雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

風の行方(27) 「仮の町構想」(11) 住民の心は……

2013-03-23 22:09:07 | 風の行方・原発

風の行方(27) 「仮の町構想」(11)

 住民の心は……  

 原発被害でいち早く「帰村宣言」を出した、川内村の様子を追いかけてみた。

浮かび上がってきたのは、放射性物質による汚染の不安と、

生活基盤(医療、教育、福祉、雇用、商業)の弱体化である。

生まれ育ち、気の置けない仲間たちのいる故郷ではあるが、

「帰れる人から帰ろう」と呼びかけても、帰村を躊躇させる問題の多さに住民は戸惑っている。

 

  さて、全村避難を余儀なくされ、2年経過した現在の自治体の現状を追ってみたい。

 少なくとも、今後4年(事故から6年)は帰還できない住民は約5万4千人に上る。

(事故後に避難対象となった人が約8万4千人であるから、

事故後2年が経過してもいまだに6割超の人が避難を余儀なくされている。

放射性物質で汚染された大地がいかに回復困難かを表している)

 このうち原発立地自治体である大熊、双葉町だけで約1万7千人を占め、

両町とも町全体で今後4年は帰らない方針である。

これに隣接する浪江、富岡町も今後4年間は帰らない方針を打ち出している。

4年以内の帰還が見通せる「避難指示解除準備区域」と「居住制限区域」も含めて

、町全体で4年間は帰らない方針である。 

帰れる時期(除染等により放射線量が低くなった時)が来ても、今後4年は帰らない。

 

 これには次のような理由がある。

 区域の違いで東電による損害賠償額が異なるので、

賠償の違いで住民コミュニティが分断するのを避けようとする狙いがある。

帰還時期を揃え、どの区域も賠償で同じ扱いにする方針である。

一方、自治体の方針に関わらず、

「故郷には帰らない」と「転出」をする人もいる。

                                     (つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の行方(26) 「仮の町構想」(10)  川内村讃歌

2013-03-13 13:39:24 | 風の行方・原発

 川内村讃歌

 東日本大震災から2年が過ぎた。

故郷を追われ、異郷の地に暮らす人々にとっては2年の歳月は長過ぎたのだろう。

生まれた子供も2歳になれば歩き始める。

若い人たちにとって、先の見えない不安定な生活は、将来の希望を託す設計を立てることができない。

高齢者に「仮設の生活」は、辛く厳しい現実を突き付け、生活再建の目途(めど)も立たず、

運動不足やストレスで、日増しに体力の衰えを感じざるを得ない。

こんな環境にあっても、子どもたちは避難先の学校に通い、新しい友達を作っていく。

だからこそ、大人たちは子どもたちの健全な成長を願い、

将来を担って立つ子どもたちに安全な環境を提供しなければならない責任と義務がある、と考える。

故郷は、その地で暮らした人々には、強い絆で結ばれたかけがえのない心の支えになっている。

 

 「震災から2年近くが経ち、新しい土地で生活する気持ちも強くなり、容易に戻れない状況がある。

避難を続ける村民のサポートを続け、新たな住民も受け入れて5千人の村を目指す」と、

遠藤雄幸川内村村長の視点は村民に優しく、ぶれることがない。

「5千人の村を目指す」と遠藤村長は、ビジョンを語るがこれは大変なことです。

 住民基本台帳によれば、今年3月1日の人口は2787人である。

過疎化の傾向は少子高齢化によって、一層の人口減を招き、

3.11の原発事故以降、転出する者も多く、人口減少に拍車がかかっている。

それでも、「魅力ある村づくり」を推進し、人口5000人の村を目指す姿勢は敬服に値する。

 

復興計画も具体的で現実性がある。

村民の「帰村」を促す一方、村民以外の住民の呼び込みも図る。

誘致した企業の募集対象を、4月の新年度からは村民以外にも拡大。

村で初めての賃貸アパート棟も建設中である。

特別養護老人ホームは村民以外の利用も認める。

ほかの避難自治体の住民に入居してもらうための復興住宅の建設も進めている。

 頑張れ ! 川内村。  

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

風の行方 (25) 「仮の町構想」(9) 帰村への道険し

2013-03-02 21:34:58 | 風の行方・原発

   帰村への道険し……

 帰村宣言から1月31日で1年を迎える川内村。

空間放射線量は除染で低減しているものの、

安全で快適な故郷の生活環境には、多くの課題が残っている。

 

 不便な環境:郡山市の仮設住宅と較べ、あまりにも不便すぎる。

買い物は隣接する田村市まで30分。

「不自由なく暮らす郡山市との落差は大きい」。

 医療・教育環境:村内の医療機関は「診療所」一ヶ所のみ、

小中学校は再開されたものの、現在村では16人の小学生(震災前114人)、

中学校に14人(同55人)で、4月からの入学生は、小学生6人、中学生1人。

未来を担う子どもたちの帰村は特に少ない。

村内の高校は2011年3月で廃校になり、

近隣の町の高校は警戒区域にあり、いわき市等のサテライト校で授業を受けざるを得ない。

現在、村内から通学する高校生は1人だけだが、

新年度から高校生向けスクールバスの運行も検討していると、遠藤雄幸村長。

 道路改良事業:村民にとって生活圏だった「富岡町」や「大熊町」などは警戒区域内にあり、

いわき市や田村市への依存度が高まり、いわき市と川内村を結ぶ399号線を結ぶ国道の整備も急務。

 雇用・福祉事業:野菜工場【川内高原農産物栽培工場】(4月稼働予定)、

金属加工【菊池製作所】(東京都)の誘致。

村内初の特別養護老人ホーム(平成26年秋頃に開設)。

 

 「原発事故から全村避難、そして前例がない『帰村宣言』。

故郷をとり戻したいという一心で毎日が駆け足のように過ぎた」

 

 「震災と原発事故を機に過疎化の針が一気に何十年も進んでしまったようだ。

10年、20年先の村づくりを進めるためには、

子どもを持つ若い世代に村の魅力を再認識してもらえるよう、様々な環境を整える」

 

「除染やインフラ整備を進めながら『心の復興』にも力を入れる。

ゼロではない放射線量とどう向き合うか、最終的な判断は個々に任せざるを得ない。

そのための判断材料として村はあらゆる情報を迅速に提供する」(2013.1.31福島民報インタビュー)

 

遙かで険しい帰村への道だが、

一歩一歩、「帰村へ向けて歩んでいる確かな足音」が、私には聞こえる。

頑張れ、川内村遠藤雄幸村長、スタッフの皆さん、村民の皆さん。

「帰村宣言」にも謳われています。「自分たちの村は自分たちで守る」と。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする