雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内 「ファントム・ピークス」北林一光著

2011-09-28 22:29:14 | 読書案内

読書案内「ファントム・ピークス」北林一光

 プロローグから読者を引きつけ、捉えて離さない。

三井杳子(ようこ)が消息を絶ったのは、秋の木漏れ陽が降り注ぐ長野県南安曇郡堀金村

(現・安曇野市堀金)烏川支流二の沢付近。

『茂みの中から何かが躍り出た。…悲鳴も出なかった。杳子は驚愕と恐怖の表情をその顔に張り付けたまま、自分の死を覚悟した』。

 半年後、杳子の頭蓋骨が発見された。

二の沢とは別の本沢で発見されたのはなぜか?

安曇野に聳え立つ常念岳と蝶ケ岳への登山道があり、

烏川渓谷の谷が続く深い山の中が舞台になっている。

 (余談だがここは、私の好きな場所でもある。)

 木谷茜が姿を消したのは、同じ山系に架かる橋の上であった。

愛用のカメラを残し、恋人が眼を離したわずかな隙に、

忽然と消えてしまった。

この失踪事件の次の日、

新井深雪が、烏川林道で六歳の娘千尋(ちひろ)と姿を消す。

豪雨の中発見された少女は、恐怖におののき言葉を忘れたように寡黙になってしまう。

後日、発見されたのは、

杳子をはじめ、茜、深雪とも身体の一部だけだった。

 ファントム・ピークス(幻の山)に潜む不可解な謎は一向に見えてこない……

(ここまでが前半、後半事件の全容が明らかになり、緊張感が高まる)

    角川文庫・2010年初版刊

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十五夜の月・十六夜の月……

2011-09-19 23:02:57 | つれづれ日記

 9月12日は旧暦の8月15日です。

 中秋の名月ですね。

 我が家では、ススキ、吾亦紅(われもこう)を飾り、月見団子に赤飯を炊いていただきました。

 これで日本酒党なら「月見で一杯」ということになるのでしょうね。

 

 9月13日(旧暦8月16日) 満月の翌日の月・十六夜(いざよい)の月

 よく見ると満月ではなく、少し歪(いびつ)になっているところが趣きがあっていい。

 「いざよい」は、「ためらう」の意味の動詞「いざよう」の連用形が名詞化した語です。

 満月からわずかばかり形が崩れて、ためらい、はじらいながら上ってくる月、という意味でしょうか。

 

 9月14日(旧暦8月17日) 満月の2日後の月・立待月(たちまちつき) 

 月の出を、今か今かと立ちながら待っている。なんと優雅な風情なのでしょう。

 

 9月15日(旧暦8月18日) 満月の3日後の月・居待月(いまちづき)

 月の出る時刻が少しづつ遅くなってきます。縁側に立って、あるいはススキの茂る庭先に立って

 月の出るのを待つのには疲れてしまう。だから、家の中で座って待ちましょう、という意味でしょうか。

 

 9月16日(旧暦8月19日) 満月の4日後・寝待月(ねまちづき)または臥待月(ふしまちづき)

 更に月の出の時刻が遅くなり、月の出を横になって待っている状態です。

 

 9月17日(旧暦8月20日)満月の5日後・更待月(ふけまちづき)

 夜の10時頃に中天に上ってくる月。

 

  9月20日(旧暦8月23日) 下弦の月・弓張

 9月23日(旧暦8月26日) 二十六夜月・眉月(三日月を反転させた月のかたち)

 

  月を眺めて愛しい人に想いを馳せる習慣は、

  平安時代頃からの風習かと思います。

  平安の昔、

  陽が落ちてしまえば、月の光以外に、闇を照らすものは何もなく、

  夜の訪れは、今よりも遥かに早く訪れたに違いありません。

  月のあかりをたよりに、

  愛しい男がしのんでくるのを今か今かと心をときめかして待つ女心。

  男も女も香をたきしめ、その香の匂いで相手を確かめ、

  暗闇の中で、あるいはかすかな月明かりの下で、

  愛しい男女が結ばれていく。

  

  源氏物語の世界は優雅ですね。

  日本人の風情っていいなぁ……

  

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