パラリンピック ③ プロパラアスリート 山本(39歳)
パラリンピック陸上男子走り幅跳び 闘志が燃える
山本は、講演会で紹介されるとき、「プロパラアスリートの山本」と依頼する。
山本 篤の略歴
小学生では野球、中学生と高校ではバレーボールをしており、
高校時代の垂直飛びでは1mを超える驚異的なジャンプ力を持っていました。
2000年3月、
高校2年生の春休みにスクーターで事故を起こし、左脛骨を粉砕骨折する大けがを負い、
手術で左足を大腿から切断しました。
大腿から切断。衝撃的で、精神的にも大きな打撃を受ける出来事でしたが、
「今、写真撮っといたほうがいいんじゃない?」
「僕が有名になったときにその写真使えるよ」と当時のエピソードが
インタビュー等で語られています。
高校2年にの春、16歳の青春真っ只中の少年が母に向かっていった台詞は、
左大腿を失った衝撃に負けまいとする強がりと、
母を安心させるための優しいセリフだったのではないだろうか。
と、当時の山本篤の心境を推測しているのですが、
それにしてもこの心の余裕と、前向きの姿勢に私は驚いています。
だが、その後の山本の人生行路は、まさに前向きに意欲的に歩んでいることに感動する。
大腿部切断は、山本の人生の大きな転換点になった。
高校卒業後に山本は義足との出会いから、義肢装具士になるための専門学校に入学し、
そこで、競技用義足と出会った。
失った左足の機能をカバーする「競技用義足」に、山本は生きる目標を見つけた。
陸上競技を始めるのに時間はかからなかった。
背中を押してくれた義足サポート研究者の稲葉さんの勧めもあって、
陸上競技の道に入るのに迷いはなかったようです。
義足装具士の国家資格を取得し就職も決まっていましたが、
2004年4月に大阪体育大学体育学部に入学することに。
そこで入部した陸上競技部では走り幅跳びで日本記録を塗り替え、
世界ランキング上位の実力を見せつける。
2008年 スズキ株式会社に入社、スズキ浜松アスリートクラブに所属。
同年 北京パラリンピックで走り幅跳び銀メダル獲得
(義足の陸上選手として日本初のメダリスト)男子100㍍ 5位
その後、大阪体育大学大学院体育学博士課程に進み運動力学を研究する。
義肢装具士の国家資格を持ち、
義足の改良を行い、自己日本記録を更新し続けた。
2012年 ロンドンパラリンピック
男子走り幅跳び(F42-44) 5位 男子100m(T42) 6位 男子200m(T42) 8位
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- 2016年 リオパラリンピック
男子走り幅跳び 銀メダル 男子4×100mリレー(T42-47) 銅メダル 男子100m(T42) 7位
2017年 大きな転機と飛躍の年になりました。
9年間務めた自動車販売会社スズキを9月に退社。
「(スズキでは)練習、競技環境は恵まれていた。でも、会社員を辞めてプロになる、
パラでもそんな道があることを示したかった」
「プロアスリートになることで社員アスリートより崖っぷちになる。
競技成績を残さなければいけないですし、発信力もものすごく大切になってくる。
でも守られた中でやるよりも、プロとして後がない環境を作ることで
自分自身を少しでも追い込んでいけるのではと思った。
しっかりと自分の中で覚悟を持って進んでいく。
その姿を若いアスリートにも見てもらいたかった」
- 2016年 リオパラリンピック
同年10月神戸の新日本住設とスポンサー契約を結び、プロアスリートとして活動開始。
新たな出発と挑戦。
スポンサーとの契約は、生活費と競技活動費を合わせて年俸1,500万円でお願い。
するとスポンサー側から年俸に加えて『パフォーマンスボーナス』
という出来高契約の提示をされた。
パラリンピックで金メダルをとれば3,000万円、銀メダルで1,000万円、銅で500万円。
「僕をアスリートとして認めてくれたことがうれしい。実勢を積み上げれば、お金は稼げる」
「プロって僕が思うのは、一番は影響力を持って行動できる人、そしてそれを発信できる人」
(朝日新聞8/29付記事から引用)
2018年 平昌(ピョンチャン)冬季パラリンピックでは、スノーボート競技の日本代表として出場
2019年 ドバイで開催された世界パラ陸上競技大会走り幅跳びで銅メダルを獲得し、
2020年東京パラリンピック出場が内定。
2020東京パラリンピック
4大会連続出場となる山本篤 陸上男子走り幅跳びでメダルは逃したが日本新記録で4位を獲得。
記録は、自身の日本記録を5センチ超える6メートル75。
4位入賞だがいま一歩メダルには届かなかった。
競技前の朝日新聞インタビューにメダル獲得のボーナスの使い道について、
「足を亡くした子どもの義足の資金にしたい」という希望はかなわなかったが、
足を亡くした子どもたちとの交流を深めたいと、また競技や社会的活動に山本自身が
どこまでか変われるかを試したいと、前向きで積極的な姿勢は変わらない。
プロに転向してからの収入や報奨金などを公表している。
プロ転向後、900万円の高級車の購入なども明かしている。
年俸が公開されることで憧れを持たれるプロ野球選手のように、
後進のパラアスリートに夢を持ってもらいたかったと話している。
メディアに東京2020大会で引退と報じられたが、メディアの一方的な思い込みで、
山本には引退の気持ちはないと否定。
だが39歳という年齢を考えれば、幕の引きどきを考えてもおかしくない年齢だ。
ひたすら走り続けて来た山本が、今後どのような社会参加をし、
どんな人生を歩んで行こうとしてるのか見守っていきたい。
(昨日の風 今日の風№123) (2021.9.25記)