安楽死か 嘱託殺人か
小説「ドクター・デスの遺産」から考える。(2017.12.26記事・改訂版)
衝撃的な事件である。
朝日新聞一面トップ4段ぬきと、社会面の全面を使っで次のタイトルが躍る。
嘱託殺人容疑 医師2人逮捕 ALS患者に薬投与 SNSで接触か(朝日7/24)
更に社会面でより具体的に事件を伝えている。
逮捕の医師「安楽死」肯定か
ALS患者嘱託殺人容疑ネットで主張 被害女性、難病の苦悩投稿か
一面の補足記事として
「生きる権利、守る社会に」(同病)患者ら訴え
「積極的安楽死」日本では認めず
紙面を占める割合から、この事件が容易ならざる問題を含んでいることが分かります。
翌7/25の記事は社会面約3/2を割(さ)いて、事件に至るまでの経過を載せている。
初対面 10分で殺害か 知人装い訪問
容疑者が被害女性とツイッター
「追訴されないならお手伝い」「自然な最後まで導きます」
事件の詳細をお知らせするブログではないので、新聞タイトルだけを挙げてみました。
概要は理解できると思います。
筋萎縮性側索硬化症(ALS)の一人暮らしの介護が24時間必要な患者が、SNSで
「こんな姿で生きたくないよ」「安楽死させてほしい」という訴えに、2人の医師が
反応した。
安楽死は古くて新しい問題だ。ターミナルケアの技術が発展し、
静かに苦痛なく最期を迎えたいと願うのは万人の希望だろう。
安楽死について考えてみよう。
「命の尊厳」と「死ぬ権利」の狭間で、二者択一ではなく、
人間として最後に迎える死を「命の尊厳」を保ちながら
穏やかな死を迎えるためには、「医の倫理」をふまえ、
安楽死の問題を考えなければならない。
かって末期がん患者に塩化カリウムを投与し、殺人罪に問われた医師への判決(1995年)で、
例外的に延命中止が認められる4つの指針がしめされた。
この指針は、下記の「ドクター・デスの遺産」の中で書きましたが、
大切なことなので述べておきます。
① 死が避けられず死期が迫っている。
② 堪えがたい肉体的苦痛がある。
③ 苦痛を除く方法を尽くした。
④ 安楽死を望む意志が明らか。
今回の事件は①~④のどれにも該当しない。
④はどうか。
SNSで、「安楽死させてほしい』と明確に意思表示しているではないか。
主治医が長いかかわりの中で①~④の指針を当てはめ、①~③に該当するとしても、
④の意志が本当にあるのかどうか、長い時間をかけて、本人の意思を確認する必要があり、
家族など親しい人に見守られて、延命中止を行うことが望ましい。
とすれば、今回の事件は、現金が振り込まれた後に、患者宅を訪れ、
10分ぐらいで実行している。
余りにも「医の倫理」から逸脱した無謀な行為といわざるを得ない。
日本では、安楽死は認めていないから、嘱託殺人になるのでしょう
それにしても、余りに無謀な、医師としての倫理に欠けた行為に、憤りを感じます。
自ら望んだ「死」であっても、肉親や親しい人や優しい人も誰一人立ち会うことのない
臨終の場に心無い初対面の医師だけという荒涼とした風景を思うと、
こころが痛みます。
(昨日の風 今日の風№112) (2020.7.25)
ドクター・デスの遺産 中山七里著 角川書店 2017.6再販
警視庁にひとりの少年から「悪いお医者さんがうちに来てお父さんを殺した」との通報が入る。
当初はいたずら電話かと思われたが、
捜査一課の高千穂明日香は少年の声からその真剣さを感じ取り、
犬養隼人刑事とともに少年の自宅を訪ねる。
すると、少年の父親の通夜が行われていた。
少年に事情を聞くと、見知らぬ医者と思われる男がやってきて父親に注射を打ったという。
日本では認められていない安楽死を請け負う医師の存在が浮上するが、少年の母親はそれを断固否定した。次第に少年と母親の発言の食い違いが明らかになる。そんななか、同じような第二の事件が起こる――。
( ブックデーターから引用)
次々に起こる安楽死事件は、近親者の依頼を受けた「ドクター・デス」が関わりを持つ事件だ。
現行法では殺人事件として警察の追求を受ける。
「ドクター・デス」とは何者か。
安楽死の要請があった家や病室を影のように訪れ、
苦しむ患者に安楽死の施術をしていく。
難病の娘を持つ犬養刑事はこの娘を使い、
囮捜査でドクターデスをおびき寄せる。
サスペンスにとんだミステリーを「安楽死問題」という重いテーマを絡めた作品だが、
テーマが重いわりには、読者の心に響いてくるものがない。
医療とは、安楽死とは、尊厳死とは。
この辺の問題をもう少し掘り下げて表現できれば、
味わい深い作品になるのだが……。
ドクター・デスが法を犯してまでも進めていこうとした安楽死、
表題の「ドクター・デスの遺産」とは何だったのだろう。
作者が読者に投げ掛けた課題でもある。
「犯人は捕まえたが罪を捕まえられなかった」という犬養刑事の言葉が
このミステリーの全てを語っているように思えます。
安楽死を扱った小説に森鴎外の「高瀬舟」という短編があります。
興味のある方は是非一読をお勧めします。
安楽死について次のような判例があります。
患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、
死が避けられず死期が迫っていること、
患者の苦痛を除去・緩和する他の手段がないこと、
生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示のあること。
この条件が必要であり、医師による末期患者に対する積極的安楽死が許される。
としているが、現実にはこれらの条件が満たされていても、
現役の医師が安楽死を遂行することはまずありません。
この小説のように、
塩化カリウム製剤を注射し心筋にショックを与えれば、
やがて患者は心肺停止し、
死にいたるような医療行為は、
日本の現行法では立派な犯罪になります。
現実には、延命治療を拒否し、ターミナルケアを受け、
消極的な安楽死を望む患者も多い。
命の尊厳という視点から考えれは、
日本人の生死観に沿っているように思います。
ちなみに、日本尊厳死協会では、
尊厳死とは患者が「不治かつ末期」になったとき、
自分の意思で延命治療をやめてもらい安らかに、
人間らしい死をとげること、と定義しています。
(読書案内№117)