妹曰く、もう当日まで何もないと言うので、社長に報告と、お休みをいただくことにする。
電話1本では気を悪くするかも・・と思って出向くと、たまたま会社にいて「分かった」と言う。
たまたまその時電話がきて、客先で火事(ボヤ)があったらしく「それじゃ行ってくるからよ」とすぐ出て行った。(会社に行ったのもいいタイミングだった。。。)
月も火も休む事になったので何が困るかなァと考えて、月末の支払いの用意、打っておかなければならない見積もだいたいできてるし、お茶場もちょっと片付けたりゴミをまとめたり、魚もしばらく来ないからとエサをあげ、万が一現金をおろすことになった時のために(分かっていると思うけど)通帳の場所もフセンに書いて、社長の机に貼っておいた。
納涼会の領収書はそのあとでも間に合うけれど、万が一来れない時誰でも作れるように名簿を机の上に分かるように置いておいた。
うーん、あとは何かなぁと考えて、よく考えたら、ここに来てから5年間、有休取るのが初めてだったのだ。平日会社が動いているのに自分だけは休むってことがなかったので(土曜は現場だけは動いているけど)、何だか気がかりで、あとは社長の「sake君これメールで送って。」の類だけど、どうにかやってもらうしかない。
それから図書館もあちこちで借りてしまっているので、本やCDを返しに行ったり、行った事がなかったので斎場に行く練習もして駐車場もどこにあるか確認してみた。
まてよ、もしかしたら遠くから来る人を駅まで乗せてくなんてことも充分ありうるなぁと思って、車の中も片付けた。喪服も着れるかどうか試してみた。(どうにか大丈夫そう。。。)
この数日、葬儀とか墓とかあとを継ぐとか、脇役ながらそんな事ばかり考えた。
会社のことは考えた。
休む事になったらどうしようか、それまでに何をしておかないととか。
kekeのことも考えた。
元気なうちに自分もその時のことを考えてkekeに伝えておいた方がいいんだな、とか。
でも不思議なくらい、恋愛問題とか、そういうことは考えなかった。
頭の片隅にもよぎらなかった。
こうなってしまうとまったくどうでもいいこと、何でもないことのように思えた。
関係ない、と言うか。
もっと大きな問題が起きたら、もうどうでも良くなってしまうようなことなのか。
まっとうに生きるの「まっとう」と言う言葉をここしばらく考えていたけれど、こういうことなのかもしれない。人の死や、墓や相続とか、そういう問題に向き合っていると、他のちまちましたことがくだらなく思えてしまうのだろうか。年をとると、こう言う風に物事を捉えるのだろうか。
いずれにしても、その日がきたら自然に受け入れることができるといい。
私もそんな風に思う。
本当は支払いの明細も先に先方に送っておきたくて、帰りも会社に寄ってみたけれど、社長の稟議はおりていなくて送れなかった。一つ二つ資金繰りのつまったところから「まだ支払い金額が出てないのか」と電話がくるかもしれない。
電話1本では気を悪くするかも・・と思って出向くと、たまたま会社にいて「分かった」と言う。
たまたまその時電話がきて、客先で火事(ボヤ)があったらしく「それじゃ行ってくるからよ」とすぐ出て行った。(会社に行ったのもいいタイミングだった。。。)
月も火も休む事になったので何が困るかなァと考えて、月末の支払いの用意、打っておかなければならない見積もだいたいできてるし、お茶場もちょっと片付けたりゴミをまとめたり、魚もしばらく来ないからとエサをあげ、万が一現金をおろすことになった時のために(分かっていると思うけど)通帳の場所もフセンに書いて、社長の机に貼っておいた。
納涼会の領収書はそのあとでも間に合うけれど、万が一来れない時誰でも作れるように名簿を机の上に分かるように置いておいた。
うーん、あとは何かなぁと考えて、よく考えたら、ここに来てから5年間、有休取るのが初めてだったのだ。平日会社が動いているのに自分だけは休むってことがなかったので(土曜は現場だけは動いているけど)、何だか気がかりで、あとは社長の「sake君これメールで送って。」の類だけど、どうにかやってもらうしかない。
それから図書館もあちこちで借りてしまっているので、本やCDを返しに行ったり、行った事がなかったので斎場に行く練習もして駐車場もどこにあるか確認してみた。
まてよ、もしかしたら遠くから来る人を駅まで乗せてくなんてことも充分ありうるなぁと思って、車の中も片付けた。喪服も着れるかどうか試してみた。(どうにか大丈夫そう。。。)
この数日、葬儀とか墓とかあとを継ぐとか、脇役ながらそんな事ばかり考えた。
会社のことは考えた。
休む事になったらどうしようか、それまでに何をしておかないととか。
kekeのことも考えた。
元気なうちに自分もその時のことを考えてkekeに伝えておいた方がいいんだな、とか。
でも不思議なくらい、恋愛問題とか、そういうことは考えなかった。
頭の片隅にもよぎらなかった。
こうなってしまうとまったくどうでもいいこと、何でもないことのように思えた。
関係ない、と言うか。
もっと大きな問題が起きたら、もうどうでも良くなってしまうようなことなのか。
まっとうに生きるの「まっとう」と言う言葉をここしばらく考えていたけれど、こういうことなのかもしれない。人の死や、墓や相続とか、そういう問題に向き合っていると、他のちまちましたことがくだらなく思えてしまうのだろうか。年をとると、こう言う風に物事を捉えるのだろうか。
いずれにしても、その日がきたら自然に受け入れることができるといい。
私もそんな風に思う。
本当は支払いの明細も先に先方に送っておきたくて、帰りも会社に寄ってみたけれど、社長の稟議はおりていなくて送れなかった。一つ二つ資金繰りのつまったところから「まだ支払い金額が出てないのか」と電話がくるかもしれない。