雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

「夕暴雨」 今野敏 著

2013-01-31 22:01:28 | 読書案内

読書案内 「夕暴雨」 -東京湾臨海署安積班- 今野敏著 川春樹事務所 2010.1刊

 (写真・単行本) 文庫版は2012.4ハルキ文庫で刊行

 東京湾臨海署・刑事課強行犯第一係に所属する班長安積剛志率いる刑事たち

の物語である。

 部下たちに気を使い、上司にも気を使うが、信念は曲げず、意志は固い。

派手な動きもないし、黙々と捜査に取り組んでいく安積の姿が淡々と描かれている。

 また、須田、黒木、桜井、村雨など安積班を構成する刑事たちやライバルである強行犯第

二係の相楽との対比などが物語に厚みを加えている。

 『先ほどまで日が差していたと思ったら、見る見るうちに空が黒雲に覆われた。窓の外が暗くなり、雷鳴が轟いた』

冒頭の一行は、タイトルの「夕暴雨」が今にも降ってきそうな不安な情景描写から始まります(台湾では夕立ちのことを

「夕暴雨」というそうです。亜熱帯にふるゲリラ豪雨位の意味だが、タイトルと台湾は全く無関係である)。

 小説の中では何度もこの「夕暴雨」の気配が迫ってくる様子を、捜査が難航する様子と、警察内部の覇権争いの中で

刑事たちの不安な心象風景として描かれている。(「夕暴雨」はいつ降りだすのか、遠い雷鳴と風の走る描写に、私は

期待感を募らせて読み進んでいった) 

 不安をかきたてる要素は他にもある。得体のしれない巨大な車両を持つ「特車二課」の存在だ。

『倉庫みたいなもので、かさが尋常じゃないんだ。まるで格納庫だ。警備部の装備で、あんなにでかい倉庫を必要とする

ものって、いったい何だ?』と、安積に思わせるほど謎に包まれ、事件が解決しても、この部分の謎は解かされないま

ま物語は終わる(「東京湾臨海署安積班」を描くシリーズだから、この謎は今後に引き継がれていくのだろう)。

 そして、最大の不安は、場面設定の場所と事件の性質である。

  東京ビックサイト(国際展示場)のイベント会場への爆破予告。

ネット上での爆破予告は実行されるのか、それとも単なるいたずらなのか。

イベント会場では爆発は起きなかった。しかし、第二の爆破予告では、小さな爆発が起き、5人の被害者がでる。

 同じ場所にいた5人の怪我人のうち、一人の「証言」だけが、他の4人とは違っている。

なぜ一人だけ証言が違うのか?

誰かが嘘の証言をしているのか?

爆発現場で目撃された「男」は何ものなのか?

 地道な聞き込み捜査とネット犯罪の全貌が次第に明らかになってくる。

 そして最後の数行を次のように結び、東京湾臨海署安積班の捜査は終了する。

  『「暗くなってきたな。一雨来るぞ」 

   速水がそう言ったとたんに、激しく降りだした。

   夕暴雨だ。

   うだるような暑さを一時忘れさせてくれるに違いない。』

                   

                      警察小説の白眉エド・マクペインの「87分署シリーズ」を彷彿とさせる内容の小説であり、

                  実直な刑事ステイーブ・キャレラと班長安積剛志(つよし)のイメージが重なって浮かんできます。

 


 


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の行方(23) 「仮の町構想」(7)  帰りたい帰れない(2)

2013-01-25 21:54:03 | 風の行方・原発

 

  自分たちの村は自分たちで守るしかない(川内村の決意)

 「原子力災害が解決された場合、帰郷するか」。

2011年5月に郡山市ビックパレットに設けられた仮役場で行われた村民アンケートの問いに

「はい」と84%が答えている。

 

 遠藤村長にとっては、「帰村」に向けての心強い村民の意識であったと思う。

3.11から3カ月弱の村民の意識は、

「望郷の念」が強く、「帰りたい」と、帰村に関して積極的な意思表示が現れていた。

 

「故郷に帰りたい」。原発事故により全村避難を強いられた村民の心情としては、自然な感情の流れだ。

 

 そして、帰村宣言(2012.1.31)からまもなく、

つまり原発事故から1年近く経ったときの村のアンケートは、

【帰る32.6%】【帰らない28.1%】【分からない34.1】と、村民の意識は三つに割れた。

 

 【帰らない、分からない】と答えた人の多くがその理由に「避難先の便利性」を上げている。

村の仮設住宅は郡山市やいわき市の中心部に近いところにあり、店や病院、娯楽施設などがすぐ近くにある。

「仮設住宅は狭いけれど、不便な故郷へ帰ることにも躊躇する」し、

このことが帰村のネックになっているようである。

 

(私は数日前、川内村役場総務課に電話で帰村の遅れている原因を質問し、担当者も同じような答えをあげた)。

 「もともと過疎化が進み、原発事故が追い打ちをかけた」とも。

 

 しかも、帰村を拒む理由はこれだけではない。

 

  国の基準をはるかに下回る放射線量で役場をはじめとする住宅地の安全は確保されたとはいえ、

川内村全体の90%を占める山林の安全性はまだであり、山林には警戒区域も残されている。

 

 「被曝の危険性を過小評価してはならないが、恐れすぎることの害も深刻である」

勇気を以て「帰村」を考えて欲しいと、

櫻井よしこ氏は、週刊ダイヤモンド・2012年3月10日号で延べているが、

放射性物質への不安は簡単にぬぐい去れない。

特に幼児を持つ若い世代にとっては深刻な問題である。  (つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の行方(22) 「仮の町構想」(6) 帰りたい帰れない(1)

2013-01-20 21:23:56 | 風の行方・原発

 山峡の町  福島・川内村

 帰りたい帰れない

  今なお16万人を超える人たちが避難生活を続けている福島県。

  遅々として進まない復興計画。

  先の見えない避難生活は間もなく今年の3月で2年目を迎えることになり、

  人の心も疲れ、生まれ育った故郷への望郷の念も薄れていくようである。

 

  原発事故による全村避難を余儀なくされた川内村だが、

  2012年1月31日、帰村宣言がなされた。 

  「(2012年)3月24日と25日の両日で、村役場の職員60人全員が村に戻ります。

   4月1日の新年度から仕事を村で再開します。

   小中学校も保育園も保健センターも再開し、

   みんなが安心して戻れるように放射能の除染を進めます。

   みんなで使う公共施設の除染はめどがつきました。

   一般家庭は調査を進めています。雪で時間がかかっていますが、

   子どもさんのいる家庭を優先して除染します」

   「一緒に還りましょう」

   と村民に呼び掛ける遠藤雄幸村長の眼差しは優しく温かい。

 

   「帰村宣言」が出された1月末現在で川内村の線量は国の基準を下回り、安全性は確保されたと言える。

 

 

   しかし、帰村率は悪く、昨年11月08日現在完全帰村者は12.6%(361人)にとどまり、

   多くの村民は郡山市など都市機能の充実する自治体で避難生活を続けている。

 

         川内村民が避難をしている上位5自治体(2013年1月9日現在)

      ①郡山市 1356人  ②いわき市 386人  ③田村市 135人  ④小野町 67人 ⑤福島市 34人

                                                               (つづく)

                                   次回:なぜ帰村が進まないのかを述べます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の行方 (21) 「仮の町構想」(5) 遠ざかる故郷

2013-01-11 22:11:44 | 風の行方・原発

   遠ざかる故郷  「帰村宣言」(福島県・川内村)

 戻れるから戻りましょう!

 村の復興に向けた福島県・川内村の「帰村宣言」です。

福島第一原子力発電所から30㎞にある川内村は、原発事故以来「全村避難」を余儀なくされていたが、

2012年1月31日、一部を除いて避難区域指定が解けて帰宅可能になった。

 

 故郷を離れ、家族や親しい人との離れ離れの避難生活からやっと解放され、

復興元年がスタートすることになったようです。

 

 「避難生活を余儀なくされている村民の皆様、

ふる里、川内村を離れ慣れない地で辛い新年を迎えられたことと思います。

2012年は復興元年と考えております。」

 

 「スタートしなければゴールもありません。

お世話になってきた多くの方々への感謝の気持ちを忘れることなく試練を乗り越えていく覚悟です。

共に凛として穏やかで安全な村を作って参りましょう。」

 

 「戻れるから戻りましょう!」

と川内村長・遠藤雄幸氏は避難先の村民に呼びかけました。

また、避難者それぞれの事情も考慮して、

「戻れる人は戻る。心配な人たちはもう少し様子を見てから戻る」と、

村民に対する眼差しはあくまでも優しく温かい。誠実である。

 生活移住区域や農地の除染、農作物の放射線量の測定、、保育園・小中学校の再開等

「戻れる」ための復興事業を進めてきた。

 

 「自分たちの村は自分たちで守る」という基本理念で復興を成し遂げたいと川内村長は村民に呼びかける。

 

「村が変わる。変わるためには誰かが変えてくれるのを待つのではなく、村民自身が立ち上がる。

村民自身が少しの勇気を持って一歩を踏み出すことではないでしょうか。

苦しんだ分だけ他人に優しく、辛い思いをした分だけ頑張れるような気がしてなりません。」

 

 村民に呼びかける村長の言葉が胸を打つ。

原発事故を恨むことも、国や県の対応を恨むでもなく、

同じ川内村で生きる村民としての想いが、

「ふる里」をかけがえのない大切なものと捉える息遣いが聞こえてくる。

 

 そして、「帰村宣言」から一年が経過した。

 村はどうなったか。

                      ( 次回は川内村の現在を述べたいと思います。)

           

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耐え抜くのだ

2013-01-04 21:01:48 | ことの葉散歩道

耐え忍び 耐え抜くのだ……

    『火を放たれたら手でもみ消そう、

     石を投げられたら躯で受けよう、

     斬られたら傷の手当てをするだけ、

     どんな場合にも、彼らの挑戦に応じてはならない

     ある限りの力で耐え忍び、耐え抜くのだ』

                山本周五郎著 「樅の木は残った」より   [新潮文庫(上)(中)(下)]

   江戸初期の「伊達騒動」を題材にした時代小説。幕府の大藩取りつぶし計画に、仙台藩62万石の安泰のため、

命をかけて戦った原田甲斐。味方をも欺き、悪評にもめげず、敢然と闘い抜いた甲斐。

目的のために姿勢を貫き通した甲斐の孤独な生き方が胸を打つ。あまりにも揺るぎのない生き方は、愚直ですらある。

その甲斐に、「……耐え忍び、耐え抜くのだ」、しかも「ある限りの力で」と言わせる山本周五郎。

   どんな辛いことがあっても、「ある限りの力で耐え忍び、耐え抜くのだ」。そこから道が開け、解決の糸口が現れるのだと、

  これは立派な人生訓である。

   視点を変えれば、東日本大震災や福島第一原発で被害を被った人々への「応援メッセージ」とも読み取れる。

                                                                 ことの葉散歩道(3)          

       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする