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雨あがりのペイブメント

雨あがりのペイブメントに映る景色が好きです。四季折々に感じたことを、ジャンルにとらわれずに記録します。

終戦の日は、私の特攻出撃の日だった 戦後70年・証言

2015-07-27 23:06:02 | 語り継ぐ戦争の証言

元特攻隊員・沖松信夫氏(90歳)の証言

 1945年8月15日、その日が私の特攻出撃の日だった。

  沖松氏は「命が軽く扱われるのが戦争だとという意識が、多くの人から薄れてきた」と、感じるから

 重い腰を上げて、講演で語り始めた。

  「日本国民として生まれたからには、死にたくないと言えば非国民とみなされた。

   特攻隊員は、命を惜しんではいけなかった」

  「平穏な生活が一番幸せなんだと、特攻を命じられて初めて分かった」

   命のや家族の大切さよりも、如何にしてお国のために、天皇陛下のために命を捨てて

   立派にご奉公ができるかが、最も大切な国民としての男子の責務だったようです。

   進路の選択の余地などまったくなかった。「志願兵」という言葉がありますが、

   「志願」ではなく、拒否できない状況があるにもかかわらず、「志願」という美名に

   潔く兵士になり、特攻になり、お国のためにつくすことを当然のこととした愚かな

   国策が多くの悲劇を引き起こした。

 

    「怖くはなかったが、お袋が泣くだろうなと思うと眠れなかった」と振り返る沖松氏は、

   8人乗りの重爆撃機に、800㌔の爆弾を積み、4人が乗り、米艦船に見立てた船に体当たりする

   訓練をしていた。

    死ぬための訓練が、どんなに神経をすり減らし、精神のバランスを崩壊させていくか、 

   誰も言及する人は居なかったのでしょうか。

    平和のために生きて戦う戦争ではなく、「死ぬための訓練」を異常だとはだれも思わなかったのでしょうか。

 

   「戦中は食料がなくても攻撃を続け、万歳と叫んで銃剣で相手に突っ込んだ。

    特攻ばかりでなく、死んで当然という考え方がはびこっていた」と沖松氏は言う。

     「お国のため」という大義名分のもと、どんな理不尽なことでも黙って耐えなければならなかった

   暗い時代。

    再び沖松氏の言葉。

   「あの日生き延びたから今の私はある。命が続く限り、反戦を訴える」 

       「朝日新聞2015.7.22夕刊 戦後70年今だから私は語る 1945年8月15日 特攻出撃の日だった」より抜粋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人の気持ちは伝わるか 読書案内「海峡」 (2)

2015-07-26 22:03:39 | 読書案内

読書案内「海峡」(2) 井上靖著

 人の気持ちは伝わるか

 作者は昭和32年の執筆当時の経路を小説の中で丹念に記録しているが、

大畑線などすでに廃線になった鉄道路線もあり、庄司達が利用した路線をたどることはできない。

 途中旅館に1泊して本州最北端の大間崎まで行くのに、約3日かかったようである。

雪に覆われた厳冬の最果ての地へ、東京から人の世のしがらみを断ち切るようにして「逃げてきた」3人だ。

 私は新幹線で新青森まで3時間11分で、到着し、以後下北半島をツアーのバスで巡ったため、旅情に欠ける点は否めない。

 現在でも電車を利用すれば、新青森で新幹線を降り、奥羽本線で青森駅まで、

青森駅から野辺地まで青い森鉄道、野辺地から終点大湊まで、現在でも4回の乗り換えである。

ここから先鉄道はなく、目的地大間崎までは路線バスとなる。

 

 庄司は興味のない病院経営を妻に丸投げし、渡り鳥の研究に没頭する。

松村は、庄司の妻・由香里の相談相手として、友人の妻への思慕を胸の中にしまい込む。

杉原は宏子への愛に敗れ、宏子は編集長・松村への思慕を断ち切れぬまま、退社への道を選ぶ。

 逃げるようにして、野鳥を追いかける夫・庄司を

「夫の心のどこにも自分はいない」「その心のどこにも入り込む余地があろうとは思われない」と、

孤独感に浸される由香里。

 庄司もまた、雪の舞う厳冬の荒磯のを通りすぎながら、

「ここに住むこともいいじゃないか。医者をしているより、この辺で暮らす方が柄にあっている」と独白する。

 

  登場人物のひとり一人が、心の葛藤を解決できぬままに、

物語は、夜半に飛び立つ渡り鳥の鳴き声を、寒さに震えながら録音する三人の姿を描いて終わる。

 互いに身近に暮らす者同士が、心の内を理解できず、満たされない日々を送る。

下北半島の先に広がる津軽海峡は、深い藍色の波と山背の風に遮(さえぎ)られ、

それは、現代人の心と心に横たわる深い溝を、

「海峡」になぞらえた作者・井上靖の人間を見つめる優しい眼差しでもある。

 

  結論の出ない終末に、読者は登場人物のそれぞれの人生を思い、

読者自身の人生を重ね合わせて、人生の行く末を思い描くのも読書の醍醐味である。

評価☆☆☆☆       終

 

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戦争を経験させてはいけない

2015-07-24 11:16:00 | 語り継ぐ戦争の証言

戦後70年・証言(3)

 俳人・金子兜太氏の言葉より

  「どれだけ頼まれても、戦争は二度と行きたくない」

 終戦の前年、海軍の主計中尉として南太平洋・トラック島赴任した金子。

手製手投げ弾の実験が失敗し、目の前で工員の腕が吹き飛び、背中がえぐれた。

即死だった、という。

 「これからの人たちに同じ経験をさせてはいけない」

  揮毫(きごう)を依頼された金子氏が、色紙に書いたメッセージは

  「アベ政治を許さない」だった。

           (朝日新聞 2015.7.19付記事より抜粋)

      

 

 

 

 

 

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読書案内「海峡」

2015-07-17 21:30:51 | 読書案内

 

読書案内「海峡」(1) 井上靖著

 井上靖小説全集 8 新潮社1973刊行

やりきれない思いを抱いて、三人は厳冬の下北半島に向かう

 

 作品の舞台になった下北半島「下風呂温泉」は、この小説の最終章になった場所だ。

冬は寒く、風も強く、荒涼とした風景が雪に閉ざされた町を覆う。

海岸近くまで山が迫り、海岸からわずかに開けた土地に町はしがみつくように存在する。

6月の末、私はバスに揺られて通過するのみだったが、この温泉に「海峡の宿」長谷旅館はある。

ここで、井上靖は最終章を執筆した。当時の部屋は現存するが、宿の営業は数年前から休止している。

(写真は下呂温泉から眺める夕日で、宿の窓からも眺めることが出来るようです)。

 

 昭和32年週刊読売に連載された小説で、現在は単行本、文庫本ともに絶版で、購入はできない。

 

 編集長・松村を慕う部下の宏子、その彼女を片思いする先輩記者の杉原。

松村の友人で病院長の庄司は、病院の経営には関心を示さず渡り鳥の研究に没頭し各地を歩き回る。

 その妻由香里は、ことあるごとに松村を頼り、心を許せる夫の友人として、夫や病院経営のことなどを相談する。賢明で美しい由香里を慕う感情を松村は、胸の内で押し殺す。病院経営の全てを任されている副院長の若い医師吉田も、由香里に想いを寄せている。

 複雑に絡み合う人間関係の綾の中で、何ひとつ成就することなく、吉田は胸の内を由香里に告白し、病院を去っていくことになるが、その直前交通事故で死亡する。

 由香里はこのことを自分のせいだと悲しみ、救いを松村に求める。

松村の心境も複雑である。

由香里への思いを秘めたまま、松村は心の葛藤を封じて、良き相談者としての立場を貫いていく。

 庄司は本来の医者としての生活よりも、鳥の研究に傾倒し、由香里は、夫の気持ちが自分から離れていくことを危惧する。杉原の告白もまた宏子には受け入れられず、この無骨な男も傷心の旅を庄司とすることになる。やりきれない思いを抱えたまま、庄司、松村、杉原は、厳冬の下北半島に渡り鳥を求めて、夜行列車に乗る。(つづく)

  (下北半島・津軽半島を旅して№1)       (2015.7.17記)

  

 

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生き延びたのは私だけ

2015-07-10 21:00:00 | 語り継ぐ戦争の証言

戦後70年・証言(2)

生き延びたのは私だけ 

 玩具会社「タカタ」の創業者・佐藤安太(91)の証言

 1944年10月(終戦の10カ月前)、学徒動員にかり出され、工場で研究の手伝いをしていた。

 1945年4月12日、空襲警報発令のため、防空壕に避難するが、すでに満員状態。

 ほかの壕へ行けと言われたが、後から来た7、8人の女学生と一緒になんとかその壕に入れてもらった。

  そこに直撃弾。土をかぶり身動きが取れません。痛みで泣く声が聞こえました。

 私も頭と足が痛み、気を失いました。担架で運ばれた病院はけが人であふれていました。…(略)…

  防空壕に30人が入ったと思います。生き延びたのは私ひとりでした。

 愚かな戦争で苦しみながら亡くなる人の姿を見たので、

 終戦時、世界の平和と社会の進歩に貢献しようと考えました。

  民間人が堀った防空壕の多くは、簡易な作りが多く、爆弾の直撃を受ければひとたまりもなく、崩れてしまったようです。

 でも、爆弾による爆風などの被害をくい止めることは出たようです。しかし、焼夷弾による火災などで炎に包まれた場合は、

 窒息死などがあったようです。

  悲しく、辛い戦争の経験を、生きる希望につなげ、自分の人生を切り開いていった素晴らしい体験談です。

  (2015.7.7付朝日新聞夕刊 人生の贈りもの・わたしの半生インタビュー記事より)

                                 (2015.7.10記)

 

 

 

 

 

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読書案内「アポロンの嘲笑」

2015-07-09 22:35:31 | 読書案内

読書案内「アポロンの嘲笑」

   中山七里著 2014.9第一刷刊 集英社

 初読の作家。「東日本大震災から5日後に発生した殺人事件を題材に、

原発事故をスパイスしたミステリー」という内容に気持ちが動いた。

 被害者は原発作業員の金城純一。被疑者は加瀬邦彦。

口論の末純一を刺殺したのだ。

仁科刑事は被疑者の移送を担うが、余震の混乱に乗じて加瀬に逃げられてしまう。

単純に見えた刺殺事件に思われたが、正当防衛の様相が浮かび上がる。

 

しかし、それでは加瀬は何故仁科を振り切って逃亡したのか。

 

 未曾有の震災と原発事故で混乱し、放射能拡散のための避難勧告が発令された町の中を、

寒さと飢えに苦しみながら逃亡を続ける加瀬。

 事件の概要を調べるうちに、被害者・金城には前科があり、

加害者・加瀬は阪神・淡路の震災で両親を失い、

それぞれには決して幸せといえない過去があったことを仁科刑事は突き止める。

単なる刺殺事件の裏に、驚愕の真実があぶり出されてくる。

二人は、福島原発の下請け作業員であることも判明。

 

 加瀬は何処へ逃亡しようとしているのか。

追跡を続ける仁科刑事の前に時々姿を現す公安外事課第五係に所属する刑事・溝口。

第五係の職務は「対朝鮮半島の傍聴」が主な任務になる。

その溝口が執拗に追いかけているものは何か。避難勧告が出されている地域を逃亡し続ける加瀬。

やがて見えてきた目的地は、放射能爆発で極めて危険な原発事故の汚染現場だった。

 なぜ加瀬は命の危険をも顧みず原発を目指すのか。

被害者・金城と加害者・加瀬の悲しい過去が関連し、二人は固い絆で結ばれていたのだが……。

 

 原発事故の現場に何があるのか。

 

最後の十数ページは、パニック小説の様相を呈する。

 

 死を覚悟して福島第一原発という地獄に向った加瀬の心情は何だったのか。

刑事・仁科もまた深い悲しみを持っている。

 

最後の数行。

「休暇を取り、女川町に津波にのまれ行方不明になっている息子を探しに行こう」と仁科は思う。

事件の終焉と仁科の新たな出発がダブる最後である。

 津波と原発事故と刺殺事件と混乱する震災後の社会を、アポロンは密かに天空の彼方から嘲笑したのでしょうか。

 

      (2015.7.9記)

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戦争は、人を狂わせる

2015-07-05 21:30:00 | 語り継ぐ戦争の証言

戦争は、人を狂わせる

 元BC級戦犯・飯田 進氏の証言(朝日新聞6月27日付、コラム記事「獄中で気づいた戦争の実相(上)」より抜粋。

日本刀を携えて偵察隊に随行した44年11月、ゲリラと疑われた現地住民の処刑に立ち会う羽目になった時の、飯田氏の述懐です。

 若い兵が命令を受け、男を銃剣で突刺すことになった。だが、腰が引けて致命傷を与えられない。血を流した男が目前によろけてきた時、剣道の心得があった氏は、とっさに抜刀してけさ懸けに切りつけていた。ぬれた雑巾をたたきつけたような感触。流れる血を見て吐き気がしたのを、今も覚えている。

 「あの時、なぜ自分は斬ったのか。

友軍を殺された復讐心からか。なぶり殺しを見かねたのか……。戦争は、人を狂わせるのですよ」。

 71年も前の記憶が、なまなましく言葉となって流れてくる。

極限状況の中で人間は、悪魔や鬼に変容していく。相手もまた一人のかけがえのない人間であることを忘れ、憎しみは増幅し、非道な残虐行為が連鎖的に繰り返される。

  敗戦翌年の46年、これらの罪に問われオランダ軍に逮捕され、劣悪な環境の収容所に収監され、虐待を受けた。

 「アジア解放のためだと信じて疑わなかった戦いは、実はこれだけの恨みや憎しみに値するものでしかなかったのだ」

 戦争は愚かしく、得るものは何もない。勝者にも、敗者にも心に消えない傷を負わせてしまう。

  起訴された軍事法廷で48年、重労働20年の判決を受けた。四つの起訴内容は間違いだらけだったが、抗弁しても無駄だった。勝者による一方的な判決は、受け入れられるものではない。だが、狂気の戦場で自分が犯した罪があったことは、否定しがたい事実でもあった。と、担当記者の沢田氏は書いている。

 

 

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嫉妬について

2015-07-04 18:00:00 | ことの葉散歩道

 嫉妬について含蓄のある言葉があるので紹介します。(朝日新聞6月27日コラム「折々の言葉」から)

 嫉妬を生むものは、自他のあいだの大きな不均衡ではなく、

むしろ近似である。「人間本性論」から (デイヴィッド・ヒューム 哲学者)

  以下、コラム執筆者・鷲田清一氏の説明文を引用。

 能力や財産に関して、途方もなく差がある人に、人は嫉妬しない。人が嫉妬する相手はむしろ、境遇が近い人、優劣や運不運など、その人との比較がいちいち気になって仕方がない人である。その意味で、嫉妬の相手は、実はもっとも気がかりな自分が写っている鏡なのである。

 「自分の写っている鏡」を見て、他人をうらやむ卑しい自分を発見し、そのことでまた相手を嫉妬してしまう。人間はある瞬間、普段は見えない自分自身の姿を見てしまったとき、そういう情けない自分に嫌悪してしまうのかもしれない。「情けない自分」が近似の他人に嫉妬するのは、嫉妬することによって、自分の「卑しい」立ち位置まで、相手を引きずりおろして無意識のうちに、自分の優位性を感じたい心の有り様なのかもしれない。これは、一種の自己防衛ですね。嘘も、言い訳も、屁理屈も、その根っこの部分で防衛本能が作用しているのかもしれません。

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