●西村さんからの報告です。ちょっと長めでしたので、途中省略しました。大阪の息吹を感じてください。写真はソウルでの900回目の水曜行動、日韓市民の連帯は今も続く。namsang
…
昨日は大阪駅前で「慰安婦」問題の水曜集会をしました。
大阪駅前の水曜集会は、2005年10月から毎月第1水曜日に続けてきたのですが、昨年12月から在特会の妨害に遭っています。集会の解散後、元市議会議員の方が駅に向かっているときに、彼らに取り囲まれ、警察が遅ればせながらガードはしたものの、暴言にさらされ眼鏡を失ったそうです。
以下、田中ひろみさんの報告の転送です。
にしむら
みなさま 田中ひろみです。ちょっと長くなりますが
ご報告します。
今晩の水曜デモには150人もの方々が参加してくれました。
5時50分ごろに陸橋上を見て回りましたら、在特会らも20人ぐらい
いたようで、警官も私服制服合わせて50人ぐらいいたようです。
陸橋の一方の手すりにそってずらっと一列に警官が並んでいたので
「あそこに行けば場所がとりやすいなあ」と甘い見通しをもちました。
ところが、6時50分に、さてみんなで陸橋にくりだしましたら、
警官隊が、ラグビーの試合のように、一団になって私たちを
押し戻そうとどかどかと押してきました。
6時前~それまで、在特会らにはだまって陸橋上に居させたのに、
私たちは陸橋に行かせまいとしたのですが、大阪府警って、ちょっとおかしいのでは?
で、私一人では押し合いに勝てなかったでしょうが、なにしろ、そのときでも100人ぐらいいたので、おまけに、後ろに男性が多かったので、
警官隊がどんなに押し込んで来ても、ちょっとやそっとでは押し返されません。何分間か、押し合いをしましたので一般の通行人は通れませんでした。
私は警官のすきまを何とかかいくぐって陸橋の手すりに右手でしがみつき
左手で団扇製のプラカードを高くかかげました。警官が横から押してきて
私の右手首をぎゅーっとにぎって離させようとしましたが、
「手をにぎらないでください」と何度も言ってやっと放してもらいました。
そのうちに、陸橋の両側の手すりにしがみつくことに成功した人たちがふえ、、
私たちは陸橋の両側で並び出しました。そして、すぐに水曜デモの歌を
歌い始めました。団扇製のプラカードの裏には歌詞がはりつけてあり
歌を覚えていない人には便利でした。
警察も、「通行人を通す」方針に変えて、両側の私たちの前に並ぶ係と
騒いでいる在特会を押し戻す係とに分かれました。
それから約1時間、7時55分に解散するまで、
水曜デモの歌をくり返し歌ったり、手回しよくマイクを持っていた人がいて
マイクアピールをリレーしたりしました。
マイクリレーでは、劇団水曜日の劇中歌、「まだ子どもで」や「海を越えて」
も歌われていました。水曜デモの歌同様、これらの歌も、他の地域の水曜デモで使ってもらいたいなあと思いました。
12月に在特会が来だしてから踊れなくなっていた「河内音頭水曜デモバージョン」ですが、今日は皆さんのリクエストにより、一番と2番を歌い、踊っている人までいました。
7時55分に解散宣言をしてみんなで阪神デパートの一階に降りましたが、
下で待ち受ける人々の顔も、上から降りてくる人々の顔もうれしそうに輝いていました。
…
これからも、一歩一歩ねばり強く運動していきましょう。
★「まだ子どもで」(加藤登紀子の「時には昔の話を」の替え歌。替え歌作詞:田中ひろ み)
1.まだ子どもで 生理もなかった 怖くてふるえて泣いてた
帰ると言ったら 殴られ血が出た 朝鮮語を話しても殴られた
体の傷から 流れる血よりも 心の傷から今でも
流れ続けて止まらない 黒い悲しみあなたに 見えるか
2.刀で斬りつけ服従をしいる それが日本の男か
それでも負けずに 私は手向かい 体に無数の傷跡
逃げたら死ぬまで 殴ってみせしめ それが日本の軍隊
一日一日地獄の日々を ここに生きて私は 叫ぶよ
★「海を越え」(加藤登紀子の「バラ色のハンカチ」の替え歌。替え歌作詞:田中ひろ み )
1. 海を越え 伝えたい あなたへの この気持ち
若い日に 見た苦しみ 今は立って こぶしをふる
ハルモニは 私の希望 平和への 大きな希望
2. 海を越え 壁を越えて ハルモニに 会いに行く
もうけっして くりかえさせぬ 忘れては いけない過去
あなたへの 愛をいだき 共に歩くと 心決めて
3.さげすみと にくしみで 傷つけられた 幼い胸が
海を越え 時を越えて ハルモニに 夢でつながる
助け合い わかりあい 共に生きる みんなの夢に
(「助け合い・・・」から全員で歌う。)
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昨日は大阪駅前で「慰安婦」問題の水曜集会をしました。
大阪駅前の水曜集会は、2005年10月から毎月第1水曜日に続けてきたのですが、昨年12月から在特会の妨害に遭っています。集会の解散後、元市議会議員の方が駅に向かっているときに、彼らに取り囲まれ、警察が遅ればせながらガードはしたものの、暴言にさらされ眼鏡を失ったそうです。
以下、田中ひろみさんの報告の転送です。
にしむら
みなさま 田中ひろみです。ちょっと長くなりますが
ご報告します。
今晩の水曜デモには150人もの方々が参加してくれました。
5時50分ごろに陸橋上を見て回りましたら、在特会らも20人ぐらい
いたようで、警官も私服制服合わせて50人ぐらいいたようです。
陸橋の一方の手すりにそってずらっと一列に警官が並んでいたので
「あそこに行けば場所がとりやすいなあ」と甘い見通しをもちました。
ところが、6時50分に、さてみんなで陸橋にくりだしましたら、
警官隊が、ラグビーの試合のように、一団になって私たちを
押し戻そうとどかどかと押してきました。
6時前~それまで、在特会らにはだまって陸橋上に居させたのに、
私たちは陸橋に行かせまいとしたのですが、大阪府警って、ちょっとおかしいのでは?
で、私一人では押し合いに勝てなかったでしょうが、なにしろ、そのときでも100人ぐらいいたので、おまけに、後ろに男性が多かったので、
警官隊がどんなに押し込んで来ても、ちょっとやそっとでは押し返されません。何分間か、押し合いをしましたので一般の通行人は通れませんでした。
私は警官のすきまを何とかかいくぐって陸橋の手すりに右手でしがみつき
左手で団扇製のプラカードを高くかかげました。警官が横から押してきて
私の右手首をぎゅーっとにぎって離させようとしましたが、
「手をにぎらないでください」と何度も言ってやっと放してもらいました。
そのうちに、陸橋の両側の手すりにしがみつくことに成功した人たちがふえ、、
私たちは陸橋の両側で並び出しました。そして、すぐに水曜デモの歌を
歌い始めました。団扇製のプラカードの裏には歌詞がはりつけてあり
歌を覚えていない人には便利でした。
警察も、「通行人を通す」方針に変えて、両側の私たちの前に並ぶ係と
騒いでいる在特会を押し戻す係とに分かれました。
それから約1時間、7時55分に解散するまで、
水曜デモの歌をくり返し歌ったり、手回しよくマイクを持っていた人がいて
マイクアピールをリレーしたりしました。
マイクリレーでは、劇団水曜日の劇中歌、「まだ子どもで」や「海を越えて」
も歌われていました。水曜デモの歌同様、これらの歌も、他の地域の水曜デモで使ってもらいたいなあと思いました。
12月に在特会が来だしてから踊れなくなっていた「河内音頭水曜デモバージョン」ですが、今日は皆さんのリクエストにより、一番と2番を歌い、踊っている人までいました。
7時55分に解散宣言をしてみんなで阪神デパートの一階に降りましたが、
下で待ち受ける人々の顔も、上から降りてくる人々の顔もうれしそうに輝いていました。
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これからも、一歩一歩ねばり強く運動していきましょう。
★「まだ子どもで」(加藤登紀子の「時には昔の話を」の替え歌。替え歌作詞:田中ひろ み)
1.まだ子どもで 生理もなかった 怖くてふるえて泣いてた
帰ると言ったら 殴られ血が出た 朝鮮語を話しても殴られた
体の傷から 流れる血よりも 心の傷から今でも
流れ続けて止まらない 黒い悲しみあなたに 見えるか
2.刀で斬りつけ服従をしいる それが日本の男か
それでも負けずに 私は手向かい 体に無数の傷跡
逃げたら死ぬまで 殴ってみせしめ それが日本の軍隊
一日一日地獄の日々を ここに生きて私は 叫ぶよ
★「海を越え」(加藤登紀子の「バラ色のハンカチ」の替え歌。替え歌作詞:田中ひろ み )
1. 海を越え 伝えたい あなたへの この気持ち
若い日に 見た苦しみ 今は立って こぶしをふる
ハルモニは 私の希望 平和への 大きな希望
2. 海を越え 壁を越えて ハルモニに 会いに行く
もうけっして くりかえさせぬ 忘れては いけない過去
あなたへの 愛をいだき 共に歩くと 心決めて
3.さげすみと にくしみで 傷つけられた 幼い胸が
海を越え 時を越えて ハルモニに 夢でつながる
助け合い わかりあい 共に生きる みんなの夢に
(「助け合い・・・」から全員で歌う。)