雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

エボラ出血熱 (2) 出現状況

2014-11-15 23:07:43 | 昨日の風 今日の風

エボラ出血熱(2) 出現状況―

19676月・最初のエボラ出血熱

 スーダン南部、倉庫場の男性が出血様症状を示し、3名の男性が罹患した。

人類の前に姿を現した最初のエボラ出血熱でした。この3人の患者を源とし、家族内、病院内感染を通し流行が拡大し284人が発症し、151人が死亡した(致死率53%)。

 同年8月・コンゴ民主共和国(旧ザイール)北部のヤンブクで収容された患者の教会病院の治療・看護を通じ、318人の罹患者が発生、280人が死亡(致死率88%)。

 1995年・コンゴ民主共和国の総合病院を中心として、315人が発症し244人が死亡(致死率77%)。

 

 ザイール川支流のエボラ川が、ヤンブクの最初の患者の出身村だったことから「エボラ」と命名されました。

 

 マールブルグ出血熱

 最初に確認されたのは、1967年8月西ドイツのマールブルグ市で、突然、原因不明の熱性疾患が発生しました。

 ワクチン製造のためにウガンダから輸入されたアフリカ緑猿の組織・血液に接触した25人が罹患したといわれています。

 同時期、フランクフルト市でもウガンダから輸入されたサルに接触した7人が熱性疾患を発症しました。

 のちに、最初に確認された地名にちなみ「マールブルグ出血熱」と命名されました。

 エボラ出血熱を引き起こす同じ科のウイルスを原因とする疾患であり、両疾患は臨床的に非常によく似ている。高い致死率を伴って劇的な発生を引き起こすことがあり、ワクチンや特定の治療法はない(鹿児島大学・岡本嘉六)と言われています。どちらも死亡率は極めて高い(50~90%)。

            (つづく)

 訂正:前回「戦慄のウイルス」で、人間社会で初めてウイルス病原体に感染した患者は、1967年でした。また、「ホット・ゾーン」で描かれた最初の患者は、「エボラ出血熱」ではなく「マールブルグ出血熱」だったようです。

 (昨日の風 今日の風№11)

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エボラ出血熱 (1) 戦慄のウイルス

2014-11-05 17:00:00 | 昨日の風 今日の風

エボラ出血熱 (1) 戦慄のウイルス―

 眩暈と共に完全な脱力感に襲われ、背筋がぐったりして感覚がなくなる。

……もはや、自分ではそれを止めることができない。

彼はがっくりと前にのめり、膝に顔をのせると同時に、

信じられないほど大量の血を胃から吐き出して、苦しげなうめき声と共に床にまき散らす。

次の瞬間意識を失って、前のめりに床に倒れる。

唯一聞こえるのは、失神しながらも喉を詰まらせて吐きつづける音だ。

次いで、……肛門の括約筋が開いて、大量の血を排出した。その血には腸の内層も混じっている。

剥がれ落ちた彼の腸の内層は、大量の血と共に排出されつつある。

……男の周囲には血だまりが生じて急速に広がっていく。

その宿主(男)を破壊した病原体は、

いまや、彼の体のあらゆる孔から外に出て、新たな宿主を探そうと努めている。

 19801年1月(34年前)、西アフリカのナイロビに出現した、人間社会で初めての謎のウイルス病原体に感染した患者の死は、壮絶だった。(後にこれが、エボラ出血熱と命名される)。

網かけ部分はホット・ゾーン(危険地帯・地域という意味)というサイエンス・ノンフィクションからの抜粋です。

 

 エボラ出血熱は、一人の感染者からでも大規模感染につながる。

空気感染はしないが、患者の体液や出血した大量の血液に接触することによって感染する。

医療従事者の針で刺したような小さな傷口からも容易に侵入してしまうウイルスです。

 

 感染が減少に向かっていたギニアで、一人の葬儀に集まった人たちから再び拡大したことがわかっている。

 葬儀に集まった人たちが、かわるがわる遺体に頬を摺り寄せ、 

髪の毛を撫で、涙を流して患者の死を嘆き悲しむ現地の習慣が感染を拡大したようである。 

 情報機関の未発達な現地では、恐らく「エボラ出血熱」の情報が住民に届かず、

今回の感染拡大に繋がったようです。   (つづく)

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