きっと、いいことあるよね!

母(sake)と息子(keke)の日々の記録。
お出かけ写真と料理など。

父の昼食

2012-05-13 | 父の記録と母の思い出
今日は父の所によると、昼食の最中である。
ある程度食べて腹が満たされており、茶碗を置いた時点で食事中であるのを忘れていると言う状態である。
(目があまり見えないので、皿もよく見えてないと思われる。)
あとで介護士さんが回ってくれるのだろうけど、お茶碗を持たせて食べてもらうことにした。

父は今では、自分で食事をすることとが毎日の仕事のようである。
腹がすいているうちは自分で箸やスプーンで食べるのだが、ある程度満たされてくると食べなくなって、あわよくば「アーン」と口を開けて食べさせてもらおうとする。
なるべく根気強くできるだけ自分で茶碗と箸を持ってもらって、最後にどうにも食べなくなった時に初めてスプーンで食べさせることにしているのである。

そして真向かいを見ると、そちらは食べさせないと自分では食べれないおじいさんである。
私と同じこの時間帯に、身内の女性が訪れて食べさせている。
(他の曜日だと会わないので、土曜と決めているのかもしれない。)

こちらのおじいさんは、もうウーウーぐらいの言葉しか聞き取れないので、「やがて父もこうなるのか」と思いながら、毎週チラッと見ている。

毎週お会いしている身内の女性は、たぶん60近いのではないかと思う。
娘さんなのか、年下奥さんなのか。。。?

その方は片方の手をしっかり握り締めながら、おじいさんにスプーンでおかゆを食べさせている。
「あぁ、会話ができない分、手のぬくもりで愛情を伝えているのか・・」と私は半分義務感でお茶碗と箸を持たせている自分との違いを感じ、またもや反省した。

・・・が、次の瞬間、目をみはった。

女性は握った手を思いっきり引き離し、引き離す逆の手をじいさんはもう一度つかもうとするが、その手も引き離そうと必死なのである。
そして食べきると、介護士さんに会釈をしながら、サッサと出口に向って歩いていった。。。。


同じテーブルの女性がのんびり話していた。
「今日は天気がいいですねぇ。」「そうですねぇ。」

二人とも認知症なので、さっきからこの会話が前に進まない。
窓の外に目をやると、緑が本当によく映えている。

父は目が良かったら、こんなに急に進みはしなかったのではなかろうか。
見えることで脳は刺激されるし、そのことで会話も増えただろう。

「賽銭箱の歌覚えてる?」と私は尋ねてみると、

賽銭箱に、100円玉なげたら、つり銭出てくる人生がいいと、
両手を合わせ、願えば願うほど、バッチにけっつまづいて膝をすりむいた、

と、お経みたいに言うけれど、今日は半分で止まってしまった。


父は眠いとウトウト始めたので、私も席を離れた。
毎回、席を離れられる時に開放感と言うのがある。

週のうちのたった1時間を満たない程度でこうなのだから、それもいろんな人が出入りする中でこうなのだから、これが閉鎖された空間の老人介護となるとどれだけ息詰まることだか、私には想像できない。

先ほどの女性も、たぶんバスの時間が近づいていていたのかもしれないな。
ここらほんとに本数少ないから。

親への愛情や感謝が幾らあっても、介護と言う現実は、そんなものはいともたやすく吹き飛んでしまうだろう。
愛情のベクトルは常に親→子であって、その方向は変わることが無い。・・・?