NPO法人 三千里鐵道 

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イクァンジェ江原道知事、道庁で最後の挨拶

2011年01月27日 | 南域内情勢
★またしてもパクヨンチャゲートによる最高裁判決で、ノムヒョンの右腕と言われたイ知事が知事職を追われた。今後10年間被選挙権はく奪、政界からの追放に等しい。
盟友のアンヒジョン忠南道知事は、自身のツイッターで早速激励のメッセージを送った。
これで4.27の補欠選挙は江原道知事選挙を含め全国14ケ所で実施、実質来年の大統領選挙の前哨戦の様相を呈してきた。

記者会見でイ知事は…


“江原道民を思えば涙が出る。 知事職を失って悲しいのでなく、このような現実に胸が痛む。”

最高裁判決により知事職を失うことになったイ・クァンジェ江原道知事は、27日午後4時10分江原道庁で記者会見し

“私が道知事に当選した直後、法廷に出ると話したパク・ヨンチャ会長を出頭させていれば、…真実が明らかになっただろう”と最高裁裁判結果に対し納得行かない内心を表わした。

この日イ知事は
“江原道民の皆さんを愛しています”
と話し始めた。
続いて“最高裁裁判手続きと結果が真に残念だ”とし、
“私が江原道知事職を失ったことより江原道民を考えると心が痛む”と話した。

イ知事は“私は判決に驚くことなく堂々と、強風にも屈せず生きて行く太白山の樹木のように、毅然として生きていく”と江原道民らに感謝の挨拶を伝えた。

最後にイ知事は
“無力な辺境だった江原道は、これから希望の中心になるだろう”
“江原道庁職員は道民のために熱心に仕事をして下さるようお願いする”と、話しを終えた.

以下、一問一答

-短期的な計画は?

“ひとまず今日少しあとでカン・キチャン副知事に連絡して室局長団会議をお願いした。 苦しかった時間、中国の指導者のトウ小平関連本をたくさん見た。… 今は一人でいるが、私を本当に子供のように考えた江原道民に報いるため、今後も己の道を切り開いて行くつもりだ。”

-最高裁判決前、五台山に行ってきたそうだが、山中で何を考えたか?

“私は貧しい江原道の田舎で生まれ、熱心に生きた。 そして若くして大統領府国政状況室長、江原道民のおかげで30代国会議員生活もした。 道民たちは傷ついた江原道の息子イ・クァンジェを最年少道知事にもしてくれた。 江原道民の恩を、私は一生忘れないだろう。 そしてこの恩を一生かけて返していくように努力する。”

-最後の所感は?

“私が知事職を失って悲しいのではなく、今日のこの現実に胸が痛む。江原道と江原道民を考えれば、涙が出る。”


●プロフィール
出生 1965年2月28日-江原道平昌
学歴 延世大学校法学学士
受賞  2010年マニフェスト大賞 広域自治団体長選挙公約最優秀賞
経歴  2010.07~2011.01第35代江原道知事
    2008.05~2010.05第18代民主党国会議員
    2008~2008.05第17代統合民主党   国会議員


1980年代、あの6月民主化抗争のさ中にいた。イハンヨルの屍を越え、抗争の中核にいた延世大出身、統一ニュースのイケファン代表、キム編集局長も同じ大学出身だ。
彼らは今、何を想うのであろう?! namsang   

盧武鉉の考え 11.01.26配信

2011年01月27日 | 盧武鉉の考え
昨日配信されたものです。

by maneappa

…………………



“法治主義が実質的に可能であればこそ民主主義社会”


よく言われる法治主義という形式的意味でなく、実質的にそれが可能にする社会的秩序を作らなければなりません。

国民の地位が向上するために必ず必要だと考えます。

多様な政治権力と経済圏力、そして言論権力や知識社会の権力などが連帯を形成した時は、普通国民の位置が萎縮するからです。

そのような癒着や結託という連帯の輪を解体して、その権力を合理化することによって国民の地位を向上させることが、この時代で私が守らなければならない最も重要な歴史的課題と考えます。

そうした点で見るならば我が国の経済界と政治権力の間に存在した政経癒着の輪が解体されて、皆さん聞き取りがちょっと不便ですが、政治権力と言論の間の垂直的な癒着関係や水平的な共生関係などの過去の慣行が整理されなければなりません。

また、権力機関の相互間の連帯、政治権力と権力組織の間の規範を抜け出した連帯、そしていくつかの権力機関相互間の特殊な連結の輪なども解体されなければなりません。

-大統領府記者団昼食会(2006.6.26)

光州は怒っているー写真3点

2011年01月27日 | 管理人のつぶやき
ハンナラ党代表 アンサンスー2011年1月16日、光州5.18墓地参拝時

ソウル市長 イミョンバクー2007年5月31日。他に礼拝堂内で反り返って笑った写真も

★当ブログでも紹介した8月の光州訪問時、5.18烈士の眠る墓地を参拝した。何故か厳粛になりカメラを向けることすら憚られた。
ひざまずき手を合わせて黙祷した。この不孫極まりない写真が意味することは…。