たちは昼の労働の辛さを忘れ、
 琵琶の音に耳を傾けたことでしょう。
 
 夜が明ければ、
 北西の空の彼方に、
 日光連山の姿が浮かび上がってくる。

 ある日、
 どこからともなく流れついた男と女、
 琵琶法師とその妻の物語……。

 「うつくしい妻」がいなくなって、
 生きる希望を失くしたのだろうか、
 琵琶法師は、
 鬼怒川の断崖から身を投げて命を絶ってしまう。

 琵琶法師にとって「生きる希望」とは、
 彼が奏でる琵琶の音色を聞いてくれる妻の存在だったのではないか。

 うつくしく、悲しい「夫婦愛の物語」として、
 今の世に語り継がれています。

 なぜ、
 妻は盲目の法師を捨てて消えてしまったのか。
 
 謎は残るが、
 心に残る民話の世界に思いをはせるひと時でした。
                        (おわり)
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琵琶峰の名曲(2) 民話の世界

2010-12-13 22:51:40 | 旅の途中(文学の散歩道)
 案内板には次のような文が書いてありました。
 
 『月の明るい夜に、なんとも言いようのない美しい琵琶の音がきこえてくる。
  そんな少し前、目の不自由な法師が美しい妻を連れていたのを
  何人もの村人が見ていました。
  月の明るい夜、その法師が鬼怒川のすぐ東側にある掘立小屋の中で、
  一心に琵琶を奏でていた。
  そのすがたは、まるで、
  神の化身のように神々しく見えたということです。
  ところがしばらくすると、
  美しいおかみさんの姿が見えなくなり、
  盲目の法師は、日常生活にも困るようになってしまいました。
  村人たちが何かしてあげなければと相談している間に、
  琵琶法師は鬼怒川の高い崖から身を投げてしまったそうです。
  そんなことがあった後も、
  しばらくは、月の明るい夜には、
  美しい琵琶の音が聞こえていたそうです。
  やがてそれもいつの間にか聞こえなくなったそうです。
  遠い昔、
  この物語のあった勝爪の北の地を村人たちは琵琶峰と呼ぶようになりました。
  ここは、そんな悲しい物語のあるところです』

   この「琵琶峰」は勝爪の北の地といわれているが、
   今、この地名は残っていない。

   うっそうとした茂みの間から垣間見る鬼怒川の淵が
   蒼い淀みをたたえて、遠い昔の物語を今に伝えている。

   そこに立った私には、かすかに琵琶の美しい調べが、
   風に乗って一瞬聞こえてきたような気がした。
                         (つづく)
   
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琵琶峰の名曲(1) 民話の世界 -旅の途中№3-

2010-12-06 22:13:06 | 旅の途中(文学の散歩道)
  

 栃木県の宇都宮に向かって、真岡工業団地を抜け、
 宮原橋の交差点を左折すると、
 橋を渡る直前の鬼怒川の川べりに続く細い道の入り口に、
 『琵琶峰の名曲』なる小さな道標がある。

 道はじゃり道の細い道で、
 この先進んで行ったら行き止まりになり、
 往生するのではないかと不安になる道でした。

 ナンバープレートの外された車が数台藪の中に放置されている。

 この藪の向こう側に民家があるのだろうか、
 大きな犬が藪に囲まれた小屋の中で、怪しい訪問者の私を威嚇して吠えている。

 これより先、車を進めるには勇気がいる。
 躊躇(ちゅうちょ)して、車を止めた。

 視線の先に、
 藪に隠れて『民話・琵琶峰名曲』の碑が見捨てられたようにあった。

 写真は藪になっている崖に立って、
 暗い樹々の間から垣間見た鬼怒川の川面です。
 (宮前橋の上流の一番川幅が広い所でした)。

 ここに立つと、昔、鬼怒川が暴れ川として
 洪水のたびに川が氾濫し、付近を水浸しにして、
 村人に恐れられたその名残があり、
 ちょっとばかり不安で
 不気味な感情が湧きあがりました。

