煙草の煙
【1966(昭和41)年11月11日 朝日新聞朝刊掲載】
何やら偉そうな訪問客をサザエさんが迎え入れる。
サザエさんの接待にも終始無言で、あろうことかテーブルに置いた灰皿には目もくれず、
床の上に灰をまき散らす。怒り心頭、サザエさんは客がかぶってきた帽子を灰皿代わりに床に置いて、
姿を消す。傍若無人な喫煙者に対するささやかで、しかも怒りの鉄槌だったのでしょう。
昭和24(1949)~25年ごろだったと思う。東映の時代劇・笛吹童子だったり、紅孔雀が劇場をにぎわし、
嵐寛寿郎の鞍馬天狗などが一世を風靡していた。
小学生が一人で映画を見に行くことは禁じられていたが、
わたしは一週間の小遣いをためて日曜日にはいつも映画を見に行っていた。
当時は3本立で、映画が終わるとブザーがなり、場内が明るくなる。
小学生が一人で映画を見に行くのはご法度だった。
わたしは明るくなると座席の下に身を隠し次の映画が始まり、
場内が暗くなるまで背中を丸めてうずくまっていた。
懐かしい思い出だが、場内はたばこの煙で目が痛くなり、涙が出てくる。
のども痛く、大好きな映画を隠れてみることの罪悪感と、
たばこの煙に悩まされていたことを鮮烈に覚えている。
漫画が掲載され1966(昭和41)年の成人男性の喫煙率は、
約84%で喫煙率が最も高かった年だそうです。
1971(昭和46)には五木ひろしが四度も芸名を変え、「よこはま たそがれ」で一躍売れっ子になった曲。
よこはま たそがれ ホテルの小部屋
くちずけ 残り香 煙草のけむり
甘く切ない失恋の歌だが、未練のないすっきりした今風の歌謡曲に仕上がっている。
小道具の『煙草のけむり』が効果的に使われている。
それから3年後の1974(昭和49)年には、中条きょしの「うそ」が一世を風靡した。
折れた煙草の 吸い殻で
あなたの噓が わかるのよ
冒頭の歌詞である。女心を機敏に捉えた歌が大ヒットした。
無造作に灰皿にもみ消された煙草をみて、男の嘘を敏感に捉える女心がなんとも切なく哀れである。
どちらも山口洋子の作詞である。
煙草が歌謡曲の小道具として、重要な位置を占めていた懐かしい時代の歌である。
煙草を小道具として作詞された歌。
〇 カサブランカダンディ (沢田研二 作詞・阿久悠) 2005年発売
ききわけのない女の顔を 一つ二つはりたおして
背中を向けてタバコを吸えば それで何もいうことはない
〇 ブルーライト ヨコハマ (いしだ あゆみ 作詞・橋本 淳)2013年発売
あなたの好きな タバコの香り
ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ
〇 15の夜 (尾崎豊 作詞・尾崎豊) 2019年発売
落書きの教科書と外ばかり見ている俺
超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
やりばのない気持ちの扉破りたい
校舎の裏 煙草ふかして見つかれば逃げ場もない
煙草は長い間、時代を象徴するように、状況や雰囲気を代弁するような役割を担ってきた。
1900年代に入っても煙草はどこでも吸えた。喫煙禁止の場所などなかったようだ。
病院の待合室、レストラン、新幹線や飛行機などどこでも喫煙可能だった。
駅のプラットホームは、線路で投げ捨てられた吸い殻でいつも景観を汚していた。
大学の部室は汚れた灰皿に吸い殻が山のように盛られていた。
大学生にして、すでにヘビースモーカーが何人もいた。
冒頭に示した漫画が掲載された年に、日本で国際ガン会議が開かれ、
煙草の有害性とともに、日本では禁煙運動が進んでいないと指摘された。
週刊誌はこれを受け「われわれはタバコを吸いすぎるか」(週刊朝日)、
「緊急特報 タバコ飲み必読の最新ガン自衛策」(週刊現代)などの特集記事が組まれ、
売り上げに貢献した。現在で考えられないような、
喫煙習慣に対するなんともおおらかな対応でした。
受動喫煙の害
煙草が及ぼす健康への害は、時代の流れと共に理解が進んでいきます。
単に喫煙者が煙草を止めるだけでは、
喫煙の害は防ぎきれないことが研究者の努力で世間的に認知されてきました。
喫煙しなくても、喫煙者が吐き出す煙草の煙を吸うだけで、
喫煙した時と同等の害を及ぼすことが分かってきました。
2003年には健康増進法が施行され、その後法改正を経て喫煙による健康被害問題は、
喫煙のマナーからルールへと変わっていった。
改正の概要は次の通りです。
基本的な考え方 第1 「望まない受動喫煙をなくす」
受動喫煙が他人に与える健康影響と、喫煙者が一定程度いる現状を踏まえ、室内において、
受動喫煙にさらされることを望まない者が、
そのような状況に置かれることのないようにすることを基本に、「望まない喫煙」をなくす。
基本的な考え方 第2 受動喫煙による健康影響が大きい子ども、患者等に特に配慮
子供など20歳未満の者、患者等は受動喫煙による健康影響が大きいことを考慮し、
こうした方々が主たる利用者となる施設や、屋外について、受動喫煙対策を一層徹底する。
基本的な考え方 第3 施設の類型・場所ごとに対策を実施
「望まない受動喫煙」をなくすという観点から、施設の類型・場所ごとに、主たる利用者の違いや、
受動喫煙が他人に与える健康影響の程度に応じ、禁煙措置や喫煙場所の特定を行うとともに、
掲示の義務付けなどの対策を講ずる。
その際、既存の飲食店のうち経営規模が小さい事業者が運営するものについては、
事業継続に配慮し、必要な措置を講ずる。
(2018年7月に健康増進法の一部を改正する法律)
何時でも、何処でも喫煙が許され、「受動喫煙の害」などという概念がなかった時代。
上野駅14番ホームは、東北本線の列車の終着・始発駅ホームだった。
金の卵を載せた就職列車が到着したのもこの14番ホームだった。
近隣から東京に日銭を稼ぎに働きに来ているブルーカラーたちが、
仕事を終え一斉に列車に乗り込み、煙草をふかし、
酒を飲み通路に新聞紙を敷いて将棋などを指す風景が毎日見られた。
降車駅に到着するまでの、
仲間たちとの楽しい団らんが一日の過酷な労働を癒してくれる時間でもあった。
生活が豊かになり、長距離鈍行列車が廃止になっていく過程で、14番ホームも役目を終了した。
今、14番線のホームの入り口には、井沢八郎の「あゝ上野駅」歌碑がひっそりと、
忘れられたように置かれている。
むせるような煙草の匂いとざわめきが、生きることに必至だった時代を懐かしく思い出させる
煙草の匂いである。
(つれづれに…№138) (2024.03.30記)