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「万葉の隠れ里」
吉野の千本桜は見事だった。
永く守られてきただけの事はあると思った。
この桜の中に、ミソカ達の桜があるとしたらなおさらだ。
ミソカとツゴモリを自由にさせたけど、俺達の側を彼らは離れなかった。
今日は九条の親戚筋、九宝院家に泊まる事になった。
吉野から少し離れ、小さな盆地の集落の中心にある大きな屋敷だった。
まるで隠れ里のような静かな集落。
俺達はバス停の近くの駐車場に車を停めて歩く事になった。
俺はこの小さな集落をひと目で気に入った。
こんな所で静かに暮らしたいなんて、年寄りっぽい事言うわねと春野に言われたが、そう思ったのだからしょうがない。
吉野の千本桜とまではいかないが、きれいな桜のある家が俺の目にとまった。
「よく気がつかれましたね」
晴美が言った。
「まさか」
「ここは山脇家です」
庭にある桜の木の下に、俺が良く見ていた祖母の姿が見える気がした。
ミソカとツゴモリが俺達から離れて木の下へ行き、そして、何も言わずにただ木を眺めていた。
俺達は彼らを残し九宝院へ向かう事にした。
「お寄りにならないのですか?」
「今更、孫もないでしょう?」
「そうですか?喜んでくれると思いますよ」
「晴美さん。事が全て済むまでは、俺とは無縁であった方が良いと思うんです」
「…わかりました」
「さぁ、九宝院に着きましたよ」
九宝院に泊まった朝にはミソカ達は戻って来ていた。
俺とミソカは庭に出た。
「あの桜に留まっても良いんだぞ」
と言うと、
「やっぱり、東京の桜が私達の木なの。それにカイを放っておけないわ」
と笑った。
「お前達は、じいちゃんの式じゃなかったんだな。祖母、柚さんのだったんだ」
「式とは違うけどね。コウジロウを頼みますと言われたのよ。それと、マゴもお願いって言われたわ」
「俺はまだ産まれていなかっただろ?」
「私達には時間はあまり関係ないのよ。コウジロウが東京を出るまで桜の木の下にはユズが居たもの」
「…そうだったね」
「そうよ」
「ばあちゃんはそんなに俺の事が心配だったのか?」
「ん、そうね。孫バカだったわよ。カイもじいちゃん子じゃないの?」
「じいちゃん子なのは認めるけど、ばあちゃんの幽霊を本物だとずっと思ってたなんて、俺、相当、間抜けだな…」
「気がつかないままのが楽しかったのになぁ」
「おい…お前なぁ」
俺達は笑った。
「なぁ、そろそろ、本当の名前を教えてくれないか?」
「んーっと、そうねぇ。キスしてくれたら教えるわ」
「はぁ?キ、キス?…お前とかよ?」
「そうよ。何?ツゴモリとだとでも?」
「い、いや。そうじゃない。式だろお前?出来るのか?」
「私がこうやって、物に触るみたいにすれば…その…で…出来るわよ。多分…」
「お前。自分から言っておいて照れるなよ…」
「いいじゃないの。女の子なんだもん。そういうのは普通、男の子からでしょ?情けないわね」
「情けないって…おい。いいぜ。キスくらい何度でもしてやる」
「…キスくらいなんて思ってないくせに…」
そう言ってミソカは目を閉じた。
俺は口から心臓が出そうになっているのを気が付かれないかと思いながら…キスをした。
頭の中、いや、心の中に優しい思いと一緒にミソカ達の名前が流れ込んで来た。
そんな俺達を遠くから見ていた九条親子。
「やはり、柚さんには敵わないわね…」
「ママもそうなりたいんでしょ?」
「そうね。カイくんやあなたをずっと支えてゆきたいわ」
吉野の桜と、春の日差しが優しく皆を包んでいた。
翌日、俺達は吉野を後にして、京都に戻った。
春野が仕事で東京に帰るので俺と孝之は新幹線ホームで見送った。
もちろん、ミソカが彼女と同行している。
式として俺から離れすぎると力が弱くなるが、彼らの立場は俺と同等だから、そんなに影響はでていないという事だった。
京都駅で寄りたい所があると、九条の車は帰ってもらったので、俺と孝之は久しぶりに二人きりになった。
俺達は駅の大階段にあるカフェに立ち寄った。
「こうして二人になるのは久しぶりだな。新宿の事件も入れたら、二ヶ月近くになるかな」と俺が言うと孝之は、
「俺の前で元気なふりをしなくていいぜ」
と少しふてくされたように言った。