 以下に示す物語にぴったりの情景です。

               (つづく)
       次回は民話の内容を紹介します。
 
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旅の途中№2 土湯峠・高見楢吉歌碑

2010-09-23 09:17:42 | 旅の途中(文学の散歩道)
  福島県磐梯吾妻スカイラインの入り口に高湯温泉はある。 
 全部で7~8軒ある温泉宿の旅館・玉子湯の露天風呂に入る。
 白濁湯の硫黄の匂いが強い露天風呂は、渓流に沿ってあり野趣満点である。
 硫黄の匂い=ゆでたまごの匂い、が旅館の名前の由来なのだろう。
 
  ゆっくり湯につかり、体の心地よい火照りが冷めないうちに
 ふたたび上りこう配の道を走るとすぐに、磐梯吾妻スカイラインの料金所に着く。
 やがて、左に荒涼とした浄土平らの噴煙を眺め、右手には標高1707mの吾妻小富士を
 眺めながらの快適なドライブ。

  車窓に展開する高原の景色を眺め、車を走らすうちに土湯料金所が見えてくる。
 そこが、平均標高1350mの「日本の道100選」のスカイラインの終点である。

  ここに高見楢吉の高さ2mの歌碑が台座の上に聳え立っている。

    土湯峠の視野の涯にて
       碧々し(あおあおし)
         桧原小野川秋元の水

          この土湯峠に立ってはるか下界の涯
         碧く(あおく)かすむ景色の中に
         桧原湖、小野川湖、秋元湖の湖水が
         白く光っているのが見える。

          「視野の涯」と詠んだことがこの歌のスケールを
          大きなものにしている。

          雑草におおわれ、
         人々に忘れられたような歌碑の前のススキが
         初秋の訪れた土湯峠の風に、ゆらゆらゆらいで
         旅の疲れを忘れさせてくれた。
                          (2010.9.19) 



















  
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田山花袋著「田舎教師」のモデル・現地を訪ねて(3)

2010-09-18 13:50:18 | 旅の途中(文学の散歩道)
 松原跡地に建つ文学碑については、前回(2)でも示しましたがもう一度書き込みます。

『絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうな まことなる生活を送れ 
 運命に従ふものを勇者という』とある。

 この文学碑の文章は清三の真摯な生き方を思わせて彷彿とする。
 碑文は、清三の日記からの抜粋であるが、日記はさらに続く。

 清三の日記。
  『弱かりしかな、不真面目なりしかな、幼稚なりしかな、空想児なりしかな、
 今日よりぞわれ勇者たらん、今日よりぞわれ、わが以前の生活に帰らん』

 決意も新たに、再出発を期す清三だが、
 その頃すでに清三の体は病魔・結核に蝕まれ始めていた。

  弥勒高等小学校跡地から県境の利根川の近くには、利根川松原跡があります。
 主人公の林清三が子どもたちとしばしば訪れた場所です。
 原作の描写は、

  『平凡なる利根川の長い土手、その中でここ十町ばかりの間は
  松原があって景色が目覚めるばかりに美しかった……』とあるが
  今はその面影はなく、まさに「松原跡」なのです。

  ふたたび原作から、
  『清い理想的の生活をして自然の穏やかな懐に抱かれていると思った田舎もやはり
  闘争の巷、利欲の世であることがだんだんわかってきた。 (略) 彼はある日、
  また利根川のほとりに生徒を連れていったが、その夜、
  次のような新体詩をつくって日記に書いた』

    松原遠く日は暮れて
      利根の流れのゆるやかに
    ながめ淋しき村里の
      ここに一年(ひとせ)かりの庵(いほ)

    はかなき恋も世も捨てて
      願いもなくて誰一人
    さびしく歌ふわがうたを
      あわれと聞かんすべもがな
           (写真は利根川松原跡に建つ文学碑・原作の中の詩です)

   この小説の最終章。
    『秋の末になると、いつも赤城おろしが吹渡って、
    寺の裏の森は潮(うしお)のように鳴った。
    その森の傍らを足利まで連絡した東武鉄道の汽車が
    朝(あした)に夕(ゆうべ)にすさまじい響を立てて通った』

      寒村の荒涼とした風景は、理想を追い、真摯に生きようとしながら
     21歳で病死した清三の若き日の心象風景だったのかもしれない。


         小林秀三について(小説では林清三)

