読書案内「あの日、そしてこれから」
東日本大震災2001.3.11
高橋邦典 ポフラ社 2013.11 第2刷
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震災一年後に被災地を訪れ、一年前のあの日あの時、出会った人たちとの再会の記録
を写真と文で構成した貴重な記録です。
2019.3.11東日本大震災から8年目を迎えたこの日、
新聞各社は忘れていたことを思い出したように、
8年目の被災地の様子を取り上げていました。
多くのメディアが取り上げていたのは、物理的な復興の現況報告ではなく、
8年目を迎えても、未だに癒されることのない心の傷を取り上げたものが目立ちました。
仮設住宅が閉鎖され、復興集合住宅で生活できるようになりましたが、
地域の仲間たちと離れ離れになり、
孤立していく高齢者の報道がなんとも切なく心を痛めました。
かけがいのない人を喪い、自分だけが生き残ってしまった自責の念から
いまだに解放されない人。
家を失い、築きあげてきた生きてきた証を一瞬にして奪われてしまった喪失感を
今も抱き続け、くじけそうになる自分を鼓舞している人。
高台移転を余儀なくされ、元の場所があきらめきれない人。
たくさんの哀しみと切なさを抱きながら、
生活の再出発に向かって歩み始めている人の姿も印象的でした。
「あの日」、そしてこれから
この本で取り上げられた記事は、
震災後1年を迎えた被災者の生々しい声を、ありのままに捉え
痛んだ心を包み込むような優しさがあるように思います。
そのいくつかを紹介します。
がれきの丘に雪がつもる。
「がれきはぼくら人間の生活の『かけら』でもあった。
それが片づけられてしまったいま、
ぼくらがそこに住んでいた、
という跡さえなくなってしまったようで、
なんかさびしいですね」
被災した一人の若者がぽつりと語った言葉を思いだした。
「あの日」、津波警報を聞いた姉の寿恵さんと妹の雪枝さんは、高台にあるふみゑさんの家に避難してきた。しかし、姑のようすを見るために丘下にある家に戻った雪枝さんは、帰らぬ人となってしまった。それから何週間もふみゑさんは、ひょっとしたらでてくれるかも、と雪枝さんの携帯に電話をかけ続けていたという。
「ごめんね、という気持ち。なんで引きとめなかったのかな、
という思い、後悔は消えません」
「もし、あの時いっしょに行ってればって、
いつになっても後悔の堂々めぐりですよね。
これは一生消えないと思う。
あの世に行った時にも妹に
『ごめんね、あの時一人で行かせてね』って言いたい気持ちだよね。
大きな大きな穴ができたような気がするよね。
これはうめられないよね。うまるものでもないしね」
(名取市閖上(ゆりあげ)2012.3.11)
丘の上から見える「元」住宅密集地はきれいさっぱり片付けられ、
ただの平地になっていた。
その丘の上につくられた供養塔に花をそなえ、
祈りをささげる人たちの姿にレンズを向けながら、二時間ほど立っていた。
三月とはいえ、
ふきすさぶ風はまだまだ冬のものだ。
露出したほおや耳たぶが、
冷たさでじんじんと痛みだしてくる。
(石巻門脇町2012.3.10)
がれきの散乱していた土地が空地となり、避難所にあふれていた人びとの多くが仮設住宅におさまっ
たことで、被災地は、表向き落ちついた様子を取りもどしつつあるように見えます。しかしその陰に
は、まだまだいろいろな問題がひそんでいたのです。それは被災者のみなさんと話したことで初めてわ
かったことでした。世間の記憶がうすれはじめているいまこそ、写真だけでは記録できない、彼らの
(言葉)を伝えることの大切さをあらためて実感したのです。
「あとがき」からの抜粋
そして、あとがきの最後に高橋邦典氏は次のような言葉を記しています。
この本に掲載させていただいた被災者の方がたの声は、地震の多いこの国の住人として、将来 |
災害は決して他山の石や対岸の火事ではなく、この災難をしっかり受け止め、被災者の痛みを分かち合う共感の姿勢が問われているのではないかと思います。
小学生でも難なく読めるよう、平易な文章と必要最小限度の漢字のみを使用した本書を
ぜひ手に取って読んでいただければ幸いに思います。
(2019.3.30記) (読書案内№139)