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性的習慣が男性主導では愛が感じられずに快楽で終わる。

2015-08-19 | 社会問題
人間の性生活は、その最も素朴な原始的段階と何も変わらずに今日に至っているかもしれないし、しかもそれは公然と行われているのである。

私達は動物同様に、特定の男女による継続的な統合と一時の快楽と怠惰に勤しんでいる。

愛する気持ちと憎しみ合う感情は両立し合い、敵対する両者の感情はその極点を極めて行く。統合の原理は女性の共感側にあって、分離の原理は男性の衝動側にある。

女性が属する自然法による男女法には、一族の永続的な統合の根拠が備わり、人間同士の統合と平和の原理が存在するのと同時に、急速な人口変動をも可能にしている事実である。

実際、女性は最大の国家存続の支援者の中心人物であり、機嫌を損ねては国家の危機を可能にしてしまう油断ならない存在でもある。

仮に複数の男性が頑張って世界を支配したところで、女性社会を管理する自然法からの脱却を意味する訳にはならないように、死と生命を支配する自然権には母胎を通じてのみ伝えられるからである。

むしろ男性がいかにどうあがいても、太刀打ち出来ず、引き分けに持ち込むか、さもなくば一族全体の中に消えてしまうかのどちらかにしても、男性的観念が、完全な展開を遂げる為には、女性的自然原理の手を借りなければならないという理由からのみ、男性的自然原理が女性の心を射止めるのである。

従って、男性権利の乱用が女性の抵抗を生み、女性の抵抗が共存社会を生み出すことになる。

男性が女性と結び付き、家族および国家における支配関係を母なるものの手に委ねる共存社会は、ようやく後世に胸を張って語り継がれる結果になる。それが全くの人為的なものであってもだ。

現在では成す術もなく、男性たちの欲情に奉仕することを余儀なくされる女性たちは、何らかの権利を与えられることもなく、屈辱にひざまずいている。

まさかと思うが、女性が男性同士の闘いを仕組ませ、さらに強い男を見出し、その男性と交わろうとしているとは考えにくい。

民族は女性によって秩序を授かるから、男性は自らが支配する力を得る前に、まず女性に育てられなければ、闘争本能の原始的で制御の利かない力を手なずけ、善き方向へと向かわせることが出来る者が女性社会である。

女性は生命を貫く法則を内に秘めている。女性社会は人間の良心を伝授し、それゆえ知らず知らずの内に確固とした平和の法典が語られる。

女性は男性同様に、生まれ持って知恵ある者として、本性上自ら知性ある者であり、本性上平和主義者であり、本性上生命と死との中庸者である。

それゆえ戦争は女性の命令によって左右されるものであり、それゆえ女性は侵されざる者とされ、それゆえ裁判官の職務を担うものとされ、それゆえ民族間の歴史的感情を調停させる者とされる。

感覚的に粗野な男性を退けるのは女性の感性にあるが、男性が荒々しさを備えているのに対して、女性は静穏、平和、共感、普遍性にあるのも感性だ。

実際、文明生活の長所と弱所には常にいじめが同居しているものであるが、社会にとって最高善といわれるもの、つまり集合体の至高の一体感はどの様な答えを導き出して見ても男女法による共存社会の中でしか解決する方法が見いだせない。

というのもそれは社会を家族に、さらには家族を個人に還元してしまうには、そればかりではなく、最も多くの人々に共有されるものこそ、人々から最も軽んじられないものこそ、文明の進歩は多様なものを一つのものへと統合することにあるのではなく、逆に本来的に一つであったものが多くの多様なものへと文明化することに向かうその道筋にある。

共存社会への移行は一元性を多元性へと導き、こうして秩序という最大の原理がこの世界にもたらされるのである。

一元性から多様性への進歩、混沌とした状況から秩序付けられ編成された美の状態への進歩と軸を一にして生まれ代わるものは、純粋に金銭的な賄賂からよりも高度な芸術的存在への進歩である。

人類は不完全な常識から出発するが、その目的は高次元な叡智の獲得状態に至ることであり、人類は破壊と支配を繰り返しながらもその目的に向かって進み続ける。

一方の本能的原理がもはや単独では支配出来ずに、他方で精神的原理も未だ完全には純化されるまでには至っていないが、理念の帝国は男性に属し、平和的な生活の王国は女性に属す。

男性と男性での優位性をめぐる闘争が、勝利によって結末を迎えるまでにはいくつかの大きな転換期が必要であるが、それらは常に、一つの制度が過度に極大化するとともに結びついていることから、社会支配と堕落とがその後の発展に最も大きく寄与することはまさに事実なのである。

人類が経験した現実の出来事の記憶、それは虚構ではなく、私たちが経験した宿命となる。それらは死すべき命ある人間の経験であり、現実に歴史が体得した事実である。生命は最も創造的な構想力が生み出し得た虚構よりも、遥かに偉大な思想を実現してゆく物語である。



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