雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ③

2019-08-25 06:00:00 | 読書案内

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ③
   救われた言葉もある

  
    人の不幸を聞き流し
     笑うこの身はろくでなし

   ひとでなしよりまだいいが 
       こんな男に誰がした

              「ネリカンブルース」歌・藤圭子

 「こんな男に誰がした」と世間の冷たい風にさらされながら、世を拗(す)ねる。

 大人になり切れない不良少年の青い果実のような未成熟さが漂っている。

 このフレーズはどこかで聞いたことがある。

 そうだ、菊池章子が唄って一世を風靡(び)した「星の流れに」だ。

 星の流れに 身を占って
 どこをねぐらの 今日の宿
 荒む心で いるのじゃないが
 泣けて涙も 枯れ果てた
 こんな女に 誰がした

 戦後の荒廃した世の中で、生きるために街娼に身を落とした女性の諦めや恨みを、
(す)ねて表現しているところが「ネリカンブルース」に似ている。
余談になるが、『星の流れに』は、青江三奈、石川さゆり、高橋真梨子、ちあきなおみ、
八代亜紀、美空ひばり、美輪明宏など名の売れたな歌手によってカヴァーされた。
これらの歌手たちの「星の流れ」は成熟した大人の感情表現になっている。

偶然にも19歳の藤圭子が唄う「星の流れに」は「恨み節」として素晴らしいと思う。

まさに、「恨み節」=「怨歌」であり、これを詠わせたら藤圭子の右に出る者はいない。

 さて、本題に戻りましょう。
このシリーズ①と②では、悲しい手紙や辛い独白を紹介してきました。
今回は少年たちの「嬉しかった思い」を紹介します。 

   
  「さあ、帰るか」
  ケンカで警察に呼び出された時、
  いっしょに行って、
  夜遅くまで待っていてくれた先生が、
  まるで何ごともなかったかのように言った一言
                     (19歳) 
  バカヤロウ、
  なぜオレがオマエのために一生懸命で、
  オマエはちがうんだ。
                 (15歳)

 二例とも先生の言葉を選んでみた。
②で紹介したように、少年たちにとって、学校の先生は身近な存在だけに
敵愾心をむき出す対象になりかねない。
それは、少年たちが親に対して反抗心をむき出しにすることとどこかでつながるものがある。

 喧嘩で警察に呼び出された少年の両親は警察にも行かなかったそうです。
その時、同行してくれた先生。
親には見切りをつけられたが、先生はオレを見捨てなかった。
少年を叱責することもなく、優しい言葉をかけることもしない。

「さあ、帰るか」
なんと言う優しい言葉なのか。
少年の閉ざされた心の奥にするりと入り込んでしまい、
きっと少年に立ち直るきっかけを作った言葉になったに違いない。

 次の言葉も単純明快で、余計な言葉を排除した慈愛に満ちた言葉だ。
心を閉ざした者と話をするときには、
美辞麗句で飾った言葉では、閉ざされた扉は開かない。
単純明快、本音で語る言葉が人の心を開く。
飾らない言葉の裏に、人を動かす原動力が潜んでいる。

「バカヤロウ」という言葉が、
時によってはこんなに近親感を持つ言葉として響いてくる。
「自分のことに真剣に取り組めよ」と、
先生と生徒いう垣根を超えた響きがここに存在する。


 踏み外そうと思って踏み外した道ではない。
だが、戻ろうとしても、一向に光が見えない。


 迷い路だ。


 垣根の向こうから、「お出でお出で」と手を差しのべても
この垣根を乗り越えられないから、背中を向け、拗(す)ねてしまう。
先生も普通の人。
掛けた言葉が、棘を含んだ言葉で帰ってくれば自制心が揺らぐ時だってある。
垣根を取り払うということは、簡単なようでなかなか難しい。
だから時々、言ってはならない言葉を言って、
開いた傷口に塩を刷り込む様なことをしてしまう。

 お前学校に何しに来てんだ。
 給食をだべるだけなら、
 外でくえ。
          (17歳)

 封印された心を開くには、
 やさしい行動に裏打ちされた、単純な言葉や行動が必要だ。
  卒業式
  一緒に泣いた先生、
  僕も先生が好きでした。
          (14歳)

  私が退学してからでも年賀状をくれた先生、
  ありがとう。
  やっぱり、
  学校に行っておけばよかった。
          (18歳)

          初版は19年も前に書かれた本だが、今読んでも少年や少女たちの
   心の有り様がよくわかる本だ。
   法務省「犯罪白書」によれば少年による一般刑法犯は1980年代前半をピークに
   減少傾向にあるが、
   刑法犯ではないが問題行動、いじめ、ひきこもり、青少年の自殺など、
   彼らを取り巻く環境は混迷し、決していい環境ではないことを記してこのシリーズ
   を終了します。


   著者・伊藤幸弘について
    青少年育成コーデネーター。
    高校中退後、一万五千人を擁する暴走族「相州連合」の二代目総長となる。
    その異色の経験を生かして非行青少年の更生の手助けを行う。
    国会からも青少年問題特別委員会の参考人として招れ、
    教育文化に大きな衝撃を与えた。
    □ 青少年非行防止ネットワーク 理事長  □ 愛知県高浜市青少年育成指導員など歴任。

      (読書案内№142)                  (2019.8.9記)

 

 

 

 

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読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ②

2019-08-05 17:00:00 | 読書案内

読書案内「僕たちはいらない人間ですか?」 伊東幸弘著 ②
  集中内省」と「人生の棚卸」

  
    金で昔が買えるなら
   堅気になります 稼ぎます
   殴って夢が覚めるなら
   なんで喧嘩をするものか                         
           「ネリカンブルース」 歌・藤圭子

    「ネリカンブルース」の歌で表現される非行少年像は、デフォルメされてしまう。
   美化され、偶像化されてしまい現実の非行少年像とかけ離れてしまう。
   現実の非行少年の実態は歌で表現できるような単純なものではない。
   窃盗、強姦、脅迫等生々しい現実の中で少年たちは喘いでいる。
       
 格好つけていました    
 そして 恥ずかしかったのです
 でも 今なら言えます  
 心の底で 素直に言えます 
 お母さんごめんなさい

 少年院は集中内省といって、
今まで自分がしてきたことを考えてみる場所だと著者は言います。
 「詩」の一部を紹介しましたが、この詩はおそらく集中内省を繰り返し繰り返しおこなった後に書いたものではないかと思います。
過去の自分を振りかえって「格好つけていた」と書いていますが、
非行の実際は目をそむけるものがあります。

 親に刃物を突き付けて暴れまわる。
 薬物中毒になりラリって自分を見失い、
 仲間から孤立しどうしようもない自分に嫌気がさす。
 「援助交際」と称するウリ(売春)をしたり、
 「流産パンチ」といって、妊娠した少女の腹にパンチを浴びせ流産させる。

 「非行」と一口に言っても、その実態は千差万別である。
 薬物依存症の対処療法に「人生の棚卸」といわれるカリキュラムがある。
 過去と言う棚に収まっている自分の人生の一つ一つを掘り起し、自己と向き合う作業です。
 
 「人生の棚卸」も「集中内省」も、自分というものを冷静に見つめ、
 狂った歯車を正常の状態に戻す根気のいる作業であり、時間が必要な取り戻しの作業なのです。

    
   
    「クズはクズだ」

    「一生懸命やっていたのに……。」
                    (18歳の少年)

   「お前がどうなろうと関係ない。
   ほかの奴をみちづれれにするな」
   教室で騒いでいた僕に向かっての一言。
   でもあんまりです。 

        (17歳の少年)

   先生たちの言葉とは思えないような叱責です。
  実はこういう言葉が少年たちを一層傷つけてしまうのです。
  時に、先生という職業は辛く、忍耐を要する職業です。
  2人の少年と先生の間にどんな確執があったのか、具体的には分かりませんが
  決して言ってはならない棘の含まれたことばです。
                               (つづく)

   (読書案内№141)    (2019.8.5記)

 

  

 

 

 

 

 

 

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