今日は家に帰ると、kekeが鍋を作っている様子。
白菜の厚い所をそぎ切りにしているようだ。
数日前にkekeは自分で調味料を買ってきた。
「コチュジャン」と言うものである。
先月初めて料理の本を見ながらプルコギのタレを調合し、肉と野菜を炒めたら思ったより水分が出てしまって、「これで鍋を作ったらおいしいのではないか?」と思って鍋にしたら、本当においしかったそうで、たぶんコチュジャンはそのために買ってきたのであろうと思う。
今作っているのは、まさにそのプルコギ鍋なのだろう。^^
そして「あ!」と私は言い、「部屋が片付いている!」と言った。
「片付けてくれたんだ、ありがとう」と言った。
さて、プルコギ鍋はできたのだが、kekeは味見をして「生臭い」「薄い」と言う。
(え?!何か悪くなった野菜をそのまま使ったのか?)とドキッとしたが、さっきの白菜だって普通だったし、もやしは2日ぐらいしか経ってないはず。
クンクンと匂いをかぐと、そんな事も無いのでは?と思う。
そして食べてみると、kekeは「今日のは味が薄くて美味しくない」と言い、「私もそうかしら?」と思うが、別にマズイと思うほどのことでもなく「ラー油でも入れれば味がつくのではないか?」と言った。
それでもkekeは納得せず、おかしい・失敗したと言うので、「そう言われると、いかにも私が作りそうな鍋の味に似てるわよねぇ」と言うと、「そうなんだ」と言う。(失礼な)
「でも別にまずくはないと思うけど」とパクパク食べながら、もう食事も終わりに近づきつつある時点で「あ、もしかしてこの前はお酢の味がしてたかも・・」と言うと、「入れ忘れた!」とkekeは言い、また調味料の本を見に行って「初歩的なミスだった」と言って「今のうちに入れておいて明日煮て食べよう」と言う。
kekeは眠くなったので「もう寝る」と言い、「これから(sakeが)PC使うなら寝る場所を逆にしてsakeの布団でもう寝る」と言う。
私はkekeの布団で寝ることにした。
ガソリンスタンドの人にもらった電気スタンドを持ってきて、本を読む事にした。
が、家電オンチなので、いったいこれはどうやったら点くんだろう?コンセントなのか?電池だったのか?と言う所から読まないと分からないので、説明書を見つけて読んでいると、kekeがやってきて、「この箱に入っているのがコンセントなのでは」と言い出し、灯りがつくと去っていった。
私は改めて「部屋が片付いている」と思った。
たぶんいつか「そうなってたらいいのにな」とボヤいたのだろう。
何も言わなかったら、部屋を片付けようとは思わないし、そこから「ありがとう」も生まれない。
表現する事自体は間違ってはいないのではないか?
表現の仕方は気をつけなければいけないけれど。
私は「自分の意思を伝える」と言うことがすごくヘタクソなのではないか?
術がないから、そう言い続けるか、諦めるかの二者択一だったけれど、もっと他にいっぱい選択肢はあるのではなかろうか。
他の人間関係だったら、面倒くさいから諦めてしまえば済むけれど。
他の人間関係と言ったらさらに「自分の意思を伝える」と言うことを怠っていると言えよう。
相手との関係が深くなれば深くなるほどストレスがたまるのは、「自分の意思」を明確にせずに、なすがままにされる傾向にあるからかもしれない。
今まで表現の仕方で相手をこちらの思い通りに動かす事なんて卑怯な事だと思っていたけれど、そう言う風にストレス無く人間関係を深めて行くことは大切なことかもしれない。
学生時代も引きずられるような友情関係が山ほどあって、それがイヤでしょうがないから、男ばっかりの職場にしたんだっけ。
でも、よく考えたら引きずられたのではなく、自分が相手に意思を表明してこなかっただけなのだろう。
そう言う私にとって、人間関係が適度に希薄でライバルが居ないと言う今の職場は実は居心地が良くて、この相性はそう簡単によそでは見つからないと思う。
毎日文句ばかり言ってるけど、本当の本心はそうなのだ。
ちなみに床に散らばっていたものは、私のPC机に山になっていた。