           秀三は学校の成績も良く特に「理科」「音楽」「作文」に
           すぐれたものがあったようです。埼玉第二中学校を卒業す
           し、弥勒高等小学校の教師になりました。
            月給は12円、良き友人や同僚に恵まれた生活でしたが、
           友人たちがそれぞれの道で活躍する姿を見聞きするにつれ
           田舎の教師としての自分にあせり、苦悩しながら与えられた
           人生を精一杯生きようと努力するが、3年余りの教師生活で
           21歳という若さで病死してしまいます。
            死後発見された秀三の日記をもとに、5年の歳月をかけて
           田山花袋は「田舎教師」を書きあげ自然主義文学の代表作に
           なりました。
            モデルとなったのは、秀三だけでなく彼を取り巻く7~8名
           の実在者がいますがここでは割愛します。
         
                                    (おわり)

                             旅の途中№1(田舎教師③)

      



      

     


 
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田山花袋著「田舎教師」のモデル・現地を訪ねて(2)

2010-09-11 21:54:33 | 旅の途中(文学の散歩道)
 建福寺には小林秀三の墓もあります。弥勒高等小学校跡地近くには円照寺があり、
ここには小説の中で「小川屋のお種さん」として登場する小川ネンさんの墓と資料館もあるようです。

 「田舎教師」の冒頭は次のようにして始まります。

『四里の道は長かった。その間に青縞の市(あおしまのいち)のたつ羽生の町があった。
 田圃にはげんげが咲き、豪家の垣からは八重桜が散りこぼれた。
赤い蹴出し(けだし) を出した姐さんがおりおり通った。
羽生からは車に乗った。
母が徹夜して縫ってくれた木綿の三紋の羽織に新調のメリンスの兵児帯(へこおび)、
車夫は色あせた毛布(けっとう)を袴の上にかけて、梶棒を上げた。
なんとなく胸がおどった。
清三の前には、新しい生活がひろげられていた。
どんな生活でも新しい生活には意味があり希望があるように思われる』

 こうして、新しい生活に胸躍らせた清三の無垢で多感な青春が始まります。

 学校跡地の一画には花袋の文学碑が建っています。

 『絶望と悲哀と寂寞とに堪へ得られるやうな まことなる生活を送れ 運命に従ふを勇者といふ』

 清三の日記からの文章であるが、清三は日記にこのように書くことによって、
 自分自身への戒めと励ましとしたのでしょう。

  (写真は2006.3.2撮影)
旅の途中№1(田舎教師②)
                                    (つづく)

                 
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田山花袋著「田舎教師」のモデル・現地を訪ねて(1)

2010-09-08 22:22:05 | 旅の途中(文学の散歩道)
 この小説にはモデルがあり、数年前に現地を訪問したので、そのことを少し書いてみます。
 花袋は群馬県館林市(旧栃木県館林町)に生まれています。

 埼玉県羽生駅の近くに建福寺というてらがあり、この辺一帯が小説の舞台になっています。
 
 主人公・林清三が新任教師として下宿した成願寺は建福寺のことです。
 
 モデルとなった小林秀三は実際にこの寺の旧本堂に下宿していたそうです。
 
 当時の住職太田玉茗(小説では山形古城)は、花袋の義兄にあたり、
 花袋の妻はこの舟生から嫁いできた。
 
 こうした関係で、花袋はこの義兄から小林秀三の死後、日記に書かれていたことを聞き、
 肺結核のために21歳で亡くなった青年教師小林秀三(小説では林清三)の
 苦悩の青春像を「田舎教師」として小説にまとめました。

 小説には実在の場所や建物がたくさん登場し、
 熊谷、行田、羽生の農村風景など当時を彷彿と思いだせるようです。

 (写真は弥勒小学校跡地の道路を挟んで建つ小林秀三の銅像である。
 ひなびた田舎の田園風景の中に立つ小学校だったはずだが、跡地には当時の建物はなく、 秀三の銅像が数本の松の木に囲まれて、小学校が建っていた方向を眺めていた。     2006.3.2撮影)
                                    (つづく)

                           旅の途中№1(「田舎教師」①)        
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