「火天の城」は山本兼一氏の小説で、織田信長が番匠(大工)に命じた安土城は、前例のない、奇想天外なものと言われている。その番匠の視点でこの小説は書かれている。
映画化もされ、西田敏行が総棟梁岡部又右衛門を演じている。
もの創りに携わる親子二代にわたる職人の、命を懸けた仕事ぶりに圧倒される。
仕事に懸けた男の意地。
築城をとおして、「生きる」とはこういうことかと読者を引きつけてやまない。
「近江に新しい城を築く」。信長が開いた美濃紙の絵図面。
そこに描かれた建物は、唐山水画にある楼閣をとてつもなく大きくしたような
唐様の櫓(やぐら)だった。
そこには、壮大な天守をそびえたたせようとする信長の気概が、
炎となって蒼穹に燃え上がるほどの迫力があった。
物語の幕開けである。
「天下布武」を掲げる信長の発想は奇想天外であり、
既存の価値や習慣にとらわれない斬新さがあり他を圧倒する。
図面通りの天守を建てるなら「屋根や柱を含め、
建物全体の重さが何万貫になるか知れたものではない。
化け物めいて巨大な建物が、
長い年月にわたって地震や風雪に耐えて立ち続けるものかどうか……」
番匠・岡部又右衛門の総棟梁としての挑戦が始まる。
写真は三重県「伊勢・安土桃山文化村」にある宮上茂隆氏復元案による
安土城模擬天守閣です。総工費100億円を要したそうです。
小説の中で描かれた「安土城」をイメージしながら写真と比べてみるのも面白い。
小説「火天の城」から安土城に関する記述を抽出してみると、
なるほど、と納得できる個所がたくさんある。
「天守は南蛮風にせよ」と、信長は番匠・岡部又右衛門に命じる(p81)。
どっしりとした三重の大屋根の上に、瀟洒(しょうしゃ)な二重の望楼が載っている。
望楼の屋根は、目の覚めるような赤瓦だ。
こんな赤い瓦が蒼天にそびえれば、遠くからでもよく目立つだろう。
上二重目は、八角堂だ。
朱塗りの柱が鮮やかなことこのうえない。
遠い異国の城が波濤を超えて安土山にあらわれたようだ(p158)。
安土山の山頂に、天守がそびえている。赤い屋根と柱、柱と軒瓦の金箔が、
陽光に燦然と輝いている。
竜宮の御殿にも見まがう絢爛(けんらん)さであつた(p241 p310)。
見上げれば、天守望楼の赤瓦が茜色の夕日に照らされ、
赤いうえにも真っ赤に染まっていた。
軒端の金箔がきらめいて、
絢爛さをさらに際立たせている(p324)。
湖畔の丘陵は、ほぼ、全域が石垣で覆われ、
おびただしい建物が山麗から山頂までひしめいている。
広い道が山頂までまっすぐに登っている。
その山頂に塔が立っている。
金、赤、青、白、黒に塗り分けられた塔は、
素直に美しいとは賞賛しかねるが、
それでも壮麗豪華である。
その姿は、建物というより、
天に突き立つひとつの意志であるかと思えた(P370-371)。
権力の象徴としてそびえる安土城も、
異国(南蛮)の宣教師からみれば、
「この国の美学には、いささか理解し難いものがある(P371)。」
と違和感を持ち、そこにそびえているのは、異教徒の王(信長)が
悪魔と共謀して建てた悪趣味な塔にすぎなかった(P374)。
と思うほど奇想天外な城だったのかもしれません。
※ ()内数字は小説「火天の城」文春文庫のページ数です。
三年の歳月をかけ番匠たちが命を懸けて作り上げた「安土城」は
その三年後、信長が本能寺に倒れてまもなく、
天下を睥睨(へいげい)するかのように立つこの野望の象徴は、戦火のさなか
跡かたもなく灰塵に帰す。
誰が火を放ったのか、戦国の歴史は黙して語らない。
今は、石垣の一部が残るのみで、城の詳細は不明である。