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大阪・水曜集会報告ー西村さん提供

2010年04月16日 | NPO三千里鐵道ニュース
●西村さんからの報告です。ちょっと長めでしたので、途中省略しました。大阪の息吹を感じてください。写真はソウルでの900回目の水曜行動、日韓市民の連帯は今も続く。namsang



昨日は大阪駅前で「慰安婦」問題の水曜集会をしました。
大阪駅前の水曜集会は、2005年10月から毎月第1水曜日に続けてきたのですが、昨年12月から在特会の妨害に遭っています。集会の解散後、元市議会議員の方が駅に向かっているときに、彼らに取り囲まれ、警察が遅ればせながらガードはしたものの、暴言にさらされ眼鏡を失ったそうです。

以下、田中ひろみさんの報告の転送です。
                          にしむら


みなさま 田中ひろみです。ちょっと長くなりますが
ご報告します。

 今晩の水曜デモには150人もの方々が参加してくれました。
5時50分ごろに陸橋上を見て回りましたら、在特会らも20人ぐらい
いたようで、警官も私服制服合わせて50人ぐらいいたようです。
陸橋の一方の手すりにそってずらっと一列に警官が並んでいたので
「あそこに行けば場所がとりやすいなあ」と甘い見通しをもちました。
ところが、6時50分に、さてみんなで陸橋にくりだしましたら、
警官隊が、ラグビーの試合のように、一団になって私たちを
押し戻そうとどかどかと押してきました。
6時前~それまで、在特会らにはだまって陸橋上に居させたのに、
私たちは陸橋に行かせまいとしたのですが、大阪府警って、ちょっとおかしいのでは?
 で、私一人では押し合いに勝てなかったでしょうが、なにしろ、そのときでも100人ぐらいいたので、おまけに、後ろに男性が多かったので、
警官隊がどんなに押し込んで来ても、ちょっとやそっとでは押し返されません。何分間か、押し合いをしましたので一般の通行人は通れませんでした。

私は警官のすきまを何とかかいくぐって陸橋の手すりに右手でしがみつき
左手で団扇製のプラカードを高くかかげました。警官が横から押してきて
私の右手首をぎゅーっとにぎって離させようとしましたが、
「手をにぎらないでください」と何度も言ってやっと放してもらいました。
そのうちに、陸橋の両側の手すりにしがみつくことに成功した人たちがふえ、、
私たちは陸橋の両側で並び出しました。そして、すぐに水曜デモの歌を
歌い始めました。団扇製のプラカードの裏には歌詞がはりつけてあり
歌を覚えていない人には便利でした。
警察も、「通行人を通す」方針に変えて、両側の私たちの前に並ぶ係と
騒いでいる在特会を押し戻す係とに分かれました。
それから約1時間、7時55分に解散するまで、
水曜デモの歌をくり返し歌ったり、手回しよくマイクを持っていた人がいて
マイクアピールをリレーしたりしました。
マイクリレーでは、劇団水曜日の劇中歌、「まだ子どもで」や「海を越えて」
も歌われていました。水曜デモの歌同様、これらの歌も、他の地域の水曜デモで使ってもらいたいなあと思いました。
 12月に在特会が来だしてから踊れなくなっていた「河内音頭水曜デモバージョン」ですが、今日は皆さんのリクエストにより、一番と2番を歌い、踊っている人までいました。
 7時55分に解散宣言をしてみんなで阪神デパートの一階に降りましたが、
下で待ち受ける人々の顔も、上から降りてくる人々の顔もうれしそうに輝いていました。
… 
これからも、一歩一歩ねばり強く運動していきましょう。


★「まだ子どもで」(加藤登紀子の「時には昔の話を」の替え歌。替え歌作詞:田中ひろ           み)
 1.まだ子どもで 生理もなかった 怖くてふるえて泣いてた
      帰ると言ったら 殴られ血が出た 朝鮮語を話しても殴られた
      体の傷から 流れる血よりも 心の傷から今でも
      流れ続けて止まらない 黒い悲しみあなたに 見えるか
 2.刀で斬りつけ服従をしいる それが日本の男か
      それでも負けずに 私は手向かい 体に無数の傷跡
      逃げたら死ぬまで 殴ってみせしめ それが日本の軍隊
      一日一日地獄の日々を ここに生きて私は 叫ぶよ

★「海を越え」(加藤登紀子の「バラ色のハンカチ」の替え歌。替え歌作詞:田中ひろ          み )
  1. 海を越え 伝えたい あなたへの この気持ち
       若い日に 見た苦しみ 今は立って こぶしをふる
       ハルモニは 私の希望 平和への 大きな希望 
    2. 海を越え 壁を越えて ハルモニに 会いに行く
       もうけっして くりかえさせぬ 忘れては いけない過去
       あなたへの 愛をいだき 共に歩くと 心決めて
3.さげすみと にくしみで 傷つけられた 幼い胸が
       海を越え 時を越えて ハルモニに 夢でつながる
       助け合い わかりあい 共に生きる みんなの夢に
        (「助け合い・・・」から全員で歌う。)


女性が元気な韓国社会ーハンミョンスクのメッセージ

2010年04月16日 | 南域内情勢
鉄は溶鉱炉で鍛えられる。叩かれれば叩かれるほど強くなる。しなやかで温かい、しかし強靭な韓国版サッチャーだ。今日検察と東亜に名誉損害で10億ウォンの賠償請求訴訟を起こした。徹底抗戦の構えだ。判決直後のコメントで現政権を「邪悪で稚拙」と断罪した彼女。元気な韓国女性トップを走り続けている。
無罪判決後の最初の仕事は、二人の大統領の墓前に勝利の報告をすること。ボンハを訪れたとき、門の外にまで出迎えたクォンヤンスクとハンミョンスクは、抱き合って泣いたそうだ。
最近ノムヒョンサイトに載った、彼女の対国民への謝辞を紹介する。namsang


“ハン・ミョンスクです。 皆さんに感謝申し上げます”

皆さん、こんにちは。 ハン・ミョンスクです。

心配されたでしょう?
私も大変な時間でした。 決して私一人では耐えられなかった苦しい日々でした。
皆さんが一緒にいて下さったお陰で、ここまでくることができました。 何んと感謝申し上げて良いのか分かりません。

ホームページに、私を信じて支持するという文を載せて下さった方々、頑張れとコメント、激励して下さった方々、私の潔白を知らせるために良い資料と文を発信し気を遣って下さった方々、また、裁判所に直接きて応援して下さった方々、一人で気をもんで私を声援して下さった方々….
繰り返し頭を下げ、深く感謝申し上げます。

裁判所が真実を確認した次の日、私は最初に大統領様をたずねました。 涙がこみ上げてきました。 私がこのように大変だったのに、大統領様は一人でどれほど苦しまれたのかを考えると胸が張り裂けそうでした。

面目なかったです。 私も大統領様を守って差し上げられなかったし、国民も大統領様を守って差し上げることができませんでした。 それなのに、大統領様は私を守って下さったような気がしました。

そして大統領様に約束しました。決して政治工作のようなもののない世の中を作らなければならないと約束しました。 大統領様が夢見られた‘人の暮らせる世の中’を作るために最善を尽くすと約束しました。 それを私に課せられた天命と思い、今後も担ってゆくと約束しました。

あまりにも邪悪で稚拙な現政権は、また懲りずに私を抹殺しようとしています。 この国がどこへ行っているのか、心配です。 しかし私は恐ろしくはありません。 皆さんがおられるからです。 皆さんと共に堂々と、私の道を行くようにします。 皆さんと共に戦って、最後まで勝利します。 これからも変わらぬご支援をお願いします。

もうすぐ、大統領様逝去1周期になります。 5月の1ヶ月間、大統領様の崇高な価値と精神が、この国の隅々にまで広がるように、財団は色々と準備をしています。 一緒に参加して下されば、感謝します。 その場でまた皆さまと直接会えることを願っています。

ありがとうございます。 さようなら。

<ノ・ムヒョン財団>理事長 ハン・ミョンスク 拝