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あの時と何が変わったのか? ヨンサン事故に思う

2009年01月23日 | 東北アジアの平和
今、韓国のサイトに夥しい数の書き込みが…。例によって籠城をなじるカキコもあったが圧倒的に事態を憂慮する内容が多いようだ。心を打たれた、普通の人の書き込み(相当長かった。ほとんど端折った)を紹介する。namsang


あの日、あの時と同じ警察。なのに何が変わったのか? [191]
           2009.01.23

二つの事件′ 一つはノ・ムヒョン時代の事、他の一つは現在の李明博大統領下で発生した事故。

2005年 6月の真夏。
撤去民たちが座り込みを始めてから 54日目になった日の午前 8時 45分頃に′ 下りて話そうといいながら説得を試みました. 説得のための電話通話もしました. 説得が失敗すると突入の前に消防車 13台と救急車 9台を配置させておきました. 鎭圧のさ中も自首すれば寛大に処理すると 説得しながら…。午前 10時から鎭圧に入りました。危なければ退き、また入りを繰り返し 3次鎭圧の午後 1時になってから、やっと 30人の座り込みを解くことができました.

2009年 1月寒い冬。
撤去民たちが座り込みを始めてから 3時間が少し過ぎました。 対テロ鎭圧特殊部隊 投入を準備しだしたの翌日夜明け 6時 45分、まだ闇の包んでいる恐ろしい状況下で警察の特攻隊がコンテナに乗って本格的な鎭圧を始めました. シンナーが積んである所に四方から 催涙液の混ざった水を放水しました.… そして火が付いて爆発が起きます。6人が閉じこめられたまま火に燃えて命を失いました. 火魔を避けて欄干にぶら下げられてから墜落した方は、道ばたで痙攣しています。

あの日、あの時の同じ人々です. ところが行動が全然違います. 今回の警察官は、ノ・ムヒョン時代にも警察に勤めていたでしょう。 あの時のその人々が、その場にいるのです。 ところが行動は全然違います. 国民にを向けた行動に、尊敬と忍耐はなく、ただ公権力という危険千万な武力だけが横行しています.

… …

強制鎭圧は最後の手段です. ところが最後の手段が最初の手段になりました. 食糧が尽きくたびれれば座り込みも解けます. ましてや冬の寒さです。 余裕を持って話し合えば、籠城を解いて行くことができます.

あの時、あの時代に忍耐心を発揮したあの警察たちはどこに行ったんでしょうか? 満足できないにしても自ら節制することのできた、あの時代の警察たちは今どこに消えたんでしょうか? ….  あの日の警察は今、自らを統制することができない人々になりました. 私たちの警察がどうしてこのようになったんでしょうか?

魂のない公務員。 今その空いていた魂を動している人は誰? …その中心に、李明博大統領がいます. 厳格な法執行を強調し、集会に対する力強い対処を言い付けています. 規制を緩和するという大統領なのに、庶民たちの生存の闘いに対する規制には容赦がありません.

過去ノ・ムヒョン前大統領は、前記問題の後、 国民の前に頭を下げて謝罪しながら、こう言っています.

"私の謝罪に対して、デモ隊が日常的に振り回す暴力の前で、危険を甘受しながら職務を遂行する警察の士気と安全を、憂慮する方がいます. しかし公権力は、特殊な権力です. 濫用される場合には、国民に及ぶ被害が非常に致命的で深刻だから、公権力はどんな場合にも冷静に、落ち着いて行使されなければなりません. だから公権力の責任は、一般国民の責任とは違い特別厳粛に扱わなければならないのです.

籠城で途中死亡した五名の方と警察特攻隊員一名も、みな大韓民国の国民です. 大韓民国国民 6人が死亡しました. どうしてこのような悲劇が起きたんでしょうか?








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