雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

安楽死か、嘱託殺人か 小説 『ドクター・デスの遺産』から考える

2020-07-25 18:00:00 | 読書案内

安楽死か 嘱託殺人か
 小説「ドクター・デスの遺産」から考える。(2017.12.26記事・改訂版)
    
 衝撃的な事件である。
 朝日新聞一面トップ4段ぬきと、社会面の全面を使っで次のタイトルが躍る。
 嘱託殺人容疑 医師2人逮捕 ALS
患者に薬投与 SNSで接触か(朝日7/24)
    更に社会面でより具体的に事件を伝えている。
 逮捕の医師「安楽死」肯定か 
   ALS患者嘱託殺人容疑ネットで主張 被害女性、難病の苦悩投稿か
 一面の補足記事として
   「生きる権利、守る社会に」(同病)患者ら訴え
   「積極的安楽死」日本では認めず
紙面を占める割合から、この事件が容易ならざる問題を含んでいることが分かります。
 翌7/25の記事は社会面約3/2を割(さ)いて、事件に至るまでの経過を載せている。
 初対面 10分で殺害か 知人装い訪問
 容疑者が被害女性とツイッター
   「追訴されないならお手伝い」「自然な最後まで導きます」
 事件の詳細をお知らせするブログではないので、新聞タイトルだけを挙げてみました。
 概要は理解できると思います。
   筋萎縮性側索硬化症(ALS)の一人暮らしの介護が24時間必要な患者が、SNSで
   「こんな姿で生きたくないよ」「安楽死させてほしい」という訴えに、2人の医師が
   反応した。
   安楽死は古くて新しい問題だ。ターミナルケアの技術が発展し、
   静かに苦痛なく最期を迎えたいと願うのは万人の希望だろう。

 

安楽死について考えてみよう。
 「命の尊厳」と「死ぬ権利」の狭間で、二者択一ではなく、
 人間として最後に迎える死を「命の尊厳」を保ちながら
 穏やかな死を迎えるためには、「医の倫理」をふまえ、
 安楽死の問題を考えなければならない。

 かって末期がん患者に塩化カリウムを投与し、殺人罪に問われた医師への判決(1995年)で、
 例外的に延命中止が認められる4つの指針がしめされた。
 この指針は、下記の「ドクター・デスの遺産」の中で書きましたが、
 大切なことなので述べておきます。
  ① 死が避けられず死期が迫っている。
  ② 堪えがたい肉体的苦痛がある。
  ③ 苦痛を除く方法を尽くした。
  ④ 安楽死を望む意志が明らか。
 今回の事件は①~④のどれにも該当しない。
  ④はどうか。
   SNSで、「安楽死させてほしい』と明確に意思表示しているではないか。
   主治医が長いかかわりの中で①~④の指針を当てはめ、①~③に該当するとしても、
   ④の意志が本当にあるのかどうか、長い時間をかけて、本人の意思を確認する必要があり、
   家族など親しい人に見守られて、延命中止を行うことが望ましい。
   
   とすれば、今回の事件は、現金が振り込まれた後に、患者宅を訪れ、
   10分ぐらいで実行している。
   余りにも「医の倫理」から逸脱した無謀な行為といわざるを得ない。

   日本では、安楽死は認めていないから、嘱託殺人になるのでしょう
   それにしても、余りに無謀な、医師としての倫理に欠けた行為に、憤りを感じます。
   自ら望んだ「死」であっても、肉親や親しい人や優しい人も誰一人立ち会うことのない
   臨終の場に心無い初対面の医師だけという荒涼とした風景を思うと、
   こころが痛みます。
        (昨日の風 今日の風№112)   (2020.7.25)

   
  
 
ドクター・デスの遺産 中山七里著 角川書店 2017.6再販

 
 警視庁にひとりの少年から「悪いお医者さんがうちに来てお父さんを殺した」との通報が入る。
当初はいたずら電話かと思われたが、
捜査一課の高千穂明日香は少年の声からその真剣さを感じ取り、
犬養隼人刑事とともに少年の自宅を訪ねる。
すると、少年の父親の通夜が行われていた。
少年に事情を聞くと、見知らぬ医者と思われる男がやってきて父親に注射を打ったという。
日本では認められていない安楽死を請け負う医師の存在が浮上するが、少年の母親はそれを断固否定した。次第に少年と母親の発言の食い違いが明らかになる。そんななか、同じような第二の事件が起こる――。
                                    ( ブックデーターから引用)
 次々に起こる安楽死事件は、近親者の依頼を受けた「ドクター・デス」が関わりを持つ事件だ。
現行法では殺人事件として警察の追求を受ける。
「ドクター・デス」とは何者か。
安楽死の要請があった家や病室を影のように訪れ、
苦しむ患者に安楽死の施術をしていく。
難病の娘を持つ犬養刑事はこの娘を使い、
囮捜査でドクターデスをおびき寄せる。
サスペンスにとんだミステリーを「安楽死問題」という重いテーマを絡めた作品だが、
テーマが重いわりには、読者の心に響いてくるものがない。

 医療とは、安楽死とは、尊厳死とは。
この辺の問題をもう少し掘り下げて表現できれば、
味わい深い作品になるのだが……。
ドクター・デスが法を犯してまでも進めていこうとした安楽死、
表題の「ドクター・デスの遺産」とは何だったのだろう。
作者が読者に投げ掛けた課題でもある。

「犯人は捕まえたが罪を捕まえられなかった」という犬養刑事の言葉が
このミステリーの全てを語っているように思えます。

 安楽死を扱った小説に森鴎外の「高瀬舟」という短編があります。
 興味のある方は是非一読をお勧めします。
安楽死について
 安楽死について次のような判例があります。
患者が耐えがたい肉体的苦痛に苦しんでいること、
死が避けられず死期が迫っていること、
患者の苦痛を除去・緩和する他の手段がないこと、
生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示のあること。

 この条件が必要であり、医師による末期患者に対する積極的安楽死が許される。
としているが、現実にはこれらの条件が満たされていても、
現役の医師が安楽死を遂行することはまずありません。

この小説のように、
塩化カリウム製剤を注射し心筋にショックを与えれば、
やがて患者は心肺停止し、
死にいたるような医療行為は、
日本の現行法では立派な犯罪になります。
現実には、延命治療を拒否し、ターミナルケアを受け、
消極的な安楽死を望む患者も多い。
命の尊厳という視点から考えれは、
日本人の生死観に沿っているように思います。
ちなみに、日本尊厳死協会では、
尊厳死とは患者が「不治かつ末期」になったとき、
自分の意思で延命治療をやめてもらい安らかに、
人間らしい死をとげること、と定義しています。
    (読書案内№117)

 
コメント (2)
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 新型コロナウイルス ⑦スペイン風邪と丹後大仏

2020-07-06 06:00:00 | 昨日の風 今日の風

 新型コロナウイルス ⑦ スペイン風邪と丹後大仏
   スペイン風邪の教訓を今に伝える。
                 過去の出来事が教訓となる。
  

 京都府の丹後半島北東部、船の収納庫の上に住居がある舟屋の建物群で有名な伊根町。
(伊根の舟屋群)
 天橋立から車で30分。
 風光明媚で波穏やかな海にせり出しすように、漁を業とする舟屋が二百数十軒並んでいる。
 山を背負うように立ち並ぶ地形に漁船を係留する漁港を作る土地の余裕はなく、
 漁で使用する舟は一階部分の収納庫に入れ、2階部分を住まいとして利用している。
   近年は舟が大型化し、舟屋に入らないと言います。
 当然のことながら、時の流れは人々の生活を変えていってしまう。
 『行く河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、
 かつ消えかつ結
びて、久しくとどまりたるためしなし。』
 あまりにも有名な方丈記の冒頭である。
 無常の風にさらされながら、私たちは遠く過ぎ去ったものを「過去」という時代に置き忘れ、
 新しい世界感を作っていく。

 だが、大きな災害や哀しみ、歴史の転換期になるような出来事は忘れてはいけない。
 私たちが、戦争や大きな災害を乗り越えて来た事実は、
 教訓として語り伝えなければならない。
 口伝は変化し、語り部がいなくれば、忘れ去られてしまう。
 石に刻み、書物に記録して後世の人々に伝える義務が私たちにはある。

 
 この伊奈町の山麗に、冒頭に示した石の大仏がある。
 2メートル近くの石の台座に2メートルの大仏様が鎮座している。
 「丹後大仏」として土地の人々に親しまれている。
 秋は紅葉に映える里山を背景に、
 春は桜の花陰で美しい季節の流れを見つめて鎮座している。

 1919(大正8)年1月ごろに、スペイン風邪で亡くなった地元の人たちを供養するために建立されたと、
 伊奈町史は記録している。
  スペイン風邪は100年前の1918(大正7)~1921(大正10)年に世界的なパンデミックを引き起こした。
  日本の罹患者数 2380万4643人 
     死亡者数   38万8727人 (内務省衛生局編「流行性感冒」から)
              (規模的には、新型コロナウイルスをはるかに上回る感染者と死亡人数です)
 
  丹後半島の伊根町になぜ大仏が建立されたのか。
  通称「丹後大仏」の建立の歴史とスペイン風邪の関係を探ってみたい。
        1900(明治33)年、伊根町本庄・筒川地区に筒川製糸工場が建設され、
      此の辺境の地に最盛期には従業員160名超をかかえ、地域の発展に寄与した工場だった。
   1909(明治42)年、伊根町史によると、筒川製糸工場は火災に遭い全焼し、
      甚大な被害を被る。
 だが、役員以下社員一丸となり復興に勤めた結果、
   1918(大正7)年、再建を果たした。再建までに9年を要したわけだが、この間の役員や社員の
      努力についての詳細は不明でした。
      同年10月、工場長・品川萬右衛門は工場再建に奮起した従業員を労うため従業員116名を率
      いて東京見物の慰安旅行を実行。京都から名古屋、横浜、東京などを10日間かけて巡った。
      大正7年に10日間にわたる研修慰安旅行はおそらく、
      当時としては革新的な時代を先取りした企画だったと思います。

      火災で全焼し、9年を費やして再建された製糸工場に、
      2度目の不幸が襲いかかります。
      研修慰安旅行で訪れた当時、スペイン風邪が世界的な規模て感染拡大していました。
      東京も例外ではありませんでした。

      帰路。
      伊根に近い宮津で、参加者が次々に発症した。
      当時の記録が残っている。
         「宮津町ニ帰着シタル一月二十二日ノ夜
      (中略)悪性感冒ハ可憐(かれん)ノ女工ニマデ襲ヒ寄リ……」
      当時としては、画期的だった東京慰安旅行のお土産が悪性感冒(スペイン風邪)。 
      なんという不運なのでしょう。

      帰郷した従業員のうち42人が死亡。
      村内にも広まる被害を出してしまいました。
      工場長の品川萬右衛門は亡くなった従業員の慰霊のため、
      1918(大正7)年工場内に青銅製の阿弥陀如来像を建立。
      これが丹後大仏です。
      初代の丹後大仏は昭和19年に金属回収令により徴収され、
      悲願の大仏(阿弥陀如来像)も、
      戦艦の一部や鉄砲の玉などにするため無くなってしまいました。
   1945(昭和20)年4月(終戦の4カ月前)、初代青銅製大仏の立っていた筒川工場の跡地の同じ場所に
      再建されました。
     
(新綾部製糸株式会社筒川工場は昭和9年ごろまで存在したそうですが
      現在、往時を偲ぶものは、石の丹後大仏だけになってしまいました。)
  
 悲劇語り継ぐ 「大仏」で記憶継承
  当時を直接知る人はいなくなったが、「町民は誰もがスペイン風邪の悲劇を知っている」と
  近所の人は言う。毎年4月の慰霊祭では、有志で雑草を狩り、甘茶を飲んで往時を偲んできた。
  だが高齢化が進み、2年前にを最後に途絶えかけた。
  今年5月、観光協会が呼びかけ、住民による草刈が復活。
  新コロナ終息を祈った。(朝日新聞)

  記憶は時の流れとともに薄れ、消えて行ってしまう。
  だから、記念碑、顕彰碑等は過去を振り返えり、
  忘れないために大切に保存することが必要なのでしょう。
 
  およそ100年前、世界で感染拡大したスペイン風邪は
  日本でも多くの感染者と死者を出した(前述)。
  日本国内で大小三度の流行を繰り返した。
    第一波 1918年8月~19年7月  患者数2116万8398人 死者数25万7363人
    第二波   19年9月~20年7月  患者数  241万2097人 死者数12万7666人
         第三波    20年8月~21年7月   
患者数 22万4178人 死者数  3698人
     合 計               患者数 2380万4673人 死者数38万8727人
                           (内務省衛生局編 「流行性感冒」より)

      歌人の与謝野晶子は、第一波の際に子どもの一人が学校で感染した後、
      「家内全体が順々に伝染した」と書き残し、第2波に際した新聞への寄稿
      では「死が私たちを包囲して居ます」と社会を襲う恐怖を代弁ししている。
                            (朝日新聞2020.6.11)

   4日午後9時現在、全国で262人の感染者を出した。
   とりわけ東京都では3日連続100人を超える感染者を出し、
   隣接する県でも感染者が出始めている。
   第2波が来るのかというような漠然とした予測ではなく、
   緊急事態宣言を解除し、経済活動が活発化し、人が動き出せば
   感染は必ず繰り返されるという自覚が必要です。
   世界の感染状況や100年前のスペイン風邪がそのことを如実に物語っています。

   誤解しないで欲しい。
   緊急事態宣言の解除は安全宣言ではない。
   低迷し混乱する社会と私たちの日常の生活を取り戻すための苦渋の選択だったのだ。
   寄せては返す波のように再び私たちは感染との戦いを強いられる。

   新型コロナウイルスへの「自衛の戦い」という意識がなけれは、
   この戦いとの勝ち目はないことを自覚しながら、今日も生きよう。

   午後8時。
   早くも現職都知事が当確を決めたようです。
   きめ細かなコロナ対策の継承を期待したい。
           参考資料 朝日新聞 日本経済新聞ウエブ版 内務省衛生局編「流行性感冒」等

      (昨日の風 今日の風№111)      (2020.7.5記)

 

 

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