戦場カメラマンの苦悩と孤独
③ 『ハゲワシと少女』人々はどう反応したか
(『ハゲワシと少女』)
1993年 撮影場所は 内戦の続くスーダン。
1994年撮影者のケビン・カーターはピュリッツァー賞を受賞
受賞の1カ月後、カーター氏は故郷ヨハネスブルグ郊外の自宅近くの公園で自殺。
内戦の続くスーダンで起きた飢饉の中で、痩せ衰えてうずくまる子どもを撮影した写真。 |
ニューヨーク・タイムズの読者の反応は、「その後、少女はどうなったのか」という、
もっとも素朴な疑問であり、もっともミーハー的な興味だった。
カーター氏が戦場カメラマンとして、世界に伝えようとしたことは、
彼の願いに反して意外な方向に展開していった。。
内戦の続くスーダンで犠牲になっていくおさなごの姿に、
混乱と戦争の非情さを伝えようとしたはずの報道写真だったはずだ。
「なぜカメラマンは少女を助けなかったのか」
「少女を見殺しにしたカメラマンこそ本当のハゲワシだ」
「ピュリッツァー賞は取材の倫理を問わないのか」
写真そのものの非難ではなく、カーターに対する非難へとエスカレートし、
倫理問題にまで発展していった。
カーターの意図とは反対に、世論はまったく別な方向へ拡散したようだ。
評論家を含む専門家の意見も、大衆のものの見方を踏襲したものが多かった。
「写真を撮ることが大切なのか、目の前で起きていることが大切なのか、それが問われている写真だ」
報道関係者の代表は写真に批判的だ。
「ジャーナリストは倫理的に考えて取材しようとしている状況を変えることはできない」
コロンビア大学教授。
白鵬大学教授 的場哲郎は毎年、この写真を提示して講義しているが、
「あなたなら、このような場合、写真を撮りますか。それとも少女を助けますか」
という質問に学生は何と答えるのだろう。
少し時間を置いて、自分だったらどう答えるかと考えてみましょう。
命の極限状態に置かれた場合、
人命を最優先すべきなのか。
いや、やっぱりカーターのように
シャッターを切るべきなのだろうか。
私は、①で示したように、
使命感と倫理観が拮抗する状況下で
二者択一の選択はできない、という
思いが強く残ります。
潔い決断ができず、卑怯かもしれないが、
正直なところ、
迫りくる被写体の命が危機にさらされている
場面に臨場しなければ結論は出せないと思っている。
この問題は、どちらが正しくてどちらが正しくないか、
ということを念頭に置いて、的場氏の授業に参加した学生の意見を二、三取り上げてみます。
私にとって意外だったのは、職業使命感に共感する意見が多かったことでした。
「ジャーナリストは真実を伝える事こそが(ジャーナリストの)倫理であり……」
「わたしがもしこの写真を撮ったジャーナリストだとしたら、
ジャーナリストとして外部にスーダンの現状を発信することを優先するだろう」
「わたしならすぐにハゲワシを追い払っていただろう。
やはり、カーターさんは賞をもらにふさわしい人だ」と、職業使命感に共感する答えが多かった。
しかし、次のような考え方もあることを忘れてはならない。
「倫理的緊張を持つことこそが重要であり、
ジャーナリストは写真を撮るべきだという考えは理解できた。
しかし、私はどうしても心に何かもやもやしたものを感じずにはいられない」
以上のような反応に対して、プロの戦場カメラマンはどう考えているのか。
次回、的場哲郎教授の講義録を参照に紹介したいと思います。
(つれづれに……心もよう№126) (2020.02.13記)
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