雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

喫煙のけむり

2024-03-31 06:30:00 | つれづれに……

煙草の煙

【1966(昭和41)年11月11日 朝日新聞朝刊掲載

   何やら偉そうな訪問客をサザエさんが迎え入れる。
  サザエさんの接待にも終始無言で、あろうことかテーブルに置いた灰皿には目もくれず、
  床の上に灰をまき散らす。怒り心頭、サザエさんは客がかぶってきた帽子を灰皿代わりに床に置いて、
  姿を消す。傍若無人な喫煙者に対するささやかで、しかも怒りの鉄槌だったのでしょう。

  昭和24(1949)~25年ごろだったと思う。東映の時代劇・笛吹童子だったり、紅孔雀が劇場をにぎわし、
 嵐寛寿郎の鞍馬天狗などが一世を風靡していた。
 小学生が一人で映画を見に行くことは禁じられていたが、
 わたしは一週間の小遣いをためて日曜日にはいつも映画を見に行っていた。
  当時は3本立で、映画が終わるとブザーがなり、場内が明るくなる。
 小学生が一人で映画を見に行くのはご法度だった。
 わたしは明るくなると座席の下に身を隠し次の映画が始まり、
 場内が暗くなるまで背中を丸めてうずくまっていた。

  懐かしい思い出だが、場内はたばこの煙で目が痛くなり、涙が出てくる。
 のども痛く、大好きな映画を隠れてみることの罪悪感と、
 たばこの煙に悩まされていたことを鮮烈に覚えている。
 
 漫画が掲載され1966(昭和41)年の成人男性の喫煙率は、
約84%で喫煙率が最も高かった年だそうです。

1971(昭和46)には五木ひろしが四度も芸名を変え、「よこはま たそがれ」で一躍売れっ子になった曲。
  よこはま たそがれ ホテルの小部屋
  くちずけ 残り香 煙草のけむり
甘く切ない失恋の歌だが、未練のないすっきりした今風の歌謡曲に仕上がっている。
小道具の『煙草のけむり』が効果的に使われている。
 
それから3年後の1974(昭和49)年には、中条きょしの「うそ」が一世を風靡した。
  折れた煙草の 吸い殻で
  あなたの噓が わかるのよ
冒頭の歌詞である。女心を機敏に捉えた歌が大ヒットした。
無造作に灰皿にもみ消された煙草をみて、男の嘘を敏感に捉える女心がなんとも切なく哀れである。
どちらも山口洋子の作詞である。
煙草が歌謡曲の小道具として、重要な位置を占めていた懐かしい時代の歌である。
煙草を小道具として作詞された歌。
〇 カサブランカダンディ (沢田研二 作詞・阿久悠) 2005年発売
    
ききわけのない女の顔を 一つ二つはりたおして
    背中を向けてタバコを吸えば それで何もいうことはない
〇 ブルーライト ヨコハマ (いしだ あゆみ 作詞・橋本 淳)2013年発売
    あなたの好きな タバコの香り
    ヨコハマ ブルーライト・ヨコハマ

〇 15の夜 (尾崎豊 作詞・尾崎豊) 2019年発売
    
    落書きの教科書と外ばかり見ている俺
    超高層ビルの上の空 届かない夢を見てる
    やりばのない気持ちの扉破りたい
    校舎の裏 煙草ふかして見つかれば逃げ場もない

 煙草は長い間、時代を象徴するように、状況や雰囲気を代弁するような役割を担ってきた。

1900年代に入っても煙草はどこでも吸えた。喫煙禁止の場所などなかったようだ。
病院の待合室、レストラン、新幹線や飛行機などどこでも喫煙可能だった。
駅のプラットホームは、線路で投げ捨てられた吸い殻でいつも景観を汚していた。
大学の部室は汚れた灰皿に吸い殻が山のように盛られていた。
大学生にして、すでにヘビースモーカーが何人もいた。

冒頭に示した漫画が掲載された年に、日本で国際ガン会議が開かれ、

煙草の有害性とともに、日本では禁煙運動が進んでいないと指摘された。

週刊誌はこれを受け「われわれはタバコを吸いすぎるか」(週刊朝日)、

「緊急特報 タバコ飲み必読の最新ガン自衛策」(週刊現代)などの特集記事が組まれ、

売り上げに貢献した。現在で考えられないような、

喫煙習慣に対するなんともおおらかな対応でした。

受動喫煙の害
 煙草が及ぼす健康への害は、時代の流れと共に理解が進んでいきます。

 単に喫煙者が煙草を止めるだけでは、

 喫煙の害は防ぎきれないことが研究者の努力で世間的に認知されてきました。

 喫煙しなくても、喫煙者が吐き出す煙草の煙を吸うだけで、

 喫煙した時と同等の害を及ぼすことが分かってきました。

 2003年には健康増進法が施行され、その後法改正を経て喫煙による健康被害問題は、

 喫煙のマナーからルールへと変わっていった。

改正の概要は次の通りです。
 基本的な考え方 第1 「望まない受動喫煙をなくす」
   受動喫煙が他人に与える健康影響と、喫煙者が一定程度いる現状を踏まえ、室内において、
   受動喫煙にさらされることを望まない者が、
   そのような状況に置かれることのないようにすることを基本に、「望まない喫煙」をなくす。
 基本的な考え方 第2 受動喫煙による健康影響が大きい子ども、患者等に特に配慮
   子供など20歳未満の者、患者等は受動喫煙による健康影響が大きいことを考慮し、
        こうした方々が主たる利用者となる施設や、屋外について、受動喫煙対策を一層徹底する。
 基本的な考え方 第3 施設の類型・場所ごとに対策を実施 
   「望まない受動喫煙」をなくすという観点から、施設の類型・場所ごとに、主たる利用者の違いや、
   受動喫煙が他人に与える健康影響の程度に応じ、禁煙措置や喫煙場所の特定を行うとともに、
   掲示の義務付けなどの対策を講ずる。
   その際、既存の飲食店のうち経営規模が小さい事業者が運営するものについては、
   事業継続に配慮し、必要な措置を講ずる。
                         
 (2018年7月に健康増進法の一部を改正する法律)

何時でも、何処でも喫煙が許され、「受動喫煙の害」などという概念がなかった時代。

上野駅14番ホームは、東北本線の列車の終着・始発駅ホームだった。
金の卵を載せた就職列車が到着したのもこの14番ホームだった。

近隣から東京に日銭を稼ぎに働きに来ているブルーカラーたちが、
仕事を終え一斉に列車に乗り込み、煙草をふかし、
酒を飲み通路に新聞紙を敷いて将棋などを指す風景が毎日見られた。
降車駅に到着するまでの、
仲間たちとの楽しい団らんが一日の過酷な労働を癒してくれる時間でもあった。
生活が豊かになり、長距離鈍行列車が廃止になっていく過程で、14番ホームも役目を終了した。
今、14番線のホームの入り口には、井沢八郎の「あゝ上野駅」歌碑がひっそりと、
忘れられたように置かれている。
むせるような煙草の匂いとざわめきが、生きることに必至だった時代を懐かしく思い出させる
煙草の匂いである。      
     (つれづれに…№138)           (2024.03.30記)  






コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島地震 (12) 公衆電話に列

2024-03-26 06:30:00 | ことばのちから

   能登半島地震 (12) 公衆電話に列
    能登の避難所 公衆電話に列
      孤立集落唯一の連絡手段(朝日新聞2024.3/22)
 能登半島の被災地では携帯電話が数日間繋がららず、
公衆電話が外部との唯一の連絡手段になった地域になった。(リード文)

 石川県輪島市の粟倉(あわぐら)地区は周辺道路の寸断により、一時孤立状態になった。
携帯電話は不通になり、被災者たちは身の安否を知らせる手段を失った。
公民館には、地区で唯一の公衆電話があった。
みんながこれに殺到した。電話を待つ行列ができた。

「とりあえず大丈夫だ」。そう伝えると、「よかった、心配していたよ」と安堵の声が返ってきた。
少しでも多くの人が使えるように、みんなと同様に1分ほどで電話を切った。

 発災後の数日間は停電などの影響で、携帯電話も固定電話も使えず、
公衆電話に40人ほどの列がて来たこともあったと記事は伝える。

公衆電話が激減
上野駅前の公衆電話は難題も並んでいて、
目の前の車道を走る自動車の騒音と電話で話す隣の人の声が邪魔をして、こちらの電話の声も大きくなる。
片側の耳に受話器を抑え、反対側の開いた手で耳の穴をふさぐシーンが風物詩になっていた。
 右も左もわからないお上りさんが到着の連絡を取り、相手の迎えを待つ姿がたくさんあった。
十円玉が時間の経過とともに、コトリ、コトリと落ちていく音が、今でも懐かしく耳の奥に残っている。
饒舌な話は時間とお金の無駄遣いになり、
たいがいは、簡潔に要件を話して電話を終わり、後ろで待つ人に電話を回す。

 いたるところに公衆電話があった。
駅のホーム、校門の前、スナックのカウンターの片隅、病院の待合室など。
ホテルのロビーにはボックス型のしゃれたデザインのも公衆電話が並んでいる。
格式を重んじるホテルほど個性的な電話ボックスが並ぶ。

 携帯電話の時代が来ることを誰が予想していただろう。
携帯電話が普及し、いまでは小学生まで持っている時代だ。
携帯電話の普及で公衆電話の利用は激減し、採算も合わなくなっていった。
それに反比例するように公衆電話の数が激減していった。

 1984(昭和59)年、最盛時の台数は全国に約93万4千台あった公衆電話。
 2022年度は約12万1千台となった。最盛時の8割減である。
さらに、NTTは1931年度までに約3万台まで削減する予定である。

「災害時用公衆電話」
 公衆電話激減の対策として、「災害時用公衆電話」の設置が計画されている。
このシステムは、東日本大震災以降に普及が促進されている。

避難所となる公民館や小中学校などに回線を敷き、、小型の電話機も建物内で保管。
災害時は施設の管理者が電話機と回線をつなぎ、無料で利用できるシステムだ。
全国で約8万8千台が配備されている。

「災害時用公衆電話」は今回使われたか

記事によると、2ヵ所に設置された「災害時公衆電話」はいずれも使用されなかった。
市の担当者は
「存在自体を認識しておらず、何処にしまわれているかもわからない。
 いざという時に活用できるようねまずは市職員内での周知に努めたい」
と話している。
 
責任の所在を明らかに 
 周知徹底を図ることは当然のことだが、今回災害時に利用できなかったことの責任はどの部署の誰にあるのか、調査が必要だ。能登地方では2年も前から頻繁に地震が発生していた。この2年間市はどのような対応をとっていたのか検証を行ってほしい。それが、今後の貴重な教訓になる事を願っています。

  能登地震を歌う 二題(朝日歌壇から)
  
    軒ごとの「危険倒壊」見やりつつ水貰(もら)はむと地割れの路ゆく 
                                   (田中伸一)

    
駅前の広場に能登の牡蠣小屋が臨時に出来てラッシュの賑わい 
                              (木村義熙)

    (ことばのちから№12)      (2024.3/25記)                      
               

   

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島地震 (11) 奥能登4病院医療維持に危機感

2024-03-21 06:30:00 | ことばのちから

能登半島地震 (11) 奥能登4病院医療維持に危機感

奥能登の4病院、
 看護師60人以上が退職・意向 医療維持に危機感
                                 2024/03/04 06:00

 看護師総数の約15%
石川県奥能登地域には四つの公立病院がある。
この医療機関で働く看護師にも疲労が蓄積している。これらの医療機関に所属する看護師の
60人以上の看護師が退職したり、退職の意向を示したりしている。
看護師の総数約400人のうち約15%にあたる。
看護師自身が被災し、生活再建の見通しが立っていない。
退職者が看護師の2割に上る病院もあり、
病院関係者は医療体制が維持できなくなるのではと危機感を募らせている。

市立輪島病院の場合
 
 輪島市唯一の総合病院。
医療機器が損壊し、一時断水したこともあって、100人近くいた入院患者の大半は別の病院へ転院した。
今も20人が入院している。
自分の家は倒壊。時間外勤務をしなければ病院の運営が成り立たない。
疲労感で気力もそがれてくる。
子育てもむずかしい。

1月下旬から外来診療を再開。震災前の3割ほどに減ったものの1日に
約150人が訪れる。 

他の医療機関から看護師の応援を受けなんとか患者さんへの対応はできているが、

約25%が退
職を希望し、10人以上が退職届を提出しているという。

道路の寸断で通勤が難しく、空き病棟で寝泊まりする看護師。

発災当時は、使命感に燃えて、自己犠牲を伴う業務を続けることもできたが、

過度の労働は勤労意識の減退につながり、進退を考えるようになってくると、

それ以上の無理はできなくなってくる。

高齢者率が50%に迫る過疎の町で、市や町の医療機関は危機を迎えている。

地方の医療機関の抱える共通の問題でもある。

だから、「子供が集中して学べる環境が整う金沢で職場を探したい」という希望も
「これから病院がどうなるのか、将来への不安もある」
という考えも当然のことと思える。



 珠洲市総合病院の場合

 約125人の看護師のうち22人(18%) が退職を希望している。
どの病院でも同じように、医療業務に疲れてしまったわけではなく、
地震災害という緊急事態に、自らも被災しながら、
地域医療を支えることの難しさに心身ともに疲弊している状況が見えてくる。
「家を失った人も多く、目に見えない負担は相当ある」 (I事務局長)
さらに、医療の前線で頑張る医師や看護師を支える裏方の医療事務者や調理師にも退職希望者が出ている。
「病院はチームワークで成り立っている。先が全く見通せず、
患者数が増えたときに看護体制が厳しくなるかもしれない」という。(同)

退職の意向を示す看護師数と退職後に運用可能な病床 (読売新聞)
市立輪島病院       約120人の看護師のうち退職希望者約30人
                175床のベッド数は30~40床に減少

珠洲市総合病院             126人のうち約20人が退職を希望
                 163床のベッド数は40床に減少

公立穴水総合病院     約70人のうち約10人が退職を希望 
                 100床のベッド数は35床に減少

公立宇出津総合病院   95人のうち約10人が退職を希望
       (能登町)    100床のベッド数は30床に減少

   奥能登は高齢化が進み、震災前から看護師不足が生じており、
 生活基盤が復旧しても、一度流失した看護師が戻ってくるかは不透明だ。

  県看護協会は、4病院に勤務できる看護師や助産婦の募集を始めた。
 しかし、被災地では断水が続き、家屋倒壊も広範囲にわたり、派遣は思うように進んでいないという。
 「生活拠点がなければ長く続けてもらうことはできない。最低でも住まいを確保することが重要だ」
                                                     (県看護協会会長)
 

  厚生労働省はこれまでに4病院に延べ1264人の看護師を派遣。
 しかし、住環境を整えなければ、長期にわたる派遣は難しく、受け入れ体制の強化が必要と思われる。
 

石川 被災した病院の看護師 離職防止へ 在籍出向を検討 厚労相
                    (NHK NEWS 2024.2.20)

     能登地震潰れた家の傍らに椿咲くのが一入(ひとしお)悲し   森田光子

     古老云う「雪の深さは情けの深さ助け合わねば生きられない」と  柳村光寛

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のことば(2)   電車の中で

2024-03-17 06:30:00 | 今日のことば

今日のことば(2)   電車の中で
 電車で、一人の乗客が鼻水を手で拭いては、座席になすり付けていた。
 わたしはいややなと思った。
 周りの人も、いかにも迷惑やなという顔で見ていた。
   でも、同じ言葉を繰り返し呟いていて、話が通じなそうなその人に、どうしようもなかった。
   
だれもなにも言わず、ただ、いやそうな顔をしながら見ていただけだった。
 そのとき、おばあちゃんが、その人にティッシュを渡して、よかったらこれを使ってくださいと言った。
 その人は受け取って洟をかんだ。
 わたしはびっくりして、恥ずかしくなった。
 迷惑だと思うだけで、その人の気持ちを考えてなかった。
 困っていたのはわたしじゃなくて、その人だったのだと初めて気づいた。
                          (中脇初枝著 小説『伝言』から) 
   
   自分の視点から、視点を変えて相手の立場になってみると全く別のものが浮かんでくる。
   発想の転換である。
   自分を主体にしてものを考えることを習慣化してしまうと、
   ものの見方がや考え方が偏ってしまう。
   習慣は惰性になり、いつの間にか他人を傷つけていることに無頓着になってしまう。
   そういう過ちを私たちは、日常生活の中で何度も繰り返し経験しているのかもしれない。

                 
                 小説『伝言』について。
                 満洲・新京で暮らす女学生、ひろみの視点で語られていく。
                 「尽忠報国」。女学生でありながら、お国のために勉強もせずに、
                 精を出し、お国のために辛い労働に従事する。でもどこか変だ。
                 「五族協和」と言いながら、中国の人が築いた土地に「満州国」を無理
                 やり築く。「長春」という素敵な街があるのに、「新京」という名前
                 に勝手に取り換えてしまう。やっぱり何かが変だ。
                 永遠に失われた、もう、どこにもない国、満州国

                 欺瞞だらけの戦争。
                 あの場所で見たこと、聞いたこと、
                 そして、わたしに託されたことを、わたしは忘れない。
                 『伝言』とは、作者が小説に託した中脇初枝氏の思いである。
                                   講談社 2023.8 初版
   

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日のことば 国際女性デー いまだ残る女性器切除の習慣

2024-03-13 06:30:00 | 今日のことば

今日のことば 国際女性デー いまだ残る女性器切除の習慣
  新しいカテゴリーです。新聞、雑誌、本、ドラマなどで
  心に響いたことばをアップし、できればアップした理由などを載せたいと思います。

  国際女性デー 3月8日
    女性の地位向上、女性差別の払拭等を目指す国際的な連帯と統一行動の日。
   1975年に国連が記念日として制定しました。
   そのルーツは、1900年初頭にアメリカ・ニューヨークで起こった、 
   女性の参政権や女性労働者への差別撤廃運動にまでさかのぼるようです。
    女性の権利を主張し、女性差別を払拭する運動は、時代の変遷の中で各国で起きましたが、
   国連が1975年に『国際女性デー』として提唱し、局地的な女性の地位向上運動ではなく、
   国際的な運動として認知されるまでに、70数年の時間がかかったということです。

    さて、それでは我が国の女性の地位は世界で何番なのか。
   これをジェンダーギャップ指数と言います。
   日本は146カ国中125位(2023年)ということになります。
   残念なことに2022調査の116位から順位を9つ落としています。
   指数は、「政治」「経済」「健康」「教育」の4項目で査定されます。
   項目別の日本の指数を見てみましょう。

   【政治】138位 【経済123位 【健康】59位【教育
】47位 総合で125位
   政治社会ゃ経済社会への女性の進出が低いということは、
   日本では男女平等と謳いながら、社会通念が家事や育児がまだまだ女性の役割と根強く残り、
   男性が子育てなどで育児休業を取りずらい労働観なども、
   男性優位の考え方が払拭されずに残っていることの表れと思います。
    
    封建時代から明治時代へと新しい国家が誕生したが、
   維新を牽引した社会は従来の男社会の中で育ってきた男達だった。
   それでも、近代社会の中でほんの一握りの女性たちではあるが、
   女性の社会的地位向上に活躍した女性がいたことを忘れてはならない。
   樋口一葉、平塚らいてう、与謝野晶子、津田梅子たちである。
   
G7(主要7カ国)の順位を見てみましょう。
  ドイツ(6位)
  英国(15位)
  カナダ(30位)
  フランス(40位)
  米国(43位)
  イタリア(79位)
  日本(125位)は最下位。

 ここまで調べてくると上位の国が気になります。
   1位 アイスランド 
   2位 ノルウェー 
   3位 フィンランド 
   4位 ニュージーランド 
   5位 スウェーデン  

  ニュージーランドを除く上位国は、北欧の国々です。
 北欧は寒いけれども自然環境の豊かな国々が多い。
 4位のニュージーランドは日本の年間平均気温よりは低いが、自然が豊かである。
 女性の位置が高いのはどうも、自然環境と関係がありそうです。
 ただし、ニュージーランドは犯罪率が高く安心して住める国かどうかという点では疑問が残ります。
 日本の犯罪発生率と比べてみましょう。
  強盗……38倍 侵入窃盗……20倍 性犯罪……21倍 (日本大使館発表)
G7の国々が意外と女性の地位が低いのには驚くます。
文明や経済が発展し豊かになっても、
豊かさに比例して女性の地位向上が上昇するというものでもないようです。

 女性器切除 2.3億人が経験(ユニセフが報告)
                   (朝日新聞2024.3/10)
 ユニセフ(国連児童基金)8日、国際女性デー合わせて報告書を発表。
記事の内容は残酷で悲惨である。
2億3千万以上の少女と女性が、女性性器切除を経験している。
しかも、2016年比で約15%増しで、約3千万人の増加だと記事は伝えている。
こうした行為は出血が続き、感染症や不妊に苦しんだり、最悪の場合死亡のケースもある。

 国連総会は2012年に禁止する決議を採択したが、報告書が示す通り、改善の兆しが見えない。
 女性性器切除(Female Genital Mutilation)=(FGM)は、
 アフリカや中東、アジアの一部で現在も行われている習慣(社会的規範)だが、
 古代エジプト時代にはすでに始まっていたようです。
 年齢的には幼児期から15歳までの少女に行われるようです。
 大人の女性になるための通過儀礼とされ、結婚の条件になっている場合もある。
 しかし、FGMには医学的な根拠はなく、女性への肉体的、精神的な損害が大きく、
 利益はないと言われている。
  地域別FGMの例は次の通りです。
   アフリカ 1億4400万以上
   アジア  8千万人以上
    15~49歳の全女性を国別にみた場合、ソマリアが99%と最も高く、
                     ギニア95%
                     ジブチ90%となっている。

   「女性は結婚するまで処女を保ち、結婚して家庭に入るもの」

         という観念が根付いているようです。
  男性の妻となる資格を得るためにはFGMを受けなければいけないという、
  女性を男性の従属物として考えるような男性優位の思想も見え隠れしているのです。
  また、次のような考えもあるようです。
  FGMを行うことで、女性の性的衝動を抑制し、
  女性のセクシュアリティを管理するという目的もあります。
  女性が性行為に快楽を感じることを悪とし、
  FGMをすることで女性が結婚するまで純潔や処女を保てるという考えのもとに行われてようです。

法律で禁止されている……
 現在、アフリカのFGMが行われている28か国中22か国では、法律により禁止されています。
 しかし、法律を作るだけでは、
 長い歴史の中で人々の間に根づいた意識を変えることができていないのが現状です。
 さらに、女性が結婚を通して男性に経済的に依存することで生計を立てていくことが常識となっている地域では、
 FGMは女性が生きていくための手段にもなります。
 FGMを受けなければ女性は経済的にも生活できないのです。

 長い間の人間の生活習慣の中から生まれてきた社会的通年は、
法律で規制しても、なかなか改善できません。
「生きる」というのはどのようなことなのか。権利の平等などという意識が育たない社会で、
権利の平等や精神の自由を謳っても、人の心は簡単に変わらい。
FGMは減少しているが、ソマリアやギニア、ジブチのようにこの国で暮らす90%以上の
女性が
FGMを受け入れざるを得ない現実をみると、
根絶するためには、更に長い時間を要します。

(今日のことば№1)       (2024.03.12記)

 



    

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島地震 (10) 疲弊する支援員

2024-03-10 06:30:00 | ことばのちから

能登半島地震 (10) 疲弊する支援員
   
もう辞めたい…自治体職員も被災者 悲鳴あげる心身 

能登半島地震の発生からまもなく1カ月半。住民の支援や復旧の業務にあたる被災自治体の職員から「このままでは倒れてしまう」と悲鳴が上がっている。職員の多くは自らも被災しており、心身の負担を減らすための対策が急がれる。

住宅約5000棟(2/9日現在)の損壊が判明した石川県能登町。
カップ麺や飲料水、消毒液など支援物資がうずたかく積まれている。
各避難所にこれらの支援物質を、各都道府県から派遣された応援職員に指示し仕分けをしていく。
支援物資を行政区域の避難所へ仕分けする作業に、避難所運営の仕事も交代で回ってくる。
「2月に入って週1日だけ休めるようになりました。
 自宅に帰っても片付ける気が起きず、地震発生当時のまま散らかっています」

「避難所から出勤したり、役場に寝泊まりしたりする職員もいる。自分はまだ良い方」
                                 (能登町支援員)
子どもを祖父母宅に預け、食器が倒れたままの自宅から職場に通う職員もいる。

震災直後は気持ちも高ぶっていたが、最近では先行きが見えないことに落ち込むこともある。
「生活環境や子どもの教育を考えると、家族で転居した方がいいのかもしれない」。
退職という選択肢が頭をよぎっている。(女性職員40歳)
 
被災地職員 過労死ライン
       輪島市 残業月100時間超え8割
                     (朝日新聞2024.03.03)
能登半島地震から2カ月が経ち、元旦から災害対応を続ける自治体職員の過酷な長時間労働の実態が明らかになってきた。1月の時間外勤務(残業)が「過労死ライン」とされる100時間を超えた職員が、約8割に達した市町もある。(リード記事)

輪島市の場合 
      管理職を除く事務職の正規職員全部で218人のうち
    1月の時間外勤務が100時間を超えた職員が167人(約77%)、
    時間外の平均……約148時間

    この数字は過労死ラインの100時間をはるかに上回っている。
    災害対応の中軸を担うのは防災対策課だが、
    震災前の昨年1月の
時間外勤務が超えた職員はゼロだった。
    発災直後、多くの職員は多くの職員が家に帰れず、庁舎の床に寝袋を敷いて寝たり、
      机に突っ伏して仮眠をとる職員も少なくなかった。
穴水町の場合
    集計中だが、1月の時間外労働が過労死ライン100時間を超えた職員……8~9割
七尾市の場合
    職員471人中128人が
過労死ライン100時間を超えた職員(約27%)
珠洲市の場合
  
 1月中旬まで全員がほぼ休めていない。
    時間外労務が増えた理由の一つに「支援物資の受け入れ」を挙げている。
道路事情が悪く物資の到着が深夜や未明にずれ込むことが頻発した。
   また、安否確認の電話への応答、避難所運営など、
   24時間対応を迫られる業務が多かった。

   被災後2ケ月を経て、避難者が2次避難場所に移動したり、
   自主避難に切り替えた人、仮設住宅に移動した人などで、
   各市町とも避難者が当初の混乱期から比べると少なくなってきている。
   また、応援職員などの作業効率なども向上し、
   2月の時間外勤務は1月より減少している、と記事は伝える。

珠洲市職員Kさんの場合
   対応に忙殺 12日間連続勤務
「母が無事か確認してくれ」
「親族と連絡が取れない」
震災当所、安否確認の電話が鳴りやまず、電話口で怒鳴られたこともしばしば。
   倒壊を免れた彼の家は、市役所まで車で15分の道のりにあったが、
   通勤路は亀裂が激しく危険な状態だったので、市役所に近い避難所に移った。
   仕事が終われば、避難者と支給された食事を一緒に食べ、
  段ボールのベッドで横になる。
  そんな生活が1カ月ほど続いた。
  3月3日に2カ月ぶりに自宅に戻ったKさんは次のように当時の心境を振り返る。
「この2カ月、本当に大変だった。でも、少しは珠洲の力になれたかなと思っている」

 災害の規模や混乱ぶりを報道するのは、ジャーナリストの第一の目的だが、
 震災から2カ月以上を経た現地で、市町の職員や避難者どのような行動をし、
 考えたかを掘り起こすのも非常に大切な職務だと思う。
 今私が参考にしている記事は、朝日新聞3月3日付の記者により著名入りで報道された
 ルポルタージュ記事である。

過労死ラインの時間外労働100時間を超える先に見えて来るもの
 「燃え尽き症候群」
 人の体力や精神力には個人差があり、過労死ラインの100時間は一つの目安である。
人によっては無理な勤務が続けば、危険ラインを超える前に、体力の限界を感じ、
精神のバランスを欠くことは十分に予測される。
ある日、仕事に対する意欲が急になくなるような症状が現れた場合は、「燃え咲症候群」の可能性もある。
対応が遅れてしまうと、「うつ病」や「アルコール依存症」などを併発し、
快癒するのに時間がかかってしまう。

「災害派遣精神医療チーム(DPAT)」
被災自治体の職員の心のケアをする専門チームが被災地に派遣されている。
また、産業医科大の支援チームは、スマホなどで疲労度を自己評価する健康管理システムを使い、
リスクの高い人への聞き取りなどの取り組みもしている。
業務でのミスが増えたり、怒りやイライラが仕事中になったりすれば、
肉体的疲労と精神的疲労の蓄積を疑い、適切な医療の措置が必要になる。
      (ことばのちから№10)                     (2024.03.09記)

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島地震 (9) 輪島朝市大火②

2024-03-07 06:30:00 | ことばのちから

能登半島地震 (9) 輪島朝市大火② 
輪島朝市の大火は地震の直後に起き、テレビ画面に映された映像は、
 小さな火災ですぐに消えるだろうと私は思っていた。
 それよりも、テレビの緊急速報は「津波の恐れがあります。すぐに避難してください」
 と繰り返しアナウンスし、NHKの定点カメラは人気の途絶えた街並みを映すことと、
 避難勧告を繰り返すばかりだった。
 次の火災の放映では4~5軒の火災に広がっている場面だった。
 放映する側も視聴者もこのような大火になる事を予想できなかったように思う。


 東日本大震災の火災
  東日本大震災の火災は、津波で流された家屋の瓦礫が集まった場所からの出火で、
  能登の大火のように火元が一か所からの延焼ではなく、火災発生個所が何か所もあり、
  しかも津波で流された家屋などの瓦礫が漂って広範囲にわたって集積しているような火災現場で、
  消防車が近づけるような状況ではなかった。


さて、輪島朝市の火災だが、地震の直後に起きた火災は、一晩中延焼を続けた。
 大津波警報が発令され、住民らは避難するさなかだった。
 消火栓や防火水槽は倒壊家屋や断水などで使用できず、
 消防車は寸断された道路に阻まれなかなか現場に到着できなかった。 (ここまで前回の概要)

輪島の地震火災、電気配線原因か 
         溶けた痕跡、焼損240棟(共同通信2024.2.15)

<picture>  </picture>
ほぼ全域が焼失した石川県輪島市の「輪島朝市」周辺=1月

 総務省消防庁は15日発表。屋内の電気配線が地震で傷つきショートするなど、電気に起因した可能性があるとの見方を示した。
 火災に被災した家は240棟で、東京ドームより広い地域が焼失した。急速に燃え広がった原因は、
防火性能が低い古い木造の建物が密集していたためと分析している。

電気火災について
 電気配線がが傷つき、ショウトして発火し、火災を引き起こす現象。
阪神・淡路大震災(1995.1.17)や東日本大震災(2011.3.11)でも、
火災原因の6~7割占めたと言はれている。
 過去に発生した災害を研究・分析し教訓とすることは、災害予防の鉄則だ。
南海トラフと巨大地震ゃ首都圏直下型地震が起きれば、倒壊した家屋の下敷きになり、
救助を待ってる間に火焔に襲われ焼死する恐れも予測できる。
多数の罹災者の命をどのように守ったらいいのか。

「感電ブレーカー」
 政府は、揺れを感知して電気を遮断する「感電ブレーカー」の普及などの対策を進めるという。
 「感電ブレーカ」の設置にどのくらいの費用が掛かるのか、どの程度の地震で作動させるのか。
 地域全体が実施の方向で取り組まなければ大災害時の電気火災を防ぐことはできない。

輪島 朝市通り火災は1か所から拡大した 重なった想定外と誤算
                     (
NHK NEWS WEB2024.2.1) 
1か所から出た火の手は瞬く間に広がり、多くの住民が犠牲になった。
なぜ火災は拡大し、住民たちの命を救うことはできなかったのか。
火災に
ついて取材を進めると、消火活動を阻むいくつもの想定外と誤算が重なっていたことがわかった。
                                                                                                                                (金沢放送局 記者 竹村雅志)

 倒壊した家屋に閉じ込められた両親              
          迫る炎「悪いけども逃げるよ」

  午後4時すぎ、輪島市で震度4と震度7の地震が相次いで発生。
1回目の揺れのあと、清水さんは「津波がくるかもしれない」と思い、
駐車場に止めてある車のもとへ向かった。
そのとき、2回目の大きな揺れが発生し、実家の1階部分が完全につぶれて倒壊した。
両親の姿が見えない。
倒壊した家屋に向かって両親に呼びかけると、母親の声が聞こえた。
「無事だよ」
という声が1階部分の瓦礫の中から聞こえてきた。
「助け出したいが、姿の見えない母親を自力で助け出すことは不可能な状況だった」
近くで発生した火災の炎が迫ってきた。両親を助け出すためにその場に残るか、逃げるか。
葛藤の末、清水さんは母親にこう告げる。
「悪いけども逃げるよ」母親からは「わかったよ」と、返事があったという。
これが母親との最後のやりとりだった。
両親の行方はわかっておらず、実家があった場所からは人の骨が見つかり、
警察のDNA鑑定が進められている。

1か所から次々と延焼 大規模火災に
 
何名かの輪島市消防団の団員が救助活動に向かう途中、火が出ているのを発見している。
地震発生から約1時間後の5時23分頃だった。
この時、火災は隣接する2棟の1か所だけだった。
火はここから延焼を拡大し、大火災へと広がっていった。

 初期消火が可能な段階で、消防団に発見されながら、
火災は沈下されることなく大火災に発展してしまった。
何故なのだろう。
 
 第1の原因 消火栓が使用不能
 
 最初に到着した消防署員は、消火栓までホースをつないだが、
 水道管が地震で破砕し、断水して使用不能。

 第2の原因 川に水がなかった
 近くを流れる河原田川に消火水の水源をもとめたが、地震による地盤の隆起が影響したのか、
 あるいは津波による引き浪の影響か、川にはほとんど水が流れておらず、
 消火に十分な水をくみ上げることはできなかった。

 第3の
原因 防火水槽に近づけない
 初期消火に失敗し、火災は延焼し拡大していった。
 延焼を延焼をくい止めるには、火元を複数の所から囲うようにして放水するのが有効だとされている。
 駆け付けた消防車はそれぞれ、消火栓や川の水に消火水を求めたがどの車も同じ理由で、
 消火活動が思うように活動できなかった。
 結局、最初に到着した消防車がかろうじて残っていた河原田川の水を放水できたにとどまつた。
 その川の水もすぐになくなり、初期消火に失敗してしまう。

 第4の原因 
海水による消火もできない
 消火栓は断水で使用不能、川の水は渇水、最後の手段は防火数層からの消火だ。
 だが、倒壊した家屋の瓦礫や、道路の陥没と隆起で消防車は行く手を阻まれ、
 火災現場に到着することに、非情な困難を要した。
 消火作業を妨げる様々な要因が、初期消火の原則を逃してしまった。
 最後の消火活動は海水放出による消火だ。
 だが、火災当時、輪島市では地震発生直後に1㍍20㌢をこえる津波が観測され、
 地震発生直後から大津波警報や津波警報が出されていたために、
 海に近づくことが出なかった。

 第5の原因 
 朝市通りには、古い木造家屋が多いのも、火災が短時間で広がる一因にもなっていた。
 その後現着した消防は、ホースを何十本もつなぎ、
    離れた場所にある防火水槽や小学校のプールの水を使用して放水した。
   しかし、ホースが長くなった分、水の勢いがなかった。
 火はすでに町全体を飲み込むように広がり、消火活動は思うに任せなかった。

 海水を使って消火活動が可能になった
 地震直後に発生した輪島朝市の火災は、いくつもの誤算や想定外が重なり、
 火勢は衰えることなく一日元旦の夜を燃え続け、2日の朝が訪れた。
 津波警報が注意報に変わった。
   消防は海水をくみ上げ、やっと本来の消火活動ができるようになった。
 午前7時半ごろ、輪島朝市通りの火災は鎮圧された。
 一帯の建物は焼け落ち、かつてのにぎやかな通りは黒く焼け落ち、
 あちこちから聞こえる売り手と買い手の元気な声や町並みは灰燼に帰した。

東京理科大学 小林恭一教授は、今度の輪島火災を次のように話している。
 
「阪神・淡路大震災では、消火栓が断水で使用できず火災が広がった教訓から、
 断水が起きても利用できる防火水槽の整備が進められた。
 しかし今回、その防火水槽が使用できなかったことを教訓にしなければならない。
 防火水槽の取水口を離れた場所にも複数設けて、
 1か所に障害物があっても他の所を使える対策をとるべきだ。
   木造家屋密集地が全国各地にあって、地震で火災が起きると、
   消防隊が活動できない場合があるので、
   木造家屋の不燃率を上げていくことも継続的にやっていかなければならない」
   (…略…)
 さまざまな想定外が重なり、被害が広がった輪島市の朝市通りでの火災。
 想定外を減らし、被害を拡大させないための取り組みを進めなければならない。
                                                                                                    (2月1日「NHKウオッチ9」を参照)

          (ことばのちから№9)        (2024.03.06記)


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

能登半島地震 (8) 輪島朝市大火①

2024-03-03 06:30:00 | ことばのちから

能登半島地震 (8) 輪島朝市大火①
輪島の火災なぜ拡大 消火栓が使えれば
        元消防団員「初期消火で消せたはず」
(朝日新聞2024年1月25日 社会面)
           能登半島地震に伴う大規模火災で、地元の海産物や野菜が並ぶ観光名所「輪島朝市」
           (石川県輪島市)は壊滅状態となった。なぜ炎は燃え広がったのか。
(リード文抜粋)

