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女性が元気な韓国社会ーキムイェスルインタビュー

2010年04月14日 | 南域内情勢
キョンヒャンのインタビュー記事。聯合ニュースにも紹介されていた。結構話題になったようだ。ある日、キョンヒャン新聞社に現れた大字報嬢は…。namsang


キム・イェスルさん

“巨大な敵‘大学・国家・資本’に小さい石を投げた”

                  高麗大辞退生キム・イェスル氏インタビュー

                  キム・ジファン記者baldkim@kyunghyang.com

“こんにちは。”
去る12日午後7時京郷新聞社を訪れたキム・イェスルさん(24・女)は、明るく入ってきた。

大学校庭に大字報を貼り、姿を隠して一ヶ月. 再び現れた彼女の手には「キム・イェスル宣言」という小さいパンフレットがあった。 彼女は“ひとりの人生ではあるが大学を拒否することは、単純な行動ではなかった”、“大学生活の中で自らに投げた問いの一部が大字報の内容、その他の多くの悩みを本に書いてみた”と話した。
“事実答よりは問いの方が多い本”を書いたという彼女とのインタビューは、京郷新聞持続可能社会のための経済研究所(ERISS)事務室で2時間も行われた。 彼女の話は物静かだったが、時に断固としていたし,共に苦しむ人たちを思う温みも感じられた。

次は一問一答.


-先月10日大字報を貼りだした後の一月間、批判や支持の声が数多く上がった。
どのように過ごしたか。

“思いもよらないほど激烈な反応があった。 私は1ヶ月の間、静か時間を過ごした。
キム・イェスルという個人よりは、メッセージに注目してくれたら良いという心境だった。

-多くの方々の話を通じて、どんなことを感じたか。

“3月初めの授業時間に、大字報全文を読んで涙を流したという先生と中学生,巨大なシステムから抜け出したいと吐露する会社員ら,大学を辞める勇気はないが心だけでも大学ボイコットをするという大学生がいた。
やはり私たちの社会は、誰も自由になれない社会であると感じた。 教育と大学というものがすべての人々の苦痛になってしまった。”

-静かに辞めることもできたが、大字報を付けて正門の前で1人デモをした理由は。

“自分があまりにも弱かったから。 また卑怯にも自分で学校の門を入って、やはりご免というような気がして…。 私の中の卑怯と戦うためにそのようにした。
巨大な社会的矛盾は隠蔽され、全てのものが個人の問題のように押し付けられる世の中だ。 それで無力な個人という理由のために諦めたくなかった。”


-多くの大学生が、大企業下請け業者になった大学に絶望しながらも、ひたすらトラックで競走を継続している。 そのような決断を下した過程が気になる。

“勇気というよりは終わりが見えなかった。 良い大学にだけ入れば,良い職場に就職すれば,良い結婚をすれば,何すれば,何すれば…. いつまでトラックで競走馬のように走らなければならないのかという疑問を感じた。 走って行かなければならないのに、私の魂は背を向け始めた。 私一人でも、終わりのないトラックで立ち止まらなければと考えた。
私は誰? なぜ生きる? どのように生きれば? 等と問うことが特権のように与えられているのが大学生の時期だ。 だが今は、これが不可能な時代だ。 大きく学ぶことのない「大学」が、人生全体を飲み込んでいるようだ。”

- 大学が死んだと考えるようになった契機はあったか。

“高麗大での生活に没頭すれば若さが惜しく,他のことをしようとすれば落ちこぼれるようで恐ろしかった。
大きく3度の契機があった。

2005年高麗大100周年記念館を作るのに、400億ウォンを寄付した三星イ・ゴンヒ会長に名誉哲学博士学位が授与された。それに反対した学生たちが教籍を剥奪された事件, 2006年イスラエルと米国が石油資源確保のためにレバノンを侵攻した時、不正な戦争に沈黙する‘グローバル コリア’ ‘グローバル高麗大’で過ごしている自分を振り返ってみた時, 2008年経営大‘イ・ミョンバク ラウンジ’に座って新聞を見ていたら‘私は株式会社大韓民国のCEOだ’という記事を読んだ時だ。
これは高麗大だけの問題ではない。 大学がこういう価値観、企業の貪欲に執着していることに、悩むほかはなかった。”

-一部では大学内で変える運動もできた、‘極端な選択’ではなかったかという意見もあるが。

“大学内で大学を変えようとする動きも重要だ。そのような方たちもいる。 だが私たちの時代の大学は強固な一つの巨大な資格証発給ブローカーになった。 企業に人材を調達し、採用試験を企業の代わりに実施して等級を付けている。 大学の存在自体が変化した状況で、中で変えることも大事だが、根本的な問題提起が必要だと考えた。 成績競争の椅子に座って一日一日を生きなければならない今の人生が、かえって「極端な選択」ではないのか。”

-大学拒否宣言後、 88万ウォン世代論に対する議論にも、また火がついたようだ。

“ 大学拒否宣言以後88万ウォン世代の抵抗が始まったという話が出た。 私が言いたかったことは88万ウォンを188万ウォンに上げてくれということでない。 登録料を引き下げて非正規職の代わりに正規職を増やすのももちろん重要だ。
だが私は青年失業の問題を越えて、国家がすべての学習を独占した義務教育制度,資格証発給システムに対する話をしたかった。
一歩進んで大学・国家・市場の3角同盟が強固な資本主義文明,都市・機械文明に対する根源的な質問を投げたかった。”


代案としての大学像は、具体的にどんなものか.

“教育人材資源部という部署がある。 人間資源を作り出すことが、国の教育目標であることに疑問を感じる。 すべての人々が、人的資源化の過程を体験して、大学と企業に送られることが義務教育の実体だ。
義務教育問題は、学習の権限を国家が独占すること。 すべての人々が多様な人生の中で習って体験するが、学校ではカリキュラムをよく履修してこそ次に行くことができる。 また義務教育が機会の平等を保障するというが、実は初めから敗北者を存在させる構造だ。 皆に公平な機会を与えるような幻想を植え付けているだけだ。

代案になる大学は、具体的にこれだと提示することは難しい。 ただし地獄へ行く道を分かれば、天国への道も分かるというではないか。 文芸創作課を行かなくて詩を書くことができ,美大を行かなくても絵を描くべきだ。
企業の都合で個性が無視されるのを認めてはいけない。”

-知人、ご両親の反応は?

“もちろん反対された。 事実両親は私に裏切られたと感じたでしょう。 両親に報いるためにも、充実した生活を送ることだ。
この時代のご両親に申し上げたい。愛の名前で求められる両親の期待,未練がどんなものかを。顧みて欲しい。ろうそく集会の時のミョンバク山城より越えるのが難しいのが、両親の山城という。自ら独立性の翼を育てられないような、愛の名の下で子供たちを傷つけ、飼い慣らさないで欲しい。”

-大学・市場・国家の3角同盟でイェスル氏という石は外れたが、個人の脱走だけでは不可能なようだが。

“ すでに亀裂は始まっている。日常の中でシステムは回り、私の宣言も忘れられる。 落ち込むかも知れない。だが 私たちは‘ひとり,ひとりが大きい存在だ’と自分の中にある問いを確認し、正しい方法を探し、自分の力を信じながら行くだけだ。”

-世の中にしたい他の話は?

“ 大学の門を入れず差別に耐えて生きる農村,労働現場の数多くの方々に、私の宣言が傷つけることになったとすれば、謝罪申し上げなければならない。
20代青年たちにしたい話もある。いくつかの職業が夢になってしまったことに対して、他の道を探すこともできるという想像力を持って、簡単にあきらめないで欲しい。”