今日こそ、これをどこかしまう場所を作ろう。。。。
白菜の厚い所をそぎ切りにしているようだ。
数日前にkekeは自分で調味料を買ってきた。
「コチュジャン」と言うものである。
先月初めて料理の本を見ながらプルコギのタレを調合し、肉と野菜を炒めたら思ったより水分が出てしまって、「これで鍋を作ったらおいしいのではないか?」と思って鍋にしたら、本当においしかったそうで、たぶんコチュジャンはそのために買ってきたのであろうと思う。
今作っているのは、まさにそのプルコギ鍋なのだろう。^^
そして「あ!」と私は言い、「部屋が片付いている!」と言った。
「片付けてくれたんだ、ありがとう」と言った。
さて、プルコギ鍋はできたのだが、kekeは味見をして「生臭い」「薄い」と言う。
(え?!何か悪くなった野菜をそのまま使ったのか?)とドキッとしたが、さっきの白菜だって普通だったし、もやしは2日ぐらいしか経ってないはず。
クンクンと匂いをかぐと、そんな事も無いのでは?と思う。
そして食べてみると、kekeは「今日のは味が薄くて美味しくない」と言い、「私もそうかしら?」と思うが、別にマズイと思うほどのことでもなく「ラー油でも入れれば味がつくのではないか?」と言った。
それでもkekeは納得せず、おかしい・失敗したと言うので、「そう言われると、いかにも私が作りそうな鍋の味に似てるわよねぇ」と言うと、「そうなんだ」と言う。(失礼な)
「でも別にまずくはないと思うけど」とパクパク食べながら、もう食事も終わりに近づきつつある時点で「あ、もしかしてこの前はお酢の味がしてたかも・・」と言うと、「入れ忘れた!」とkekeは言い、また調味料の本を見に行って「初歩的なミスだった」と言って「今のうちに入れておいて明日煮て食べよう」と言う。
kekeは眠くなったので「もう寝る」と言い、「これから(sakeが)PC使うなら寝る場所を逆にしてsakeの布団でもう寝る」と言う。
私はkekeの布団で寝ることにした。
ガソリンスタンドの人にもらった電気スタンドを持ってきて、本を読む事にした。
が、家電オンチなので、いったいこれはどうやったら点くんだろう?コンセントなのか?電池だったのか?と言う所から読まないと分からないので、説明書を見つけて読んでいると、kekeがやってきて、「この箱に入っているのがコンセントなのでは」と言い出し、灯りがつくと去っていった。
私は改めて「部屋が片付いている」と思った。
たぶんいつか「そうなってたらいいのにな」とボヤいたのだろう。
何も言わなかったら、部屋を片付けようとは思わないし、そこから「ありがとう」も生まれない。
表現する事自体は間違ってはいないのではないか?
表現の仕方は気をつけなければいけないけれど。
私は「自分の意思を伝える」と言うことがすごくヘタクソなのではないか?
術がないから、そう言い続けるか、諦めるかの二者択一だったけれど、もっと他にいっぱい選択肢はあるのではなかろうか。
他の人間関係だったら、面倒くさいから諦めてしまえば済むけれど。
他の人間関係と言ったらさらに「自分の意思を伝える」と言うことを怠っていると言えよう。
相手との関係が深くなれば深くなるほどストレスがたまるのは、「自分の意思」を明確にせずに、なすがままにされる傾向にあるからかもしれない。
今まで表現の仕方で相手をこちらの思い通りに動かす事なんて卑怯な事だと思っていたけれど、そう言う風にストレス無く人間関係を深めて行くことは大切なことかもしれない。
学生時代も引きずられるような友情関係が山ほどあって、それがイヤでしょうがないから、男ばっかりの職場にしたんだっけ。
でも、よく考えたら引きずられたのではなく、自分が相手に意思を表明してこなかっただけなのだろう。
そう言う私にとって、人間関係が適度に希薄でライバルが居ないと言う今の職場は実は居心地が良くて、この相性はそう簡単によそでは見つからないと思う。
毎日文句ばかり言ってるけど、本当の本心はそうなのだ。
ちなみに床に散らばっていたものは、私のPC机に山になっていた。
今日こそ、これをどこかしまう場所を作ろう。。。。