小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

ほったらかし、と聞こえる?

2014年12月15日 01時54分21秒 | 日記
2014年4月29日(日)(4歳0か月)

 前に春奈の保育所の見学会に家族全員で行った
ことがある。

 早い話が授業参観のことだけど、この時にリズム
の時間というものがあった。

 先生がピアノを弾き、みんながそのリズムに合わ
せて体を動かすものだ。

 そのひとつに、子供たちが4人のグループになり、
リズムに合わせて輪になり、両手を合わせて輪の中心
に突き出すようなものがあった。

 タッタタタン♪というリズムとともに先生が何か
歌っていたのだけど、何と言っているのかよくわか
らない。

 一緒に見学に来ていたりえに、

 「あれ、先生はなんて言うてるんや?」

と、訊いてみたけど、りえもわからな、と言う。

 「おともだち」

って、歌っているようにも聞こえるけどちょっと
違うような気がする。

 家に帰って春奈に訊いてみたけど、春奈も、

 「知らん」

と、答えた。


 それで、今日、ふと、

 「リズムの時間にこんなヤツあるやん?」

と、春奈にその動きをして見せて、

 「タッタタタン♪ってリズムやけど、あれ、先生
なんて言うてるん?」

と、もう1度訊いてみたら、

 「ほったらかし」

と、春奈が答えた。

 いや、違うやろ、それ。

 でも、春奈の耳にはそう聞こえるのだろう。


 僕のこの疑問は後日、春奈から、

 「おっはなし(お話し)」

 だと教えてもらって解決したのだけど、そやな、
やっぱり「ほったらかし」はないな。

 ふつうに考えておかしいやろ、と思うけど、春奈に
とっては意味など深く考えずに聞こえたままに捉える
ことでOKなのだろう。

 言葉というものは初めから意味を追いかけずに音を
まず拾うことが大事だけども、やっぱり4歳になった
ばかりの春奈はまだまだ自然にそれをやっている。

339 倭氏と安曇氏

2014年12月15日 01時50分06秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生339 ―倭氏と安曇氏―


 長野県上田市に生島足島神社が鎮座します。
 『古語拾遺』には、祭神の卯生島神は大八洲の霊、つまり日本国の国魂とありますが、
生島足島神社の本殿は板壁で囲ってあり、床がない。つまり土間だけであり、この土間
こそが御神体なのだというのです。
 これは国土そのものが御神体であるということを意味します。
 それは、倭氏の祭祀する倭国魂神とも通じることなのです。
 倭国魂神をはじめ各地の国魂神は、地主神であり、国土そのものが御神体であるとも
言える神です。
 その中にあって、生島足島神社の信仰はどのような性格を持つのでしょうか。
 その社名から生島足島神社との関連を指摘されるのが大阪市の生國魂神社です。
 地元では「いくたまさん」の呼び名で親しまれている神社ですが、これは式内社の
難波坐生國咲國魂神社に比定されています。
 咲国魂は、咲魂(さきたま)のことだと思われます。すなわち、出雲の稲佐海岸で、
大国主の前に海を照らしながらやって来た神が、
 「吾は汝の幸魂奇魂(さちみたまくしみたま)」
と、告げる、この幸魂と同義とみられるわけです。
これらのことを総合して、生國魂神社と生島足島神社は同じものと見られるわけですが、
注意すべきことは、難波坐生國咲國魂神社という社名。生魂、咲魂ではなく生国魂、咲国魂
であることです。
 ここから、生島足島神社の国土そのものを御神体とする信仰と国魂神の信仰は同じもの
だと理解されるわけです。

 さて、ここまで、倭氏と葛城の諸氏族との関係、倭氏と忌部氏との関係を解きほぐして
きましたが、もうひとつ、忘れていけないのが倭氏と安曇氏との関係です。

 安曇氏も倭氏と同じくその一族が阿波国名方郡に拠点を置いていました。
 このことは、『日本三代実録』貞観六年八月八日の記事に、安曇部粟麻呂が宿禰の姓を
賜った、とあることから知ることができます。
 それに、安曇氏は穂高見命(ホダカミノミコト)を始祖にします。
 前回で採り上げたように、穂高見命は綿津見神の御子神で、信州にはこの神を祀る穂高
神社があります。
 穂高神社が鎮座する地は信濃国安曇郡ですが、安曇郡は安曇氏から来たものとされてい
ます。何しろ安曇郡には穂高神社の他に川会神社も鎮座しているのです。
 この川会神社の社伝に、タケミナカタの妻は綿津見神の御子神である、とあるのですが、
前にもお話ししたとおり、タケミナカタは大国主と高志の沼河比売(ヌナカワヒメ)との
間に生まれた神とされています。
 大国主の妻神のひとりに高志のヌナカワヒメという女神がいたことは、『古事記』だけ
でなく『出雲国風土記』にも書かれています。
 嶋根郡美保の郷に、

 「天の下造りしし大神(註:大国主のこと)が、高志の国に坐す神意支都久辰為命(オキ
ツクシイノミコト)の御子俾都久辰為命(ヘツクシイノミコト)の御子奴名宜波比売命
(ヌナガワヒメノミコト)を妻問いして生まれた御穂須須美命(ミホススミノミコト)が
坐すので美保という」

という記事があり、御子神はタケミナカタではなくミホススミノミコトとなっていますけれ
ど高志のヌナカワヒメの名が記されています。
 また、『播磨国風土記』の、大国主とホアカリの伝承には、大国主の妻として弩都比売
(ノトヒメ)という女神の名が登場しますが、ノトというのは能登のことで、ヌナカワヒメ
と同神と考えられます。

 高志(こし)とは越、後の越前、越中、越後のことですが、当時の大和周辺の人々にとって、
能登も高志に含まれていたものと思われます。

 『古事記』によればスサノオに退治されるヤマタノオロチは高志よりやって来る存在ですが、
石川県羽咋市にある能登国一の宮気多大社(けた大社)はオオナムチによる大蛇退治の物語を
伝えています。
 周辺には大穴持像石神社(おおなもちかたいし神社)や宿那彦神像石神社(すくなひこのか
みがたいし神社)といった神社が鎮座しますが、大穴持とは大国主のことであるし、宿那彦神
像石神社の祭神はスクナビコナです。
 また羽咋市の隣七尾市飯川町にある久志伊奈太伎比神社の祭神は、スサノオの妻クシナダ
ヒメなのです。
 つまり、この一帯には出雲系の神々が信仰されていることになりますが、そもそも気多と
いう地名も、稲羽の素兎(いなばのしろうさぎ)の神話の舞台も因幡の気多の崎に共通した
ものです。

 そして、羽咋市の北に位置するところに、羽咋郡志賀町安津見という地名が存在することに、
安曇氏の足跡を認めずにはいられないのです。
 志賀町という地名は安曇氏の本貫である志賀島と同名だし、安津見という地名は安曇そのもの
なのです。