雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

長野マラソン・去りゆく勇者

2013-04-27 22:37:46 | 昨日の風 今日の風

長野マラソン・去りゆく勇者

 

 21日、雪とみぞれが降る悪コンディションの中、

公務員ランナーの川内優輝(26=埼玉県庁)が2時間14分27秒で優勝した。

大会史上初の日本人男子優勝である。

指導者もコーチもいない若者が、公務の合間を縫って、

自分の信じる道を目標に向かってひたむきに走る姿に深い感動を覚えた。

トップランナーにあたる栄光のスポットライトがまぶしい。

 

このレースにはもう一つのドラマがあった。

 

 大会に引退レースとして参加した、日本記録保持者の藤田淳史(36=富士通)のラストランだ。

気温0.4度の雪の中、左ふくらはぎ肉離れのため30㌔付近で棄権を余儀なくされ、

有終の美を飾ることはできなかったが、彼の残したマラソンの記録は素晴らしい。

 

 2000年12月の福岡国際マラソンでは、2時間06分51秒を記録し、

マラソン3度目にして初優勝。2位の選手を4分近く引き離す圧倒的勝利だ。

当時の日本男子最高記録で同時に、福岡国際マラソン大会新記録だった(タイムは現在も日本人歴代2位)。

この時彼は色紙に次のような言葉を残している。

「神様は確かに存在する。

そして神様は奇跡を起こしてくれる。

しかし神様は死ぬほど努力したものにしか力を貸してくれない」と。 

 

 負けず嫌いで、富士通入社当時は

「1カ月に1000㌔走る練習の虫だった」(福嶋正富士通監督)彼にして言える重い言葉である。

たび重なるケガに泣かされながらもオリンピック出場を目指したが、

夢はかなわなかった。

 

 優勝3回という記録だけが残った。

尚現役引退後は、富士通のコーチに就任の予定。

36歳の新たな出発である。

                           [ 昨日の風 今日の風  (5) ]

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野マラソン・公務員ランナー川内優勝

2013-04-26 21:38:00 | 昨日の風 今日の風

長野マラソン・公務員ランナー川内優勝

 21日「第15回長野オリンピック記念マラソン」が開かれた。

スタート時の気候条件は雪、気温0.4度、湿度95%、東の風2メートル。

午前8時30分、雪の降りしきる中、42.195㌔の過酷で孤独なレースが始まった。

長野オリンピックスタジアムのゴール目指して、過去最多の9068人が参加。

 

 米ボストンマラソンの爆弾テロを受け、不審物などの警戒が強化され、

外気温の低下とは別な緊張感を吹き飛ばすような熱気がスタート会場を包む。

 優勝した川内の笑顔が素晴らしい。

気温0.4度。レース後「最高のコンディションでした」と。

「人より新陳代謝が良くて熱を生産する能力が高いから寒さに強い」と自分の体調を分析する。

 雪とみぞれが降り続く悪コンディションだったが

「3年前の東京も雪で自己ベストを5分縮めた。雪とは相性がいいのかな」と、

余裕の感じられる発言である。

 40㌔手前、競り合っていたロシアのアレクセイ・ソコロフ(30)を振り切り、

猛スパートで逃げ切り、優勝への道を切り開いた。

爆破テロにあったボストンマラソン(4/15開催)組織委員会からレースへの招待受けていたが、

公務員である川内は、

「もし4月に異動があると新しい職場に迷惑をかける」ことを懸念し待を断っていた。

テロ後早々に、来年も開催を表明したボストンの勇気に、

「今後、僕が出ることになれば少しでも力になりたい」と賛同した川内。

大会史上日本人初の優勝。

独立独歩の厳しい練習の辛さなど微塵も見せない26歳の青春に乾杯。

 

各社タイトル(以下の記事を参考にしました)

 雪ニモ負ケズ川内V (朝日新聞)

 川内選手県民の期待に応えられた(読売新聞)

 川内、雪でも日本男子初V マラソン(日刊スポーツ)

 川内が日本男子初優勝・長野(産経新聞)

 マラソン川内「優輝の走り」でテロに負けない(スポーツ報知)

                                               昨日の風 今日の風 (5)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の行方(30) 「仮の町構想」(14) 帰らない人びと(3)

2013-04-18 22:52:15 | 風の行方・原発

風の行方(30) 「仮の町構想」(14)

  帰らない人々(3)

 

 今後4年間は帰町しないことを打ち出した4町は、

放射性物質の汚染が激しく、全住民が町外に避難を余儀なくされている。

政府は、避難住民の生活立て直しを「仮の町構想=町外コミュニティ」によって推進する政策を打ち出した。

 

 しかし、復興庁の「住民意向調査」の結果、

町外コミュニティの基盤となる災害公営住宅への入居希望者は、

少ない現実が浮かび上がった[風の行方(29)参照]。

 

 

 『いつ帰れるかわからない故郷』、4年後には帰還できるのか。

本当のところは誰にもわからない(一概に比較はできないが、チェリノブイリ原発事故により消えた村は、

26年経った現在でも立入禁止となっている)[風の行方(17)参照]。

 帰還意向

 

帰還意向あり

判断がつかない

帰還意向なし

大熊町

11.3%

43.5%

42.3%

浪江町

39.2%

29.4%

27.6%

双葉町

38.7%

26.9%

30.4%

        富岡町

15.6%

43.3%

40.0%

 

※ 無回答の項目はカット

 

  表から推測されることは、「捨てがたき故郷」とはいえ、

ざ帰還となると、これを断念せざるを得ない理由があるのだろう。

大熊町や冨岡町では「帰還の意向あり」と答えた人はわずかに1割強(4町平均で26.2%)である。

仮設住宅や借上げ住宅で不自由な避難生活に耐えながら、

災害公営住宅の設置を待ち、

「仮の町(町外コミュニティ)」で故郷への帰還の時期を待つ姿が見えてくる。

 

 「帰還意向なし」の回答からは、

一刻も早く生活の立ち直りを計り、

自立への道を検討する若い人たちの姿が推測される。

「判断がつかない」と回答した人の割合が4町とも多い。

次回では、どんな思いが「判断がつかない」を選んだのか、この人たちの心の内を考えてみたい。

                                                        (つづく)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の行方(29) 「仮の町構想」(13) 帰らない人びと(2)

2013-04-06 22:01:02 | 風の行方・原発

 

 東日本大震災  帰らない人々(2) 

前回は「仮の町構想」に基づく災害公営住宅の入居希望について

福島第一原発立地自治体の4町の住民意向という視点で述べてみた。

今回は災害公営住宅の場所について、意向調査から調べてみた。

 

  「仮の町」の設置を希望する自治体

 

第1希望

第2希望

第3希望

大熊町

いわき市

郡山市

会津若松市

浪江町

いわき市

南相馬市

福島市

双葉町

いわき市

郡山市

南相馬市

      ※ 富岡町

いわき市

福島県外

郡山市

 富岡町のデータ「今の住居で暮らしたい」又は「今の住居から引っ越したい」と「移動希望自治体(複数回答)」を合算して作成(復興庁)。ちなみに、このデータは現在の避難先と完全に一致している。(現住所から動きたくないという希望の表れなのか)。

 なぜ「いわき市」なのか。

いわき市は浜 通り南部に位置し、

中核市に指定されており、人口(約33万人)、面積ともに県内最大である。

東北地方内では年間日照時間が最も長く、1日の平均気温が最も高い。

年間を通して寒暖の差が少なく、気候が安定していると言われる。

雪は山間部を除いてほとんど降らず、快晴の日が多い。

東北地方で最も工業製品出荷額が多い(約1兆900億円)工業都市でもある。

 

 原発に依存し、見せかけの経済活性化と、

気付いてみれば途方もない危険なもの(原発)を抱えてしまった住民にとって、

追われた地が故郷とはいえ、

気候温暖と都市の便利性を兼ね備えた避難所に2年以上も暮らしてしまえば、

いつ帰れるか分からない故郷に執着するよりも、

新しい土地で、生活の立て直しをはかろうとするのは、ごく自然な感情の流れではないか。

特に若い世代にとっては「帰らない」志向が強い。

 住み慣れた土地、

気心の知れた隣人との生活を望む高齢者の志向とは対極をなすものである。    (つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の彼方 (28) 「仮の町構想」(12) 帰らない人びと(1)

2013-04-01 21:41:44 | 風の行方・原発

   東日本大震災 帰らない人びと (1)

 

  復興庁が取りまとめた「住民意向調査」の第2回目が公表されたので、

調査結果を見ながら、避難した住民の意向を探ってみたい。

 原発周辺の福島県の自治体は避難の長期化を見越し、

住居や学校、医療機関などを建設し集約する「仮の町構想」を描いてきた。

国が土地を用意し、暮らしの機能を丸ごと移す。

各地に散らばった住民がそこに集まって一緒に生活する。

長期間避難者のほとんどを占める大熊、双葉、浪江、富岡の4町が計画した。

   集団移住する仮の街の災害公営住宅の入居意向(復興庁調べ)

                                                              『仮の町構想・町外コミュニティ・風の行方(19)参照』

 

入居希望

入居しない

判断できない

大熊町

24.7%

36.6%

37.2%

浪江町

19.5%

30.3%

47.6%

双葉町

6.7%

42.8%

45.5%

富岡町

24.0%

24.4%

48.3%

 

 少なくとも事故から6年、今後4年は帰還できない町は

 

「仮の街構想(町外コミュニティ)」に基づいて、

 

他の町に生活の場を築こうとしている。

 

 しかし、3月に復興庁がまとめた住民意向調査では、

 

災害公営住宅への入居希望者は、極めて少ない(上図)。

 

 国や自治体の計画とは裏腹に、

 

現時点では入居希望よりも希望しない人が多く、

 

更に判断できない人の比率が各町とも最も高い。

 

 

 見通しの立たない先行き不安な住民の立場が、

 

「判断できない」と回答せざるを得なかったのだろう。

 

 

 入居を希望し、故郷に帰れるだろう6年後を待つ人。

 

入居しないで他の町に転出し帰郷の日を待つ人。

 

故郷には帰らない選択をし、生活の立て直しをする人。

 

事故から6年後の故郷の状態は誰にも想像できない。

 

土地は荒れ、家屋は朽ちる。

 

それでも希望の種をまいて、

 

双葉が目を出し本葉が伸びるころには、

 

被災地にも新しい春が訪れることを祈る。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする