やっと先日の部活の連絡網が次の人に繋がった。
部活の父兄の懇親会(飲み会)が来月ありますよ、と言う連絡。〇〇さんに何日までに出欠を連絡してください、と言う内容だ。
連絡網で次のお母さんに「sakeさんは行かれます?」と訊かれた。
「そうですね・・前向きに考えてますよ。^^;」と返事した。
その後に、そのお母さんに、「△△さんも行かれます?」と尋ねたら、はっきり、「まだ判りません。」と言われた。(そうですね~くらいの返事を予想してたのだが)
その時、ピン!と感じた。
他の人の出方で、かな・・・?
うちの部活の懇親会は、お父さんが参加する家庭も多い。ご夫婦で参加する家庭もある。たぶん、少年野球から上がってくると言う下地があるからかもしれない。少年野球はお父さんも練習に参加する所が多いからだ。
そのお父さんとお母さんの参加比率が、何故か偏るのである。
この前はたまたま、お母さんの参加が圧倒的に多かった。その前の前は、お父さんの比率が多かったそうである。それはおそらく、周りの状況を見ながら、旦那が参加するか奥さんが参加するかを判断するご家庭があるからだと思われる。
それを感じる時、ひゅ~~~と心に隙間風が吹く。
我が家には私の代わりに飲み会に行ってくれる者は居ない、それ以上に、私はその家庭同士の情報ネットワークから取り残されていると言う事実を知る。
(保護者会もろくに参加しないのだから、仕方無いのだが)
運動会で、昼食をkekeさんと二人っきりで食べるのは人目が気になって淋しいものだった。でも、「しょうがねえや」と開き直った。どうだい、うちは二人きりの家族なんだ、ほれ見ろ、と思った。
これは開け直れない淋しさだ。
何なのかよく判らない。
ただ、自分は夫婦という世界からも落ちこぼれ、更に主婦と言う世界さえも脱落した流離人なのだな~と言う自覚だけが沸き起こる。
飲み会でも、どこか居場所が無いような。
情報ネットワークは、自分から率先して入って行けば皆教えてくれるのだろう。でも、そうした所で我が家は参加できるのは私だけ。もういいや。開けてびっくり玉手箱もいいだろう。
忘年会の時期は日程が会社のと近く、欠席する事が多い。今回の飲み会は出席しようと思う。
部活の父兄の懇親会(飲み会)が来月ありますよ、と言う連絡。〇〇さんに何日までに出欠を連絡してください、と言う内容だ。
連絡網で次のお母さんに「sakeさんは行かれます?」と訊かれた。
「そうですね・・前向きに考えてますよ。^^;」と返事した。
その後に、そのお母さんに、「△△さんも行かれます?」と尋ねたら、はっきり、「まだ判りません。」と言われた。(そうですね~くらいの返事を予想してたのだが)
その時、ピン!と感じた。
他の人の出方で、かな・・・?
うちの部活の懇親会は、お父さんが参加する家庭も多い。ご夫婦で参加する家庭もある。たぶん、少年野球から上がってくると言う下地があるからかもしれない。少年野球はお父さんも練習に参加する所が多いからだ。
そのお父さんとお母さんの参加比率が、何故か偏るのである。
この前はたまたま、お母さんの参加が圧倒的に多かった。その前の前は、お父さんの比率が多かったそうである。それはおそらく、周りの状況を見ながら、旦那が参加するか奥さんが参加するかを判断するご家庭があるからだと思われる。
それを感じる時、ひゅ~~~と心に隙間風が吹く。
我が家には私の代わりに飲み会に行ってくれる者は居ない、それ以上に、私はその家庭同士の情報ネットワークから取り残されていると言う事実を知る。
(保護者会もろくに参加しないのだから、仕方無いのだが)
運動会で、昼食をkekeさんと二人っきりで食べるのは人目が気になって淋しいものだった。でも、「しょうがねえや」と開き直った。どうだい、うちは二人きりの家族なんだ、ほれ見ろ、と思った。
これは開け直れない淋しさだ。
何なのかよく判らない。
ただ、自分は夫婦という世界からも落ちこぼれ、更に主婦と言う世界さえも脱落した流離人なのだな~と言う自覚だけが沸き起こる。
飲み会でも、どこか居場所が無いような。
情報ネットワークは、自分から率先して入って行けば皆教えてくれるのだろう。でも、そうした所で我が家は参加できるのは私だけ。もういいや。開けてびっくり玉手箱もいいだろう。
忘年会の時期は日程が会社のと近く、欠席する事が多い。今回の飲み会は出席しようと思う。