「ふりなんて…」
「俺、春野さんやミソカに言われたんだ。カイは最近とても疲れていて、そしてまだ、何かを隠しているから注意してって、んで、ツゴモリもお前を心配してる。だろ?」
「…そっか…そうだね…」
「何があった?いや、何が起きるんだ?」
カイはうつむき小さくため息をついた。
そして、顔を上げるとこう言った。
「今、この京都に、三鷹が来ているんだ。俺にはここを出て車で九条に向かう姿が見えるようで、気分が悪い」
「三鷹誠記が来てるのか?」
「いや、前のだ。…大伯父の三鷹幸一」
「大伯父?そう言えば三鷹誠記を従兄弟って呼んでたな。それじゃあ、前当主は親父さんの兄弟…?」
「実際は従兄弟違いって言うんだけど、三鷹幸一は秋月幸次郎の実の兄だ」
「おじいさんの兄?お前はそれを知ってたのか?」
「何となく…三鷹当主になると前の経歴がわからなくなるんだけど、この時代、ある程度は調べられるし、幸一と幸次郎じゃわかりやすいじゃん」
そう言ってカイは、昨日、九条晴美から聞いた事を簡単に説明した。
「しかし、おじいさんとその兄で嫁さんを取り合って、片方は嫁、片方は権力者になった訳か…」
「そうなるね」
「それじゃ、その時の九条にいた三人の誰かが、誠記の母親となる訳か…」
「ううん。…違う」
「え?」
「その次の候補だった人達だ。前の候補も後の候補も、皆、家に招いて子供が出来るまで住まわせたんだそうだ…。ん、違うか、能力のある子が生まれるまで、だな…」
そう言ってカイは頭痛がしたのか額に手を当てた。
「胸くそ悪くなる話だな…」
「…だろ?」
「だけど、そこまでしても、なかなか子供が出来なくて、六十過ぎてやっと生まれたのが誠記だった。能力もあったから、すぐ三鷹姓にしたかったのだろうが、本妻の反対で出来なくて、結局、引退する事で交代したんだ」
「それって、実の子に譲りたいって執念を感じるな」
さっきからしきりに手を擦り合わせているカイ。
「おい。カイ、手を出せ」
「?」
「いいから、前に出せって」
「何だよ。手相でも見るのか?」
「何でもいいから、出せって」
「ん、ほら」
と言ってカイが片手を出す。
その手を孝之が握った。
「っと、おい。何だよ」
とカイは手を引っ込めた。
「やっぱり、冷たくなってんじゃねぇか」
「…低体温なんだよ」
「ふーん、お兄ちゃんが暖めてやるから、手ぇ出しな」
孝之はおいでおいでをした。
「いらねぇよ。何が、お兄ちゃんだよ」
「俺、来月で二十歳だぜ」
「…あ…」
「羨ましいだろ?」
「二十歳なんて、羨ましくない」
「来月になったら春野と飲みに行こうって言ってるんだ。お子様はジュースな」
誇らしげに笑った。
「何言ってるんだか。弱いくせに。春野の相手なんて出来ないだろ?」
「へん。知らないのか?俺さまの天下はこれからなんだぜ」
そんな話をしていると、手の冷えも治まっていった。
それを確認するようにカイは手のひらを少し眺めた。
その様子を見て、孝之は安心したように会話を戻した。
「だけどよ、そいつ。当主をやってたって事は、強いのか?」
「ん、そうだな。じいちゃんとは反対だな。視えるがその力は弱いな」
「なら、ビビる事無いじゃないか」
「俺に普通の人間とどう戦えと言うんだよ」
「戦う?そうなるとは限らないだろう?何でそんな…」
「…十五の時。俺はあいつに殺されかけているんだ」
「殺され…なぜ?」
「さあな、まだ俺が動けない時に、俺は伯父に首を絞められたんだ」
「十五って、事件の時か?」
「気が付いたら、伯父が俺の首を絞めてて。そこに、誠記が入って来て止めたんだ。大伯父は心身喪失状態で、訳のわからない事を言っていた。でも、一つだけ聞き取れたのは、誠記が怖い。殺さないと。だった…。俺もあいつからはタダならないモノを感じるけど…」
「でも、それだったら、伯父さんはこっちの味方になるんじゃないか?」
「大伯父が味方?ありえないな」
と、カイは露骨に嫌な顔をした。
「しかし、なんでそんなにイヤがるんだ?」
「真剣(マジ)に、殺されかけてみりゃわかるよ」
カイの携帯に九条からの電話がきた。
「了解」の返事をすると、孝之が今更な事を言った。
「九条を訪問するのは、九条が招待しないと会えないんだったよな?」
「そう…」
「それじゃ、今、三鷹が来ているの九条家が呼んだって事か?」