がれきでぺしゃんこ 
(朝日新聞2024年1月25日 社会面)

 1月1日午後4時10分 (初期消火ができなかった)
  輪島市を震度6強の揺れが襲った。
  元消防団員のKさんは、近くのお寺に備えられてる消火栓を使おうとホースを延ばした。
  だが、消火栓は瓦礫でぺしゃんこになっていた。
  最初家屋から白い煙が立ち上り、きな臭いにおいが風に乗って流れてきた。
  炎が上がり始め、やがて蒼白い炎が舞うようになり、「バーン」という音が響いた。
  ガスボンベの爆発だ。
       「最初は火が小さかった。消火栓が使えれば初期消火で消せたはず」(元消防団員のKさん)

放水で使う川の水枯渇 (朝日新聞2024年1月25日 社会面)
 1日午後6時前
  避難先の高台に次々とやってくる住民を誘導していた輪島市消防団分団長Hさんの目に映った光景。
 約1.5㌔の朝市通り周辺の家屋から赤い炎が上がっているのが見えた。
 出動要請にもとづきあちこち崩れた道路を走り、現場に辿りついたとき、
 火災は道路両脇の
家屋数棟に比が広がっていた。
  大津波警報が出ていたため、消火の水源は海岸を避け、川沿いに消防車を付けた。
 想定外のことが起きた。
 川から水を吸い上げたが、ホースから出る水はまもなく泥になり、ついには砂になった。
 「津波の引き潮かと思ったが、今考えると地面が隆起して水が流れてこなかったのでは」
(分団長Hさん)

倒壊した家屋が行く手を遮る 道路の寸断、隆起、陥没 延焼する火災  
1日午後7時ごろ
 別の消防車は火元付近から500㍍にある河井
 積んでいたホースを出し、プールから水をくみ取って放水を始めた
 この時点で時間は火災発生からおよそ3時間が経過していた。
 火災は延焼し、消防車は少ない。同時に何か所もの放水を可能にするのに、ホースを分岐した。
 その結果水圧が弱くなる。近くの消火栓をひねるが、
給水管が破断しているためか水は出ない。
 熱気が強くなり、熱気を避けるように顔を背ける。
 消火活動の限界に後退
を迫られる団員達。
                    当初、火災現場に到着できた消防車は6台だった。
                    記事によると、輪島市内には一つの消防署と二つの消防分署、
                    16の消防団で計23台の消防車がある。
                     ほかの自治体や県にも応援を頼んだが、道路の分断は多岐に
                    わたり、駆け付けることが困難だった。

2日午前2時ごろ 少しだけ先が見えてきた
 この頃大津波警報は津波警報に切り替わっていた。火災の状況は深刻だった。
輪島朝市の最も北側に位置する、海に面した家屋にも火が迫っていたと記事は伝える。
津波警報に替わり、消防隊は海水のくみ上げ指示を出した。
海水の放水が始まり、水の勢いが強まった。(朝日新聞2024年1月25日 社会面)

2日午前7時半ごろ 火の勢いが弱くなったが……
 海水による放水が始まって放出される水が放水口から勢いよく出るようになり、少しずつだが、火の勢いが弱くなってきた。だが、新聞は輪島火災の容易ならざる状況を次のように表現した。
鎮火に至るまでにさらに100時間以上の時間を要した。
 
 日本三大朝市である輪島朝市が灰燼に帰した。日本最古の朝市で、奈良時代後期か平安時代の初めごろと言われている。物々交換の時代に、神社の祭日に行っていた市が交換の物が多くなり1000年の時を経て現在のような形になったといわれている。
 また、明治初期むのむ発祥という輪島塗も伝統工芸となり、輪島を代表する産業に成長したが、地震のために工房や住まいが倒壊し、職人の高齢化のなか、存在が危惧されている。
「輪島塗の職人たちが築いてきたものとか、大事な思い出も全部燃えてしまった気がします。悔しいですね」
                                                (40年漆塗りに従事した職人)
                    

【今日のことば】『また行こう、能登へ』
 一月に金沢へ旅をしたMさんの話。能登半島地震の被災で、深刻な状況にある被災地「能登」へ訪れるのも申し訳ない気がしたが、「今だからこそ行こう」とうご主人に背中を押されての再訪である。
終末の東京から金沢に向かう北陸新幹線は割合混んでいたが、終点の金沢駅では降りる人はわずかだった。
 過去の能登方面の旅を振り返るMさん。
  珠洲の塩づくり体験、輪島の朝市ではあめがふり寒い中、おばさんに魚を選んでもらったことなど。
 親切で温かみのある人ばかりと過去の旅の思い出を述べる。
  「地震のため、もう造られないかもしれない能登の貴重なお酒を大事に大事に味わった。
   一日も早く元の生活に戻れますように。また行こう。ぜひ行こう」
                                                                                                            (朝日新聞2024.02.28ひととき欄)
   何度行っても、能登訪問は日常生活からの一時の脱出に、心癒される旅になります。
  訪れるたびに「能登は優しや土までも」という言葉を思い出します。
  特に能登言葉というのでしょうか、語尾を息を抜いて、
  「○○してぇーぇー」「○○だからぁーぁー」というイントネーションの響きに、
  能登人の優しさを感じます。

      (ことばのちから№8)                    (2024.03.02記)
           

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする