散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

下馬・車輌乗降所

2009-05-11 07:17:26 | Weblog
      

 これは、浅草伝法院東通りにある駐車場です。この通りは江戸時代の佇まいを大

切にしている通りで、白浪五人男もいますよ。  

 高札には「下馬」と大書していますね。朝8時~夜10時の間は30分300円

です。夜10時から翌朝8時までは60分100円となっていますが、車のことは

さっぱりの私には高いか安いかワカリマセン。

東京スカイツリー

2009-05-10 07:14:11 | Weblog
      

 東武鉄道業平橋駅のホームから見た工事中の「タワー」です。3月、4月と見ま

したが、手前(北側)の付属建物とおぼしき鉄骨しか見えませんでした。今回はそ

の向うに(南側)本体が頭を見せました。  

 完成すると600メートルの高さになるタワーですから、基礎工事も大変でしょ

うね。現在は30メートル位かなと思いますが、この20倍の高さになるわけです

から何とも想像出来ません。今度は南側から写真を写してみようと機会を狙ってい

います。高くなれば何処からでも見えますがね。

浅草神社例大祭 三社祭

2009-05-09 07:00:08 | Weblog
       浅草神社

             商店街のまたぎ提灯 
 
 浅草神社に大きな幟が立ち、お祭りが近くなりました。今年も15日(金)から

16日(土)、17日(日)の三日間賑やかです。  

 15日は、祭囃子を先頭に、鳶頭連中の木遣り、氏子総代、町会役員、浅草芸奴

連の手古舞などが各町会を廻って始まります。様子を見物に行きましたが、商店街

などには奉納提灯がいっぱいで盛り上がりをみせています。

母の日

2009-05-08 07:06:53 | Weblog
      

 街の花屋さんにはカーネーションがいっぱい。私は母を思い出して冷や汗がいっ

ばいデス。今になって後悔しても遅いのですが、さんざん心配をかけたことを思い

出します。孝行したい時に親はなしを実感しています。  

 昭和6年(1931)大日本連合婦人会を結成したのを機に、皇后(香淳皇后)

の誕生日である3月6日(当時は地久節と呼んだ)を「母の日」としました。戦後

の昭和24年からアメリカにならって5月第2日曜日になりました。本当は毎日が

母の日、何時も母に感謝する日でしょうけれど。

炎天寺・福蛙

2009-05-07 06:52:11 | Weblog
      

 炎天寺の歴史は古く、八幡太郎義家が奥州下向の際、この地で野武士と戦い苦戦

の末に勝利したので、炎天寺を建立したと伝えられます。戦は六月の炎暑の最中で

あったので、村名を六月村、寺の名を炎天寺となりました。  

           

 このお寺には「やせ蛙」の句碑がありますが、「福蛙」もいます。これは、災い

転じて福蛙(ふくかえる)ということで、この福ちゃんをやさしく撫でて、福をも

らうべしというわけです。 

小林一茶と「やせ蛙」

2009-05-06 07:23:49 | Weblog
      

          熱戦です

 足立区六月3丁目の炎天寺には、小林一茶の「やせ蛙負けるな一茶是にあり」と

「蝉なくや六月村の炎天寺」の句碑があります。有名な句ですが、炎天寺や竹の塚

にちなむ句が縁がとなって、昭和37~38年にそれぞれの句碑ができました。

 今では毎年11月23日の勤労感謝の日に「一茶まつり」が開催されて、大人も

子どもも、うーむと一句ひねっています。

萬 福 寺 (足立区竹ノ塚)

2009-05-05 07:10:12 | Weblog
       

          

 このお寺は慈照山大悲院萬福寺といいます。文明10年(1478)の板碑墓石

があり、草創の古さが伺われます。本尊は十一面観音像。荒綾八十八か所の四十六

番札所にあたります。  

 このお寺に明治9年(1875)4月に、公立小学校(同12年2月正矯小学校

と改名)が設けられ、竹塚・島根・栗原各村の子どもたちを教え、村民の開明に尽

くしたとあります。

日光街道 (国道4号線)

2009-05-04 06:58:32 | Weblog
    

           

 江戸時代の五街道のひとつ。日本橋を起点として日光市へ向かう街道の11キロ

メートル地点です。高速道路はゴールデンウイークの混雑に、今年は1000円サ

ービスで大渋滞。今日からUターンですよ。  

 その昔、徳川将軍の日光東照宮への参詣のための道でした。今の旧街道がそうで

すが、道中の宿場は21置かれ、「草加、越ケ谷 千住の先よ」で、日光市に入っ

て今市、鉢石となります。日本橋から宇都宮までは奥州街道と共通で4号線、そこ

から北側は国道119号線です。今は急行列車ですいすいと日光東照宮への観光も

楽々ですが、昔は21宿場でたいへんでしたね。

つつじは満開です

2009-05-03 07:29:22 | Weblog
      

 キレイに咲いていますね。この時期は何処へ行っても華やかな「つつじ」を見る

ことができます。咲くまでは気が付かないけれど、今を盛りと咲き出すとビックリ

しますね。ツツジ、サツキ、シャクナゲなどと分けて呼んでいる人もありますが、

私には見分けがつきません。ただキレイだ・・です。 

             

 こちらはタンポポ。盛りを過ぎて、しっかり次世代を育てるべく種をまきます。

 何処にでも漂っていきますね。

端午の節句

2009-05-02 06:57:06 | Weblog
         区役所ロビーで

 5月5日は子供の日ですが、男の子の節句になっいるのはケシカランとうるさい

向きもあるとか。ま、ややこしいことはともかく、立派な鎧兜を拝見しました。見

事なものですね。赤いテープが野暮ですが。  

 端午の節句の端午(たんご)というのは、もとは月の端(はじめ)の午(うま)

の日という意味で、5月だけのものではなかったそうで。江戸時代は5月5日は徳

川幕府の重要な式日で、大名や旗本が登城して将軍にお祝いを奉じたということで

す。男子が生まれれば幟を立てて祝いました。このことが男の子のお祝いに結びつ

いて男の節句となったらしいです。しかし理屈抜きでお祝いして、美味しいかしわ

餅でも戴きましょう。