「それしか考えられないね」
「おい。九条は俺達の味方なのか?敵なのか?」
「どっちかと分けるとしたら、味方だろうな」
「じゃあ、何故、三鷹を呼ぶんだ?」
「知らないよ。だけど、呼ばれた以上、会うしかない。もしも何かあったら、あの家を壊してでも逃げるから安心しろよ」
カイは笑った。
「安心って…お前な…」
俺達は九条家に戻った。
屋敷に入るなり、正装に着替えるようにと言われた。
正装と言っても、洋装じゃなかった。
白い着物と薄い青の袴だった。
カイは自分で着付けが出来るので、俺のも着付けをしてくれたのだが、
「着付けってこんなにぐるぐる回るものなのか?」
さっきから俺は後ろ向いて、前向いて、これ持って後ろと…動かされていた。
「いいや、本当は着せる方があちこち動くものだけど、何で俺が、お前の周りを回ってやらなきゃいけない。着せてもらっているんだ。そっちが回れ」
「カイ…」
やっと、カイのいつもの俺様調が戻ってきてる気がした。
だけど、カイは「三鷹」に恐れを感じている。
人間不信になりかけてた時の新宿事件。
そのダメージが残ったまま京都に来た。
ここで休めればいいと思った矢先に、三鷹の出現だ。
春野やミソカの心配が当たった。
彼女達が居なくて良かったとカイは言ったが、それは本当だろうか?
だが、今、ここでカイを支えられるのは、俺しかいない。
「カイ。前当主なんてビビってんじゃねぇ。俺達は今のをぶん殴りたいんだからな」
「そうだったな。お前といれば俺は怖くない。何せ、お前を守らなきゃいけないんだから、簡単にビビっちゃいられないな」
俺達は三鷹幸一が待つ部屋へ通された。
この九条家の一番奥にある客間、豪華な調度品は無かったが部屋の素材そのものが良い物だった。
大伯父はお茶が用意されたテーブルにおらず、戸を開けて縁側に立って庭を見ていた。
「三鷹の…大伯父。お久しぶりです」
三鷹幸一は「ああ」と返事をしたが、振り返らなかった。
俺達は部屋の中央のテーブルまで行って、そこに座った。
そして、カイは「僕達に何かご用ですか?」と聞いた。
「私は、九条に招待されたのだ。お前が居ると呼ばれただけだ」
「そうですか。なら、もうお話しする事は無いですね。後は九条に聞きますので…」
と立ち上がろうとすると、
「九条は…誠記とお前を天秤にかけている。どちらが自分達に有益か?どちらが自分達の思惑通りに動いてくれるか?とな」
「…知っています」
「お前はそれに乗ろうというのか?」
「乗るしかないでしょう?」
「それで、お前は三鷹誠記を敵にすると言うのだな」
「いいえ。いいえ。僕など彼の敵にはなれません。以前、会った時のように力ずくで、思うがままにされるでしょうね」
とにっこり笑った。
「そう思うなら、何故、お前はここにいるのだ?」
「それは…」
俺はカイの従者のように彼の少し後ろにいた。
そこは、カイがそう指定してきたからだ。
俺は三鷹幸一という人物を知らなかったが、権力に狂って呆けたようなのを想像していた。
だが、ここにいるのは、何十年も一族を率いてきた貫禄のある人物だった。
そうだ。俺達がいろいろと頼っているあの秋月幸次郎の兄なのだ。
俺が想像してたような人物のはずがない。
多分、こいつはカイの弱点を知っている。
…そう思えた。
この短い会話がもう三鷹幸一のペースになっているのが、人の生きてきた時間の違いを思わせた。
カイ。
俺はお前を信じる。
今度こそ、信じる。
そうさ、ここを最後にする気は俺達には無い。
お前はさっき俺にツゴモリを渡した。
「孝之はツゴモリを抑えててくれないか?それで、自分を守る為だけにツゴモリを使ってくれ、出来れば一緒に会いたくないんだけど…向こうがそう言ってきたならしょうがない。俺は、仲間である皆に何かある事が最大の弱みなんだ。だから、皆の前で、俺が…これからどんな事を言っても、しても。何があっても、俺を信じて、助けようとしないで欲しい」
それは、あの我皇の時と同じだ。
言葉巧みに相手を誘導して、不利を有利に変えようとする。
カイは、どんな手を使ってもこの力の差を縮めたいんだ。
「俺は大丈夫だから、信じて欲しい」
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