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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

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 パパママおねがいゆるして ④ 二度と虐待死を起こさないために

2018-06-28 17:30:00 | 児童虐待

 パパママおねがいゆるして ④ 
     二度と虐待死を起こさないために

  なぜ幼い命を救えなかったのか。あまりに悲惨で衝撃的な事件は、児童虐待を防ぐ体制の不備を浮き彫りにした。経緯を解明し、今後の教訓とせねばならない。

 過去に虐待が繰り返され、親が接触を拒む。幼稚園などに通わず、第三者の目に触れない状況だった。東京でも虐待を疑わせるシグナルはいくつもあったはずだ。
                              (読売新聞6/17)

 虐待死等が報道されたり、ワイドショーで取り上げられた場合、
往々にして行政の管轄機関の児童相談所などがやり玉に挙げられる。
 今回の結愛ちゃんの対応でも、
香川県の児相と東京・品川児相との間で緊急性の認識が共有されなかった
という批判は免れないだろう。
③の「虐待死 なぜ救うことができなかったのか
 」の項でも述べたが、
読売新聞にも次のような記事が掲載されている。

  前に住んでいた香川県の児童相談所は、父親の暴力を理由に2回にわたって結愛ちゃんを一時保護した。解除後は保護者への指導措置に移行したが、1月に目黒区へ転居する直前、これも解除している。適切な判断だったのか。

 東京都の児相は、香川県の児相から情報提供を受けて家庭訪問したものの、本人との面会を母親に拒絶された。小学校の入学説明会でも姿を確認できなかったが、緊急対応をしなかった。
                                      (読売新聞6/17)

 児童相談所について

  近年、児童虐待問題が増えています。
 昨年、虐待を受けた疑いがあるとして全国の警察が児童相談所に通告した18歳未満の子どもは
65、431人だった。
前年比20.7%の増加になります。
統計がある2004年から13年連続で増え、初めて6万人を突破しました。

 子どもは親の助けがなければ健やかに生きることができない。
 その子供を守るべき大人が、父や母が虐待の暴力を振るう。

 この社会全体の歯車がどこかで狂ってきているのだ。
 大人になり切れない大人が増加している。

 
児童相談所に寄せられる児童虐待の相談数は、
10年前と比べると20倍ほどにふくれあがっています。
虐待の件数が増えても、
児童相談所や児童福祉司の数が増えたわけではありません。
だから、児童福祉司が関わる件数はいつも飽和状態になっています。

児童相談所や児童福祉司といった施設や人材が不足していることも大きな原因のひとつです。

 児童相談所設置基準。
   人口50万人に対して最低一カ所の児童相談所を設置する。
   この基準通りに設置するとすれば、全国で250ヵ所以上の児童相談所が必要になりますが、現実
   には210ヵ所程度の設置しかありません。
   児童相談所が不足していれば、一つの児童相談所の守備範囲が広くなり、
   児童福祉司一人当たりが扱うケースも増えていきます。

  茨城県の
児童相談所を例に取ってみましょう。
   茨城県に設置された児童相談所
      中央児相(分室が2立つ)
      土浦児相
      筑西児相
     県の総人口が2960,458人だから、
     単純計算すれば約6つの児相を設置しなければなりません。
     もう少し詳しく見てみましょう。
     筑西児相の管轄エリアの総人口は、7つの市と二つの郡を合わせて総人口は約56万6
     
000人ですから現行の制度にはかろうじて適合しています。

     しかし、よく考えてみれば茨城県全体でたった3っの児童相談所と2たつの分室での対応では

      範囲が広すぎて、仕事のフィールドが広すぎて力の分散につながりかねません。
     しかも、児童相談所は地方自治体によって運営されているので、
     財政的にも資金不足になって
いる児相も多いと聞きます。
     職員が足りないから増員すればよいという問題でない。


      小さな命を虐待等から護れなかった時の職員の忸怩たる思いを考えると
     ただ単に児相の対応を批判するのではなく、
     児相を取りまく現状をもっと報道しても良いのではないか、と私は思います。
     
     こうした現実を掘り下げて記事にしたのは、毎日新聞です。
     次回は、この記事を紹介して最終回とします。
                                (つづく) 
     (2018.6.27記)         (児童虐待№7) 
 

      


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パパママ おねがいゆるして ③ 虐待死 なぜ救うことが出きなかったのか。

2018-06-25 19:23:13 | 児童虐待

      パパママ おねがいゆるして ③
           虐待死 なぜ救うことができなかったのか

懸命に生きていた幼い命を、何とか救う機会はなかったか。自治体、児童相談所、警察の対応に問題はなかったか。

  児相の業務の多忙さはかねて指摘されている。問題家庭と向き合う児童福祉司の人数はこの10年間で1・4倍になったが、その間に相談件数は3・3倍になった。努力にも限界がある。今回の事件を受けて、小池都知事は児相の増員と専門職の育成を表明した。むろん都だけの問題ではない。国をあげて取り組みを急ぐべきだ。(6/9朝日新聞)

  児童相談所と結愛ちゃんとの関わり
     ① 以前の住まいのあった香川県(香川県の児相の対応)
        
2016.9月 近隣住民より通報があり、定期訪問開始。
          12 月 通報により児相が一時保護

        2017.2月 神奈川県警 結愛ちゃんへの暴行容疑で父親(雄大容疑者)を書類送検。
              児相 一時保護解除
            3月 結愛ちゃん2度目の一時保護
            5月   雄大容疑者を再び書類送検。
            7月 2度目の一時保護解除
        児相による2度の一時保護が、二回とも雄大容疑者の書類送検後に解除になってい 
       る。恐らく書類送検(2度とも不起訴)時に、虐待をしない等のやり取りがあり、一時保
       護が解除になったのであろう。だが、虐待は繰り返し行われる傾向にあり、容易に止め
     
  ることができない。家庭内の密室で行われるために再発防止も確認が取れないところに
       問題がある。
                    2度の一時保護のがあった時に、なぜ児童養護施設への措置を考えなかったのか。

      ② 東京目黒区に一家が移住(品川児相の対応)
        2018.1月 なぜ移住したのか報道は伝えてない。
              2度の書類送検や一時保護で居ずらくなり移住した可能性はないのか。
                                       県の児相が品川児相に情報を引き継ぐ。
           2月9日 品川児相が家庭訪問するも結愛ちゃんの姿を確認できなかった。
                母親の様子から児相と距離を置きたがっていると判断し、
                                             関係づくりを優先しようと考えたという。

  子どもを守るため、直ちに権限を行使して親と引き離すべきか。それとも親との信頼関係を粘り強く築き、虐待をやめさせるよう支援を続けるほうが、その子のためになるか。児相にとって難しい判断だろう。
            朝日新聞6/7社説

              3月2日 雄大容疑者が119番通報。
                結愛ちゃん搬送先で死亡
   6/7の社説で、親との信頼関係という視点で、「児相にとっては難しい判断だろう」と述べてい
   る。確かに、そういう二者択一の難しい判断だつたのかも知れない。
    しかし、2月9日に家庭訪問して不首尾に終わった後、結愛ちゃんの死が確認されるまでの1カ
   月近く、品川児相は報道による限り再度の家庭訪問を試みた様子はない。このことはあまりにも
   緊張感を欠いた事例ではないか。
    家庭という密室の中で、結愛ちゃんがどんな生活をしているのかを把握するためには、再度の
   訪問を実行すべきだったのではないか。 
    

 児相には、家庭への立ち入り調査や親子を引き離す権限がある。
警察にも協力を要請できる。 
子供の安全確保のために、体制は強化されてきた。
一方で、親との関係構築を優先し、権限行使を躊躇(ちゅうちょ)する傾向もあるとされる。

                               読売新聞6/17

    権限行使は十分な配慮の基に施行されなければならないが、躊躇するようなことがあってはなら
  ない。児童の命に関わることもあると認識し毅然としてことに当たって欲しい。

 朝日新聞社説の最後は次のように結ばれている。

 

 「ほんとうにもうおなじことはしません」。
 結愛ちゃんはノートにそうつづっていた。
 謝るべきは大人社会のほうだ。

   結愛ちゃんのご冥福を祈ります。 
                            (つづく)  (次回 児童相談所の現実)



      (2018.6.24記) (児童虐待№6)

 

 

 

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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パパママ おねがいゆるして ② 強要された「ごめんなさい」

2018-06-23 18:25:29 | 児童虐待

パパママ おねがいゆるして ②
        強要された「ごめんなさい」
  

   もうパパとママにいわれなくても
   しっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから 
  もうおねがい 
  ゆるして 
  ゆるしてください 
  おねがいします
  ほんとうにもうおなじことはしません 
  ゆるして 
  きのうぜんぜんできなかったこと 
  これまでまいにちやってきたことをなおします

  これまでどれだけあほみたいにあそんでいたことか 
  あそぶってあほみたいなことやめるので 
  もうぜったいぜったいやらないからね 
  ぜったいぜったいやくそくします
    (警視庁発表 結愛ちゃんが書いたノートの一部・朝日新聞6/7記事より)

 

   おそらく原文は結愛ちゃんの自筆で書かれてあったのでしょう。
 原文(自筆)そのものはおそらく発表されなかったのでしょう。
 だから活字体による発表になったのでしょう。
 
  注意深く読めばわかることなのですが、
 5歳の子どもがひらがなをマスターするのは練習(訓練)しだいで可能なことと思います。
 しかし、覚えたひらがなを自分の気持ちを伝えるための手段として活用することが可能なことなのでしょうか。

  最後の4行の表現は5歳の子どもには不可能と思われます。
   これまでどれだけあほみたいにあそんでいたことか 
   あそぶってあほみたいなことやめるので 
   もうぜったいぜったいやらないからね 
   ぜったいぜったいやくそくします
 
  明らかに大人の作為が感じられる文面です。
  「あほみたいにあそぶ」なんて感覚は、5歳の子どもには絶対にありません。
  よく考えて読んでみれば、文章全部が大人の作為に満ちた印象を免れません。

   明らかに作為を持って書かされた文章です。
  意味も解らないまま、書かされた文章。
  口頭による強要なのか、見本を示されて書き写しを強要されたのかわかりませんが
  5歳の子どもが「許しを請う」ために、自発的に書いた文章でないことは確かでしょう。

  では、なぜこの文章を強要したのでしょう。

   虐待が発覚した時しばしば目にする言葉は、
  「虐待ではなく、躾(しつけ)」だったという自己保身による言い逃れです。
  躾の裏付けとして証拠を強要して書かせたのではないかと推測しています。

   自分の血を分けた子どもは病気になれば医者に連れていくが、
   結愛ちゃんは医者にも連れて行かない。

  灯りのない部屋に閉じ込める。意味のないひらがなの練習を強要する。
  たとえ血のつながりが無くても、
  縁あって一つ屋根の下で暮らすことになった幼児にどうして冷たく接するのでしょう。
  
   なぜ母親は結愛ちゃんをかばうことができなかったのでしょう。
  自己満足と身勝手な両親。
  そうした卑劣な人間に躾などできるわけがない。

  強要された文章を読みながら、
  改めて結愛ちゃんのご冥福を祈ります。


  追記: 朝日新聞では、「夢愛ちゃんが書いたノートの一部」という説明で、
     作為とか強要されたという説明がなされていなかったから、
     読者の中には「5歳の子どもがすごい!」と誤解した人もいたことでしょう。
     これは明らかに報道の説明不足と言われても仕方がない。
     念のため毎日新聞の関連記事を当たってみた。
     表現は「反省文」としてあり、やはり作為、強要のにアンスを伝える記事は見当たらない。
     しかし、5歳の子どもが書いたものと判断しても、
    「反省文」という表現は適性を欠いています。
     ただ、この残された文に対する後追い記事を丹念に掲載している。
     同様に小さな子供を持つ母親に当たりインタビュー記事を詳しく掲載した、
     街の声を拾っている。
     また、児童相談所の対応についても詳しい検証記事が掲載され、
     通り一遍の記事に差をつけている。

                         (つづく)     (次回:児童相談所について)
           (2018.6.21記)   (児童虐待№5)

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パパママ おねがいゆるして ① 哀れ 5歳の命が消えた

2018-06-20 17:30:00 | 児童虐待

  パパママ おねがいゆるして
    哀れ 5歳の命が消えた
  もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから 
  もうおねがい 
  ゆるして 
  ゆるしてください 
  おねがいします

  ほんとうにもうおなじことはしません 
  ゆるして 
  きのうぜんぜんできなかったこと 
  これまでまいにちやってきたことをなおします

  これまでどれだけあほみたいにあそんでいたことか 
  あそぶってあほみたいなことやめるので 
  もうぜったいぜったいやらないからね 
  ぜったいぜったいやくそくします
           (警視庁発表 結愛ちゃんが書いたノートの一部・朝日新聞6/7記事より)

  下書きしたまま躊躇して、アップすることができませんでした。
 上記のノートが発表されたのは6月7日の朝日新聞でした
 (というよりも、全国紙の多くがこのノートの記事を掲載していました。)。
  
  みーはーのワイドショーでも取り上げられましたが、
 多くは「結愛」ちゃんへの同情で、
 小さな命が理不尽な虐待で喪われたことへの憤りに終始していました。
 なぜ虐待死を許してしまったのか。
 その原因を探るような報道は少なかった。

 ありきたりな同情論で終わらせてしまうようなコメンテーターに言いたい。
 聞いたようなことを言って人の不幸を飯の種にするなと。

  移り気で、飽きっぽいマスコミは、報道から10日そこそこで紙面や画面に登場させることを忘れてしまう。
 「のど元過ぎれば熱さ忘れる」の例えのように、薄っぺらな表面を上滑りするような記事でお茶を濁してしまう。

  

  
 5歳の女の子にとって誰一人頼る人のいない環境の中で、
 必死になって許しを乞う姿が浮かんできて、いたたまれなくなりました。
 結愛ちゃんは、室内灯のない部屋で寝起きをし、
 父親から毎日朝の4時に起きてひらがなの練習を強要されていた(朝日新聞6/10)。
 他の家族三人が食事などで出かけるときも、暖房の切られた部屋に一人取り残されていたという。

  その結果、3月2日 肺炎による敗血症で小さな命の灯は消えてしまいました。
                                        つづく
      
 (2018.6.20記)      (児童虐待№4)

                           ※ 次回は「虐待死 強要されたごめんなさい」をアップします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

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読書案内「長いお別れ」 ②記憶を失い、やがて自分の存在さえ…

2018-06-19 20:46:10 | 読書案内

読書案内「長いお別れ」②
   記憶を失い、やがて自分の存在さえ…
          壊れていく父の姿を描く
     

 老夫婦の二人きりの生活の中に、夫・昇平の認知症が徐々に進行していく。
やがて症状は日常生活にも支障をきたすようになる。

 昇平の認知症は、発症してから七年が経とうとしていた。最初の五年間はそれでも、さほどの進行をもたらさなかったように見えたけれど、ここ二年ほどは人の目をごまかすわけにもいかなかった。

 話のつじつまが合わなくなってくる。意味のない言葉が口を突いて出る。やがて意味のある言葉が少なくなり、会話自体が成り立たなくなる。家に帰る道を忘れてしまう。何処にいても「帰る」といってその場を離れようとする。慣れ親しんだ家にいても「帰る」という。
 こうした現象を著者はやさしい目で見つめ、次のように描写する。

 意味のつながらない言葉たちが、年老いた父から漏れる。
 何か言おうとして、違う言葉が出てきてしまうのか、それとも、もう言おうと思う中身そのものが壊れ
 てしまっているのか、芙美(娘)にはわからない。おそらくは何か言いたいことがあって、言えないもどかしさもあるのだろうと想像するのだが、まるで聞いたことのない言葉を繰り出す老人の前に、何ひとつしてあげられなくて困っていると、相手は哀し気に伝えることを諦め、あるいは忘れて、ますますここではないどこかへ帰りたがってしまうのだ。

 作者の優しい目があるから、今まさに現在進行形で壊れていく老人の苦しみや、家族の不安を素直に受け止めることができる。ここに描かれる家族の絆は、父の介護を中心にして、妻として娘として、信頼関係という絆で結ばれている。誰が父の介護をするのか。やがては訪れるであろう高齢の母の介護を含めて、家族が一眼となって対処していく姿に清々しさを感じる。とは言え、三人の娘たちにはそれぞれの生活があり、それを守りながら無理のない両親への介護計画を話し合う。

 なんと素晴らしい家族のつながりだろう。差し迫った老親の介護を控えながら、三人の娘たちはこの問題を積極的に解決しようと話し合い、検討を重ねる。
やがて、昇平の最期の時が来た。
淡々と来るべき時を迎えた昇平を見守る妻と三人の娘たち。

 自分を失い、壊れていく人格にしばしば家族たちは絶望感を抱き、見るのが辛いと嘆く。
余りにも悲しい人生の最期ではないか。しかし、小説の中の登場人物たちは『記憶や言葉が失われていくのは悲しく、つらいことも少なくなかったが、父は楽しい思い出もたくさん残してくれた。電話で愚痴をこぼした時などは、話の内容は理解していないはずなのに声のトーンで察したのか、ままならぬ言葉で慰めようともしてくれた』と。
作者の目は何時も温かい。
 
  私は、読み終わって、昇平を取りまく家族たち、とくに健気に夫と共に生きていこうとする妻の曜(よう)さんに、いつのまにか頑張れと応援していた。

  タイトルの由来
認知症のことを英語で「ロンググットバイ」と言うそうです。
少しずつ少しずつ記憶を失っていく。人格を失いほぼ全面介助になり、長い長い時間をかけて、ゆっくりゆっくり最期に向かって遠ざかっていく、「長いお別れ」。
心に残り、とてもいい小説です。

                      (読書案内№123-2)  (2018.06.08記)


 

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読書案内「長いお別れ」 ① 恍惚の人…

2018-06-12 08:30:00 | 読書案内

読書案内「長いお別れ」中島京子著 ①
    記憶を失い、壊れていく父の姿を通して、人間を描く
       

内容紹介(ブックデータベースを参考)
 帰り道は忘れても、難読漢字はすらすらわかる。
妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をする――。

東家の大黒柱、東昇平はかつて区立中学の校長や公立図書館の館長をつとめたが、
十年ほど前から認知症を患っている。
長年連れ添った妻・曜子とふたり暮らし、娘が三人。孫もいる。

“少しずつ記憶をなくして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く”といわれる認知症。
迷子になって遊園地へまよいこむ、
入れ歯の頻繁な紛失と、その入れ歯が予想もしなかった場所から発見される。
記憶の混濁--日々起きる不測の事態に右往左往する家族の姿を通じて、
終末のひとつの幸福が描き出される。
認知症の昇平の介護を巡る家族たちの温かくて少し切ない10年の日々を描く。

恍惚の人
 (新潮文庫)
まだ認知症とかアルツハイマーなどという言葉がなかったとき、
徐々に襲ってくる高齢化社会で、「ボケ」というような言葉が使われていた。
1972(平成47)年、有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになった。
自分が誰であるかもわからなくなり、人間としての尊厳も徐々に失われていく。
「恍惚の人」、いわゆる認知症であるが、当時はこの病に関する情報も知識も全くなかった様に思う。現在に比べれば当時の福祉制度もお粗末なものだった。ボケも介護も社会問題という視点で語られることはなく、一家庭の問題として自助努力にゆだねられていたから、時によっては家族を巻き込み家族の人生をも壊してしまう現象であった。

 長寿はめでたいことだと思った多くの人たちは、認知症の当事者も含め、思いもしなかった家族の不幸をもたらす現象に皆が唖然とさせられた。そんな時代があったのだ。
                                                                                                              (つづく)
      (次回「長いお別れ」の内容を紹介します)

                       (読書案内№123-1)  (2018.06.08記)

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ブログ紹介 「TRITON」大人少女戦士の無限戦記

2018-06-09 21:57:58 | つれづれ日記

「大人少女戦士」と名乗る女性。
年齢不詳、職業は介護福祉士。
職業に対するプロ意識は強く持っている。
既婚者なのかどうかは不明。
アップされるブログには不思議なイメージ写真が添えられている。
この写真見たさに訪問するときもある。
 
文章は短い。
時によっては単語のみ。
この人の文章には何ものにも左右されない個性が輝いている。
良いものはよい嫌いなものは嫌い。
いつでもはっきりと自分を主張する。
自己主張することによって周りとの摩擦を起こすときもあるのだろうが、
そんな摩擦はまったく気にしない生き方が素晴らしいと思う。
興味のないものには、全く関心を示さない。
孤高の大人女戦士である。


 彼女のプロフィールだが、これが本当の彼女の姿なのかどうかも解らない。
自己紹介の欄には次のように書かれている。
『見たいのは世界の果てのそのまたむこう』。
遠くを見つめる目と整った鼻筋と小さな唇が戦士への想像力を掻き立てる。
TRITONというブログタイトルを持っている。
「トリトン」はポセイドンの子で半人半漁。ほら貝を吹いて波を沈めたり、波を立てたりする。     

 彼女の詩を紹介しよう。
詩のタイトルは「forest」 (「森」という意味)

森に惹かれるのは
そこで生まれたからだ
海に惹かれるのは
そこに帰りたいからだ
山に惹かれるのは
そこに本当の自分がいるからだ


彼女が描いている森はこんな森なのか。

人間を寄せ付けない、日差しさえ遮るような深い深い森で彼女は生まれた。

     掲載をこころよく了承していただいたので、紹介しました。
            (2018.06.09記)

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映画「孤狼の血」 なぜ今この映画か

2018-06-06 09:21:55 | 映画

映画「孤狼の血」 なぜ今この映画か
   昭和の終わりを舞台に、「広島やくざ戦争」を描く



 映画の内容をキャッチコピーから紹介する。

 広島の架空都市・呉原を舞台に描き、「警察小説×『仁義なき戦い』」と評された柚月裕子の同名小説を役所広司、松坂桃李、江口洋介らの出演で映画化。
「凶悪」「日本で一番悪い奴ら」の白石和彌監督がメガホンをとった。
昭和63年、
暴力団対策法成立直前の広島・呉原で地場の暴力団・尾谷組と新たに進出してきた広島の巨大組織・五十子会系の加古村組の抗争がくすぶり始める中、加古村組関連の金融会社社員が失踪する。
所轄署に配属となった新人刑事・日岡秀一は、
暴力団との癒着を噂されるベテラン刑事・大上章吾とともに事件の捜査にあたるが、
この失踪事件を契機に尾谷組と加古村組の抗争が激化していく。

ベテランのマル暴刑事・大上役を役所、日岡刑事役を松坂、尾谷組の若頭役を江口が演じるほか、
真木よう子、中村獅童、ピエール瀧、竹野内豊、石橋蓮司ら豪華キャスト陣が脇を固める。

  1970年代の初め、東映が『仁義なき戦い』のシリーズで華々しく映画界を席巻していた。
アンモラルで理性や情感をそぎ落とした渇いた映画だった。

 高倉健や鶴田浩二、池部良、藤純子たちが醸し出す任侠の世界を情感豊かに描いた映画は、
多くの人々の心を捉えた。
 「任侠」という日本独特の精神世界に「情」というスパイスをたっぷりと振りかけて料理された任侠映画は一世を風靡した。
「義理」や「恩」に縛られ、「情」にほだされるが、
ラストを飾るのは、
「義理」に縛られ意地を通す男や女を描き、リリシズムの中に滅びの美学を謳いあげる。
 しかし、多くの観客を動員した「任侠映画」も、やがてマンネリズムの袋小路に嵌(はま)り、
衰退し終焉を迎えた。
 (「昭和残侠伝・死んで貰います」)
 続いて東映が企画した映画が、「仁義なき戦い」実録路線シリーズの登場だ。
松方弘樹や菅原文太が眼をギラギラさせて、スクリーンせましと暴れまわった。
「血と暴力」を徹底して描いたシリーズだったが、どうにも抑えきれない若者たちの内面でたぎり、
沸騰する破壊行動は、一種の青春のエネルギーの爆発だったのだろうか。
 まったく新しいタイプの映画もやがてシリーズものの宿命なのだろう、
いつしかスクリーンから姿を消していった。
 (「仁義なき戦い・広島死闘編」)

 そして、「孤狼の血」

 在りし日の東映の黄金時代を思い出させる懐古趣味に満ちた映画だ。

冒頭、養豚場での目を覆いたくなるような惨劇から一気に引き込まれる。
というよりは、なぜこんな過激で刺激的なグロの場面を冒頭から描かなければならないのか、
私には理解できない。
しかも、こうした暴力シーンは映画全体に満ち満ちている。
ただ執拗に血の暴力シーンを描くことにどんな意味があるのだろう。

 ドスで突き、ピストルで撃つというような、かっての東映作品が描いた単純なものではない。
目をそむけたくなるような暴力シーンの連続。
近年、こんな酸鼻きわまりないバイオレンス・シーンが東映の、
いや日本映画のスクリーンで展開されたことはない。

裏切りと駆け引き。
やくざと癒着する悪徳刑事。
これを監視し密告の使命を負った若い刑事。

一体「正義」は存在するのかと思わせるような映画だが、たんなる悪徳刑事ではない。
又、密命を帯びた刑事がどんな変化をもたらすのかが映画のカギとなる。

 私にとってはドギツイバイオレンスシーンばかりが強調され、
東映やくざ映画の「夢よ再び」といった新しいものの感じられない、懐古趣味の強い映画だった。
大々的に新聞等で宣伝した割には、観客動員はいま一つさえない理由もこの辺にあるような気がする。
(ちなみに、朝一番の上映に観客は私も含めてむさくるしいオッサン3人。いずれも、ちょっと不機嫌な顔して劇場を出た。)


 最後にタイトルについて。

 「孤狼の血」が示す「血」とは何か。一般的には群れを嫌い、やくざ組織と対峙し、「血」の匂いを撒き散らす
一匹狼というイメージだ。だが別のイメージもある。
「血筋(ちすじ)」というイメージだ。この第二のイメージがラスト近くになって描かれてくる。


この映画は柚木裕子の同名小説を映像化したものだが、
私は未読のために評価の内容は映画に限定していることをご理解ください。
 (しばしば、原作の一定の部分を強調し、原作と全く異なる映画が創られることがあるからだ)。
             (2018.06.05記
)      (映画№17)

 

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